第28話
将平が職場に着くと早速、若い警備員が
「どうしたんですか」
と。
「あー、空手で」
将平がメガネを取ると
「男前が台無しですね」
将平は、笑いながら
「そやろ」
笑うと、目が何処にあるか、わからない。
「しばらくその痣は、取れませんよ」
「メガネで、ごまかすわ」
将平は、それからも同僚に声を掛けられた。
福島隊長は
「もっと上達せなあかんな。そんな突きは、相手にさっと、避けられたら、次の技が出ないやろ」
「そうなんですよ。これでは二段は、まだまだなのかなと」
「まあ、これも勉強や。秋山の得意技を新しく考えやな。しばらく青痣は、取れんやろうから、メガネは取らんように」
「押忍」
将平は、痛い思いをするから、それが空手だと思い。ひととは、相手に拳を突き出してばかりではなく、自分自身が突き蹴りを受けて、痛い思いをして、初めて相手の痛みが分かり、そしてそれが、相手に対する思いやりとなるのだと。
それだからこそ、一撃必殺の攻撃でというか、上段突きは、相手に当たる直前に拳を止める。つまり寸止めではなく、当たる直前に極めて、拳を止めるように努力する。それが、上達者であると武山師範は教えてくれる。寸止めと極めとは、天と地ほどの違いがあると。
将平は、拳を壁の前で止める工夫をする。勿論、突きと蹴りの基本と同様にだ。実は、それがものすごく難しい。
空手には、巻き藁突きというのがあって、巻き藁に向かって突きの練習を行い、拳を潰す。そしてひたすら拳を痛める、血を流すほどだ。こんなことは現在では、通用することはないだろう。けれど、ほんとうの突きを極めるためには、やはり巻き藁が必要だ。香山師範の八尾道場には巻き藁が有り、将平は子供を教える傍ら、巻き藁を突かせてもらえるようになった。巻き藁を、100、200回と突いていると、香山師範の子供たちへの教えに、空手への真摯な気持ちが将平に伝わってきた。将平は
「武山師範といい、香山師範といい、何と真剣に空手に向き合っていられるんだろう。教えることを続けられて、年齢は70歳半ばを越えておられるというのに」
(自分も、二人の師範の気持ちを少しでも継いでゆくことが出来れば。後継者を作ることができれば、何と素晴らしいことやろう)
将平は、襟を正さなければならないことばかりだ。
(俺は少しは、空手は勿論なんだが、精神的にも向上したんだろうか。人格完成できたんだろうか)
将平が、空手に向き合うほど、師範、先生方の空手というものに対する直向きさに、感動してしまった。道場経営といっても、その道場の借用代等を考慮すれば、ほとんどボランティア活動をしているようにしか思えない。それなのに、必死で指導をしてくれている師範、先生方。武山師範もそのひとりだ。後進のためにと、できるだけ多くの練習生に指導をしてくれている。勿論、無料で。これは、何を意味しているのだろう、空手道の伝統を未来に残すためだろうか?武山、香山両師範の意思を、我々が継いでゆかなければならない。それは宿命だろうとも思えるのだが、決して簡単な道のりではない。
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