第19話

将平は、昇段審査のためにも基礎体力をつけておこうと、走ることを考えたが、泊りの仕事に、空手に、居酒屋みどりに、そして走りに行くとなると、身体がパンクしてしまうと思うので、そこは断念した。

(これ以上やったら、正美に怒られるわ。『若くないのに』と、この言葉を言われたら痛い)

ひとりでそう思いながら、ニコッとしてしまった。将平は、笑うと目が何処についているか、わからなくなる。


好昭は、ほぼ1ヶ月で退院すると、すぐ店に出た。将平と正美は心配したんだが

「俺の活力は、お客さんと話すことやから」

と、聞く耳を持たない。が、将平に対して

「迷惑掛けたな」

と、ひとこと。しかし、将平にはこの言葉が、どれだけ嬉しかったことか。


昇段審査の日がきた。

将平が空手を習って5年、他のひとより遅いくらいだが、やっと黒帯に手がとどく日がきたんだ。

朝、プレッシャーで、将平はろくに眠れてはいない。正美は、あえて普段通りに、将平を送り出した。将平は、秘かに決意をしている。

(やっとこの日がきた。42歳で、空手を習い始めて5年、仕事と空手を両立して、すべてこの日のために、黒帯を目指して)

昇段審査は、寝屋川道場で行われる。駅の真正面のビルの4階だ。将平は大阪環状線、京阪電車と乗り継いで、寝屋川へ。寝屋川駅とその手前の萱島駅のあいだに、京阪電車の車庫が有り、2階建て特急電車や5枚ドアの電車が見える。そこだけが、将平の癒しの場である。

将平は

(さあ、頑張るぞ)

と、ドリンクを2本飲んで、いざ道場へ。

しかし、道場には、将平と同じように黒帯に挑戦する子供らが、独占していて、将平は圧倒されてしまい、狭い道場なのでろくに準備体操もできないでいる。子供らは、同じ道場の子が集まって一緒に基本練習をしている。それに子供らの親も見学にきていて、余計にプレッシャーが。

(何で。何で子供と一緒に、審査受けなあかんねん)

子供らの親のために、見学用の椅子を出すのを手伝いながら

(たいへんなところに、来てしまった)

ひとり呆然としていると、そこへ下東が来て

「頑張れよ」

「は、はい」

(いやー、はいとしか答えられん)

原田も応援に来てくれ

「普段通りやで」

「押忍」

正面には、一度は話しをしてみたい香山師範・武山師範・福本・井村両先生に下東とずらり。

将平は

(今までの人生で、最高のプレッシャーや。大阪府大会や昇級審査、そして今まで転々としてきた就職試験どころやない。47歳、俺はいったい何をしにここに来たんやろ)

その時、あすかの顔が、道場の入り口に見え

「えっ」

あすかは将平と目が合うと、ニコッとして、頭を下げてくれた。

するとどうだろう、将平の背筋にピンと気合いが入った。


まず、子供らの昇段審査から始まるが、その中に将平の姿も。

大人は、修道館以外の八尾道場から1名、豊能道場から2名、泉北道場から1名が挑戦している。子供らの親の見ている前での、将平の昇段審査は、開き直り以外の何ものでもない。下東、福本、井村が審査者の中にはいるが、そのことよりも、道場の隅で見てくれているであろう、あすかがいてくれていることに、将平は強みを感じて、昇段審査をこなしていく。

組手の相手は、八尾道場の国友24歳。初対面で、しかも年齢も将平のほぼ半分。大阪府大会の決勝戦を思い出した。あの時も、相手は将平の半分の年齢だった。

まずは、将平からの攻撃で

「上段」

と、声掛けしてから、国友と一定の間合いを取って対峙する。そして

「えいっ」

の気合いと共に、飛び込んで上段突きを、国友の顔面へ入れようとしたが、突きが流れてしまい、国友はいとも簡単に、揚げ受けで受けた。次は

「中段」

である。相手との間合を意識し、自分の間合いまでジリジリと間を狭めていき、頃合いと思うと

「えいっ」

との気合いで、中段突きを行う。今度は突きが流れないように意識して行い、拳が相手の腹部に入った感触があった。相手に突きを入れることができたので、将平に少し余裕が。

(相手も同じ1級だ。まだ初段ではない。俺と同じ挑戦者なんや)

「前蹴り」

と言って、間合いを狭めて、上半身を寝かさないように意識して、相手に蹴りを。そして

「横蹴り」

「廻し蹴り」

「後ろ蹴り」

と、こなしていき、今度は将平が受ける番だ。

受けの場合は、相手の間合いに入られないように、相手が近付いてきた場合に、その間合いを切るために、一定の距離を開けるように注意する。相手の

「上段」

の声掛けの後

「えいっ」

の気合いと同時に攻撃してくるのを、揚げ受け、外受け、下段払いで受けていく。

同じ道場の練習生同士では、妥協はあるが、ここではそれは通じない。昇段審査のために相手も必死、将平も必死である。

組手が終わって、将平は天をあおいで

(あとは、形だけ)


昇段審査の最後は、形である。子供らからの順番なんだが、ほとんどの受験者の得意形が抜塞大で、順番を待っている将平から見ていても、上手だなと思ってしまう。全ての子供の形の演武が終わり、やがて大人の番となったが、大人のいちばん最後が将平である。

将平は

(あすかちゃんと、一緒に汗かいてやってきた形や。あすかちゃんが見ている。日頃、修道館と海老江で注意されてることを意識して)

道場の中央に立った将平は

「抜塞大」

の大きな掛け声と共に、形を演じた。

全てを終えると、将平はホッと。

あすかが、わざわざ来てくれて

「お疲れ様でした」

「ありがとう」

あすかと、もう少し話しをしたい将平だが、原田が横に来てくれたので、多くは語れず。











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