第25話 どこかで聞いた声
17
世は夏休みに入った。
研究所での仕事には夏休みなどない。ソラは、きっとこれが人生最後の夏休みだな、とちょっとブルーな気持ちで、きらめく水面を見ていた。
プールサイドの熱気は、鉄板で焼かれているかのような暑さで、耳をすませば、ジューっと肉を焼く音が聞こえてきそうな程だ。
だが、暑いのは何も太陽光のせいばかりではない。ソラの隣にも迷惑級に暑苦しい男がいた。
「おい、まだか?! 女性陣はまだか?! くぅ〜たぎるぜ! 双葉の水着姿!」マッチョが大きな身体をくねらせて身悶える。正直キモい。
男女に分かれたそれぞれの更衣室の出口前には天井から滝のようにち打ち付けるシャワーがあり、そこを抜けたら多種多様なプールゾーンが広がっている。
シャワーゾーン付近には、パートナーを待つ男性陣がそこらかしこに立っていた。ソラとマッチョも例に漏れず、2人並んで女性陣の着替えを待っているところだ。
あの日、水着をマッチョと買いに行った後、彼は正式にソラ達の学校爆破計画の共犯者に身を落とした。話を聞いて嬉々として参加の意を示したマッチョには、『身を落とした』という意識は皆無なのだろうが。
何にせよ、男子バスの部室という、爆破すべき場所が1つ増えたわけである。
事情を説明された有栖は「キミ、やたらめったら犯行計画をばらさないでくれるかな?」と静かにキレていた。怒った有栖は、妙に目が据わっていて高校生とは思えない背筋の冷える威圧感がある。
「次、同じことしたら、日本に来たことを後悔することになるよ?」と本気の目で脅されたソラは、もう仲間を増やすのはやめておこう、と固く決意した。
「お待たせしましたぁー」と楽し気な声が聞こえた。
ソラが顔を上げると、祈里がシャワーゾーンでろくに水も浴びずに秒で通過してソラのもとへ駆けてくるところだった。
普段と違って露出の多い祈里を見て、ソラは内心ドキリとした。
白いフリルがついたビキニが祈里の華奢な身体を包んでいる。セクシー系というよりは可愛らしいデザインのその水着は、眩しい笑顔ではしゃぐ祈里によく似合っていた。だが、キュート系といえども、ビキニなだけあって女性的な膨らみが強調されていて、ソラは密かにテンションが上がった。
「どうです? 可愛いですか?」
祈里はソラの気も知らず無邪気に両腕を広げて、得意げにくるりと回転した。
「おう。良いへその形してんな」
「水着の感想聞いたんですけど?!」
祈里は慌てて両手でへそを隠した。その顔はちょっと赤い。
「何ばかやってんのよ。恥ずかしいから騒がないでくれる?」
双葉と有栖がシャワーに当たらないようにシャワーゾーンを通過してきた。2人とも上にティーシャツを着て、水着が隠されている。
あーあ、マッチョあんなに楽しみにしていたのに、とソラは気の毒そうにマッチョに目を向けた。
「ウォォオオオ! なんだ、そのティーシャツぅ! 下履いてないみたいでエロい!」
全然気の毒ではなかった。むしろマッチョは幸せそうに、双葉に拝みはじめる。
「きっも……」双葉が腐った牛乳でも嗅いだような顔で吐き捨てた。
「そんなことより!」と祈里が割って入る「速く泳ぎにいきましょうよ!」祈里の声はいつもより3割増しでうるさかった。
「祈里たん、楽しそうだね」
「はいっ! とっても楽しいです! 祈里お友達とプールなんて初めてですから!」
ソラは自然と頬が緩んでいる自分に気が付いて、なんとなく照れくさくて祈里から目を逸らした。祈里を見ているといつも調子を崩される。
「ボクは荷物をロッカーに預けてくるから、みんな先遊んでていいよ」有栖がそう言った直後、祈里は「ひゃっほォォオオオ」とプールの方へ単身駆けだした。いつもなら「悪いですよぅ」とか言いそうなものだが、今日の祈里はテンションが壊れているようだ。皆をおいてプールに飛び込み、監視員さんに怒られていた。
「あ、ちょ、ばか、祈里! 待ちなさい」
双葉は着ていたティーシャツを脱いでポイっとソラに投げ渡すと、祈里の後を追いかけた。エキゾチックな花柄のビキニパンツに包まれたお尻が左右に揺れる。隣から「ウォォオオオオ!」とかマッチョの
双葉もそのままプールに飛び込むと、また監視員の注意する声が聞こえてきた。
(双葉の奴、気だるそうにしてるから心配してたが、ことのほか楽しんでるようだな)
ソラははしゃぐ2人を見て、胸をなでおろした。それから隣の未だ拳を高く掲げる大男に言う。
「あいつらが変な男に絡まれないように付いていてやってくれ。俺も有栖と後から行くから」
「おう! 任された!」
マッチョはスキップをしながら、祈里と双葉のいる方へ進撃していった。
「あれじゃ、マッチョくんが一番変な男じゃん」有栖が隣でくすくす笑う。
「だな」とソラも笑った。
ドボーン、と水面に大砲が着弾したような盛大な音がしてから、監視員がマッチョにぶちキレる声が真夏の空に響いた。
ソラは有栖の持つバッグを奪い取ると、「行くぞ」とさっさと歩き出す。有栖は一瞬驚いた顔をつくり、すぐに柔らかく微笑んで「うん」と駆け足でソラに追いついた。
「別にキミも遊んで来てよかったのに」
「1人ではぐれられると面倒なんだよ。それより、この荷物なんだ」ソラが訝し気にバッグを少し持ち上げる。
「え? 予備の服とか、皆分のタオルとか」有栖はあっけらかんと答える。
「なんでお前が全員分用意する必要があるんだよ」ソラは目を細めて呆れを示すが、有栖は気にした様子もなく「だって生徒会長だし」と得意げに答えた。
「お節介な奴だな」
「キミには負けるよ」
柔らかく微笑んだ有栖の様子が豹変したのはその直後だった。不意に前から聞いたことがあるような声が聞こえてきて、有栖の顔から笑みが消えた。
「だ、だよね。うん。わ私もそう思う」
目を向けると、ソラと同年代の4、5人の女子グループが正面からこちらに歩いてくるところだった。
(どこかで聞いた声なんだが……だめだ。思い出せない)
ふと隣に目を向けると、有栖の表情がいつの間にか暗く淀んだ色を帯びていた。
————もう放っておいて。
ソラの脳内に一瞬、電流のように記憶が走った。あの時の、とソラは目を少し見開く。
(そうだ。有栖と社会科準備室で話していた女子——美樹って奴の声だ)
「ほら、速く歩けよ〜」
「あたしお腹すいたぁ」
「あ、さっきあっちに屋台あったよ」
「いいねー屋台!」
「あたしケバブ」
「あるかなケバブ」
「大丈夫大丈夫。美樹が園内くまなく探して来てくれるから」
「10分以内でよろ」
「できなかったら鼻の穴にワサビチューブね」
手を叩いて笑い合う女子集団の中、美樹は俯きながら、顔に笑みを張り付けていた。どう見ても仲の良い友達同士で見せる笑みではない。ソラには自衛の笑みのように思えた。
「や、やだ〜。勘弁してよ〜」と少し強張った顔で美樹が言った時、丁度ソラ達とすれ違う。
有栖は美樹の方に一瞥もくれない。美樹に全く反応を示さなかった。美樹は有栖に気が付いていたのか、一瞬悲しそうに俯いて、すぐにまた作られた笑みを顔に張り付けた。
少し不愉快な女子の笑い声はそのまま背後に遠ざかっていった。
「お、ロッカー発見」と隣からあがった声に顔を向けると、既に有栖に差していた影は跡形もなく消え、夏を満喫する女子高生の顔に戻っていた。
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