第6話 関係ねぇよ

 ある日の放課後、ソラが下校しようと3Bの教室の前を通ったときである。ソラはふと何気なく教室の中に目を向けた。


 綺麗な長い黒髪の生徒が一人せっせせっせと机を教室前方に運んでいた。掃除当番。アニメで時折見るやつだ、とソラは一瞬顔をほころばせるが、すぐに異様さを感じ取り、眉をひそめた。

 黒髪少女はソラに気付くことなく、依然、一生懸命机を運んでいた。たった1人で。


「古谷祈里」とソラは入口ドア付近に立ち、フルネームで呼びつけると祈里は「うわっ」と声を上げて机をひっくり返した。

 派手な音を立てて机が倒れ、引き出しから教科書やらプリントやらが飛び出す。


「ああぁぁああ!」


 祈里は慌てて飛び出た教科書とプリントを机に押し込み、ひっくり返った机を元に戻した。戻す過程で、また教科書が転げ落ちた。

 ソラは教科書を拾い上げ、祈里によって雑に押し込まれたプリント類を引き出しから一度取り出して教科書と丁寧に重ね合わせてから再び机にしまった。


「お前、なにやってんだよ」

「なにって……掃除ですけど!」


 何故か胸を張って得意げに祈里が言う。控えめだが、男子にはない確かな胸の膨らみが強調され、自然とソラの視線が吸い寄せられる。幸いなことに祈里にはバレなかった。


「他の当番はどうした」

「帰りました」あっけらかんと祈里が答えた。

 ソラは額に手を当てて「それでいいのかよ、お前」と吐息をつく。

「良いも何も、頼られたのなら頑張るしかないです」


 祈里の手が胸の前でグッと握られる。悪意を悪意だと感じ取れない祈里に、ソラは、純粋で善良で愚かだな、と腹で呟いた。


「押し付けられたっつーんだよ、そういうのは」

「いいえ。きっと今日の掃除がきっかけでようやく祈里も仲間に入れてもらえるんです。きっとそうです」


ん? と聞き捨てならない言葉にソラは目を細める。


「お前、まさかクラスでハブられてんのか」

「ハブられてないです! 失礼ですね! 遠巻きに様子を見られているだけです!」


 それハブられてんだろ、という言葉をソラは吐き出すすんでで呑み込んだ。


「というか、なんで蒼井くん、祈里に会いに来てくれないんですか! ひどいです! 薄情者です!」


 祈里がぽかぽか叩いてくるが、全く痛くない。それは祈里の優しさなのか、それともただ非力なだけなのか、ソラは祈里の細い腕をみて非力の方だな、と勝手に納得した。


「会いに行く用事がない」ソラが肩をすくめると、祈里はその仕草が物珍しかったのか、嬉しそうにそれに反応し「やれやれだぜ全くよぅ」とソラを真似て肩をすくめた。ソラは祈里の鼻をつまんだ。

「ぬうぁああ、やめてくださいぃ!」と祈里がソラの手を外そうともがくが哀れな非力女子の力では外せない。


「友達なら一緒におしゃべりとか、お昼ご飯とか、連れションとかするでしょォ! 普通ぅ」と祈里が鼻声で喚いた。

「友達になった覚えはねぇし、友達だとしても異性と連れションはしねぇよ。てか、女子が連れションとか恥ずかしげもなくよく言えるな」


 ソラは呆れながら返答し、同時に祈里の鼻を解放してやった。


「憧れですから」祈里は鼻をさすりながら、へへ、と笑う。

「下品な憧れだな。仕方ない。手伝ってやるから、とっととやるぞ」ソラはスクールバッグを置いて、腕まくりをした。

「え! 今でるかなぁ……」祈里が首を傾げる。

「連れションなわけねぇだろ。掃除だ」


 それから、2人で黙々と掃除をした。机を前に寄せ、掃き掃除をしてから、後ろに寄せる。そしてまた掃き掃除。全行程が完了した頃には30分程が経っていた。


「ふぅ、完了です。蒼井くん、ありがとうございました」と祈里が黒板前の上げ床に腰を下ろした。

 ああ、と答えるソラに「明日はもっとタイム縮められるように頑張りましょうね」と祈里が笑いかける。

「さらっと明日も手伝わせようとするな。お前のクラスの奴らにちゃんとやらせろよ」


 ですよねー、と祈里の笑みが歪み、困ったような笑みに変わった。

 ソラは少し躊躇ったが、結局口を開いた。


「古谷はなんで、仲間外れにされてんだ?」


 ソラからみた祈里は特に疎むべき点は見当たらなかった。容姿は言うまでもなく秀でており、アホではあるが、良い奴でもあるとソラは感じていた。だから、祈里がクラスで上手くやっていけないのをソラは不思議に思った。


「祈里、実は高校4年生なんですよ」と祈里がまた困ったように笑う。まるで悲しい顔を見せまいと、笑顔で塗りつぶしているかのようだった。

「ダブってんのか」

「はい。去年、訳あって、学校に行けなくてですね、卒業できなかったんです。えへ」


祈里は自分の額をぺしっと叩き、ぺろっと舌を出しておどける。それを見てソラは少し辛くなった。


「たかだか1年の歳の差が理由でハブられてるってのか」ソラは心底呆れた声を出す。

「ハブられてません。遠巻きに様子を見られているだけです。でも、10代の1歳差は大きいですよね実際」


 祈里は少し俯いて、やっぱり笑った。

 ソラはなんとなくその無理をしたような笑みに苛立ちを覚えた。

 少し声が強まったのはそのせいかもしれない。気がついたら言葉が口をついて出ていた。


「歳なんて関係ねぇよ」


 祈里が顔を上げる。


「生きた年数だとか、学歴だとか、そんな味気のない情報だけ見て、古谷の中身を見ようともしねぇやつはクソだ。覚えとけ。そんなクソと仲良くなる必要なんざねぇ」


 これまでソラを見る目の多くはそう言ったうわべだけの情報を評価するものだった。飛び級だから理知的だとか、成績が良いから真面目で従順だとか、あるいは年齢が低いから彼のアイディアは採用するに値しない、といった偏見もあった。

 自分というものを見てもらえないもどかしさはソラにも痛いほど理解できた。


 祈里の笑みがまた変わった。それは温かく、眩しい。祈里の本当の笑みだった。


「なら、蒼井くんは祈里をしっかり見てくれますか?」


 黒い艶やかな髪が、首を少し傾げる祈里の頬に沿って湾曲し、滝のように垂れた。それを見てぼんやり見惚れていたソラはややあってから、はっとして口を開いた。


「当たり前だ。俺は初めからずっとお前を見てる」

 祈里はにこっと花が咲くように笑い、「はいっ」と答えた。


 ソラは祈里と並んで廊下を歩く。


「せっかくだし、ファミレスでも寄って行きませんか? 友達とファミレス寄るの夢だったんですよ」

「しょぼい夢だな」

「失礼です! 夢に貴賤きせんはありません」

「お前のおごりなら付き合ってやるよ」

「なんでェ?!」

「お前、先輩だろ」

「さっき歳なんて関係ないって言ったァ! てか先輩にお前っておかしくないです?!」

「敬うに値しないってのが、これまでお前を見て来た俺の意見だ」

「やっぱり失礼ィ!」


 ソラをぽかぽか叩いたり、わーわー喚いたりしながら歩く祈里を、自販機の影からじっと見つめる者がいた。


「彼女は……いいね。使えるかも」


 有栖はスマホを出して、ソラの方を向く祈里の横顔を写真におさめた。それから、スマホを操作し、耳にあてる。


「——もしもし、うん。ちょっと至急調べてもらいたい人がいるんだ。家族構成から、これまでの経歴、男女交際歴、友人関係、調べられることは全部」


 有栖は受話器越しの声を受けて、あはは、と口だけで笑う。


「——もちろん生徒会の仕事だよ。……それはキミが気にすることじゃない。……大丈夫。上手くやるよ。……うん。じゃあ写真はすぐ送るから。よろしく」


 電話を切ろうとしかけた有栖が、ターゲットの名前? と聞き返した。それから、ゆっくりと一字ずつ丁寧に発音するように言った。


「3年B組、古谷祈里、だよ」

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