第39話 それから

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 旧校舎前の人通りの少ない場所で、パン! と破裂するような音がした。

 音と共にボールがミットに収まる。ソラはボールを握ると大きく振りかぶってマッチョに投げ返した。


「なんだ、そのへなちょこボールは。お前、何でもできるように見えて運動神経は実はからっきしだろ」とマッチョが笑った。

「うるせーな! 生きていくのにボールを投げる技術なんて必要ねぇんだよ!」

「ははは、イケメンの負け惜しみは耳に心地良いぜ」


 クラシック音楽でも聴くかのようにマッチョは目をつむってうっとりとした顔を作る。ソラは鼻に皺を作って舌打ちした。


「でもよ」とマッチョがゆったりとした動作で振りかぶる。「結局、俺らの爆破計画は成功したってことになるのか、よっ!」


 マッチョが投げたボールをソラは上手くキャッチできず、グローブで弾いて前に転がった。


「まぁ、少なくとも、いじめが激減したのは間違いないだろうな」


 ソラは零れたボールを拾い上げ、ボールを持って角度を変えながら観察する。まるで今エラーしたのはボールのせいだ、という証拠を探すかのように。


「だが、あんなに皆ばらばらだったのに、よく上手くいったよな。有栖ちゃんもお前も、勝手なことし過ぎだぜ」マッチョが呆れた目を向けてきた。


 あの日、8月31日、ソラが屋上で有栖と話した後、急いで偽爆弾を回収して、学校の外で祈里、双葉、マッチョと待ち合わせ、有栖と共に今回の件の全貌を彼女らに告白した。

 美樹の件については、名前を伏せた上で伝えた。

 有栖の謝罪に、祈里は「有栖さんも辛かったでしょう」と慰め、マッチョは「美人に泣いて謝られたら許す以外の選択肢はないよな」と笑った。双葉もはじめ怒りをあらわにしていたが、「まぁでも、結局思いとどまったわけだし」と最終的には有栖を許した。


「だが、赤井のやつ許せないぜ。俺がぶっ飛ばして来ようか」


 マッチョが珍しく鋭い眼光で物騒なことを言う。


「だめです! それじゃマッチョくんが捕まっちゃいます!」

 声を上げた祈里にソラも同意する。「だな。それにぶっ飛ばしても多分余計事態がややこしくなるだけだ。解決するには、赤井を逮捕させるか、あるいは——」

「あるいは?」

「殺すか、だ」


 ソラがそう告げると、「だ、だ、だめですぅ! 殺人反対!」祈里が挙手して抗議した。

「別に殺そう、とは言ってないだろ。そういう手段もあるって言っただけで」

「そもそも選択肢に入れないでください!」


 ソラと祈里が言い合っていると「ちょっといい?」と双葉が胸の前で小さく手を挙げた。

 双葉が何か言う前に、ソラが「ダメだぞ双葉」とたしなめた。

「何がよ」

「殺しはダメだ。そもそも選択肢に入れるんじゃない」ソラが首を左右に振って、だめ、と指でばってんを作る。

「誰もそんなこと言ってないわよ! 選択肢に入れたのはアンタでしょ!」


 ソラが祈里に顔を向けて「不良は限度ってものを知らないから」と説明すると、祈里は「ああ〜」と2、3度頷いていた。

「ああ〜、じゃないわよ!」と双葉が祈里を小突く。小突かれたところをさすりながら、暴力反対、とまた祈里が挙手するが、双葉はそれを無視した。

「そうじゃなくて、逮捕の方よ。あたしに考えがある。もし、会長に自分を犠牲にする覚悟があるのなら、だけどね」


 そうして提案されたのが、体育倉庫で赤井を嵌める作戦だった。


「さすが不良だな。悪いことを考えるものだ」とソラが深く頷いて感心していると、「あんたにだけは言われたくないわよ! この爆弾詐欺師が!」と双葉が吐き捨てた。

「爆弾詐欺師って新しいジャンルだな」マッチョは何故か楽しそうな声を上げてソラの肩を叩いた。

 双葉が有栖に目を向けて「どうする?」と訊ねた。「あたしも赤井には恨みがあるし、あたしが脱いでもいいけど——」と双葉が口にすると、有栖がそれを手で制して遮った。


「いや、ボクがやるよ。これはボクがやらなきゃだめだ」


 そう告げる有栖の瞳に、ソラは揺らぐことのない強い意志を見た。


「そ」と双葉は目を閉じて、口端を僅かに上げた。

 そして、有栖と、発案者の双葉が2人で、美樹の救済作戦を行うことになったのだ。



 ソラは有名選手を真似た綺麗なフォームで、へなちょこボールをまたマッチョに投げ返した。ボールはマッチョの手前で地に跳ねたが、彼は上手くキャッチする。


「まぁ爆破さえ起こせれば別に学園内のどこでも良かったわけだからな」とソラはノーコンを詫びることもなく、そう告げた。「男バスの問題は解決しなかったけどな」

「まぁな。あいつらはイジメじゃなく単なるサボりだからよ」

「悪いな、マッチョ。男バス部室を吹っ飛ばせなくて」


 ソラが神妙な顔で謝った。


「なんだ珍しいな。ノーコンを謝ることも出来ない男が」マッチョが笑う。

「俺はノーコンじゃねぇ。マッチョの実力を試してるだけだ」とソラが真剣に言い放つとマッチョは更に豪快に笑い声をあげた。

「別に構わねぇよ。そもそもあれは俺がどうにかしなきゃならん問題な気がしてたんだ。爆弾に——ソラに頼らずに、な」


 ソラは目を見張りマッチョを見た。それから僅かに口端を上げる。マッチョには手助けが必要だ、なんて俺の要らぬお世話だった訳だ、と笑いが込み上げた。


「なぁソラ」とマッチョが唐突に難しい顔をする。「動物園ってどう思う?」

「マッチョ……。動物園は確かに無償で餌が得られるがな、だが自由がないぜ? 考えなおせ」

「俺が入るんじゃねぇよ! 行くの! デートで!」

「良いメスゴリラがいたのか?」

「一旦ゴリラから離れろ!」マッチョが叫ぶとソラは10メートル程マッチョから遠ざかった。「そうじゃねぇよ!」とまたマッチョが叫ぶ。

「双葉と行くのか?」とソラが笑いながら言った。

「ああ。ついにデートのOKをもらったんだ。『なんであたしが動物を動物園に連れて行かなきゃならないのよ!』ってな」

「それOKなのか?」

「でも、後になって考えたら、デートで動物園はなかったんじゃないかって思ってな」

「別にいいだろ動物園。てかお前らはどこだろうとやかましいんだから、むしろ屋外の動物園はぴったりだろ」


 マッチョはニカっと笑って、ソラにボールを放る。


「100人の女を泣かせてきたお前が言うなら、信じるぜ」


 ソラはマッチョがソラではなく、その後ろを見ているのに気がつき振り返った。


「女の子、泣かせちゃダメです!」とソラを睨む祈里がいた。口を真一文に結んで、むっ、と険しい顔をしているが、全然怖くない。


「遅かったな。祈里」

「補習授業受けてました」

「いつものように?」とソラが訊ねると、

「いつものように」と胸を張って祈里が答えた。

「古谷、赤点は誇るものではないぞ」とマッチョが気の毒そうに声をかけるが、祈里は意にも返さず、「ところで、こんなところに呼び出して何するんです?」とあっさりと話題を変えた。


 ソラが祈里に笑い掛ける。「お前の願いを叶えてやるんだよ」


 祈里は最初、きょとん、として目をぱちくりしていたが、やがて一瞬にして顔が真っ赤に染まった。


「な、え、それって……え?! こ、ここでですか?! マッチョくんのいる前で?!」


 は? とソラが眉を顰める。


「お前今度はまた、いったい何を勘違いしてやがる」

「え、勘違い?」祈里は首を傾げてソラを見た。

 ソラは「まぁ見てろ」と言ってから、大きく振りかぶってボールを旧校舎2階の窓に向けて投げた。ボールは窓に当たったが勢いがなかったためか、ダン、と音をたてて跳ね返ってきた。


「あんまり上手じゃないです」と祈里が感想を述べた。


 ソラはマッチョを手招きし、ごにょごにょと耳打ちしてからボールを渡した。

 今度はマッチョがボールを投げる。緩やかなフォームなのにボールは直線を描いて勢いよく窓に当たり、ガラスが割れる派手な音がして、ガラスの一部が階下に落ちてきた。


「あーしまったー、マッチョがノーコンで窓を割ってしまった〜」とソラが棒読み口調で言った。

「お前が窓を割れっつったんだろが」マッチョが口を挟むが、ソラの耳には入らなかった。

「あのボールは大事な大事な母の形見なのに」

「あれは体育倉庫にあったボールだが。てかお前の母ちゃん生きてんだろ」マッチョがまた横槍を入れる。が、やはり無視される。

「よし。ボールを取りに行くか。なぁマッチョ」

「まぁ俺は構わんが」

「そんなに行きたいのか? 仕方ねぇーなぁ。マッチョが言うんなら、致し方ない」とソラが肩をすくめた。

「何で俺が言い出したみたいな感じになってんの……?」


 ソラは祈里を手招きして呼ぶと、そこに立て、と指示を出した。祈里は不審がりながらも言われたとおり指定場所に立つ。


「足を肩幅くらいまで開いて」

「こ、こう、ですか?」


 ソラはそれには答えずに、よいしょ、としゃがみ込むと、祈里の背後から股に首をくぐらせて立ち上がり、肩車した。


「ひぃあァ!? ちょ、な、なな何すんですか! んんぅっ」


 祈里が顔を上気させ、股をぎゅっと閉じようとしてソラの両耳を腿で圧迫する。


「ばか、暴れんな! あの窓まで持ち上げるんだよ!」

「ゃ——ひゃぃん! う、動かないでくださいィィ! あんなところまで届くわけないですぅ!」


 祈里は片手で股がソラ後頭部に当たらないように押さえながら反対の手で器用にソラの頭をポカポカ叩く。


「おい、イチャついてんなら帰るぞ」とマッチョが呆れた声を漏らした。

「待て待て。お前は1番下だ! 早く構えろ」

「えぇ?! お前ら2人持ち上げんのかよ?!」マッチョの頬が引き攣る。

「お前なら行ける。マッチョのマッチョ力を見せてくれ!」とソラが言い、「なんでもいいから早くしてくださいィ!」と真っ赤に染まった祈里がマッチョを急かした。

 仕方なくマッチョはソラを肩車して持ち上げた。

「うぉぉおおおお! お、もいィィイ」

「はははは、マッチョ血管すげぇ」

「笑ってる場合ですか! ソラくんしっかり支えてください!」


 祈里は、ぐらぐらしながらも割れた窓から手を入れてクレセント錠を回して解錠し、窓を開けて侵入した。

 旧校舎に入り込んだ祈里がソラに振り返ると、ソラは笑みを浮かべた。「行ってこい」

 一つ頷いてから、祈里は廊下を駆け出し、あっという間に見えなくなった。


 ソラがマッチョから降りると、マッチョは「さて」と吐息をついた。「俺もそろそろ行くわ」

「どこに」ソラが訊ねる。

「どこって——」マッチョは未だ健在の部室棟に目をやってから、ふっ、と笑った。「部活に決まってんだろ」

 そうか、とソラが答えると、マッチョは「じゃな」と背中を向けて歩き出した。マッチョの闘いはここから始まるのだろう。

 その大きな背中にソラが「負けるなよ」と声を張ると、マッチョは背中を向けたまま手をひらひらと振って応えた。

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