第33話 絶対に

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 だー、また負けた、とマッチョがトランプを放り投げた。そして自分も布団に沈む。

 ログハウスの男部屋でソラとマッチョは賭けポーカーを嗜んでいた。チップは小包装になったチョコだ。既にアソートパック2袋分の大量のチョコが全てソラのものとなっていた。


「何でもかんでも勝負してるとそうなる。たまには損切りしろよ」とソラの呆れた声が横たわったマッチョに浴びせかけられる。

 マッチョはがばっ、と勢いよく身体を起こすと「男は勝負あるのみ!」と宣った。それから、チョコを1個拾って包装を開ける。

「どうでもいいが、それ俺のチョコだぞ」あまり止める気もないソラの声を無視して、マッチョは口にチョコを放り込んだ。


「さて」とマッチョが言った。「そろそろ女子がどんな話してるのか盗み聞きしに行こうぜ」

「お前ナチュラルに最低だな」

「なんだよ、お前は気にならないのかよ!」マッチョがソラを睨む。

「特に興味ないな」とソラがチョコの包装を開けると、マッチョが横からそれをかっぱらって、勝手に食べた。

「嘘つけ、このむっつりスケベが!」チョコをもごもごさせながら、マッチョが叫ぶ。

「なんでだよ」

「お前、お泊りで女子がする話と言えば恋バナだろうが! 気になるだろ普通!」


 マッチョが鼻息荒く、まくし立てる。なんだかいつもよりも、マッチョがむきになっているような気がした。


「別にあいつらがどこの誰に惚れようと俺には関係ないだろ」


 ソラがそう言うと、マッチョは、ハァ? と目を真ん丸にして口をあんぐり開け、『言っている意味が分かりません』の意を示した。ソラはその顔に少しイラっとする。


「自分が惚れられてるかも、とか微塵も夢見ないのか?」

「しつけぇな。前も言っただろ。あいつらはそれぞれ自分の利益のために集まって犯罪を企ててる連中だ。恋なんてしてる場合じゃねぇんだろうよ」

「お前それ本気で言ってんのか?」マッチョはそれまでと打って変わって真剣な表情で、どこか凄むように声を上げた。

「ああ」とソラが答える。

「双葉は——」マッチョが何かを口走りそうになり、すんでで止まった。

「双葉がなんだよ」

「双葉は……どうなんだよ。あいつも、お前のこと、どうとも思ってないのか?」


 そう口にするマッチョはどこか苦しそうに顔を歪めていた。


「思ってるわけないだろ」とソラが口にした。「なんであいつが俺に惚れるんだよ」と両手を一瞬広げて肩をすくめる。


 マッチョはじっとソラを見つめていた。どこか責め立てるような視線にソラは若干の居心地の悪さを感じる。


「なんだよ」

「ソラ。お前、何でも見透かしてるみてぇで、ほんとのところは何も見えちゃいないんじゃねぇのか?」とマッチョが静かに言った。

「はぁ? どういうことだよ」

「さぁな。自分で考えろ」と言いながらマッチョが立ちあがって、何かをバッグから取り出して扉の方へ向かった。

「おいどこ行くんだ」

「歯磨いて寝るんだよ」


 そういったマッチョはやはりどこか不機嫌そうだった。


「なんだよ、全く」



 薄暗い部屋の中、マッチョのいびきだけが静寂を切り裂くように、規則正しく不快な音を立てていた。


「ぐごぉ……ぐごぉ…………メトロポリタンって美味そうな! ……ぐごぉ」


 ソラはまどろんでいたが、マッチョの訳の分からない寝言のせいで、浅い眠りからぼんやりと覚醒した。スマホを開いて見ると意外にもまだ0時過ぎだった。体感的に午前3時くらいな気がしていたが、就寝してからまだ1時間程度しか経っていない。


 一度目が覚めてしまったら、このいびきのうるさい男子部屋でもう一度眠りにつくのは至難の業だった。ソラは静かに部屋を出た。

 共有スペースも照明が消えて薄暗い。ログハウス内はしんと静まり返っていた。女子達も眠りについたのだろう。

 ソラがログハウスから出ると、思った以上の空気の冷たさに、ぶるっと身体を震わせた。ソラはキャンプ場の方へ歩みを進める。静寂のせいか、自分の砂利を踏む音が異様に大きく聞こえた。

 適当な場所を見繕って、手早く準備をし、火を焚いた。それから近くに転がっていた丸太に腰を下ろして、じっと火を見つめる。


 火を見ていると落ち着いた。炎に導かれて、ソラはこれまでの自分の人生をなぞり、思い返していた。

 暗い影のような孤独な記憶が火に照らされるように、頭の中に揺らめく。いつだってソラは人に囲まれながら、寂しい、と感じていた。誰かと談笑しながら、辛い、と思っていた。

 頭が良い、優れている、天才。だから自分とは違う。そう言った偏見は常にソラの人間関係に影響を及ぼした。それは自分に課された避けようもない孤独だと諦めていた。


 だが、日本に来てからはどういう訳か、孤独が消えた。跡形もなく。

 日本では、ソラは若き天才でも、鼻につく2世代研究者でもなく、ただの学生であり、ただの男子であり、ただの人だった。周りがそう扱った。有栖も、祈里も、双葉も、マッチョも、誰一人ソラに気を遣う者や遠慮をする者はいない。気後れしてソラを避ける者もいない。どこまでいっても対等な立場で、ふざけ合って、笑い合って、バカをし合った。初めての経験だった。

 ソラにとって、彼らはもはや他人ではなく、守るべき存在になっていた。絶対に失ってはならない大切な人。

だからこそ、ソラは——。


「んしょ、っと」


 不意に隣から可愛らしい声が聞こえた。顔を向けると、祈里がソラの横に座り込んだところだった。その手にはお湯が入ったカップ麺を大事そうに抱えている。祈里はにこにこと、楽しそうな顔をソラに向けていた。


「……何してんだよ」ソラが訊ねる。

「カップ麺ができるのを待ってます」

「……太るぞ」

  

 祈里の笑みがカッと険しい顔に変わる。


「キャンプ場だから大丈夫です。カロリーは全て大自然に流れて無に還るのでゼロカロリーです」

「どういう理屈だよ」


 祈里は「ラー、メン、ゴー、ゴー」とカップ麺のオリジナルソングを歌いながら、ぺりぺりとカップ麺の蓋を剥がして、ちゅるちゅる食べ始めた。

 静まり返った夜更けに、ちゅるちゅるちゅるちゅる、シュールな音が鳴り続ける。カップ麺を食べるならログハウス内でいいだろうに、こいつマジで何しに来たんだ、とソラが不審そうに見ていると、祈里がソラの視線に気付いた。


「一口食べます?」フーフーと箸で持ち上げた麺に祈里が息を吹きかけてから、ソラの方へ向けた。


 ソラは、はぐっとかぶりつき、ズズズと吸い上げ、無言で咀嚼した。


「どうです? 美味しいですか?」祈里が得意げに感想を求めてくる。

「別にお前が生み出したものではなかろう」

「祈里がフーフーしました」と何故か少し照れながら祈里が言う。

「お前の『フーフー』は、醤油と化学調味料の味がするのな」


 祈里は肩でソラにぶつかってから、もぉ、とむくれてまたカップ麺をちゅるちゅるしだす。


 不意に「ソラくん」と祈里に呼ばれた。顔を向けると、祈里はソラを覗き込むように見ていた。


「ソラくん。何かありました?」

「何もねぇよ」とソラは無意識に顔を背ける。

「ソラくんがそんな顔してるの珍しいです」

「……どんな顔してた?」


 ソラが訊ねると、祈里はまだ残っているカップ麺を脇に置いた。そして眉尻を下げて儚く微笑む。


「すごく……悲しそうな顔です」


 祈里はじっとソラを見つめたまま、「爆破計画のことですか」と言った。

「作戦が中止になるのはとっても残念ですけど……ソラくんがその方が良いって言うのなら仕方ありません。旧校舎に入るのは諦めます」

「親友との思い出の場所なんだろ? 俺のわがままで、もう二度とお前は旧校舎に入る機会を失うんだぞ?」


 ふふっ、と祈里は柔らかく笑い声を漏らす。


「ソラくんでも、自分のわがままを認めるときがあるんですね」

 ソラが何か言う前に「でも」と祈里が続ける。「でも、今回のはわがままじゃないと思います」

「……なんでそう思うんだよ」

「だって、ソラくんは絶対に間違いませんから。いつだって優しくて、正しいです。何か理由があるんだって分かります」


 絶対に間違わない。いつも正しい。その言葉がソラに重くのしかかる。いつもなら「当たり前だ」と言えたかもしれない。だが、今回ばかりは、どうしたら良いのか、ソラにも答えが分からなかった。その迷いが、言葉となって、口をついて出た。


「祈里。俺は……どうしたら良い? 分からないんだ。全て分かっているように思えるかもしれないが、本当は何も分かっていない。見えてない」


 ——ほんとのところは何も見えちゃいないんじゃねぇのか?


 マッチョの言う通りだ。俺には何も見えてない。何も分からない。友を疑うのか、信じるのか。守るのか、賭けるのか。全員を救うにはどうしたら良い。

 無理だ。そんなこと、できっこ——

 

 不意に頭に温かい重みを感じた。それは祈里の手だ、とすぐに気が付く。


「何してる」

「頭を撫でてます」祈里が微笑む。

「……何故撫でる」

「だって祈里の方が1年お姉さんですから」また祈里が得意げに言った。それから「ソラくん」と諭すように囁きかける。


「ソラくんは、自分の信じた道をいってください。祈里はソラくんを信じます」


「もし、それが破滅に向かう道だったらどうする?」

「その時は」と祈里は少し考えてから、不敵な笑みを浮かべてサムズアップした。「一緒に滅びましょう」

 ソラは噴き出して笑った。「せめて助かる努力をしろよ」

 そうですね、と祈里も微笑む。「もしそうなったら、今度は祈里がソラくんを助けます。絶対に」


 祈里の眩しい笑顔を見て、ソラの迷いは跡形もなく霧散した。この笑顔を守らなくては、と自然と考えていた。どんな手を使ってでも。たとえ仲間を騙すような真似をしたとしても。絶対に。

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