第32話

将平が、三段受験で苦労する。得意な形は、二段受験からずっと取り組んでいる慈恩の形。しかし、二段の形と同じように演じてはいけない。もっと細かい所に気を配らねば。慈恩は基本が集まった形なので、日頃の基本練習が重視される。そして組手。それらは全て高段者だからこその受験への難しさが。

将平は、原田と昇段審査を見学に行った時のことを思い出した。

(林先輩と井筒先輩の、二人の組手。あの時俺は、絶対に昇段審査を受けないと思ったのに、結局三段を受験する自分がここに)

昇段審査は、年に三回行われる。将平は、三段受験に三度失敗しているので、都合一年以上も掛けての受験となる。

(三回も昇段審査を落ちたら、俺って素質ないのかと思ってしまうし、それだけ三段への道は、とてつもなく険しい)

正美にこのことを言うと

「険しい道だけど、自分が選んだ道でしょ。それに合格できたら素晴らしいことじゃない。ほんとうの先生になるのよ」

「そうやな。とにかく引き返すことのできない道や。三段目指して努力するわ」

一年かかって三段に挑戦しているあいだに、同僚の高橋が、初段に挑戦することになった。将平は、自分のことのように嬉しくてしようがない。下東が修道館で

「高橋君、そろそろ昇段審査に挑戦するか」

高橋は

「えっ」

「高橋君、やったな」

と、将平は高橋に握手を求めた。握手をしながら

「さあ、これからやで。苦労するやろうけど、俺らがついてるから」

「押忍」

修道館の帰り道で、将平が

「高橋君、俺と一緒に海老江に練習に行こか」

「えっ」

「俺も初段挑戦に、どうしても練習する日が足らんと思ってたら、原田さんが連れて行ってくれたんや」

「そうですか」

「月曜、水曜が泊りの日もあるやろ、そうなったらその一週間、空手の練習できひんやん。けど海老江は、木曜、日曜が練習日やから。水曜が泊りやとしても、明くる日に練習できる。とにかく数をこなさな。それに、下東先生には悪いけど、他の先生方に高橋君の空手を見てもらうことも大事なんや。俺も、いろいろ注意してもらったし」

「秋山さん、明日仕事ですよね」

「うん、そうや」

「明日、返事してもいいですか」

「ええよ」

二人は、森ノ宮駅で別れ、将平は

(余計なお世話やったんかな。ひとというのは、難しいわ)

将平が、くよくよ考えなが、ら歩いていると、居酒屋みどりに、着いてしまった。

店を閉めて、将平と正美が帰宅してから、将平は正美に高橋とのことを話すと

「いいんじゃない。あとは高橋さん次第よ。高橋さんには、高橋さんの考えがあるだろうし。将平さんは、余計なことはしていないと思うわ」

「それやったら、ええんやけど」

「気にしなくていいんじゃない。それより早く、お風呂に入って」

「うん」

将平は、正美に話してほっとした。

(くよくよするのは、俺の悪いとこや)


明くる日、将平が出勤すると、高橋の方から

「押忍。秋山さん、今度海老江道場へ連れて行って下さい。お願いします」

それを聞いた将平は、急に笑顔になって

「おー押忍。一緒に頑張ろうや」

「押忍」

将平は

(あの、くよくよしてたんは、いったい何やったんやろう。正美の言ってた通りやったん

や)

その日、将平は気分良く一日の仕事をこなす。そして正美に、昨日のことを話すと

「やっぱり、将平さんの気持ちが、高橋さんというひとの心に響いたのよ、きっと」

「そうかな」

「そうに決まってるじゃない

の」

将平は、まんざら悪い気もせず、ニコッとした。その顔の何処に目があるのか、わからない。


木曜日になり将平は、福島駅改札で高橋と待ち合わせた。将平の手には缶ビールが。

「押忍。秋山さん、そのビールは」

「あとのお楽しみ」

「あっ、そのビール、僕が持ちます」

「おう、頼むわ」

二人は、阪神高速沿いの道を、ゆっくり20分掛けて海老江道場へ。

将平は高橋を、井村、福本両先生に紹介し、練習が始まった。何処も同じ、その場基本の練習から始まり、高橋が

「秋山さん、修道館に比べても、きつい練習ですね」

「無理するなよ」

「押忍」

移動基本は、その場基本よりも、練習の中身が濃い。将平は練習をしながらも、高橋の様子が気になって仕方がない。移動基本を終えて、給水しながら休んでいる将平に、高橋が

「追い突きだけで、道場を、三往復した時は、もう止めようかと思いました」

将平がニコッとして

「俺も、初めてここへ来た時、そうやったわ。修道館では、一往復だけやから」

「しかし秋山さん、元気ですね」

「押忍、これが三段目指す者の実力や。なんちゃって」

そして、組手、形の練習を終えて、着替えた後、井村、福本と将平、高橋が輪になって道場での一杯が始まった。高橋は将平に

「このための、ビールだったんですね」

「そや」

「しかし、練習終えてすぐのビールなんて、たまりません。最高ですね」

「そやろ」

井村が

「高橋君、どうやった」

「押忍。正直、しんどかったです」

「そうか」

と、福本はニコニコしている。

「練習途中で、真っ白になりました。追い突きをまだするんかと」

「それは初めてここに来た時、俺も一緒やったわ。けど、この練習に耐えれたら、絶対に初段取れるで。ね、井村先生」

「そうやな」

福本が

「高橋君もやけど、秋山が早く三段通らな」

「押忍。頑張ります」










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