秋田と品川と亀
横手さき
秋田と品川と亀
二〇二四年、六月十四日。
東京、品川駅高輪口、ウィング高輪、西三、一階。
あきた美彩館のある坂道。
今日の天気は晴れ。そしてまだ六月だというのに最高気温が三十一度。
夏が寝巻で寝ぼけながら梅雨のもとへ添い二度寝する。
そんなような日。
―――映画がやっとみれた・・・。
ジョイ品川から出て、下り坂を歩いている一人の男がいる。
彼は先週から公開されたとある音楽映画を見終えて映画館から出てきたところだ。
―――やっぱり草を食べるベーシストは可愛い・・・。
続けて思う。
―――総集編だと思っていたけど予想以上に良かった・・・。
さらに続けて思う。
―――後編の上映も楽しみだ・・・。
入場時にもらった入場者特典の冊子を左手に持ちながら、彼はルンルンとした気分で歩いている。今日、彼は午後半休を取得し映画を見に来ていた。四月に入社した会社で取得した初めての午後半休だ。それを映画に捧げた。
―――帰ったらもう一回いっき見し、
『帰ったらもう一回いっき見しよう』
このように内心では言いたかったのだが、途中で言葉が止まる。
当然足も止まっている。
そして左手側を見る。
そこには市女笠の女性が佇んでいた。
彼女の周りには霧が漂っており、霧は秋の稲穂色に輝いていた。そして彼女の吐く息は白い。どちらも今日の天気を無視している。
彼は『・・・アンテナショップだもんな』と思ったが少し不気味だと感じた。
そして再び歩き出し、すこし距離をとるようにして彼女の側を通り過ぎる。
「・・・どうぞ」
彼を狙い撃ちしたかのような声が彼の耳へと届く。冷艶で美しい声だ。
「・・・」
彼は声を無視して歩く。
「〇〇〇さん・・・どうぞ和酒を」
―――え?
彼は自分の名前を呼ばれ振り返った。
振り返ると彼女はもうその場にいなかった。
代わりに、
『
大
納
川
試飲販売
二時~七時
あきた美彩館
』
という立て看板があった。
「・・・日本酒・・の?」
彼は看板を見ながらひとりぼっち事を言う。『ぼっち』は、先ほど見た映画の影響を受けている。
今の時刻は三時。
「・・・」
彼の足は、そのまま
入。
涼。
店内には秋田の特産品がずらりと並んでいる。入ってすぐ右にはいぶりがっこコーナー、奥は曲げわっぱなどの伝統工芸品コーナー、左にはお菓子やきりたんぽなどの郷土料理がある。
そして中央には日本酒コーナーがあった。
「さぁさぁこちらで秋田の地酒の試飲会しております!」
蔵人が元気よく声を上げている。
彼は中央へと進む。そこには三つの日本酒が並べられていた。
【
ハ 流
| れ 亀
ト 星
】
嘘みたいな酒名だ。
と彼は思った。
亀には、緑色の亀が、
流れ星には、黄色の流れ星が、
ハートには、赤い大きなハートと小さなハートがそれぞれ一つ。
以上三つの絵が各瓶の白ラベルに描かれている。
彼はじっとラベルを見る。蔵人にロックオンされてしまった。
「はい!お持ちになってください!」
蔵人はおちょこを彼の手に少し強引に持たせる。
そして蔵人は最初、亀を手にして言う。
「
亀のラベルは、
大納川天花純米大吟醸無濾過生原酒亀の尾で、
精米歩合は五十、自社の蔵付きのでー二十九という酵母を使用しており、
香りがすごく出るのと、フレッシュな感じで最後キレが特徴で、
天花は弊社のブランド名で、東京の飲食店さんに御贔屓にして頂いており、
亀の尾の奥深い米の味わいとマッチしたほんのり甘くてキレる純米大吟醸です!
ちなみに弊社名は だいながわ! しながわ! ではありません!
」
と約二秒で一気に蔵人は彼に説明する。蔵人は喜々とおちょこに亀を注ぐ。
香りと口。
「おいしいですね!!」
彼に語彙力を期待してはいけない。残念だ。これほど旨い酒があるのに。
「そうでしょう!そうでしょう!」
蔵人は大層嬉しそうにしている。
次に蔵人は流れ星を手に取り言う。
「
流れ星のラベルは、
大納川天花純米大吟醸秋田酒こまちおりがらみとなり、
おりがらみで、もろみを少しのこして甘めにしており、
よく見ると、すこし色が濃く若干ちょっとほんのり黄色で、
おりがらみの純米大吟醸生原酒とした新たな品で、
ほのかな米の甘さとやわらかくまろやかな味わいが特徴です!
ちなみに弊社名は だいながわ! しながわ! ではありません!
」
と約一秒で一気に蔵人は彼に説明する。どうやら最後のセリフは蔵人渾身のギャグらしい。確かに間違えやすい。蔵人は喜々とおちょこに流れ星を注ぐ。
香りと口。
「これもおいしいですね!!!」
再度言うが、彼に語彙力を期待してはいけない。ほんとに残念だ。これほど旨い酒があるというのに。
「そうでしょう!そうでしょう!ええそうでしょう!」
蔵人は大曲の花火のような顔をして嬉しそうにしている。
最後蔵人はハートを手に取り言う。
「
ハートのラベルは、
大納川天花純米吟醸無濾過生原酒秋田酒こまち、
同じ酒こまちですけど、先ほどのは五十、こちらは五十五、
うちの一番二番を争うほどの人気で、すごく優しい味が特徴で、
弊社では通称『ハートのエース』と呼んでいて、すっきりした味わいと、
秋田酒こまちのふくらみのあるやわらかな米の味わいが特徴です!
ちなみに弊社名は だいながわ! しながわ! ではありません!
」
と約零秒で一気に蔵人は彼に説明する。やはり最後のセリフは酒のようにキレがあり絶妙だ。蔵人は喜々とおちょこにハートを注ぐ。
香りと口。
「これも本当においしいですね!!!!」
三度言うが、彼に語彙力を期待してはいけない。誠に残念だ。これほど旨い酒があるというのに。
「そうでしょう!そうでしょう!ええそうでしょう!きっとそうでしょう!!」
蔵人は恍惚とした表情になり言う。
続けて。
「僕はね、『飲んで酔うだけでなく、心を酔わす酒を醸したい』と思ってるんです。今年もそれが出来て嬉しいんです。ええただただ嬉しいのです」
蔵人は満足そうに言った。
出。
暑。
彼は亀をつれて駅に向かった。
彼の背中を 市女笠の麗人 が優しく見送っていた。
秋田と品川と亀 横手さき @zangyoudaidenai
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