第35話 転動

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 双葉は目の前の頼りない先輩——祈里につられて壁に掛かった時計に目を向けた。

 午前10時25分。決行時間まではまだ2時間程あった。

 当然のように生徒会室をたむろ場所にしているが、有栖不在のこのメンバーに生徒会役員はいない。強いて言えば、生徒会に入門したと言い張る自称裏役員の祈里だけだ。


「あーもう、そわそわ、そわそわ、うざったいわねぇ!」と双葉が祈里を睨みつけた。

「だってぇ……祈里の『ボンバイェ』が無事か心配なんですもん」

「爆弾に妙なあだ名をつけるな」


 爆弾の設置は昨日———8月30日に既に完了していた。双葉は体育倉庫、祈里は旧校舎出入口、マッチョは男バス部室にそれぞれソラが作った爆弾を設置した。後は今日、爆破を決行するのみだ。

 決行時間は校内に唯一詰めている教師、赤井が確実に職員室にいるであろうお昼時——12時30分。爆破完了後の12時35分に職員室のパソコンから、登録されている連絡先全てに犯行声明のメッセージが自動で飛ぶように設定してある。つまり、双葉たちは時間が来たら爆破スイッチの電源を入れて、ポチっとボタンを押すだけでミッションコンプリートというわけだ。


 マッチョが、からからから、と小気味良い音を鳴らしながらルーレットを回して、駒を進めた。


「おい! 双葉! 俺たちの子供3人目ができたぞ!」とマッチョが駒をマスにとめて喜ぶ。

「うぇ……最悪」双葉が鼻に皺を寄せる。

「お前ら、稼ぎを考えずにバカスカ子供作ると後で大変——あ痛ぇ、てめ、双葉蹴るんじゃねぇ」

「あたしだって作りたくて作ってんじゃないわよ!」


 双葉が椅子に座りながらテーブルの下で器用にソラに連続蹴りを食らわす。


「おいおい、俺が無理やりヤッてるみたいな言い方やめろよ。ちゃんと合意の上だ」とマッチョが弁明し、「あたしがいつ合意したし!」と双葉のサンドバッグがマッチョに移行した。


「ちょっと皆さん、ゲームなんだから楽しくやりましょうよぅ」祈里があたふたと場をおさめようとする。

「ゲームだとしても、こんな人生はいやァ!」


 別にこんなに早い時間から学校に集まる必要はなかったのだが、双葉は居ても立っても居られず、気が付いたら学校までやって来ていた。そして何の気なしに生徒会室に足を向けると、既に有栖を除く全員が生徒会室に集まっていたのだ。マッチョに至っては人生ゲームを家から持参し、「決行まで遊ぼうぜ」とお菓子やジュースまで広げ出す始末だった。一体何しに来たのか。

 不意に祈里がすっと立ちあがって、そろそろと扉まで小走りで移動した。


「おい古谷、どこ行くんだ。人生はこれからだぞ」


 マッチョが呼び止める。道を踏み外した若者を励ましているみたいだ、と双葉は関係ないことを考える。

「えー……っと、ちょっと、お散歩にですねぇ……」祈里は両手をもみ合いながらごにょごにょと言った。

「おい、これからやらかそうってのに呑気にお散歩してる場合じゃないぜ」マッチョが尚も絡む。

「これからやらかそうって時に人生ゲームを提案した奴が言うな」と双葉がまたマッチョをテーブルの下で蹴飛ばした。

「トイレだろ。放っておいてやれよ」ソラがルーレットを回しながら言う。

「あの、ごまかしてるんですから、みなまで言わないでくれます……?」


 祈里はぼやきながら生徒会室を出て行った。

 人生ゲームに興じながらも双葉たちの雑談は途絶えることなく、生徒会室には呑気な笑い声が響いていた。


「あんた達、緊張感ってものがないわけ?」双葉が背もたれに身体を預けて半眼で睨む。

「緊張っつってもよ、あとはソラが作ったボタン押すだけだろ? 緊張する要素がねぇよな」

「ボタン押すだけって……だ、誰が押すのよ?」双葉は若干声が上ずる。


 生徒会室に沈黙が訪れた。無血爆破とはいえ、建物を破壊するのだ。その実行役を買って出るのはデメリットはあってもメリットはない。誰もやりたがらなくて当然だった。


「あのボタン、実はめちゃくちゃ固く作っちまったんだ。あれはマッチョじゃなきゃ無理だ」とソラが無念そうに首を左右に振る。

「嘘つけ! お前、自分がやりたくねぇだけだろ!」

「ほんとだって! あのボタンは80メガマッチョ以上の筋肉がなきゃ無理だ!」

「何その単位?! 初めて聞く単位なんですけど?!」

「ばっか、お前、最新の研究で分かってきてんだよ」とソラが眉をひそめて「お前知らないの?」とでも言いたげな顔を作る。

「そ、うなのか? そう言われると、なんか本当っぽく——」とマッチョが信じかけ、「——聞こえないわよ。何の研究よ」と双葉が割り込んだ。


 生徒会室の扉が勢いよく開いたのは、ちょうどその時だった。


「大変です!」


 血相を変えた祈里が開いた扉から顔を出した。走ってきたのかハァハァと胸が上下し肩で息をしている。

 異様な空気を感じて、ソラが真剣な顔で祈里に歩み寄り「とりあえず落ち着けよ」と座らせようとするが、祈里はそれを制止して叫ぶ。


「ないんです!」

「ない?」マッチョが片眉を上げる。

「な、何がないのよ」と双葉が訊ねた。悪い予感から顔が歪む。


 祈里は泣きそうな顔でまた叫んだ。


「ボンバイェが————爆弾がないんです!」


 な、とマッチョが口を半開きに固まった。動揺しているのは彼だけではない。双葉もだった。


「爆弾が……ない、って……どういうことよ!」双葉が祈里に掴みかかる。

「わ、分かりません! 今、トイレの帰りに心配で見に行ったんです。そしたら——」


 祈里は痛みに耐えるように眉根を寄せて言葉に詰まった。


「なくなってた訳だ」とソラが引き継いだ。「教師が持って行ったか? 不審物だっつって」

「祈里見つからないようにちゃんと隠しました!」

「俺もそれはないと思うぜ」とマッチョが賛同する。「今日詰めてんのって赤井だろ? あいつが旧校舎まで真面目に巡回しているとは思えねぇよ」

「でも、今この学校には赤井以外にあたし達しかいないはずじゃん」


 心臓がばくばくと痛みを伴って脈動し、双葉は無意識に左胸を押さえた。全身から冷たい汗が噴き出す。あの爆弾は自分らが——ソラが扱うから安心できた。誰も傷つかず、誰も捕まらない。そう確信できた。だが、誰かの手に渡ったとなれば話が別だ。双葉が入手した爆薬で、人が死ぬかもしれない。呼吸が浅く速くなっていく。胸が苦しい。


「大丈夫だ。お前ら落ち着け」とマッチョがのんびりとした声で言う。「爆弾はスイッチがないと爆発しないだろ?」


 スイッチ、と聞いて双葉が慌てて生徒会長席の引き出しまで駆け寄った。そこにスイッチを入れてあった。焦燥のままに乱暴に引き出しを引くと、何の抵抗もなくスッとスライドした。


「…………ない」と双葉が呟く。

「ないって……まさかスイッチまでないのか?!」そう言いながらマッチョは隣まで駆けて来て絶句した。

「爆弾とスイッチが同時になくなったのなら、教師が見つけて持って行ったという線はほぼ消えたな」とソラが静かに告げた。「あとは体育倉庫と男バス部室の爆弾がどうなってるのか、が気になるところだが」


 双葉とマッチョは弾かれたようにほぼ同時に駆けだし、生徒会室を飛び出した。


(ヤバい、どうしよ、どうしたら)


 双葉は混乱しながらも、ひたすら脚を動かし、体育倉庫に向かった。昨日、双葉が爆弾を設置した場所だ。

 誰がやったのかは分からないが、スイッチを持って行った、ということは爆発させる気があるということだ。そして、現に今犯人はいつでも爆弾を起動させられる状態にある。双葉とマッチョが爆弾の無事を確認しに来たところを爆破させる、というケースだって考えられた。それでも双葉の足は止まらない。自分の設置した爆弾の無事を確認しなければ、という焦燥と義務感が頭を占めていた。


 体育倉庫に着いた。双葉は力いっぱい鉄扉を引くがガン、と南京錠が開扉かいひを阻止する。双葉は忌々しそうに舌打ちをして、ポケットから南京錠のカギを取り出した。有栖から前もって渡されていたものだ。手が震えていたためか、何度かカギで南京錠の鍵穴の周囲を引っ掻いてから、ようやく錠前にカギを差しこめた。そしてカギを回そうとして、背筋が凍った。何度か手に力を込めるが結果は変わらない。


(…………なん、で? 開かない! なんで?!)


 双葉が何度もカギを差し直したり、反対に回してみたりと試していると、遅れて祈里がやって来た。


「どう、でした、か?!」祈里は膝に手をついて息を乱しながら訊ねた。

「なんで?! 開かない! 開かないの!」


 取り乱して力任せにカギを捻る双葉を祈里が「代わります」と止めた。祈里がカギを回そうとするが、やはりカギは引っ掛かって回らない。


「ダメです。多分、これ古い南京錠の方のカギなんですよ」祈里はカギを引き抜いた。

「有栖先輩が間違ってあたしに渡したの?」双葉の眉間に皺が寄る。込み上げた怒りを向ける人物は今この場にはいない。

「かもしれません。……でも、昨日の設置の時はどうやって開けたんです?」

「昨日は開いてたんだよ。南京錠は扉に引っかかってるだけだった。南京錠を施錠するのも鍵は要らないから、1回もカギは使わなかったのよ」


 双葉は祈里の持つ古いカギを奪うように取って、鉄扉に思いきり投げつけた。カン、とちっぽけな音が鳴る。まるで双葉を嘲笑っているかのように感じられ、双葉は鉄扉を蹴りつけた。


「クソッ! クソが! なんで! クソ!」

「ふ、双葉ちゃん! やめてください! 先生が来ちゃいます」


 祈里が双葉に抱き着くようにして制止した。

そこにマッチョが走って、男バス部室から戻って来た。その顔を見て、双葉はなんとなく結果を察してしまった。


「なかったの?」と双葉が訊ねる。

「……ああ。そっちは?」

「実は——」と祈里がマッチョに状況を説明した。

 話を聞いた彼は「だが」と口を開いた。「カギが掛かっているなら、体育倉庫の爆弾は無事、ってことじゃないのか?」

「南京錠のカギは職員室にあるんだよ? 誰が犯人か分からない以上、楽観視はできない」と双葉が言った。「それに既に2つも爆弾が盗られてる。もしこれが殺人とかにでも使われたら——」

 

 祈里が顔をさらに青くして目を見開く。「さ、探さなきゃ!」

「探すったってどこをだよ! 何の手掛かりもなしに学校中を探すのは無理だ!」

「あんたね! ちょっとは自分で考えなさいよ!」双葉がマッチョに苦言を呈す。

「んなこと言ってもよ、いつも考えるのはソラが——」そこまで言って、マッチョは言葉を止めた。


 そして全員が同じ疑問にたどり着いたのだろう。首を巡らせて見渡してから、お互いに顔を見合わせる。


「おい……ソラは、どこだ?」

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