第6話 ブラックホールそして「天国と極楽」

6-1.ブラックホール


平和20年8月6日、サンは、19歳になった。椎葉村に来て5年たった。  

サンは、WEBで自分の通帳の残高をチェックした。

1,000円と表示されていた。サンはしばらくそれを凝視していた。

とうとうサンの貯金は底を尽いたのだ。

もはや研究を中断し、また金を稼がなくてはならなくなった。

「アウル、これが最後の実験になるな」

サンは、アウルに話しかけた。

「サン様、そのようです。うまくいかない場合は、資金を再び集めましょう」

「さて、実験再開だ」

サンは、いつものように、ハドロン衝突の開始ボタンを押した。

さらに多次元投影システムを動かし始めた。

高次元投影システム正面衝突確率が99.999%と表示された。高音のブザーが鳴り続けている。

突然、正面衝突確率が100%になった。

陽子の内部にあるクォークやグルーオンが全方向に拡散された。

そこには、連日、何度も何度も観察し、日常化した極小空間のブレーン膜が見えていた。

両手の2つの高次元マニュプレータのレバーで、ハドロンの衝突で現れたブレーン膜の表面をなぞり、さらに拡大した。

こちら側ブレーン膜の下には、別のブレーン膜が存在しているのが見えた。別の世界がそこにはあったのだ。

「これは?」

まるで触ることができる『この世』の側と、触ることもできない『あの世』の側であった。

もちろん、2つのブレーン膜は、実物のものではない。

ハドロンが正面衝突した空間の1点を拡大して、そこに存在するものを量子コンピュータの3Dディスプレイで多次元表示した映像を、サンの頭の中で投影しさらに多次元化し再構成したものであった。

サンの頭の中以外では、まったく意味不明の映像であった。

「今日は、やけに向こうのブレーン膜が近い。」

サンは、さらに両手の2つの高次元マニュプレーターで拡大してみた。

「これは、...」

そこには、信じられないものが浮かびあがった。

大宇宙がそこにはあった。サンは、大宇宙の中に自分が浮かんでいるような感覚を覚えた。

「なぜ、宇宙のようなものが映っているのだろうか」

いつのまにか、ブレーン膜は、宇宙を抱え込むほどに巨大化していた。

ブレーン膜の下のあちら側のブレーン膜も巨大化し、透明な膜に包まれているようであった。

さらに近づくと、こちら側のブレーン膜とその後ろの向こう側のブレーン膜が回転して見え、垂直の壁のようになった。

そしてそこに何かが居た。

「何かがいる。蠢いている」

それは、赤と青と黒の迷彩のような模様をしているが、まるで巨大な生き物に見えた。

こちら側にのブレーン膜に大宇宙、あちら側のブレーン膜に巨大な蠢くもの。

サンには、それが何かの生き物のようにように感じられた。

「アウル、これは何だろう? 生き物か?」

「サン様、私には、判断できません」

しかもそれは蠢き、なぜか怒り狂っているように感じた。激しく模様が蠢き、蛇行した。

それは、近づいてきて、サンを見つめた。

「眼?」

サンは、体が固まった。

そこには、巨大な赤く丸いものが、サンを見つめていた。しかも怒りに血ばしっているように感じた。しかも、驚いてるようにも思えた。

まるで、サンを以前から知っているかのようだ。

「お前は誰だ」

サンは、思わず叫んだ。

それは、身を翻して、移動していった。巨大な体のような模様が次々と移動し変化している。

サンは、高次元マニュプレータから光りのビームをブレーン膜に対して照射してみた。

「向こうのブレーン膜が接近してきた」

二つのブレーン膜の間は、もうほとんどなかった。

「接触した」

こちら側のブレーン膜の一点が赤く変色した。

サンは、さらに光りのビームを絞りこんでいった。

変色した点は穴になった。そしてさらに大きくなった。

向こう側から血のような赤い液体状のものが、湧き出してきた。そしてこちらに、飛び出てきて血のような超球体になった。

しかし、それはまだ、向こう側とつながっている。

「ちくしょう。このままだとこちらと向こう側の時空が融合してしまう。なんとか切り離せないか」

それから、サンがいくら光りのビームを調整しても、それを切り離すことはできなかった。

数分以上格闘したが、状況は全く進展しなかった。

「どうすればいいのだろ」

サンが、つい弱音を吐いた時、黒い手のようなものが現われて、それが飛び出たブレーン膜の表面を触るとブレーン膜の切り口が閉じていった。

そこには、切り離された、赤い液体状のものが残っていた。

切り離された、赤い液体状のものは、漂うように波打っていたが、しだいに収斂して丸くなり明るく光りだした。

切り離された向こう側のものは、まだ向こう側いる。

「黒いものは、何なのか、手のようにも見えたが」

「誰かいるのか」

自分の他に誰かがいたように感じ、後ろを振り返った。

誰もいなかった。

サンが、画面に向い直った時、向こう側のそいつは、真っ赤になり暴れまくっていたが、突然停止して、こちらを見つめた。それは、正しく眼だった。真っ赤な眼だ。サンは自分が見つめられているように感じた。

しばらく凝視した後、青い眼に変化した。やがて、そして、そいつは身を翻して、去って行った。

サンが画面から目を離すと、彼の研究室の空間連結器の4次元物理空間側に、小さく真っ赤に光輝くものが浮いていた。

大きさは1mm程も無い。輝いているのでそれより大きく見えた。

空間連結器は連結バリアモードで光源から発する熱は、多次元空間に遮断するようにしてあった。

測定装置の3Dディスプレイに、光源の温度が表示されていた。

『5600度』

ほぼ太陽の表面温度であった。

サンは、空間連結器を連結(connection)の状態に戻した。

そこにあった紙を4次元側に入れ、水平にずらして輝く物を通過してみた。

紙に小さな真円があいていた。

「ライター、ライター」

サンは、あわててライターを探した。

ライターで、紙に火を着けた。

燃えた紙を、輝く物に近づけると、煙が渦をまき、巻きつくように吸い込まれていった。

「ミニブラックホールだ!」

サンは、燃えた紙を引出て紙の火を消し、イスに座り込んだ。

「人類で初めて、ミニブラックホールを作りだしたのだ。小さいから高温で輝いている」

サンは、物理学の深淵に到達したという、深い喜びを感じた。

サンは、両手で顔を覆い、長い間喜びを噛みしめた。

「クッ、クッ、クッ、」

笑いが止めようとしても沸き上がってくる。

インターネットカフェで研究を開始してから、6年間もの死闘がついに実ったのだ。13歳から研究を始めて19歳になっていた。


6-2.そして天国と極楽


笑い声が大きくなった。

「ハッ、ハッ、ハッ」

両手の間から、笑い声がこぼれてきた。

サンは、両手を挙げた。そして立ち上り、こぶしを握りしめた。

「やったー。やったー。やったぞ」

サンは、床を歩きまわった。

机の上の、研究資料を手で弾き飛ばし、床にぶちまけた。

「やったー。やったー。俺は巨大なエネルギーを手に入れた」

サンは、両手を上下させ、机の周りを激しく回りながら、独り言を言い続けた。

「やったー。俺は、世界一の金持ちになったのだ。俺をいじめ抜いた奴らに仕返しをしてやるのだ」

眼がすわっていた。歓喜を通り越した狂乱の光が眼に宿っていた。

イスを蹴飛ばした。

「やったぜー。やったー。やったー。」

サンは、不良時代のサンに完全に戻っていた。

眼から知的な光は消え、野良犬のような眼差しになった。

ズボンのポケットを探した。5千円札が出てきた。サンの最後の持ち金だった。

「これで、前祝いに行くか」

サンは、小屋のドアを足で蹴り開け、外に出た。背後でパタンと軽い音がした。

遠くの空は、まだ明るかったが、小屋と森は、深い夕闇に沈みかけていた。少し黒い雲が出てきていた。サンは、バイクに乗った。

「ヒャッホー」

山を駆けおりて、幸の家の所に来た。それを素通りして左折し舗装された道に出た。

サンは、一気にスピードを上げて山間の道を飛ばしていった。

山間部の夜は早い、もう暗くなってきた。ライトの前方に山道が浮かびあがってくる。

バイクを飛ばしまくり、くねった坂道をくだっていく。道端の木々が矢のように通り過ぎていく。

サンは、椎葉村の繁華街に向っていった。

町のはずれに、スナックらしきものがあった。

『天国と極楽』と、ネオン管の看板が見えた。サンは、その店は見知ってはいたが、今まで関心はまったくなかった。

『天国と極楽? 天国と地獄じゃないのか?』

バイクを店のそばに留め、降りた。空は、黒い雲が沸き立つように出て、暗くなっていった。

雨が降り出し、大粒の雨がぽつぽつとサンの頬にかかってきた。

今のサンには、何の差しさわりもなかった。

看板のネオンは、少し傾き、一部から時々火花が出ている。

サンは、高揚した気持ちで、勢いよく店のドアを開けた。

その時、背後から雷が鳴り、閃光と雷鳴が室内に拡がった。

「いらっしゃいませ」

若い女と、中年の女の声が、同時に挨拶した。

若い女が、口に手を当て、少し驚いたような仕草をした。

そして、何回か部屋の奥とサンを見つめ直した。

店は、カウンターと小さなテーブルが4つほど並んだ、小さな店だった。

カウンターは入り口に近いところにあった。

明かりは暗く、煙草の煙が充満していた。

一番奥には、黒い服の男が一人で酒を飲んでいる。

その手前には、労働者風の男が二人向い合わせに座っていた。

サンから見える方に、太った男が、そして痩せた長身の男が背中を見せて座っていた。

こんな早い時間なのに、二人はもうかなり酔っているように見えた。

サンは、カウンタに座った。

カウンタに5千円札を出した。

「これで、飲めるウイスキーを出してくれ」

中年の女が、御手拭きを出しながら聞いた。

「お客さん、お若いのね、何歳なの」

「歳? 今日でちょーど18歳だ」

「あらまー、内の桜と同じ年ね。今のは聞かなかったことにしておくわね」

後ろにいた若いホステスが、真っ赤な口紅の口を開けて、愛想笑いをした。

中年の女は、ウイスキーの瓶と氷の入った容れ物とグラスとつまみをサンの前に置いた。

「お客さん、ロックでいいですか」

ママは、返事も聞かず、グラスに大きめの氷を入れウイスキーを注ぎ、マドラーで軽くまぜて、グラスをサンの目の前に差し出した。

「私は、ここのママの梅子でーす。そして、こっちの若くてかわいい子が桜でーす。よろしくねー」

サンは、出されたウイスキーを一気に飲んだ。何年ぶりかのアルコールが身体に浸みていった。

小菊学園時代に、大淀川の川岸でゲン達と焼酎を飲んで以来だった。

「まー、お客さん。なんて飲みっぷりがいいの。地元の人?」

「そうさ、不土野の方に住んでいる」

「結構、遠くですね。」

「そうでも、ないさ。バイクで来たから」

「あんちゃん。酔っ払い運転したら、警察に捕まるぞ。それに未成年だろ」

手前のテーブルの労働者風の太った男が声を張り上げた。

「まあ。日高さん、そんなこといっちゃダメ。桜、日高さんの隣に座ってあげて」

カウンタの中にいた若いホステスが、客の隣に座った。

髪は茶髪で顔は丸顔だった。化粧は洗練されずハデハデだったが、真っ赤な口紅が印象的だった。

「お客さん、気を取り直して、もう一杯」

ママは、グラスにウイスキーをなみなみと注いだ。

また、サンは一気に飲んだ。何カ月も不眠不休で研究してきたサンの体に、酔いが一気に回った。

「お客さん。そんなに急に飲んだら、体に悪いわ。おつまみでも食べてください」

今度は、サンが自分でウイスキーをグラスについで、一気に飲んだ。

「まあー」

ママは、驚いた顔をしてサンを見つめた。

「ママ、これは前祝いさ。俺は、世界一の大金持ちになったんだ」

「まあ。どういう事?」

ママは、社交辞令的に受け答えた。でもどんなお客でもこんなにとんでもない話をする者はいない。

遠くから声が聞こえた。

「おーい、あんちゃん」

もう相当に酔った声だ。

サンは、答えなかった。

「おい、あんちゃん。法螺も休み休み言え。何やって世界一の金持ちになったんだ。おい」

サンは、答えなかった。

無視された労働者風の男が立ち上がった。

「おい、何やって世界一の大金持ちになったんだって聞いてんだよ。答えろ」

少し,呂律が回っていない。

「別にあんたに、言う必要はないが、無尽蔵のエネルギーを見つけたというわけさ」

「何、無尽蔵のエネルギー? 法螺吹くな、そ、そんなものがどこにある」

男が、通路の方に出てきた。はずみで隣に座っていた若いホステスが床に転げた。

労働者風の男は少しふらついている。

「あんたには、わからんよ」

「なに、しゃれたこといいやがって、少し黙らせるか」

男は真っ直ぐ歩いてきて、サンの胸倉を掴みにきた。

サンは、こうした修羅場には慣れていた。自然に体を開いて、男の足に自分の足を引っ掛けた。

男は、前に転んだ。

「キャー」

若いホステスが、カウンタの内側に逃げ込んだ。

男は、両手を床につけ、ゆっくり起き上った。起き上ると両手をはたきながら言った。

「お前、俺のこと知らねーな。知ってたら、喧嘩を吹っ掛けるはずがない。」

サンは、イスから立ち上がった。

「全然、知らないね」

男は、サンより背が低くかったが、労働で鍛えた体は、サンの2倍の胸幅があった。

男は、頭からサンにぶつかってきた。

サンは、ドアの方までふっ飛ばされた。

「おい、謝ったって許してやらねーからな」

男は、起き上りつつあったサンの胸倉を掴んだ。

そして、腹にパンチをぶち込んだ。

「グェー」

サンは、前のめりになり、床に膝を崩した。

「おらおら、まだまだ終わらねーぞ」

男が、サンの右手を掴んで、引き起こそうとした時、サンの左パンチが男の鼻をとらえた。

「うわー」

男は、2,3歩後ろへさがった。手で、鼻のあたりを触ったが、血が噴き出していた。

「ちきしょう。トシ、お前も加勢しろ」

トシと呼ばれた男が立ち上がった。サンよりはるかに背が高かった。

「日高さん。このへんにしてた方が良いですよ」

長身のトシは、あまりやる気がなさそうだった。

「うるせー。こいつを捕まえておけ」

トシが、サンの右腕を掴んだ。そしてサンの後ろに回り左腕も掴んだ。

男が、血まみれの顔で、ニヤッと笑った。

「こいつめ」

男のパンチが、サンの顔面をとらえた。

サンは腕を振りほどそうとした。しかし、身動きがとれなかった。

続いて、腹も殴られた。

サンが、上を向いて、後方に倒れると、男の足が腹部や顔に飛んできた。

少しづつサンの記憶が遠のいていった。

「もう止めて」

突然、若いホステスの高い声が響いた。

それに続いて、ママがしゃべり出した。

「日高さん。それ以上やると、死んじゃうわ。やめないなら警察に電話します」

男たちは、はっとしてサンを見た。サンの顔は、血まみれでほとんど動いていなかった。

「もう、止めちゃる。しかし、酒がまずくなるから、ママこいつは外に放り出す。いいな。

トシ、こいつを外に出せ」

男とトシは、ドアを開け、サンを引きずって行き、外に連れ出した。

雨がかなり強く降っていた。血まみれのサンの顔に強い雨粒が当たった。

「もう、俺たちの前に顔を出すなよ」

そして、男たちはサンを店の横に放り出した。

上を向いたサンの顔と身体に、土砂降りの雨が降りかかった。

暗闇の中で、サンは、気を失ったまま倒れていた。

しばらくすると、店のドアが開き、店の奥にいた黒い服の男が出てきた。

時折、ネオンの火花が飛び散る時一瞬明るくなるだけで、真っ暗な土砂降りの中、男の姿ははっきりとしなかった。

「やれやれだぜ」

男は、サンの腕を肩に担ぎ、右手を背中にまわし、抱えて進んで行った。

そして、二人は、闇の中に消えていった。


6-3.サンの全財産喪失


サンを抱えた男は、幸の家の玄関にいた。

男は、サンを玄関の前に横たえた。

「またな」

そう言うと、男はドアを2度強く叩いた。

「はーい」

中から、幸の声が聞こえた。

「どなたですか」

幸が粗末な引戸を少し開けて、外を覗いたが誰もいなかった。

ふと視線を下に向けると顔中、血まみれのサンの姿が横たわっていた。

「サンじゃないの。どうしたの」

幸があわてて、外に出てきた。強い雨が、すぐに幸をずぶ濡れにした。

「おじいちゃん、大変。サンが倒れてる」

幸は、涙声だった。

「なんじゃと、サンが倒れとっとるとか」

大治郎があわてて、外に出てきた。

「と、とにかく、家に入れよう」

幸と大治郎は、ずいぶんと苦労しながら、サンを家に引きいれた。

ようやくのことで、囲炉裏のそばにサンを寝かした。

大治郎は、タオルを持ってきて幸に渡した。

「はよ、裸にして、タオルでサンを拭いてやれ」

「はい」

半泣きの幸は、サンを裸にすると、乾いたタオルで、一生懸命に体を拭いた。

サンの体は、顔も、腕も血と痣だらけだった。

「サン、どうしてこんなことに」

思わず、幸の眼から涙がこぼれ落ちた。


サンは、苦しみの中で、夢を見ていた。

サンは、ブラックホールから電気を取り出すのに、成功していた。

サンは、エネルギーの王になり、世界一の大金持ちになっていた。

贅沢三昧の日々を送っていたある日。

サンは、大勢の警官隊に踏みこまれ逮捕された。

フランス王のような豪華な服をまとったサンが、裁判の法廷に連れ出された。

傍聴席には、大治郎や幸、ゲンが座っていた。「天国と極楽」のママと桜もいる。

おまけに、喧嘩した労働者たちもいる。

さらにその後ろには、知らない市民が大きな声でなにやら叫んでいる。

裁判官が判決を読み上げた、

「人民の名により、神武 燦(あきら)に判決を言い渡す。

罪名、『贅沢の罪』。被告は、多くの人民を犠牲にして、自分一人贅沢な日々を過ごした罪により、死刑を命ずる」

思わずサンは叫んだ。

「幸、俺は何も悪いことはしていない。助けてくれー」

「あなたは、『贅沢の罪』」幸は厳しく答えた。

「俺に、焼酎1本くれなかった」大治郎は、酔っぱらっていた。

「サン、潔く罪を認めろ。こうなったら腹をくくれ」ゲンは、涙を浮かべていた。

「俺たち労働者に仕事一つくれなかった。死刑! 死刑!! 死刑だ!!!」労働者も酔っぱらっていた。

「うちの店には、あれっきり来てくれなかった。死刑にしてくださーい!」

『天国と極楽』の桜が叫んだ。

サンは、処刑台に引きずり出された。首をギロチンに固定された。

サンは、必死で叫んだ。

「私は、私の全ての財産と全能力を、人民の為に差し出します。助けてください。心から悔い改めます。お願いです。助けてください...」

その時、上から、ギロチンの刃が落ちてきて、サンの首が転がった。


サンは目覚めた。ぼんやりした視界の中に幸の姿が入ってきた。

『夢だったのか』

サンは、心の中でそう思った。

サンは、胸騒ぎがした。起きあがろうとすると、体のそこらじゅうが痛みで悲鳴を上げた。

「動いちゃダメ」

「大丈夫だ」

サンは、幸の制止を振り切り、ようやくのことで立ち上がった。

服は大治郎の家に置いてあったサンのものに着替えさせられていた。

ふらつく足で、ようやく家の外に出てみた。

もう、東の空が少し明るくなっていた。雨は小降りだった。ただ空全体は、暗い雲で覆われていた。黒い雲が急速に流れていく。

胸騒ぎがする。

「サン、安静にしないとダメでしょう」

幸も家の外に出てきた。 

突然、山の向こうから、光の柱が上空にあがった。

「あれは、...」

サンは、何が起きたのかわかったような気がした。

幸の家の横のモノレールの電源ランプが消えていた。

「幸、バイクを貸してくれ」

「ええ、いいけど。体は大丈夫なの。心配だわ」

「俺は、もう大丈夫だ。幸、家にいろよ。絶対に俺の家には来るな。危険だ。わかったな」

「わかった。気をつけて」

「じゃーな」

サンは、幸のバイクにやっとのことで乗り、山道を上がっていった。

ますます空は、黒い雲で暗くなっていった。

バイクの明かりがなければ前方が見えなかった。

家の近くまで来たが、そこには何もなかった。

サンはバイクを降り、ライトの点灯したバイクを押して歩き出した。

サンは、ある予感が胸に満ち満ちていた。

見慣れた山道を上がっていくと、有るべきものが無かった。

自分の小屋がなかった!! プレハブが無かった!! 

さらに進むと、サンの1m先に、地面がなかった!!

いや巨大な穴が存在していた。サンは、バイクの明かりで穴を照らした。

光は、黒体の闇に吸い込まれていく。一部が見えた。

穴は、光沢のある面を持っていた。

完全球体の穴がそこにあった。

サンの家も、研究資料も、量子コンピュータも、研究装置も、発電装置も何もかも消え去っていた。

そして何より大切な、人類最初のブラックホールも消え去っていた。

サンの少しだが貴重な財産と未来の超巨大な財産が消え去っていた。

サンは、呆然としてただただ立すくんでいた。

「うわー」サンは、頭を抱え、地面に膝をついた。

「なんということを、なんということを」

サンは、地面に頭をつけて泣いた。

突然、空から大粒の雨が、サンを叩きつけるように降り注いだ。

ものすごい雨が、サンと周りの山に降りつけていた。

巨大な穴に向って、大量の雨水と土砂が流れ込みだした。



1時間程前、まだブラックホールは、サンの小屋にあった。

4次元物理空間のブラックホールは、空中に浮かび、高温の為、赤色に輝いていた。

よく見ると、ブラックホールは、ゆっくり振動している。

やがてブラックホールは連結モードの4次元物理空間から3次元物理空間に移動してきた。

ブラックホールの振動はしだいに大きくなり、ゆっくり軌道を描くように動き出した。軌道がだんだん大きくなっていった。

ブラックホールが観測装置と接触した。装置の角が小さくえぐられた。

もう一度、周回してきた時、装置に小さな穴があいた。

次々に装置に穴があいた。そう、ブラックホールは近づくもの全てを飲み込むのだ。

周回するスピードが急速に早くなっていく。

ブラックホールの周回軌道は、高速の為、しだいに太い光の線のようになっていった。

もう装置は、穴のあいたチーズ状態だった。

しばらくすると、もう装置は無くなっていた。

床が削られ出した。書類に穴があいた。

もう、直径3m範囲内には何もなかった。何もない空間が周囲に急速に広がっていく。

ものすごい勢いでブラックホールが回っていた。

突然4次元物理空間の切り口が閉じた。空間連結器が壊れたのだ。

小屋にも穴があきだした。

小屋は、もう自分自身を支えることができなくなった。

小屋が崩壊し、空間に落ち込んでいった、一瞬の後、小屋は消え去った。

今度は、小屋のあった地面を丸く削るように飲み込み始めた。

このままいけば、地球全てがブラックホールに飲み込まれていくに違いない。

ブラックホールの遥か上には、黒い雲が渦を巻いて回転していた。

ところどころから、強烈な稲光が四方に走っている。

そのとき、巨大な穴の中に黒い人影のようなものが動いた。

すると、ブラックホールは、巨大な穴に対して垂直方向に明るい光を放ちながら、黒い雲の渦巻きを突き破って飛び出していった。

火柱上の軌跡を残してブラックホールは、地球から一瞬で飛び去っていった。

地上には、巨大な穴を残し、突き破られた雨雲には、誘導された雷が放電し、気流は乱れ、黒い雲が渦を巻きだした。いつでも大量の雨が降る状態が作り出された。

巨大な穴は、地上への開口部分よりその下の空間の方が大きかった。



地面に手をついたサンは、全てを失った。

ブラックホールも、家も、量子コンピュータも、実験装置も、研究結果も、つぎ込んだ金も、世界一の金持ちになる夢(それはほぼ実現しそうだった)も、まだ稼いでもいない巨大な富も、希望も、達成感も、精根込めて研究した時間も何もかも失った。

失ったものは、あまりにも巨大だった。

サンは、土砂降りの雨の中で、地面に頭を付けて泣いていた。

もう言葉もなかった。

サンは、巨大な喪失感に打ちのめされていた。

「ブラックホールが無くなってしまった。もう二度と出会うこともないかもしれない。

金持ちの夢もなくなった。何もかも無くなった!!」

サンは、起き上がり空を見上げた、流れる涙を遥かに上回る雨が彼の顔に降り注いでいた。

降る雨は、滝の水のように彼の体を洗い流した。

そして、ある思いが浮かび上がってきた。

「俺は、あのまま小屋にいたら、死んでいたかもしれない。町へ出かけたから助かったのだ」

サンは、立ち上った。

「何もかも失ってなんかはいない。俺には、幸や爺さん、ゲンもいる。俺には、命がある。」

サンは立ち上がった。そして山道をゆっくりバイクで降りていき、幸の家に向った。

もう雨はやんだ。

幸の家に着くと、ドアを叩いた。

「どなたですか」幸の声がした。

「俺だ」

サンは力なく返事した。

「まあ、サン。心配してたのよ」

ドアが開き、幸の明るい顔が出てきた。

「サン、またずぶ濡れじゃないの。お風呂を沸かしているから。お風呂に入って」

「有難う。」

サンは、ふらつきながら、家に入っていった。

浴室に入り、頭からぬるいお湯をかぶるのが精いっぱいだった。体中が痛んだ。お湯が、天国と極楽での痛みを思い出させた。

風呂から出ると、蒲団が敷いてあった。

「サン、蒲団に寝て、体をやすませて」

「有難う。少し横になる」

サンは、横になると、直ぐに深い眠りに入った。


サンが眼を醒ましたのは、翌々日の朝だった。丸1日以上寝ていたことになる。

「サン、元気そうで。うれしい」幸がにこにこ笑ってそこにいた。

「サン、もう大丈夫そうだな」大治郎も、にこやかに笑っていた。

「幸、爺さん。俺は、元気だぜ」

サンは、ゆっくりと起き上がった。

「サン、朝食が用意してあるから、早く食べて」

サンは、食卓の前に胡坐をかいて座った。

出された朝食を勢いよく食べた。

サンは、箸を置くと、大治郎に向って言った。

「爺さん。俺、しばらく宮崎へ行ってくる。20万ほど貸してくれないか」

大治郎は、サンをじっと見つめた。

「ちょーど。大吉を売った金が手元にある。金を何に使うんか」

「金を稼がんと、いかんようになった。その元手が必要なんよ」

「それは、それでよか。金はお前にくれてやる。だけんど、約束してくれんか。

 お前が、二十になったら、幸を嫁にしてくれ」

「おじいちゃん!!」幸が、真っ赤になって制止した。

「わかった。俺が、二十になったら、幸を嫁にする」

「よっしゃ。直ぐに金は用意する。男の約束は守れよ」

「わかっちょる。必ず爺さんとの約束は守る」

サンは、20万円を受け取り、リュックサック借りてそれに入れた。

幸が、黒い小さな箱を持ってきた。

「サン、これは要るのと違う?」

「おう、それも持っていく」

黒い箱には、サンのシステムや資料がバックアップされた大容量の記憶媒体がはいっていた。

サンは、黒い箱をリュックサックに入れた。

サンは準備が終わると直ぐに、幸の家を出た。

「サン、身体だけは大切にしてね」

「サンよ。元気で行ってこい」

「爺さん、幸。行ってきます」

大治郎と幸は、サンの姿が見えなくなるまで、見つめていた。

今のサンには、持ち物は、記憶媒体ともらった金しかなかった。

「さて、また宮崎市に戻るか」

傷だらけのサンは、山また山の中を、椎葉村の中心地に向かって歩いていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る