第3話 正解者

 食堂は既に賑わっていた。

 昼休み、マッチョが食堂を案内してくれるというので、やって来たは良いものの、食堂に入った瞬間、ソラはぎょっとした。溢れかえる生徒の海。誰もが『友達』と行動を共にしており、友達のいない冴えない生徒はお断りとばかりに、見事に『陽キャ』が集結していた。その様子に圧倒されてソラは固まる。


 鼻をつく匂いと熱気が食堂内に充満していた。おぼんを持った生徒が右に左に早足で移動して行くのを目で追いながら、ソラは空いている席を探す。目に入る席はだいたい埋まっている。2席分の空きを見つけるのはかなり苦労しそうだった。


「マッチョ、どうする?」ソラが訊ねた。訊ねるという形をとりはしたが、学食は無理だ、と遠回しに伝えたつもりだった。

「何がだ?」マッチョは躊躇いもなく金を入れて食券ボタンを押した。食券が吐き出される。ソラは、あーあ、と目を細めた。

「いや、席が空いてないだろ。どこで食べる気だ」

「あーそれな。大丈夫だ。お前ならできる」

 どういう意味だ、と眉を顰めるが、マッチョはどうやらあまり待ってくれる気はないようで、自動販売機のような早さで出てきたかつ丼を受け取ると「一応席探して来るわ」とおぼんを持ったまま彷徨う生徒の波に加わった。

「一応、ってなんだよ」とボソッと呟いてから、ソラはかけうどんの食券を買った。


 マッチョの流れて行った方へ足を向けると、程なくして4人掛けのテーブル席に横向きに座って背もたれに片腕をかけているマッチョを発見した。

 その隣と、斜め向かいには茶髪の女子生徒が座って怪訝そうな顔をしていた。どう見ても食事している女子2人と、それに絡むナンパ男である。


「何やってんだよ、マッチョ」と隣に立って声を掛けた。

 マッチョは全く悪びれる様子もなく「お、丁度良いところに来た」と立ち上がり、ソラの肩に手を置いた。

「ほらな。言ったとおりだろ? エルフ顔負けのイケメン!」


 ソラは会話の流れをなんとなく察して、肩に乗るマッチョの腕を払いのけた。それから女子生徒2人に目を向ける。女子生徒2人は、ほぼ同時にソラから目を逸らした。


「マッチョが不躾ぶしつけに絡んで申し訳ない」とソラが頭を下げると、彼女らはどちらともなく「いやいや、いいんだよ。全然全然」と顔の前で手をぶんぶん振った。

「うちらも2人で寂しいねって言ってたところだからさ。どうぞどうぞ座って?」

 マッチョが眉間にしわを寄せて「お前らさっきまで、地べたで食べれば、とか言ってたくせに」と苦情を入れるが、「なら、マッチョは地べたで食べていいよ」と女子生徒はひるむことなく見事なカウンターを決めていた。

「悪いな。席がなかったから助かった」とソラが笑いかけると、女子2人は目を少しだけ見開いてソラを見つめ、緩んだ顔を見せていた。

 ソラは何事もなく席に着こうとするマッチョの肩を鷲掴んで耳元で「二度とするな」と低い声で呟いた。しかし、分かっているのかいないのか、マッチョは良い顔でサムズアップを返してくる。なんとなく憎めない奴である。ソラはため息を吐いてから席についた。


「転入生の話は聞いてたけど、まさかこんな素敵男子だとはね」と女子が言うとマッチョがかつ丼を掻き込みながら「それほどでもねぇよ」と答えた。

「お前じゃねーよ」と女子の一人がマッチョにフォークを向ける。


 当然と言えば当然かもしれないが、マッチョと女子2人は元々知り合いだったようで、その後もお互いに軽口をたたき合っていた。

 女子2人はマッチョを塩対応であしらいつつも、次から次へとソラに質問を投げてきた。2人の前のパスタはフォークに巻き付けられてはいるものの一向に口には運ばれない。動くのは手ではなく、口。おしゃべりが止まらなかった。こいつら口から生まれてきたのではあるまいな、とソラは腹で呟く。


「じゃあさっ、蒼井くんはどんな女の子がタイプなの?」


 その質問が繰り出されたとき、ソラは既に上の空であり、あまり会話の内容が頭に入っていなかった。質問ばかりでかけうどんがなかなか食べられず辟易していたのもあるし、そもそも彼女らとの会話自体がこれまでも幾度となくされてきた退屈な話題だったというのもある。ソラはボーっとしながら、かけうどんをすすっていると、窓際のカウンター席に座る一人の女子生徒が目に入った。

 ミルクティーのような温かく柔らかい雰囲気の茶髪は、肩の上でそろえられ、パーマでもあてているのか、少しウェーブしている。彼女は明らかに他とは違った。目は大きく、鼻がすっと通り、柔らかそうな頬は若干赤みを帯びている。美人であることは明らかだが、彼女の場合はその眩しい美貌の向こう側に、濃い影が落ちているようなミステリアスな魅力が目を引いた。


有栖ありすちゃんが好みか?」とマッチョの声が聞こえて、顔を向けると3人ともがソラをじっと見ていた。

「有栖ちゃん?」

「あの娘だよ。カウンターに座ってる。美人だろ?」マッチョが顎と口角をあげて言う。

「なぜお前がドヤ顔」

 女子生徒の片方が「まぁ確かに」と片眉を上げた。「可愛いは可愛いけど……でも変わってるよね」

「あーね。私、前に有栖さんに声掛けたらシュレッダーの猫だかなんだか、を知ってるかって聞かれて、知らないって答えたら、そのまま私のこと無視して歩いてっちゃった」

「シュレディンガの猫な」とマッチョが訂正してまたドヤ顔をしていたので、「シュレーディンガーな」とソラがさらに訂正した。

 マッチョは自分が訂正されたことは全く耳に入らなかったのか、何事もなく「俺もさ」と語りだす。「俺もさ、『人殺したことある?』って聞かれたことあるぜ。あったらやばくね、って答えたら『そうだね』って言ってどっか行った」

「何その、どっか行く習性」

「有栖ちゃんの中で正解があるんだろ? きっと俺らは不正解だったんだ」

「じゃあ、なんて答えたら正解なのよ」

「さぁな。でも多分、俺が『殺したことある』って答えても不正解だったろうな。正解者はまだ一人もいないんじゃないか」

「なら、正解なんてないじゃん」彼女は興味をなくしたのか、フォークでもてあそんでいたパスタをようやく口に入れた。

「いや、きっとあるんだよ。第三の答えが」マッチョはそれでもその話を続けた。

「なんでそう思う?」飽き始めていた女子に代わってソラが訊ねる。

「だってよ、答えが2択なら絶対誰かしらが正解してるはずだろ? でもいまだ誰も正解していない。それなら答えはその2択以外なんだよ」

「誰も正解していないとは限らないだろ。すでに誰か正解しているのかもしれないじゃないか」ソラが指摘すると、マッチョは「いーや」と自信ありげにかぶりを振った。

「もし正解者がいたんなら、今頃有栖ちゃんが一人で飯食ってることもないだろ」


 マッチョの説に納得した訳ではなかったが、ソラはなんとなく口を閉じてまた有栖に視線を向けた。

 有栖が友達を探してそんな珍妙な質問をして回っている、というのは違う気がした。だが一方で『正解者』がいれば有栖が独りぼっちにならない、というのは案外その通りなのかもしれない。

 不意に有栖が顔だけ振り向いて、こちらを見た。有栖と目が合った。有栖はわずかに口角を上げて意味深に微笑み、ゆっくりと視線が流れて行き、やがて再び前を向いた。

 それ以降、ソラは有栖の笑みがいつまでも頭から離れなかった。

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