3.

 ひたすら何もない、白い空間。

 この前、シロさんとクロさんに出会った、あの謎の空間。

 そことよく似てはいるけれど、ここはなんだか空気が重い。

「ここが死後の世界ですか?」

 武藤さんが尋ねる。

「大雑把にはそうだけれど、厳密にはちょっと違うかな。ここはあの世の入り口。私達はこの世の人間だけど、今は“この世のものでもあの世のものでもない状態“ということにしている。イメージ的には空港の免税店だね。あそこは、土地としてはその国のものだけれど、中で買い物する人間は、税法上では“どこの国の人間でもない”から、どこの国にも税金を払わなくていい。それとおんなじシステムだよ。」

 そうなんだ?

 私は全然ぴんと来ない。

 八雲は納得したようで、「ああー」とぼやいている。

 八雲の家、お金持ちだもんね。海外旅行もそりゃ行ったことあるか。

「私達は生身の人間として、あの世の入り口にいる。今はそういう状態だ。本当は死んでないとここにはいられないけれど、裏技とかバグ技で無理やり侵入してるようなものだ。ここで本当に死んだら、それこそ宙ぶらりんで抜け出せなくなる。私でも救助は無理だ。いのちだいじに。あくまでも今回のミッションは湊先生の無力化だからね。忘れないように。」

 クロさんが念押しする。

「了解です。」

 白峰さんの返答。いつ聞いても落ち着いてるよね。

「さて。今日の本命はどこかな? 向こうから来るような気はしないでもないけれど。」

「クロさん、もう近くまで来てると思います。」

 寒気がしている。間違いなく、これは本能的な恐怖だ。

 ……自分を一度、食い殺した相手。

 寒気も恐怖感も増してくる。近い。

「委員長、大丈夫?」

 八雲が心配してくれる。

「敵はもういます!」

 私が叫んだ瞬間、黒い波導が私達に襲い掛かった。

 こわい。いやだ。

 足がすくんで動けない。

 情けない。

 私がこの計画の首謀者なのに。

「委員長!」

 八雲が私を抱えてさっと飛び上がり、黒い波導を回避する。

「八雲ありがとう!」

「あれが湊先生か。」

「ええ。」

 あの時と全く同じだ。

 私はぶるぶると震えるだけで何もできなかった。

「委員長、無理しないで。」

 今は八雲の声だけが頼りだ。

 必死に八雲の声を辿って意識を保たせる。

「あらぁ。こんなにも魔法少女が揃い踏みなのにスバルちゃんはいないのね? だったら、せめてお腹くらいは満たさせてよ。こっちに来てからもうずっとなんにも食べてないんですもの。」

 湊先生の声。

 聞くだけで恐怖が私を支配する。

「こっちとしては探す手間が省けてラッキーだよ。」

 白峰さんが余裕たっぷりなように啖呵を切る。

 ……私も、いや、私“が”頑張らなくちゃ。

 八雲に縋りながら、まるで生まれたての小鹿のようにがくがくぶるぶるする足で、でもなんとか立ち上がって、声を絞り出す。

「あんたに言いたいことは山のようにあるし、正直あんたは憎い。……でも。あんたを必要としてる子がいる。だから私はあの子のために、相棒が巻き込んでしまったあの子のために、あんたを連れ戻しに来た!」

 もう、やけくそだ。

 気づけば、腹の底から叫んでいた。

 湊先生は余裕そうな笑みを全く崩さずせせら笑うかのようにこちらを見ている。

「あの子って……スバルちゃんね? うっふふふふふ。またあの子に会わせてくれるのね? 私がこの手で殺したというのに、あなたってお人よしねえ。……ねえ、取引しない?」

「取引?」

「交換条件よ。あなた達は私を蘇らせるためにここまで来た。正直、そこの黒いののおかげよね。白いのもいるわよね。そこの白黒ちゃんがいなければ私はここから出られない。あなた達はスバルちゃんのために私を蘇らせようとしている。……いいわ。あなたとあの翠の子に免じて、しばらくは大人しくしておいてあげる。一回はいいもの見せてもらったしね。あの、あなたを食べたときのあの翠の子の表情と言ったらぁ。」

 うっ。こわい。あの食い殺された恐怖が私を覆いつくす。

「気を確かに委員長!」

 八雲の声。

「……本当に、大人しくする?」

 ありったけの勇気を自分の中全てから探し出して応える。

「嘘は吐かないわよ。それにもう私も半ば魔法少女のようなものですし。」

「……は?」

 誰がどうやって予想できようかという回答に、その場の誰もが唖然として動けない。

「スバルちゃん……魔法少女と私……魔竜の契約は禁忌なのよね。それを犯したら即魔法少女では無くなるの。あの子はもう体の一部が魔竜化している。……でもね。どうやら。あの子からも逆流してきたのか、私も体の一部は魔法少女になっているみたいなの。大人の私が魔法少女というようなことは一旦置いておきましょう。因子くらいは入り込んでいるということでしょうね。」

「……何が言いたい。」

 まどろっこしくなってきたのか八雲が切り出す。

「あの子は私と契約した結果、魔法少女の力を失って病魔法少女になった。じゃあ私は? 魔法少女と魔竜は本質的には同じもの。魔法少女と契約した魔竜は、魔力が一層強くなる代わりに魔法少女の干渉を受けやすくなるの。」

「干渉」

「簡単に言うと他の魔竜より魔法少女から受けるダメージが倍増するわね。あの翠の子一人なら余裕だったけれどあなた達全員に一斉にかかられたらどうかしらね。やられる前に全員やっちゃえばいいんだけどここまで来ると多勢に無勢にも程があるというか。それと。」

「それと?」

「スバルちゃんの影響を強く受けちゃうのね。私はある程度とはいえスバルちゃんに縛られてるようなものなの。だから。」

「だから?」

「スバルちゃんが嫌がることは私には出来ない、というわけ。つまり。」

「つまり」

「スバルちゃんがあなた達の味方である限り、私はどのみちあなた達には手出し出来なくなってる。ということね。」

 え。えーと。

 つまり。拘束具をつけなくてもどのみち湊先生は私達に手を出してこないってこと?

 なーんか拍子抜けだけどこれ、信じていいの?

「信用、していいのか。」

「あら。どの口がそれを言うの? あなただって魔竜でしょう? 同族の匂いは誤魔化せないわよ? 竜魔法少女とでも呼べばいいかしら? 白百合八雲さん。」

 鋭い。流石は格上の魔竜ということか。

 八雲は私が魔法少女になったあの日、自分が竜魔法少女だということを明かしてくれた。

 ……そうだ。その時から。

 可能性がほぼ無かろうとはいえ、私の中ではぼんやりと思っていたこと。

 ……湊先生をも、味方に引き込む。

「そうだよ。私は竜魔法少女。魔竜の力を持ってる、魔法少女。」

「誤魔化さないのね。」

「私は病魔法少女に魔竜の力を与えられて魔竜になった。こんな私でもひまちゃんは助けてくれて、そして私は魔竜でも魔法少女でもあるものになった。こんな私を、ここにいるみんなは受け入れてくれた。だから、自分の中に魔竜の力が流れていても、何も怖くない。」

 八雲の啖呵がこだまする。

「ふふっ、ふふふっ……あははははははは!」

 湊先生は何がおかしいのか大笑いを始める。

「認めた! 自分が魔竜だってあっさり認めた! もう魔竜がとっくに魔法少女の中にいるんじゃないの! 白百合さんは信じて私は信じられないんだ。なんて差別。」

 その通りだ。それなら。

「いいよ、あなたを信じる。」

「委員長!?」

 魔法少女たちが驚愕する。そりゃそうだよね。何のためにあの世(の入口)まで来たんが。

「あっさり信じるのね。……私が裏切ったらどうするの? 私の話が全部本当だとも限らないわよ。」

「その時はそれこそ、ここにいるみんなの力であなたを止める。たとえ星影先輩があなたに味方したとしてもね。私は一人じゃないもの。」

 言っちゃった。みんなを信じてるけれど。

「ずいぶん絆が深いようですこと。他の皆さんは?」

「……これは委員長の立案だ。私は委員長の判断に従う。シロっちもそう言ってる。」

 ……クロさん。

「さっきも言ったけど私も一部は魔竜。ここであなたを信じないと言ったら、自分自身の否定にもなっちゃいそうだから。」

 ……八雲。

「私は……八雲を竜魔法少女にした一人……ということになるのかな。その八雲がそう言うなら私もそうする。」

 ……武藤さん。

「私達は湊先生のことをよく知らないまま来たので、ノーコメントにします。皆さんの判断に委ねます。」

 ……標先輩に真影さん。

「委員長。大したもんだよ。」 

「荒神先生!?」

 突然、声だけとはいえ荒神先生が割り込んでくる。

「ずっとお前たちをモニターしていた。それがお前たちの総意というのならば、私も続こう。ただし。湊先生は私も監視する。魔法少女だけでは目が届かなかろう? 湊先生もそれでいいな。」

「ええ、どうせもう女の子をペットにはできないでしょうし。ちょっとは懲りてますのよ? それに。他の女の子を侍らせてたらスバルちゃんが嫉妬しちゃうわぁ。」

 やっぱり。この人もこの人なりに星影先輩を愛してるんだろうな。

 それなら。星影先輩と一緒になるのが一番だよね。

「なんかとんでもないことになってるんだけど? えーと。凱旋パーティーの予定だったけれど湊先生の歓迎会ということでいいのかな?」

 そうなるのかなー。

 荒神先生に続いて美玖さんが声だけで参加。

 この何とも気の抜ける発言が、今の恐怖と困惑と希望が入り混じった私を撫でてなだめてくれる。

「あらあ、いきなり歓迎会をしてくれるのね?」

「いやまだやるとは決まってないです。」

 白峰さんの鋭い突っ込み。

 ……でもまあ、やってもいいんじゃない? せっかくなら月影先輩も呼んでさ。

 杜坂はちょっと考えよう。複雑だと思うし。

「……話はまとまったようだね。じゃあ、シロっちに連絡するよ。帰還だああ!」

 クロさんが勝鬨を上げる。いや待て。これ勝鬨と言っていいの?

 何に勝ったのかよくわからなくなってきたな?

「おっと。」

 クロさん?

「本当はやりたくてうずうずしてたんですよ。やる先が牢獄からこの世の『魔女の宿り木』ラボになっただけで。……いいですよね? このくらい。」

 何のことだろう?

「シロっちー開けてー。」

「あいよー。」

 どこからかシロさんの声がしたかと思うと、この空間に来た時のようなあの魔法陣が地面に現れた。来た時と違って、今度は魔法陣そのものの中に穴が開いているように見える。

「開いたー?」

「開いたよー。」

 クロさんがシロさんに応えている。

「よーし。私は最後に出口を閉めてから帰るから、みんな先に行って!」

 クロさんに促され、魔法少女たちは次々に穴に飛び込み帰還する。


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