第23話

大阪府本部の空手講習会が、寝屋川道場で行われることに。

将平と原田は、日曜も祝日もない仕事なので、講習会の日に年休を申し込んで参加することにした。

講習会は昼からなので、あらかじめ正美にたのんで、遅めの朝昼兼用の食事を済ませて。出掛ける時に正美が

「今日は、何時に帰るの」

「一杯やってくるかも」

「そう、とにかく電話して」

「うん、じゃあ行ってくるわ」

「行ってらっしゃい」


講習会には、香山、武山両師範に東山大阪本部長、井村、福本、下東、衣笠各先生。そして、原田、秋山以下総勢15名の参加で、慈恩、十手、半月、岩鶴等、形の勉強会を行う。将平にとっては、新しい形ばかりで、すごい勉強になった。

その後、反省会を昇段審査受験の時と同じ、中華料理屋で行うことに。店のいちばん奥の四人掛けのテーブル四つに座って。将平は、香山師範と同じテーブルで向かい側に座ることができた。将平の隣りの席には原田が。

(この師範の話しを、聞きたかったんや。原田さんが言われた『家族を護るんやろ』のひとことが、俺の空手への道を目指すキッカケのひとつにもなったんやから)

井村が

「香山師範、この連中に東京での指導員稽古の話しをしてやってください」

香山師範が

「おうそうか」

と言って、将平と原田の顔を交互に見てから、話し出した。

「当時の協会総本部の練習内容は、11時から13時までの2時間で、そのうち1時間は基本稽古が有り、あと五本組手、一本組手、自由組手が毎日有って、その後14時過ぎまで自由練習となるが、この時間が指導員や研修生の練習で、私が彼らの練習相手やった。

この指導員稽古は、凄さと迫力があった。ある先輩と組手をすると、私は身体が小さいので上段ばかり狙っていたくせで、拳の構えを上段に向けたその瞬間、突きがドーンという感じで入れられて、のびてしまった。次の先輩と組手をしたら、足払いをされてその後の記憶がない。気が付いた時は、道場の隅で濡れた雑巾を額に乗せられ寝ていた。空中で一回転して床に落ち、脳震盪を起こしてのびたらしい。これが練習初日の洗礼やった。

これらは、私のレベルが低かったからである。他の研修生は、大学の空手部でやっていて、それなりの技量があり、私のようにはやられていなかった。

その後も、こういった状態が毎日続くのである。当てられ、のばされて目の下は二重三重に腫れあがっているので、下の方は見えない。食事の時など、おかずが見えないから、目の高さに持ってきたり、台の上に乗せて見えるようにして食べていた。歩く時も下が見えないから、転ばないように身体をくねらせるので、変な格好だとひとに言われもした。

指導員や研修生連中は、海外に行く目標があるので、自分か強くなりたいという思いだけで、相手のことなどどうなろうと考えていなかったから、私のように弱い者は、かっこうの相手だったんだろう。

自由練習時間の毎日1時間から2時間は、これの繰り返しだった。私だけでなく怪我をして練習できなくなった者もいたし、聞いた話しではあるが、1~2週間練習に出てこない練習生がいて、探してみると内臓破裂ですでに亡くなっていて、葬式も終わった後だったという者もいた。こんな時代であったし、丈夫な身体に生んで育ててくれた親に、感謝したものだった。

4ヶ月くらい経った頃、ベスト空手の著者でもある中山正敏先生に、事務所に呼ばれ

『香山君、ここまでやったからもういいだろう、このまま続けてたら死ぬかもしれんぞ、帰った方がいいぞ』

と言われたが

『私は帰りません。死んでもしようがない、最後まで続けさせてください』

と言って、続けてやらせてもらった。

この頃の日課は、早朝からの新聞配達、昼は指導員稽古で練習、帰ってからの夕刊配達の後、近くにあった中央大学の横の神社で、階段の登り降りのダッシュと、木にチューブをくくり付けての練習を2時間ほどと、毎日その繰り返しだった。

こういった練習が実を結んだのか、半年くらい経った頃、急に相手の技が見えた、それまでは突きも蹴りも受けることができず、当てられっ放しだったのに技が見えた。自分でもビックリの『開眼』である。これが徐々にではなく急に見えたのである。

『えっ』

という感じだった。しかし、初めは、適当に当てさせて練習をしていた。相手が本気になってこられたら、困るからである。相手に当てさせる余裕が出てきた。

その夜は、興奮して眠れない。翌日、昨日のことは夢ではないだろうかと、思いながら道場に行ったけど、練習ではほんとうに見えて相手の攻撃を受けられた。他のひとは、もう私を練習相手にしなくなった。突いても蹴っても、技が入らなくなってしまったから。

更に『さばき』も会得した。スピードと力で、蹴ってくるのを手で受ける。これを毎日繰り返していると、腕が腫れて皮膚の色が変わり、腐っているような状態になる。

今でもその時の後遺症の名残りで、腕がへこんでいる。痛くて受けられない。しかし、受けないと蹴りが身体に当たる。そこで腰で、相手の技をかわすことを会得した。瞬間的な動作で、反応した腰をグッと前に入れて受けると、腕を使わなくてもいいし、勝手に下がって身体が自然とさばいていた。下がってばかりではやられるので、相手にしがみつく。それで中に入れる技ともなったさばきを覚えた。やられてばかりやったが、その瞬間をとらえる技を会得した。

相手の技が見えるようになり攻撃をさばけるようになって、自分の技が出来上がっていった。

まあ、東京での指導員稽古があっての、今の自分やと思う」

「ありがとうございます」

井村が、将平と原田に

「どうや、今の話し」

「押忍、命懸けですね。自分が今やれるかというと、中山先生が帰った方がいいぞと言われる前に、逃げ帰ってたと思います」

原田の話しに、将平も頷いた。香山師範が

「それだけ、空手命ということや」

将平は、香山師範と話しがしたくて仕方ないのだが、なかなか言葉が出てこない。

「けどな、君らも空手が好きなんやろう。好きやから、しんどい基本を何度も何度もやれるんや。それでええ、空手命でなくても空手が好きやったら、それでええと思う。君ら二人もええ年齢やねんから、これから若い者や、子供を教えてくれるようになったら」

「押忍」

帰りの電車の中で、将平は原田に

「すごいひとですね。香山師範は」

「ほんまや。俺は絶対に、空手に命は懸けられんわ」

「自分もです」

二人共、その後の言葉が、出なかった。



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