第5話 勇者ティン・クォターツ

「……ティン……ティン!」


 意識を取り戻したティンは眼前で揺れるノインの胸に驚き跳ね起きた。


「なんだ、姉貴か」

「なんだってなによ! こっちはすごく心配したっていうのに!」


 膨れるノインを横目にティンは自身の右手に握られた剣を見つめた。

 数百年の時を超えてついに引き抜かれた聖剣。

 観客たちはいまだかつてないほどに盛り上がっている。


「新しい勇者の誕生だぁぁぁぁ!」

「俺、この現場に立ち会えてマジでうれしい!!」

「おいおい、今年の祭はどうなってんだ?!」


 熱気に包まれる会場の中、誰よりも熱く燃え上がっていたのは他ならぬティン自身である。


「姉貴、俺、勇者になるよ」

「えっ? うん、まあ、聖剣を抜いたんだからそれはそうよね」


 思いもよらない事態に直面した為にノインはしどろもどろになっていた。

 ティンは起き上がり、石舞台の中央に立つ。

 周囲の人々はそんなティンの一挙手一投足に熱視線を送っていた。


「どうやら俺は聖剣に選ばれたようだ。お前ら、さっきは散々コケにしてくれたな……」


 次の言葉を発しようとティンが大きく息を吸い込んだその時、彼の口を深い深い谷間が塞いだ。


「皆様、お騒がせして申し訳ありません」


 突然現れた軍服姿の長身美女はティンの腰を抱きしめて軽々と持ち上げ、足早に舞台袖へと去っていく。


「放せ! 俺の怒りを奴らにぶつけさせろ!」

「馬鹿を言うな。勇者の姿か、それが」


 美女はがさつにティンを投げ飛ばした。

 見上げれば見覚えのある顔がそこにあり、ティンの威勢はみるみるうちに萎んでいく。


「あれ、フュン姉様……どうしてここに?」

「聖剣が抜かれたと聞けば私が来るのは当然のことだろう」


 女の名前はフュン・クォターツ。

 ティンとノインの姉であり、クォターツ領の警備責任者を務める軍人だ。


「それにしてもやティンがそれを抜くとはな。姉として感激の極みだ」


 口調とは裏腹にフュンの表情はピクリとも動かない。

 ティンはそんなフュンが苦手だった。


「あ、ありがとうございます……」

「うむ。すぐに父上も来られるから、それまで大人しく待機するんだぞ」


 そう言ってフュンは会場の方へと戻った。

 一人になったティンはぼんやりと聖剣を見つめて先程のことを思い出す。


「触れたものを思い通りの姿形に変える、か」


 ティンは目を瞑り、試しに凝った装飾の短剣を想像してみた。

 聖剣は手の中でプルプルと揺れ、次第に刀身が短くなっていく。


「うぎゃあああああ!」

「うわっ!」


 いきなり聞こえた声に驚き、ティンは剣から手を離した。


「突然何をするのじゃ! 我が住処が急に縮みだしたぞ!」

「えっ、パイモン?」


 地面に転げる聖剣から聞こえてきたのは間違えなくパンドラの声であった。

 縮んだ刀身はニョキニョキと伸びて、すぐに元通りの形に戻る。


「良いかお主、これは妾の魂が納められた至高なる剣じゃ! 勝手に変形させるんじゃない!」

「わ、悪かった……でも普通に喋れるんだな」

「うむ、聖剣の封印は解かれたからの」


 ティンは「そういうものか」と呟きながら剣を拾う。

 

「それにしてもさっき言った旅に出ろ、ってどういう事だ?」

「文言通りの意味だ。今すぐ旅に出た方がいいぞ。すぐにでも刺客が差し向けられるからの」


 首を傾げるティン。

 かすかに揺れた金髪を細く鋭い剣が掠めた。


「そら来た!」


 ティンの意思とは関係なく聖剣が背後に向けて振り上げられる。

 バランスを崩して尻餅をつくティン。

 彼の目に映ったのはフードとマスクで顔を隠した細身の刺客であった。


「なななな、何者だお前!?」


 当然ながら刺客は返答することなく、黙したまま俊敏にティンとの距離を詰める。


「ほれティン、早速の実践じゃぞ!」

「んなこと言われても俺戦ったことなんて無いぞ!」

「仕方がないのぉ〜」


 連続して放たれる刺客からの斬撃を聖剣は流れるような動きで捌いていく。

 決め手に欠けた刺客は後ろに飛んでティンから距離を取る。


「お前さえ……お前さえ殺せれば妹を……」


 覚悟を決めた鋭い眼差しにティンは思わず狼狽えた。

 刺客は目一杯膝を曲げて地面に片手を着く。


 限界まで張った筋肉をバネのように収縮させて蹴られた地面は砕け飛び、刺客は凄まじい速度で一直線にティンへと飛び掛かる。


「くたばれぇぇぇぇ!」


 突き出される切先。振り上がらない聖剣。

 勝利を確信した刺客の腹を槌で打たれたような衝撃が襲う。


「うっ……」


 刺客の体はクルクルと回転しながら宙を舞い、バタリと倒れて動かなくなった。

 ティンと刺客の間には分厚い土の壁。

 【神の手】によって防御用に創られたものだ。


「どうだ! 俺だってやれるんだぞ!」

「いや、偶然じゃろ」


 図星を突かれてティンは赤面する。


「ティンよ、その刺客を調べるぞ」

「お、おう」


 恐る恐るうつ伏せの刺客に近づくティン。

 剣でつついてみても反応はない。

 仰向けにしてみればこの世界基準ではやや小ぶりな乳。されどEカップ。

 谷間には十字架のネックレスが鈍く輝く。


「これは……豊教信者のロザリオ…………」

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