小説における男の娘の魅力について、哲学的に考えてみよう

薬味たひち

1.男の娘の本質は身体と精神のギャップにある(自己紹介+女装と男の娘の相違について)

 いつも私の作品を読んでくださっている方も、はじめましての方もこんにちは。薬味たひちと申します。

 カクヨム歴半年の、まだまだ初心者です。


 カクヨムを使っていると他の方の作品を読むことも多いのですが、中でも私が好きなのは創作論というジャンル。

 うんうんと頷いたり、なるほど〜と唸ったり。同じ物語を書く身として共感できることが多いのでしょうね。ついつい色々な人の創作論を読んでしまいます。


 そんなわけで、私も創作論に挑戦したいと思った次第であります。


 が!!!


 いかんせん書くことがない。

 そもそも創作論とは人様に創作を語るというもの。素人物書きが気軽に足を踏み入れるようなものではない。

 さてどうしようか。う〜〜〜〜〜んと無い頭を捻り、ついに閃きました。  


 !!!


 今年の個人的マイブームが男の娘。ハマりすぎて、最近は自分の小説のメインテーマにまでしてしまいました。



『ラブコメ世界に男は邪魔なので、空気になって百合を愛でていたら男の娘にされました〜女友達も、美少女も、幼馴染もいる。なのに何かを間違えたラブコメ 』https://kakuyomu.jp/works/16818093076257526529



 最初の頃はピュアピュアな純愛ラブコメ目指してたんですけどね。ははは。


 さて、この男の娘。以前は私、何がそんなに良いのかまっっっっったく理解できていませんでした。  

 だって男の娘って要は女装じゃないですか。男が女の格好するのが恥ずかしい……っていう感情にそそられるのは理解できますが、ならどうしてわざわざ男性器を残すのでしょう。女体化の方がもっと絶望感のある羞恥を与えられるというのに。


 と、未熟な私は考えていました。

 もちろん今は違いますよ。大人の階段を一つ登りましたから。

 ここからは男の娘の魅力について、私なりの考察を展開して行きます。よろしくお願いします!


〜〜〜〜〜

1.男の娘の魅力は、身体と精神のギャップにある


 仰仰しいタイトルから始まりましたが落ち着いて聞いてください。

 いいですか? そもそも女装も男の娘も身体は男なんですよ。そこに違いはない。


 たまに身体は女になって男性器だけ残ってる、みたいな作品もありますけど、私に言わせればあれは男の娘ではない何かです。異論は認めます。むしろどんどん反論してください。私は癖への学びに貪欲なので、どんどん吸収していきたいのです。


 話がそれましたが女装と男の娘の違い、それは精神にあります。

 女装男子の心は男です。男なのに女の服を着ている、そこに恥ずかしさを感じている。その恥ずかしさは日常的な恥ずかしさの延長、例えば変顔披露とか一発芸の類と同じです。


 その一方で、男の娘の恥ずかしさは少し異なります。彼ら(彼女ら?)の心には ❜女❜がいる。

 すなわち、身体は男なのに、周りからは女の子のように扱われ、自分もそれに飲まれかけている。男としての精神を侵食する女心、それこそが彼ら(彼女ら)の羞恥の源泉なのです。


 したがって、両者の羞恥は本質的に異なるものなんですよ。男の娘には精神のより深くに入り込む恥ずかしさがある。

 けどそれを踏まえると、次のことが気になってきます。


 ???


 ええ、当然の疑問ですとも。かく言う私も、かつてはそう思ってました。女に飲まれる羞恥と言っても、男の娘には男性器という最後の拠り所が残されてしまっている。そんなもの無い方がいいんじゃねえの、と。

 

 というわけで次回は『男の娘とは単なる男性器を持った女の子なのか』を考察していきます。乞うご期待!!!



※不定期の更新にはなりますが(主に夜テンションでおかしくなった時)、反応などもらえると嬉しいです!

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