第7話 完全犯罪
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好きです付き合ってください、と差し出された手を前に、ソラは丁寧に頭を下げ、日本に来てから既に何度か口にしてきた丁重な断りの呪文を唱えた。
涙を堪えて女子が去って行くのを見送ってから、ソラは深いため息をついた。
この日本国外の血が半分入り混じったハーフ顔が女子に好まれやすいことは、ソラも自覚はしていた。日本に来てまだ1か月程ではあったが、日本人のハーフ信仰の根深さは、ソラも直に感じているところだった。
だが、相手の見てくれだけを捉えて中身を見ようともしないその思想を、やはりソラは好きになれそうもない。
階段を降りていくと、壁に収納されている防火扉に寄りかかっていたマッチョが、こちらに寄って来た。
「まぁた女を泣かせて罪な男だな」
「当然のように盗み聞きしてんじゃねーよ」
ソラの指摘が聞こえなかったのか、あるいは聞こえなかったことにしたのか、マッチョは返答はせずに、いそいそとメモ帳を取り出し、「3Aの渋谷さん、と」と呟きながらペンを動かした。
「何メモってんだよ」
「お前に振られた女子リスト」マッチョは悪びれることなく答えた。
「最低だな」心の声が漏れでる。
マッチョは慌てた様子で手を顔の前でぶんぶん振った。
「いやいや違う違う。違うって。単にお前に振られて傷心している女子なら、俺でも落としやすいかなって思って」
「最低だな」心の底からの声である。
ソラの非難の声は、精神的にもマッチョな彼には通用せず、たった今罵倒されたばかりなのにマッチョは得意げな顔を作った。
「何も盗み聞きするためだけにソラを待ってた訳じゃないぜ? 聞いて驚け。今日こそ俺がお前に校内を案内してやろう!」
「わーびっくり、驚いた。驚きの遅さだ。もう1か月も経つってのに今更案内してもらってどうする」
登校初日からマッチョは部活部活アンド部活で、一向に案内してくれなかったため、結局ソラは自分で歩き回って各教室の場所を把握していた。
「てか、マッチョ、今日は部活ないのか」
ソラは何気なく訊ねた。もしそうなら、たまにはマッチョと遊ぶか、と軽い気持ちでなげた質問だった。だが、マッチョは何か不愉快なことでも思い出しているのか眉間に皺を寄せて、黙りこくり、ややあってから、「今日はいいんだ」と笑った。
校内放送が入ったのはその直後だった。
『3年D組蒼井ソラ君、至急生徒会室まで来てください』
精密なガラス細工のような透き通った声は、明らかに生徒会長、木下有栖の声だった。ソラはまた大きなため息を漏らす。
「お前、よく生徒会に呼ばれるな。目つけられてるのか?」マッチョが不思議そうにソラを見やった。
「いかにも。目をつけられてるんだ。厄介なやつにな」ソラが肩をすくめて応じる。
「厄介なやつがいるのか生徒会」
「厄介なやつが取り仕切る組織だからな」
ソラはマッチョと別れて、重い足を生徒会室に向けた。
生徒会室に入ってすぐ、ソラは立ち尽くし、思考をめぐらせた。どういう意図で自分が呼ばれたのか、読めなかったためだ。
どうせ爆破計画への勧誘だろうと当たりをつけていたソラだったが、生徒会室の椅子に座る見知った女子を見て、その可能性は消えた。
「なんでお前が生徒会室にいるんだよ古谷」
ぼっちクイーンの古谷祈里が——何故か赤縁眼鏡をかけて——そこにいた。
「祈里は生徒会に入門したのです」顎をあげて勝ち誇った顔で祈里が言う。
「入門とは言わないだろ、普通」
ソラの指摘は耳に入らなかったらしく、祈里は威勢よく立ち上がると「蒼井くん」と呼びながら眼鏡を押し上げた。「あなたは退学です。生意気だから」
「生徒会に生徒を退学させる権限はないだろ、普通」
やっぱりソラの指摘は右から左なのか、祈里は返答せず、眼鏡をくいくい押し上げ続けている。眼鏡を押し上げる動作が知的活動だと疑わないその姿は、むしろ知的とは真逆であると祈里は思い至らない。
「お、揃ってるね」と背後で声がした。振り向くと生徒会長、木下有栖が立っていた。
「まぁとりあえず座りなよ」と有栖に押しやられて、ソラは祈里の隣の席に座らされた。
ソラは有栖を睨み付ける。「おい、俺とぼっちクイーンを呼び出して何の用だ」
「誰がぼっちクイーンですか! 変なあだ名つけないでください!」
祈里が抗議するが、ソラも有栖も相手にせず話を進めた。
「何の用、ってそれはもちろん——」有栖はもったいつけるように言葉を区切り、そして一字ずつはっきりと「爆破計画」と発音した。「——について話すためだよ」
ソラは大きく目を見開いた。まさか祈里がいるところで爆破計画について話すはずがない、と思っていたからだ。だが、有栖は話した。そこから導き出される事実は一つのみ。
「まさか古谷、お前、爆破計画に参加するんじゃないだろうな」ソラが珍しく狼狽の色を見せた。
「まさかまさかのそのまさか! 祈里、やります!」ソラの気も知らないで祈里は能天気に挙手して言った。
「やります、じゃねーよ。お前、本当に分かってんのか? 学校を爆破するんだぞ?」
「爆破といっても、全壊させる訳じゃないよ」ソラの追及に有栖が口をはさんだ。
「人を傷つけることもない、って生徒会長さんが言ってますし」と指を1本立てたのは祈里だ。
ソラは頭を抱えた。アホだアホだ、とは思っていたが、ここまでアホだとは想像もしていなかった。
本当の本当に分かっているのだろうか。もし犯行がバレれば退学どころではない。刑事事件だ。目の前の能天気な女がそこまで考えているとはソラには思えなかった。
だが、ソラは重い頭を持ち上げて、「しかし」と再考する。
祈里を取り巻く環境は、もしかしたらそんな犯罪を厭わない程に耐え難いものなのではないか。無理して明るく振舞ってはいるが、その心の奥底では火であぶられるような苦悩がくすぶっているのではないか。
クラスの誰一人として祈里を認めず、後ろ指をさしてストレスのはけ口とし、あるいは面白おかしくエンターテインメントの一つとして楽しむ。そんな状況、耐えられるだろうか。
彼女がイチかバチか、爆破計画に望みを託したとしても——いじめの終結に期待したとしても——何ら不思議はないように思われた。そして、その望みを唯一叶えうるとすれば、やはりそれは爆破計画しかあり得ない。
ソラが協力しなくても、彼女たちは何らかの形で、爆破計画を実行に移すだろう。酷く稚拙で、未熟で、目も当てられないような穴だらけの計画だとしても、彼女たちは計画を敢行する。
そして、その先にあるのは——。
俯いて涙を流す祈里の顔が一瞬頭によぎった。ソラは想像をシャットアウトするように瞼を落とし、舌打ちした。
それから目を開き、有栖を睨み付ける。
「有栖、お前、はかったな」
「何のことだか分からないな。ボクは青春のお手伝いをしたまでだよ」
ソラが放つ鋭い眼光を有栖は真っ向から受け止めた。事態をよく理解していない祈里だけが、ソラと有栖を交互に見て、ただならぬ空気に困惑していた。
有栖はこれまで1人たりとも爆破計画に採用して来なかったのに、ここにきて立て続けに2人だ。偶然とは思えなかった。
おそらく祈里はソラを取り入れるための駒。どうやって説得したのかは不明だが、祈里が爆破計画を降りない限り、ソラは有栖に協力せざるを得ない。少なくとも有栖はそう考えたのだろう。
ぎり、と奥歯が鳴る。
ソラは有栖を責め立てる視線を、天井に流してから、怒りを排出するようにふぅー、と息を吐いた。
「……今回は手を貸してやる。だが、俺が参加するからには完璧にやるぞ。誰もケガさせず、退学にならず、逮捕もされない。完全犯罪だ」
有栖は口角を吊り上げ、「悪い顔」と笑った。
「蒼井くんは悪人役が似合ってますね」と祈里も笑う。
誰のせいで悪人役になったと思っているのか。ソラは言っても無駄だと反論を呑み込んだ。
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