第10話

やがて月日が経ち、昇級審査の日がきた。将平にとって、勿論初めての昇級審査で、いつもの修道館の練習時間の合間で行われるのに、朝から緊張しっ放しである。昇級審査は、就職先の面接とはまた違った緊張感がある。就職試験を、何度も受験している百戦錬磨?の将平でも同じである。

(この前、大阪府大会で、充分緊張したつもりやねんけど)

大人は、空手道着の帯の色が、6級で白から緑になり、5~4級が紫、3~1級が茶帯となり、そして1級で先生方に認められれば、黒帯である初段に挑戦することができる。

将平も曽も藤田も、昇級審査を受けて、級をひとつでも上がらねばならない。昇級審査は、常に行われるわけではなく、年に三回だけ。審査する側は、将平を常に教えてくれている下東と長西である。

下東は空手六段、長西は三段で、共に日本空手松濤連盟の審査をする資格であるD級以上を習得している。まず、原田以下全員が、立ち基本と移動基本をこなした後、長西が

「それでは審査を始めるので、審査を受ける者は、こちらへ」

と、将平らは道場の中央に。

「呼ばれた順番に、前に出て」

「はい」

「押忍」

将平はまだ、押忍と言えない。心臓がばくばくし、緊張しているのが、自分でもわかる。

(他の先輩方は、どうなんやろう)

と、思っている時に

「秋山君」

「はっ、はい」

修道館道場の中央に立つ白帯は、将平ひとりである。いつもより、道場の蛍光灯が、やけに眩しい。

長西が

「その場突き10本、前蹴り10本。始め」

将平は、その場突きを始めるが、自分でもわかる程、ぎこちなく、動きがかたい。

「下がって。次、曽君」

「押忍」

曽が、将平と同じようにその場基本を。将平の目から見ても、曽とその次に立った藤田の、突き、蹴りが全く違う。それから移動基本、形、組手へと進み。将平の組手は基本一本で、その相手は、曽がしてくれた。いつもと違う、曽の真剣な顔と、その突きの早さ、そして重さに、受けるのが精一杯な将平だった。

昇級審査後、下東、原田、藤田と将平は、酒の穴で反省会。

乾杯の後、原田が

「秋山君、初めての審査はどうやった」

「はい、ガチガチに緊張しました。汗もすごくて道着がびしょびしょに」

うんうんと頷いた後、原田は

「藤田さん、今日で1級になれたら、今年中に初段を受けることができますね」

「それやったら、ええんやけど」

と、藤田は下東を見て言った。下東は、審査をした側なので、藤田、将平の昇級審査の結果は知っているが、修道館で今日、行なわれた審査結果は、まだ誰にも言っていない。すると下東が

「頑張りや」

「えっ、すると今年中に昇段審査を受けれるんですか」

「そういうことや」

との、下東の言葉に、原田が

「気が早いけど、改めて藤田さんに乾杯」

原田は

「下東先生、秋山君は」

「仮七級や」

原田が

「今度は、秋山君に乾杯」

将平としては、初めて昇級審査を受けて仮七級という審査結果に、何ともいえない気分だ。練習量からして早いのか、それとも遅いのか。

藤田が

「秋山さん、42歳でよく空手を習う気になったね」

将平は

「いやぁ、そのまま藤田さんにお返しします。私は、藤田さんが55歳から空手を習い始めたと原田さんに聞いて、それなら自分もやれるんちゃうかなと思って、空手を習い出したんで。ガキの頃からずっと、空手を習いたいと思っていて、できなかったんです。

この機会がなかったら、おそらく一生出会うことは無かったかも。それだけ習いたかった空手なんです。藤田さんこそ、私の目標です」

「そうなん、そんなこと言われると、空手やってて良かったと、つくづく思うわ」

下東は黙って、ビールを藤田に注いだ。

「いや、ほんとうなんです。勿論、原田さんと警備会社で知り合ったのもなんですが、藤田さんが空手習ってると聞かされなかったら、自分はおそらく、空手を習うことはなかったんだろうと」

「まあ、一期一会ってことやね」

「そうですね」

下東が

「私も60歳になっても、まだまだ勉強やと思ってる。原田君にも藤田君にも、そして秋山君にも何回も言ってることやけど、継続は力なりや。それに尽きる」

「はい」

「押忍」

下東は、こうも言われる。

「人間のすることに、無駄なことは何もないんや。そやろ、突き蹴りを毎日100回以上もやって、いつも言ってるように、やっと自分のものになる。無意識で、空手の技ができるようになって初めて、一人前の空手家や。そしてその技を一生、使うことがないかもしれんけど、一度でも使うことがあるかもしれんと思って」

将平は

(香山師範の言われた、『家族を護るんやろ 』に通づるわ)







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