第33話

海老江道場の帰り道に、高橋が

「秋山さん、ありがとうございます」

「えっ」

「海老江道場に来て、良かったです」

「そうか」

「とてもいい練習が、できました。井村先生にも、福本先生にも、いろいろ教えてもらえましたし」

「そやろ。修道館の倍くらい練習時間があるし、下東先生とはまた違う目線で、井村先生と福本先生が、見てくれているから」

「押忍」


将平は、家に帰って正美に今日の海老江道場での話しをすると

「良かったじゃない。高橋さんが喜んでくれたら」

「そやな」

正美は、将平の身体に肩をぶつけて

「悩んだくせに」

「うん」

「早くお風呂に入って」

「はーい」


そして、将平の三段の四回目の審査と、高橋の昇段審査が、寝屋川道場で、行われた。将平は、三段の審査は形と組手だけなので、高橋の初段の昇段審査を見る余裕がある。ある意味、将平は三段の昇段審査に三度も失敗しているので、開き直りも。

高橋の一生懸命な姿に、将平は

(俺も今日、決めな)

と、思い知らされる頑張りである。

初段の受験者は、高橋ひとりだけなので、三段受験の将平と、二段受験の今里道場の飯田が、元立ちになった。いざ高橋と向き合った将平は

(おっ、今日の高橋は、ものすごく気合いが入ってるな。絶対に合格するんやとの気迫が、俺に伝わってくる。これは、俺も見習わんと。よし、俺も今日、絶対に合格するぞ)

将平が、突き蹴りを見舞っても、高橋は必死に受けている。高橋の元立ちを終えた将平は

(高橋は、初段合格や)

と、思った。

(今日の高橋は、いつも以上の力を出していた。次は、俺の番や)

そして、道場の真ん中に立った将平は、大きく深呼吸をし「慈恩」

と、形の名前を叫んで、およそ一分半ほどかかって形を演じた。

(あー、やり切った)

全力を出し切った将平は、心地好い疲れを覚えた。空手道着を、着替えながら将平は

(やり切った)

と。そこへ高橋が来て、二人はガッチリ握手を。


昇段審査を終えて、将平は高橋と一緒に下東を待ち、三人でいつもの中華料理屋へ行って、下東に今日の結果を聞くと

「秋山君、よう一年間頑張ったな。やっとほんまもんの先生や」

「押忍。と言うことは、三段合格ですか」

「そうや。長い戦いやったな」

「押忍。ありがとうございます。で、高橋君は」

「勿論、合格や」

「高橋君」

「押忍、ありがとうございます」

「乾杯や。すいません、生ビール三杯、おかわりで」


将平が三段合格後、初めて修道館に行くと、高橋が黒帯を締めて更衣室にいた。将平を見てニコッと笑顔で

「押忍。秋山さん、黒帯似合ってますか」

「うん、すごく似合ってるよ。しかし、昇段審査頑張ったな」

将平が握手を求めると、高橋も強く握手を返してきて

「秋山さんこそ、三段おめでとうございます」

「ありがとう。高橋君、この黒帯は誰でもない、あんたが何年も頑張って、汗水流して取ったもんや。あんたの財産やで」

高橋は、自分の締めている

黒帯を、改めて見ながら

「押忍、ほんまですね。お金を払って買うものではなく、自分の汗で取ったものなんですね。ありがとうございます。益々、黒帯のありがたみを感じます」

将平も道着に着替えて

「さあ、練習しよう」

「押忍」

と、二人は道場へ。


将平が帰宅すると、正美が

「おかえり」

と、出迎えた後、いきなり将平に突きまがいの攻撃をしてきて、将平がさっと避けると

「さすが三段」

「あのなぁ」

「さあ早く、風呂に入って。私、お腹空いてるんだから」

「はいはい」

「はいは、一度」

「はーい」

入浴後、正美と一杯呑みながら、将平がお膳の上のカレーを食べると

「これ、店の?」

「うん」

「やっぱり、旨いな」

「そうね。美味しい」

「今日、高橋が修道館に来てな。初めて黒帯締めて」

「似合ってた?」

「うん、俺よりよく似合ってたよ。俺が初めて黒帯締めた時を、思い出したわ」

「黒帯って、そんなにすごいんだ」

「まーな。仕事を終えてから酒を呑むのを我慢してまで、空手を習いに行って、どれだけ先生方に注意されたか、そして汗いっぱい流して。

途中で辞めたり、挫折したり、怪我したりして、黒帯締めるのを諦めていく者を、すごく見てきたし」

「初段になる時、お父さんが

迷惑掛けたもんね」

「ほんまや。あの時は、しんどかったわ。泊りの仕事に、居酒屋みどりに、そして空手に。けど初めて義父さんに恩返しできた気がして」

「ありがとう」

「あとは、孫の顔を見せることね」

「そうやな」








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