第11話
酒の穴での一杯の帰りに、将平は正美に携帯で
「今日、初めて空手の昇級審査やったんや」
「どうだった」
「もう、ガチガチに緊張して、全然身体が思うように動かんかった。けど結果、仮七級やねんて」
「仮七級って」
「初めての昇級審査で、仮七級はまあまあらしいわ」
「へぇ、すごいやん。さすが初心者の部、準優勝」
「それ言うなって。まだまだ、これからや。ブラックベルトを取るためにも。そして、おまえを護るためにも」
「将平、ファイト」
「ありがとう」
将平は、警備で巡回している時、清掃されている方を、よく見かける。その方と、お互いに挨拶を、交わすようになって気付いたんだが、たいへんな仕事をされていると思う。ゴミの中には、ノロウイルスや、いろいろな病原菌がたくさんあるのに。
「いつも綺麗にしてくれて、ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ日々の警備、お疲れ様です」
仕事とはいえ、お互いに疲れを忘れる瞬間でもある。改めて気付いたことだが日頃、考えもしなかったことだ。
(正美の仕事は、どうなんや)
将平は、いつも自分中心に、ものごとを考えていたのではないかなと。ショッピングセンター内は、空調が効いていて、夏も冬もなく快適である。空調のない修道館で、空手を習うようになって、つくづくこの有り難さを感じてしまう。
(常に、感謝の気持ちを忘れずに、日々生きていくこと。ちょっとオーバーかな)
世間が不景気な中、やっと出会えた仕事に就けて、そしておまけに、空手も習っていられる。これこそ感謝やないんか。と、将平は思う。空手を教えてくれている下東、長西に感謝、空手を紹介してくれた原田に感謝だ。
将平は、急に正美に会いたくなって、居酒屋みどりへ。
そこではちょうど18時過ぎで、忙しく働いている好昭と正美がいた。暖簾をくぐった将平を見た正美は、急にニコッとして
「いらっしゃい」
と。その正美の声を聞いた好昭も、将平に
「毎度」
と。将平は、二人の笑顔を見て
(この二人にも感謝や)
将平は、カウンターの中へ入って
「義父さん、前掛けあります?」
初めて、カウンターの中に入ってきた将平を見て、好昭は
「あるけど、何で」
「手伝わせてください。洗い物でも何でもしますから」
「えっ、店を継ぐ気になってくれたんか」
「まだ、その気には。けど、何か手伝いたくなったんで」
好昭は、将平をじっと見て
「よし、じゃあ皿洗いをしてもらおうか」
「はい」
その光景を見ていた客のひとりが
「マスター、新入りか」
と、言うくらい。
正美は、お客さんに品物を運びながらも、将平の動きを見つめている。
一区切りがついたところで、正美が
「どうしたの、急に」
「秋山さん、まあ呑めや」
好昭が、ビールとコップをカウンターに置くと、すかさず正美が注いでくれて
「どうしたの」
「感謝」
「えっ」
「感謝の気持ちを、忘れたらあかんとと思って」
「どういうこと」
「この不景気に、仕事ができることに感謝、空手ができることに感謝、そして正美という女性がいてくれることに感謝」
正美は、将平の額に自分の手を当て
「熱はないみたいね」
「あたりまえや」
「秋山さん、食べてみて」
と、好昭が小皿に盛ったカレーライスを出した。
「えっ、もう店で出してはるんですか」
「いや、まだ試作段階やけど。常連さんには食べてもらってるねん」
将平が、そのカレーライスを口に持っていくと、好昭がじっと見つめ
「どう」
「旨いです」
「うちのおでんの出汁を、入れてるんや」
「あっ、それで」
「よし、明日から居酒屋みどりに、一品追加や」
将平は、自分の案が通ったことが嬉しくて、ニコッと。笑うと目が何処についているか、わからない。
「マスター、おあいそ」
「はーい」
正美は、最後のひとりの常連客の元へ。
好昭も
「いつも、ありがとうございます」
「カレー、旨かったで」
常連客は、背中越しに手を上げて、店を出ていった。正美は、店のシャッターを降ろして、後片付けだ。将平も勿論、手伝うことに。好昭が
「さあ、三人で呑もや」
正美が将平に
「明日は」
「休み」
好昭が勝手に
「それやったら、正美の部屋に泊ってけや」
「何言ってんの。まだ結婚前やで」
「俺、もう秋山さんに、おまえをやるって言ったもん」
「そうなの」
将平は、顔を真っ赤にして頷いた。
「そう、じゃあ許す。父親公認だもの」
「おいおい」
将平も、親子揃っての勢いに圧倒されてしまい、その日将平は、正美の部屋に。
「ベッド、小さいわよ」
「俺、ベッドでなくて下で寝るよ」
「いいじゃない、抱き合って寝れば。父親公認よ」
「だから、悩むんや」
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