神装令嬢の使い手 私を忘れたキミと、もう一度

星屑しのぐ

 ――わたしの祈りが届いたかのように、その〝皇子〟さまはやって来た。


 月明かりの下、荒々しい呼吸が宵の静寂を揺り動かす。ここに繰り広げられるは追走劇、その舞台はとある農村だ。

 幼気な少女が脇目も振らずに村内を駆け抜け、この背を夜闇にうごめく〝影〟が追う。やがて数多のそれらに回り込まれ、左に右と逃げ道を塞がれてしまった。


「「「「ガぁぁァ……アぁ、あだァァぁぁ……おォォ、オぉコォぉゼぇぇぃ」」」


 しわがれ声を絞り出して、敵勢が一心不乱に四方から迫り来る。その荒波に呑まれず、少女は両腰のホルスターから結晶銃を抜いて構えた。


 ひしめく標的、狙いを定める必要はない。最大まで圧縮したマナ弾を左右同時に放つ。瞬間――ガキンッと、金属の擦れるような筒音が轟く。射出された光球は放物線を描き、敵集団の眼前に着弾。この衝撃で扇状に弾け飛び、万物を射抜く〝飛礫〟と化した。


 ――炸裂弾はあと一発が限界……、冷却時間なしで……持ってくれるといいけど……。


 現に殲滅できたかは怪しいが、前方と弓手に動く個体は見られない。すかさず通常弾に切り替え、馬手と後方の攻撃目標に意識を移す。


 死の淵で研ぎ澄まされた感覚を存分に振るい、甲高い銃声を切れ目なく鳴り響かせる。激しく移り変わる状況において、知覚情報の更新と取捨選別による即断を強いられ続けた。


 ――聞いていた話と違う、意外と脆い……? それなら、……もっと圧縮率を下げて、連射性を優先。考えたら駄目……、考えるより先に……撃つ!


 処理能力の限界など、とうに超えていたのだろう。敵影を視認したその時に、それでは到底間に合わない。闇雲に乱射しては、優先度の高い標的を見逃す。だから最後は瞬時に導き出した先読みに基づき、一つまた一つと仕留めていく。


 悪条件を物ともせず、威力や精度を落とそうと急所を撃ち抜ける。少女の腕前と胆力は比類なきものだったが、数の優位までは崩せなかった。


 張られた弾幕に臆さないどころか、同族を押しのけ、屍を踏みつけ、我先にと進む――人型の化け物が相手であったら、なおさらのこと。あっという間に距離を詰められ、


「おでぇぢゃぁん、ヤぁめでぇぇええぇ、ぐるしぃぃいよぉぉお……いだぃおよぉお……!」


 じりじりと押されていき、もはや目前の脅威を排するので手一杯。他に気を取られれば、危うい均衡は脆くも崩れ去る。かくして背後に忍び寄るはひと際小さく、泣き叫ぶ子供に擬態した悪意の権化か。その異様に長い腕を鞭のように振るう。


 少女が気づいた時にはもう遅い。左の銃を弾き飛ばされてしまい、しかし彼女は痺れる前腕を支えに残された武器の引き金を引く。


「……っ、まだ――こんな、ところで……!」


 銃口が青白い火を噴き、発射された光線が命中と共に破裂。頭を吹っ飛ばされた対象は後ろに倒れると、その身を黒い瘴気に変えて霧散する。少女の顔や服に付着した一部も、同様に通り風が吹き流していった。


 元人間のそれは、この国で〝汚染体〟と呼ばれる存在だ。人に限らず、心と知性を持ち合わせる生き物なら例外なく堕ち得る。マナを扱える生命体なら、と言い換えてもいい。


 人型を撃ったのは今日が初めてだが、良心の呵責に悩むだけの余裕がなかった。所詮は第一波、未だ窮地は続いているのだから。


 仮初めの静けさが訪れ、ふと汚染体の群れがざわめく。怯えるように後ずさり、包囲に穴を空けた。さながら統率者の登場か、決して彼女を通そうとしているわけではない。


 戸惑う少女の視界に、ひと筋のまばゆい光明が映る。反射的に瞼を閉じれば、瞬く間に場の空気が塗り替えられた。恐る恐ると目を開け、時が止まったような錯覚に襲われる。


 迎えてくれたのは星々の煌めきだ。無数の銀粒が宙を舞い、自分を中心として円を描くように辺りを淡く照らす。一夜限りの主役、思わず置かれた現状を忘れて見惚れてしまう。


 汚染体の崩れ落ちる音が方々から聞こえてくるが、今の少女にとってはどうでもよくて。ふと助かったという安堵の念に呼び戻されて抗えず、立っていられなくなった。


 ――あっ、あれ……。なんで、わたし……行かないと……、助けを呼ばないと……!


 前のめりの意志ばかりが先に立ち、尻もちをついた少女。そんな彼女を見下ろすように、人の形をした〝希望〟が姿を現す。

 擦り切れた術士用のローブを身に纏い、黒い銀の剣を携えた少年だ。ひと目見ただけで、どちらも高度な魔術を施してあるのが判った。


 これは夢か幻か。その人は前髪に覆われていない右目でこちらを見据えてくる。冷たく紅い眼差しは何かを見定めているようで、


「……助けて、」


 命懸けで逃がしてくれた仲間を、どうしようもなく無力な自分を。降って湧いた微かな望みに手を伸ばし、少女はか細い哀願をこぼす。


「お願い……、わたしの大切な人たちが捕まっているの」


 それは少女なりの精一杯、弱々しくも強い意力のこもった声で助けを求めた。ところが少年は何を応えるでもなく、腰に差していた鞘を抜いて剣を収める。


 このまま何もしなければ、彼が何処かに行ってしまう。頭で解っていても、緊張の糸が切れてしまった身体は動いてくれない。九死に一生を得たため、甘えが生まれたのだろう。刻まれた死の恐怖に屈して震えるだけだ。


 こうやって黙って眺めていることしか出来ないのだと、折れそうな心を必死に支える。喉の奥から思いを絞り出して、もう一度――、


「持っておけ。そいつがあれば、汚染体どもはお前に近寄れない」


 返答の代わりか、目の前に彼の剣が鞘ごと投げられた。突き放すような声音だったが、見捨てられていなかった安心が先に来る。


「だからといって、下手に仕掛けるなよ。……そこまで保証はしかねる」


 直後、月光に当てられた黒髪が風になびき、隠れていた少年の左目があらわになった。その瞳に浮かんでいたのは金色に燦然と輝き、時計の文字盤を彷彿とさせる〝継印〟――彼が皇家の人間である証だ。


「それを使って――するか、」


 あり得ない、出来すぎている。あまりに都合が良すぎて、現実ではないと思えるほどに。


「さっさとアルクスに戻って、助けを呼んで来い」


 無意識に見入っていたところ、彼が僅かに表情を歪ませたことに気づく。たぶん怪我をしているのだろう。酷く痛みを覚えているようで、柄を握っていた方を左手で庇っている。


 これでも治癒術士の端くれだ。受けた恩に及ばずとも、せめて治療くらいはと思った。しかしその手の甲にあった不思議な紋様を目にし、口にしていたはずの言葉を失う。


「……いいな?」


 去り際に念を押すと、背を向けた少年。今度こそ、少女の前から消えようとしていた。その後ろ姿はまるで、暗闇に誘われ溶けていくようにも見えて。


 ここで引き留めなければ、この人とはもう二度と会えない。根拠のない勘が焦りを生み、それは恐れに打ち勝つ力となって、小さな行動に変わる。

 捨て置かれた剣を拾い、胸に抱くと彼から勇気をもらえた気がした。そのおかげだろう、今まで動かなかった足が言う事を聞いてくれる。


 ――最後まで、……あの人に助けてほしい。


 身勝手なのは承知の上、だが覚悟を決めた少女は止まらなかった。地面に転がっていた愛銃を定位置に戻して立ち上がり、少年の背中を追いかけては、


「待って……ッ」


 と、すがるように呼び止める。不意に足を止め、振り返った彼は薄っすらだが苦く笑う。


「悪いな。力になってやりたいが、俺にはもう……時間がない」


 呆れた口調であっても、ちゃんと返事をしてくれた。やや悲しそうに終わりを濁して、不気味な三日月を見上げている。それは彼女の希望像を打ち砕くものに他ならなかったが、


「これから俺は、〝神装〟を取りに行く。もし戻って来られたら、その時は助けてやるさ」


 その言葉には先程と違い、仄かな温かみと続きがあって。決して果たされない約束だと察しつつも、少女は信じることにした。

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