第22話
その日も将平は、高橋と駅で別れ、いつものように電車で帰宅する。将平の乗車する大和路線は、まだ103系という昭和30年代からの電車が、わずかだが走行している。その車両の端に3人掛けの座席が有り、扉側に将平は腰掛けた。もうひとり端に腰掛けているひとがいるので、将平とそのひととのあいだに、あとひとり座れる。
将平は、降車駅までのあいだに、カバンから三国志を取り出して、いつものように読書をしていると、真ん中の座席にサラリーマンが腰掛けた。その時、将平の方に寄って座ったので、将平はものすごく狭く感じてしまった。その男を将平が見ると、大きく足を広げてマンガを読んでいる。
(もう、狭いな)
と思いながら、将平が我慢して読書をしていると、急に窮屈感がなくなった。それは、真ん中に座った男が、突然座席の反対側に寄ったから。何故かなと思ったら、将平のカバンから本を取り出した拍子に、黒帯がはみ出していたのだ。明くる日、原田にそのことを話すと
「わざと黒帯をカバンから出してたんちゃう」
やって。
仕事が休みで、空手もない日は退屈である。ふと将平は、久しぶりにキックボクシングのDVDを観る気になった。元々将平は、キックボクシングが中学から好きで、毎週火曜日の夜7時半から30分のテレビ放送を、欠かさず観ており、日本ランカーからレフリーの名前まで覚えていたほどだ。なかでもやっぱりキックの鬼が好きだ。そしてそのキックの鬼が、以前空手をしていたことを知り得た。キックの鬼は、東洋ライト級チャンピオンで、真空飛び膝蹴りを得意技としており、タイトルマッチでのタイ選手との死闘は、決して忘れられない。そこで将平も黒帯になり、闘志を今一度奮い立たせるために、観る気になった。正美が
「ちょっと、買い物に行ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃい」
と言った後、将平は
(よし今だ)
と思い、DVDを。正美は、将平が空手でいつも家を開けているから、せめて家にいる時は、空手関係のことは家に持ち込まないでと言っているので、正美のいないあいだにDVDを観ようと思って。画像に流れるキックの鬼を観て将平は、キックの鬼が、まさしく将平自身自身であるかのような錯覚に陥った。そしてDVDを観終わった時、将平は
「よし、次も空手の練習、頑張るぞ」
と、思いを新たに。
また、将平は何度も機会があれば三国志を読んでいる。お世話になった叔父のくれた小説であるだけではない。はるか昔の、国を変えるために命を懸けた男たちの治乱興亡に、引き込まれるのもひとつだが、高校の先生の
「年齢によって、小説の考え方が変わる」
と言われたことも、そのひとつだ。
劉備・関羽・張飛の桃園の契りで
『生まれた時は別々ても、死ぬ時は一緒』
の言葉や、諸葛亮公明を劉備が三顧の礼により迎え、蜀という国を建国して、魏・呉と覇権を争う。孔明は軍略だけではなく、従軍中の戦死者の子孫を訪ねさせ、漏るることなくこれを慰め、久しく見なかった農村へ行って今年の実りを問い、村の古老・貧農を訪ね、孝子を顕賞し、年税の過小を糺すなど、あらゆる政治にも心をそそいだ。孔明の孤軍奮闘には涙が出てしまい、気が向けば読書をするようにしている。今では、空手にも結び付けることができるのかもとの思いもある。
将平が、いつものように出勤すると、原田と高橋が二人で話し込んでいた。そして高橋が将平に気付き
「あっ、おはようございます。先日は、ありがとうございました」
「おはよう。筋肉痛には、ならんかった」
「大丈夫でした」
原田が
「新しい仲間が増えて、良かったな」
「そうなんです。嬉しくて、次は三人で空手でええ汗かいて、一杯やりましょう」
「そうやな」
今日は、原田と高橋がコンビなので、原田が
「秋山君、俺が高橋君に空手のイロハを教えとくから」
「押忍。お願いします」
将平は、今日は防災センターで、福島隊長と一緒にモニター監視である。この業務は重要な仕事で、常にショッピングセンター内のお客様の行動に、気を付けねばならない。モニターを見ながら福島が
「秋山、良かったな。新しいメンバーが増えて」
「押忍」
「高橋君は、仕事真面目やから、空手に対しても真剣に取り組むと思うよ」
「押忍。いい仲間が入ってくれて、嬉しいです」
「俺の流派も、仲間作らな」
「そうですね」
「お互い、メンバー増やして、職場で空手の練習ができたら、もう護身術の講習会はせんでもええし」
今ても、護身術の講習会は、二、三ヶ月毎に、行っている。
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