第34話
初めて将平は、静岡で行われる我がNPO法人日本空手松濤連盟の全国大会の、55歳以上の組手の部に出場することにした。順番からいえば形からだろう、何と大胆なと、言うひともなく。
将平の年齢は、もう58歳である。これまでに何度も組手の試合に出場しているのなら、不思議ではないのだろうが、何故58歳にもなって。それは将平自身
(俺にもわからん。とにかく一度、自分を試してみたいんや)
と。さて問題は、正美である。将平は
(そや、肝心な正美を忘れてた)
そこで将平は
「正美、全国大会に行きたいんやけど」
「毎年、行ってるじゃない」
(将平は、審判で毎年、全国大会には行っている)
「今度は、俺も出場したいと思って」
将平は、審判で全国大会を見てるうちに、自分も出場したくなったのだ。
「いいんじゃない。どうせ行くなら、出場しなくっちゃ」
「組手やねんけど」
「いいわよ。痛い思いするのは、将平さんなんだから」
「何で、痛い思いするんや」
「全国大会に出場するのよ。将平さんより強いひとが、いっぱいいるに決まってるやん」
「そりゃそうやな」
「そうに決まってるわ」
「けど、わからんぞ」
「まぁ、行ってくれば」
「うん」
ということで、正美の承諾も得て、将平は全国大会に出場することに。大阪府は、出場選手が少ないため、希望すれば参加できる。
将平は、出場するからには勝っていい思い出を作りたいと思い、若い対戦相手のいる海老江道場へ。将平は、いつも空手を習いには行っているんだが、この道場にはひかると言う現役高校空手部のキャプテンがいる。その子に手合わせをしてもらって、組手の上達を計るんだ。そう58歳が18歳に教えを請うのだ。
全国大会の一週間前、将平がいつものように修道館で、基本一本の練習をしていると、前蹴りの場面で、相手に蹴りを入れる時に、足の親指を反らなければならないのに、それをしなかったため、右足の親指を捻挫してしまった。
(どんくさい。空手三段にもなって、ほんとうの基本が、できなくて捻挫とは。しかも、全国大会まで、あと一週間やのに)
将平は
「全国大会に行く」
と、誓約書まで書いていながら
(自分みないな者が、全国大会で通用するのか)
という不安もあって
(ちょうどええやん。捻挫を理由にして、全国大会を棄権できるわ)
と、弱気の虫が、頭を過ったけれど
「俺は男だ」
捻挫を理由に、言い訳はしたくない。これくらいのハンデが、ちょうどいい。
静岡武道館で行われる、我が日本空手松濤連盟の全国大会は、土曜日は子供の形と組手が、朝から夜まで行われ、将平はその審判のひとりとして、参加する。その翌日が、大人の形と組手だ。
将平は、子供の審判後、ホテルに着いたが、なかなか寝付けない。当たり前だ、初めての全国大会に明日、出場なんだから。シャワーを浴びた後、ベッドに横になってしばらく経ったが、ここに至るまでのことを、数々と思い出してしまった。
高校卒業後からの就職、そして退職。
初めて居酒屋みどりで、正美に惚れたこと。店を手伝ったこと。好昭に、店を任せると言われたこと。
空手を習い始め、探し求めた警備員の仕事に付けたこと。
空手初段、二段、そして三段。
キッズ空手で子供を教えた日々と、走馬灯のように、頭を掛け巡っていく。
なかなか将平は、眠れない。
(あー、眠れん)
しかし、人間というものは、こんなに思っていても、眠っているものらしい。
そして、日曜日の朝を将平は迎えた。昨日の反省会の酒は、残っていない。
(さあ今日だ。ここまで来たら、やるだけ)
将平は、自分を奮い立たせた。今日は審判ではなく選手なので、自分の出場する55歳以上組手の部の試合時間の、およそ二時間前に会場に行こうと思いホテルを出た。外はものすごく暑く、日差しがきつい。そして会場の雰囲気は、昨日の審判の時とは全く違う。そりゃ初めての全国大会に、将平自身が出場するのだから。大阪府本部の父兄が集まっているスタンドへ行き、しばらくいたが、集中するために空手道着に着替えてウォーミングアップをと、サブ体育館へ行った。
そこは、たくさんの選手が、思い思いのウォーミングアップをしている。相手を立たせての突きの練習をしたり、蹴りの練習をしたり、組手をしたり、形をしたり。将平は、ほんとうに初めての空手の実戦なので、何をしたらいいのか全くわからない。陸上の長距離のウォーミングアップしか知らない。仕方ないので、念入りにストレッチを行い、それから壁を相手に、ひたすら刻み突き逆突きの繰り返しを。そこへ八尾道場で、教えている兄妹の母と、もう高校生に成長したキッズ空手の教え子が続けて来て
「頑張って下さい」
と。嬉しい限りだ。30分前に出場選手が集まってコートへ行くのだが、将平は初めての出場なので、知らない選手ばかり。いざコートへ行くと、体育館の明かりが、やけに眩しい。いやがおうにも、緊張感はマックスだ。右足の親指の捻挫は、忘れてしまっている。
しかし、将平にとって、最も嫌なことが起こった。それは八尾道場の教え子で、全国大会に出場している子供たちが、コートに先に来ていて、将平に
「頑張って下さい」
と、声援しているのだ。香山師範は常々、子供らに
「下がるな」
と、いつも教えているので、もう将平は対戦相手に対して、下がることはゆるされない。将平の緊張感は、マックスをとうに越してしまい、逆に冷静に。
(あー、子供たちのお陰かな)
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