第26話 ラッキーなあれ
18
「ソラくん、盛り上がってますかぁ!」
ライブのMCみたいなことを言いながら祈里が、ざぶざぶ水を掻き分けて、近づいてきた。
ソラが青空に向けていた目を祈里に移した。太陽光を反射した水面がまぶしくて目を細める。プールサイドに腰掛けて水中に投げ出していたソラの足に祈里が手をついた。
「ダメじゃないですか、こんなとこ座ってちゃ!」
「なんでだよ。別にいいだろ。てかテンション高いなお前」
「一緒に泳ぎましょ? 楽しいですよ!」
祈里はソラの足を抱きかかえてプール内に引きずり込もうとした。柔らかい感触が膝にあたる。
ソラは慌ててプールに降りて、体を沈めた。健全な男子なのだから致し方あるまい、と心の中で自分に言い訳する。
「さ、こっちです。今、マッチョくんがゴリラ役やってくれてますから、一緒に倒しましょう」祈里がソラの手を引く。
ソラはちらりと数メートル先のマッチョを見て「いや、あれ特に演じてるわけじゃないと思うぞ」と祈里に告げた。
祈里の耳にはソラの言葉が入らなかったらしく、祈里はまた別のものに目移りして「あ、ソラくん、あれ見てください!」とそれを指差した。
指の先にソラが視線を移すと、そこには巨大かつカラフルな水上滑り台——ウォータースライダーがあった。
ソラの顔が引き攣る。
「ウォータースライダー! やりたぁい! 行きましょう!」祈里はソラの手を取って応えを待たずに歩き出した。
「あ、おいこら」
祈里にぐいぐい引っ張られて、ソラたちは階段に並ぶ長い列の最後尾についた。
20分は待っただろうか。頂上付近まで進んだ頃、ソラはおそるおそる下に目を向けた。ごくり、と唾を飲み下す。
次の方どうぞ、と係員に促され、水がたまったスライダー入口まで、おそるおそる歩み寄る。そこには少しごついタイヤのようなデザインの浮き輪が1つ置かれていた。
「では、彼女さんが前に乗って、彼氏さんは後ろから彼女さんを包み込むようにここの持ち手を持ってくださぁーい」
にこにこと愛想の良いスタッフに促されるままに持ち手を掴むと、ソラの胸にすべすべで温かい祈里の背中が密着した。ほとんど後ろから抱きしめているかのような体勢だ。
不意に祈里が振り向いた。祈里の顔がすぐ鼻の先にきて、ソラが少しのけぞる。
「彼氏さんですって」祈里は無邪気にソラに笑いかけた。
「どうやらカップル御用達のアトラクションのようだな」
ソラがそう言った直後、ガクンと浮き輪が段差から降りる衝撃が体を揺らした。
「それでは、いってらっしゃーい」と脈絡なく、スタッフが浮き輪から手を離し、強制的にウォータースライダーが開始された。
ソラは情けない声を出さないか、心配していたが、結局のところ、それは要らぬ心配だった。恐怖で声も出なかったからだ。
高所恐怖症の上、泳ぐことができないソラにとって、このアトラクションは地獄以外の何ものでもない。
目の前の祈里は「いぇーぃ、ひゅー」と楽しそうにはしゃいでいる。
浮き輪は途轍もない速さでコースの壁を走るようにカーブし、右に左にと体が振り回されながら、急滑走した。
途中から祈里が壊れたように「あははははははは」と爆笑する声が聞こえてきた。
下のプールに浮き輪がたどり着いたと同時に浮き輪は宙に吹き飛び、当然乗っていたソラと祈里もプールに体が投げ出された。
水中に頭まで沈む。どちらが上でどちらが下か、それすらも分からない。ソラは無我夢中で両手両足をばたつかせた。手に柔らかい何かがぶつかる。ソラは藁にもすがる思いで、それにしがみついた。しがみついたそれは、ソラをひっつけたまま勢いよく浮上する。
「ぷはぁ」ソラと祈里は同時に水面に顔を出した。
ソラはたっぷりと息を吸い、呼吸を整えた。そして、少し落ち着いたところで、ようやく視界を占めているものが何か、というところに意識が向いた。
「そ……ソラく、んっ」
ソラは祈里の胸に顔を埋めて抱き着いていた。それもはぁはぁ呼吸を乱して。
「こん、な、ところで……ダメですぅ」祈里は顔を染めて、ソラに見られまいとそむける。
ソラは、はっとして、慌てて祈里から離れた。
「ち、ちが、ちがうんだ、そんなつもりは」
必死に弁明するソラに祈里が両手で胸を隠すように抑えて、むっと睨みつけた。
「ソラくんのえっち……」
ソラくんのえっち、という言葉が脳内で反芻する。社会的な死。そんなワードが『ソラくんのえっち』の後を追うように脳裏に浮かんだ。
ソラは静かに頭を抱えながらも、「これが世に言う『ラッキースケベ』か」と妙な達成感を得ていた。
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