第26話

ある日、道場で武山師範に

「秋山。今、何段や」

と、尋ねられた。

「押忍、初段です」

「そろそろ、二段受けたらどう や」

「押忍」

「みんな、仕事をしながら空手を習ってる。自分の時間を犠牲にして。その貴重な時間を使って、日々習ってるんやから、どんどん段を上げていかな」

「押忍」

日々練習していると、いずれは言われると思ってはいたが。けど将平は、林と井筒の昇段審査の組手がトラウマになっていて、躊躇しているのが、本音である。将平自身、少しずつ地道ではあるが、空手が上達しているとは思ってはいる。

若い頃、走っていて、一秒一秒タイムを上げることを目指していた頃が懐かしい。それも30歳を越えると、難しくなってしまった。年齢には勝てはしない。だが、空手は違う、武道は違うのだ。空手は年齢に関係なく、心・技・体と上達していくのだ。つくづく空手と出会えたことに感謝している。

将平は、原田に二段受験について相談することにした。

「原田さん。先日、武山師範に二段を受けろと言われたんですが」

「そうやな。初段から二段へは、一年経ったら受けることができるんやから。秋山君は初段取って、もう二年経ったんやろ」

「そうなんですが、もし受かってしまったら、原田さんと同じ段位になるんですよ」

「それじゃ、俺が三段受けりゃええ訳や。あっ、林さんと井筒さんの組手が気になってるんやろ」

「それも勿論ありますが、やっぱり原田さんと、同じ段位になることが、気になるんですよ」

「よし、俺が三段、秋山君が二段目指して頑張ろや」

「押忍」


早速、将平は修道館で下東に二段の移動基本を教えてもらうことに。二段は初段より新しく主な追加項目として


・飛び込んで三本突き

・前蹴り、横蹴り、廻し蹴り、後ろ蹴りの足を降ろさずの連続五本


等がある。蹴りの連続五本は、基本の最後に行われる種目なので、疲れているしバランスを崩してしまいやすい。それだけではない。形も新しく勉強しなくてはならない。

形は、初段の審査時に演じた抜塞大の他、慈恩、燕飛、観空大の三つの形が、指定形となっている。指定形とは、昇段審査で審判長から今述べた形の、いずれか指定された形を演じなければならない。ということは、慈恩・燕飛・観空大を、全て覚えて演じれるようにならなければならない。形を間違うとそれだけで審査は終わりである。

そして勿論、組手もだ。原田は、将平が形の練習をしているあいだに、ひたすら長西と組手の練習をしている。原田が受験する三段の審査は、組手と形だけである。下東の

「はい、終了、終了」

の声で、修道館の一時間の練習は、あっという間だった。

「もう終わり?少なすぎる」

その声に、原田が

「秋山君、それだけ集中して練習したということや。すごいことやで」

「そっ、そうですね」

「そやろ。49歳という年齢になって、なかなか集中することなんか、ないやん」

「ついつい、夢中になってました」

「次の練習に、とっとこうや」

「そうですね」

空手道着を着替えて、汗をぬぐいながら原田が

「一杯行く?」

「すいません。今日は止めときます」

「じゃあ、また」

「押忍、お疲れ様でした」

将平は、キッズ空手に二段挑戦と、正美に迷惑を掛けているので、たまには修道館から真っ直ぐ帰ることに。直接、居酒屋みどりへ。時刻はまだ21時半なので、閉店まであと一時間はある。将平が暖簾をくぐると

「いらっしゃい」

「あっ、お帰り」

「どうも。義父さん、皿洗います」

将平が、前掛けを着けていると

「おっ、すまねえな。後で一杯やろか」

「押忍。いえ、はい」

将平は、ついつい押忍と言ってしまう。

(皿洗いをしていると、何故か心が落ち着く。この気持ちはなんなんやろう。無心になれるからかな)

グラスや皿の音が、賑やかだ。

好昭が

「将平君、空手どうや」

「ええ、師範に薦められて、二段を目指してます」

「頑張ってや」

すると、店の片付けをしている正美が

「お父さん。将平さんを、あんまりおだてないでよ」

「ええやないか。この年で頑張ってる人間って、そうはおらんぞ。泊りの仕事をして、空手をして、そして俺の店を手伝ってくれてるやないか」

「だから、無理してもらいたくないのよ」

「そうか」

「大丈夫ですって。嫌々やってたら、ストレス溜まりますが、どれも好きでやってるんですから」

常連客が

「おーい、お取り込み中悪いけど、ビールまだきてないぞ」

「あっ、すいません」

正美が、常連客にビールを持っていきながら

「無理は禁物よ。将平さんは、もう若くなんいんだがら」

「押忍」

常連客が

「ええやないか、正美ちゃん。旦那さんは充実してるんやろ、なかなかやで。ええ年こいて、熱中することがあるって。定年して、することないひとが、多いらしいで。俺自身がそうやから」

そう言われて将平は、常連客に頭をさげた。




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