第4話 研究生活

平和15年8月6日、その日はサンの誕生日だった。サンは14歳になった。

サンは、日向市から椎葉村(しいばそん)に向かうローカルバスに揺られていた。乗客は数人しか乗っていない。

バスは、国道265号線の山の中の細い道を苦しそうに登っていた。

サンは、バスの左の席に座っていた。

バスの窓から左側を見た。バスの下の道路が見えなかった。

サンは、少し立ち上がり、窓の下の方を覗きこんだ。

やっと道路の端が見えた。

道の下は断崖絶壁で、細い川がはるか下にあった。今にもバスが下に落ちそうだ。

下を流れる川は、耳川だった。

緑あふれる山々が、岩の多い細い川の両側にそそり立って天まで届くようだ。

バスは曲がりくねった道を2時間半もかけてやっと椎葉村の町の端に入って来た。

バスの先に六弥太バス停留所の看板が見えた。

サンは、下車のボタンを押した。

「次止まります。六弥太バス停留所で下車の方、足元にご注意ください」

運転手がマイクで喋った。

サンは、リュックを背負うとバスを降りた。

WEBで調べてはいたが、やはり小さな町並みが山の端にしがみつくように存在していた。

サンの持ち物は、リュックだけだった。リュックの中には、土地の権利書、母の写真、少しの母の髪の毛、預金通帳、PCタブレットがあった。

衣服は宅急便で送った。


バスが来た道を振り返ると三叉路があり展望が開けた。

前方には、日向まで75kmの交通標識があった。道の右側に、国道265号線と県

道142号線を示す道路標識がある。

サンは、左側の県道142号線の道を登り始めた。

道幅が一挙に狭くなり、車一台しか通れないように見えた。

山が右側から迫ってくる。

道端に家が無くなった。

下に椎葉村の家々が見える。道のその先も山々が続いていた。

上椎葉ダムの人工の湖である椎葉日向湖の脇の道を汗を拭きながら、登って来た。

夏の日差しに照らされて、止めどもなく、汗が噴き出す。

道幅が少し広がりそこに駐車場があった。トイレもある。ダムの湖が見えた。

携帯電話のマップをみると『女神像公園』と表示された。

公園を見ていると、背後から軽トラックが、登ってきてサンの後ろで止まった。

窓から、運転手の中年の男が顔を出した。赤銅色に日焼けし、ノースリーブのシャツ一枚だった。

「ニイチャン、どこにいくとか」

「えーと。不土野(ふどの)の近くです」

「そこのところは、通るから、乗ってけ」

サンは躊躇したが、こんな坂道を歩いて行ったらいつ着くかもわからなかった。

「すいません。お願いします」

サンは、使い古した軽トラックの運転席に乗り込んだ。

運転席は、ごみや乾いた泥で一杯だった。

「ニイチャン、どこから来たと」

「えーと。宮崎市からです」

「えらい遠くからきたな。いくつや」

「えーと、13歳です」

「まだ中学生か、なんでまたこんな山奥まで来たんか」

「親戚を訪ねてきました」

サンは、とっさに嘘を言った。トラブルを避けるためだ。

細い道なのに、軽トラックはかなりのスピードで登っていく。

道が狭いので余計にスピード感がある。

対向車が来たらどうするのだろう。サンは心配になった。

やがて道幅が広くなり、前方に真っ赤な鉄橋が見えた。緑の山と対比して綺麗に見えた。

鉄橋は、椎葉日向湖の上の耳川をまたぐように掛っていた。

橋の脇に、『ひえつき節発祥の地』の碑があった。

軽トラックは左に大きく急カーブを切って橋を渡った。

渡りきると右にカーブして耳川に沿って登り始めた。

142号線を進んでいくと、山道になった。

道がまたもや狭くなった。山また山の細い道だった。そこら中に落石注意の看板が立っている。

「もうすぐ走ったところに、那須 大治郎さんの家があるから、そこで道を聞いたらいい。この辺のことは何でも知っちょる」

やがて、道が大きくカーブした所にある小さな家の前で軽トラックが止まった。

「ここが、大治郎さんの家じゃ。じゃー元気でな」

「有難うございました」

サンは、車から降りて頭を下げた。

軽トラックはゆっくりと遠ざかっていった。

その家は、山の下の土地に張り付くように、立っていた。

粗末なつくりの農家だった。隣には、牛小屋のようなものもあった。

牛舎特有のにおいが漂っていた。

玄関で、呼んでみた。

「ごめんください。ごめんください」

返事はなかった。

しかたがないので、引戸を横に引いて少し戸を開けた。

「ごめんください」

「はーい」

奥の方から、若い声が聞こえた。

こちらに歩いてくる音がした。

「まあ」

サンと年が同じ位の女の子が驚いた声を上げた。

顔は少しほっそりして髪は真っ黒で、おさげ髪だった。

白いTシャツに、地味なズボンをはいていた。

胸の膨らみが目に入った。サンはなぜか鼓動が大きくなった。

「すいません。神武の家にはどういけばいいですか」

「この辺りには居ないと思うんだけど。ちょっとまって。おじいちゃーん。ちょっと来て」

「幸、どうした」

『幸というんだ』、サンは心の中でそう呟いた。

丸顔で、日焼けした、ひげ面の爺さんが出てきた。年は、60位か。ひげに白いものが混じっている。

少し太り気味だが、がっちりした体格だった。

「あの、ここへ行きたいんですが、どう行けいいですか」

サンは、土地の権利書を見せた。

「おお、神武さんじゃないか。なつかしいな。だいぶ昔に引っ越して行ったが、今はどうしてる」

「母は、私が小さい時に亡くなりました」

「おうそうか、そうか。ところで何でここに来たんか」

「身寄りが無くなったので、この土地に住みたいと思い、ここへ来ました」

「神武さんの土地は、うちの家の横の小道を、300mも上ったとこじゃ。なかなか大変な道じゃど。そこに着くと神武さんの小屋がある。じゃが今は誰も住んでいないから、修理せんと住めんじゃろ」

「わかりました。行ってみます」

「お前、そこに住むつもりか」

「そうです」

大治郎は、じっとサンの顔を見た。

「明日、俺もいっちゃる。修理せんととても住めんぞ。今日はおれの家に泊まれ。わかったな」

「泊めてもらえるんですか」

「そうじゃ。こっちに上がって休んだらいい」

「はい」

サンは、大治郎の温かい言葉が心良かった。

サンは、大治郎の家に上がった。

大治郎は、サンが正座しているのを見ると、

「そんなに、かしこまらず、足をくずしたらいっちゃが」

サンは、足を崩し胡坐をかいた。

しばらくして、サンは、大治郎にいった。

「あの、頼みたいことがあるのですが」

「なんじゃ」

「あの、明後日に発電装置の業者が来るのですが、ここを訪ねて来てますので、業者に僕の家を教えてもらえないでしょうか」

「いいよ」

「よかった。すぐ手続きします」

サンは、大治郎から住所を聞くと、PCタブレットを取り出して、業者との連絡先を大治郎の住所に変更した。

「神武君、名前はなんというのかな」

「神武 燦(あきら)と言います。皆は、サンと呼んでいます」

「サンか、先っきぱっぱと送り先を変更しているのを見たが、なんともすごいもんだな、

儂は、この年までコンピュータを使ったことがない。ところで年は何歳じゃ」

「13歳です」

「13か、うちの幸と同じ年じゃな。幸、サンはお前と同じ年じゃそうだ」

「おじいちゃん、聞こえたから、わかっちょるよー」

幸は、恥ずかしそうな、うれしそうな声で返事をした。


しばらくすると幸が、夕食を作りはじめた。

大治郎とサンが丸い形のテーブルに座っていると、幸がご飯とみそ汁の椀を持ってきた。

ご飯とみそ汁から湯気が出ていた。

その後、焼き魚を持ってきた。

「どうぞ、知り合いの人が持ってきてくれたの、ヤマメよ。耳川でとれたそうよ」

食事は質素だが、焼き魚もご飯もみそ汁もおいしかった。

サンは、ここ何年も家庭での食事をしたことがなかった。

こんなにおいしいものが世の中にあったのだろうかと思った。

食事を済ませると、大治郎は、風呂に入れと言った。

サンが風呂から上がると、もう布団が敷いてあった。

布団に入ると、長い道のりの旅の疲れで、サンは直ぐに深い眠りについた。



翌朝、朝食を食べるとすぐ、大治郎が牛を牛小屋から出し、荷台を付けた。

「幸とサン、荷物を荷台に載せろ」

大治郎は、サンと幸を手伝わせて荷台に木材や大工道具を載せた。

「さあ、出発じゃ。ほれ」

大治郎は、牛の手綱を引いた。

牛は、ゆっくりと動き始めた。

「ほら、この道を登っていけば、行きついた所がサンの家じゃ」

「私も、一番上までは言ったことないわ」

幸が答えた。

「家はどのあたりにあるのかな」

サンが山道の上を眺めたが、草や木で上の方は見えなかった。

三人は、大治郎の家の横の小さな道を上っていった。

牛はおとなしく、黙々と荷台を曳いていった。

サンと幸は、牛の前の方に出てきた。

幸はずんずん歩いて行く。もう牛とは数mも離れた。

「幸さん、この牛の名前は何ていうの」

サンは、先頭を歩く幸に追いつくと聞いた。

「大吉よ。うちの家の牛は、ずっと同じ名前。おじいちゃんのおじいさんの名前を付けるのが習わしだって。もう90年近くも続いているようよ」

「へー、そうなんだ」

めったに人が登らない道なので、草がせり出して、小さな道がさらに狭くなっていた。

300m近くの道のりは、意外と遠かった。

しだいに木が多くなった。

もう、人間の作ったものは何も見えなかった。

夏の日差しが、木々の葉の間を通して、サンに降り注いでくる。

さらに登っていくと、木が無くなり急に視界が広くなり、草原が広がった。

丘のようになったところに小屋があった。

少し傾いている。

「あれじゃな」

大治郎が言った。

「それー」

急に幸が走り出した。

サンもそれについて走り出した。

「きゃー」

幸は、後ろを振り返り、スピードを上げた。

サンもスピードを上げた。

見る間に小屋が大きくなり、たどり着いた。

二人は息をはずませて座り込んだ。

下の方を見ると大治郎がゆっくりと牛を引いて上がってきた。

幸は立ち上がった。

「おじいちゃーん。早くきて」

幸が大治郎に向かって手を振った。

幸は、すっかり今日の行事を楽しんでいた。

やがて大治郎と牛も小屋に到着した。小屋は少し傾いている。

「だいぶ、直さんといかんな」

大治郎は、小屋の方々をチェックしていった。

大治郎は、この事態を予想していたかのようにテキパキと小屋をチェックしていった。

少し太い角材を取り出し、小屋の角の柱に取り付けた。

「サンと幸、二人でこの木材を押せ」

「うー」

サンが必死で押した。

「サン、もっと押して」

幸も必死で押した。

大治郎は、角材の後ろに杭を打ち込み固定した。小屋にツッカイ棒をして、補強したのだ。

壁には板を打ち付け、風や雨が吹き込まないように補強した。

さすがに、床までは手が回らないので、持ってきた藁を敷きその上にシートを敷いた。

一通り、補強すると、日が真南にきていた。

「サンと幸、昼飯にするか」

大治郎は、腰のタオルを取り、顔の汗を拭きながら言った。

「サン、ちょっと手伝って」

幸とサンが、牛の荷台の所に行き、二人で青いシートと弁当と魔法瓶を持ってきた。

サンが青いシートを草むらに敷き、幸が弁当と魔法瓶をシートの真中に置いた。

大治郎と幸がとサンは弁当を囲むように座った。

幸が重箱の蓋を取った。

「おじいちゃんも、サンも食べて」

重箱の中には、おにぎりと卵焼きとウインナーがあった。

おにぎりは、アルミホイルに包まれていた。

幸が、朝作っていたのだ。

「お水を注ぎますね」

幸が魔法瓶から3個の紙コップに水を注ぎ3人の前に置いた。

サンと幸、大治郎が、並んでおにぎりをほおばった。

サンは、手作りのものを食べた記憶がなかった。

「おいしい」

思わず口に出た。

本当においしいと思った。何故か少し冷たいおにぎりを暖たかく感じた。

草原の丘から、下の方に森が見えた。その先は、山の尾根で視界が仕切られていた。

涼しい夏の風が、草原を波のように吹き上がってきた。

幸の黒髪が、後ろに吹き寄せられ、揺れていた。

昼飯を食べ終わり、大治郎は作業を開始した。家はなんとか住めそうな感じになってきた。

「屋根はじっくり直さんといかんな、これは時間がかかる。また明日、直せるとこは直しちゃる」

一通り作業が終わると幸と大治郎は、自分たちの家に戻って行った。

サンは、家に入った。家の中は昼間なのに薄暗かった。サンは床に座り、空き箱の上のPCタブレットの上を人差し指でさわった。指紋認証だった。

PCタブレットの表面のホログラム3DディスプレイからPCタブレットに垂直に立体の画面が現れた。光が四方に拡がった。

日本のベンチャー企業が開発した3D対応のPCタブレットだった。

キーボードは、PCタブレットを置いた空き箱の上に映像で投影された。

画面をタッチすると顔認証で、研究用の画面が表示された。

サンは立体的な画面に向かって、指や手の動きで、画面のダイアログやツールを動かした。

小屋には、電気が来ていない。

山々の夕暮れは早い、サンは6時には、幸が作ってくれた夕食用の弁当を食べた。

直ぐに、PCタブレットで研究を始めた。

あっという間に、周りは夕闇に包まれていった。


翌日、大治郎の家に、業者が訪ねてきた。大量の荷物を持ってきていた。

大治郎は、業者を案内して、サンの小屋に向かった。

「おーいサン、いるか」

「いますよ」

サンが、ギシギシ鳴るドアを開けた。

「業者の人を連れて来たぞ。太陽光とか言う機械だそうだ」

「こんちわ、ひむか電気工業です」

挨拶した工事会社の技術者は、発注したサンが中学生位なので、ビックリしていた。

「今日中に工事を終わらせてください。メールで送った図面と作業内容に従い作業をお願いします。太陽電池モジュールと充電装置は、小屋の外に設置してください。パワーコンディショナ、分電盤、電力量計は、小屋に設置してください。そして明かりの設置もお願いします」

サンは、てきぱきと指示した。

その日の夕方までに太陽光発電システムは完成した。

太陽電池モジュールは、草を払い、地面を整備し、高さ50cm位で太陽に向かい斜めになり、できるだけ太陽と直角になるように設置された。

サンがスイッチを入れると、蓄電池から電気が供給され室内に明るい明かりが広がった。

「これで、PCパレットに充電できる」

サンは、うれしかった。

翌日、またもや大量の装置が届いた。

案内した大治郎は、さすがに閉口した。

山から戻ってきた大治郎は、さっそく簡単な案内板を作り、自宅の横の道の入口に建てた。

『←神武の家。この道を300m上る』

と書いてあった。


サンは、3カ月間ほどの食料と、研究の為の機材、ベッドと衣服品、水の貯水・濾過装置、そして電気を確保した。そして業者に頼み、家の補強と屋根の補修、室内の整備を行った。

彼の持ち物の内、宮崎から持ってきた荷物、土地の権利書や母の形見の髪の毛やその他の物は、大治郎に預けた。

サンは、超弦理論による高次元空間のブレーンの研究に邁進しだした。

あっという間に、夏休みが終わった。

幸は、中学校に登校するようになった。

幸は毎日、中古の電動自転車で10キロほど離れた村で唯一の椎葉中学校に通っていた。

サンは、小屋に籠ったままで中学校には行かなかった。

大治郎には、サンの研究内容は理解できなかったが、サンが何やら難しい高度な勉強をしているのは、雰囲気でわかった。

『サンは、もうとっくに中学校は卒業している』

大治郎は、そう理解し、サンが中学に行かないことについては、何も言わなかった。

幸は、日曜日の昼に、おにぎりをもって小屋に来ることが多かった。

そして、遠くの山々を見ながら、二人で一緒におにぎりを食べた。

それだけで、楽しかった。

「爺さんは、元気か」

いつしかサンは、大治郎のことを爺さんと呼びようになっていた。

「元気よ」

幸は、急に黙り込んだ。

「サン、私に両親がいないの変だと思わない?」

「そうだな。変だな」

「私が6歳の時に、兄を残して、両親と私が車で出かけたの。そして、山の中の道から谷底に車が落ちて、両親が二人とも亡くなったの。私は、奇跡的に助かった。

でもその時のことはほとんど記憶にないの。後からおじいさんや親戚の人の話で知っているだけ」

「そうか、幸も、俺と同じような孤児みたいなものだな。でも爺さんや兄弟がいてよかったな。

俺は、一人だ。 弟がいるらしいが、行方不明だ」

「ごめんなさい、サン。そんなつもりで言ったんじゃないの」

「大丈夫だ。俺は慣れてるから気にするな。ちょっとお前を羨ましいと思っただけだよ」

「サン、たまには、うちの家に来て晩御飯を一緒に食べようよ」

「いま、研究で忙しいから、時間ができたら、きっと行くよ」

「サン、きっと来てね。待ってるから」

それから、サンは、ブレーンの研究の合間をみて、月に1度の割合で幸の家に出かけた。


平和16年になった。

サンは、ブレーン膜と高次元空間の研究に深く入り込んでいた。

いつものようにPCタブレットの3Dディスプレイに4次元図形を表示した。

それをサンは、5次元図形として見ることができた。さらに、しばらくすると6次元としてもみることも可能となった。

サンは、自分が高次元図形を見ることが可能だと気付いて以来、安定的に見えかつ次元数を増やす訓練を毎日行っていた。

高次元図形を自分の目で見、頭に描くことができることは、サンの高次元空間の研究に役立ち、高次元空間の理解と知識を増進させた。

そして、高次元量子空間のブレーン膜を見る方法が漠然としてではあるが、はっきりしてきた。

なぜ、自分はブレーン膜を見るということに、そこまでこだわるのか自分でもわからなかった。

そこまで行かなくてはならないという、衝動がサンを動かし、全ての能力と資金をつぎ込んでいった。


サンは、高次元量子空間の研究の為に、本格的な汎用型量子コンピュータを必要としていた。

サンは、高次元量子空間の研究を進めるうちに、高次元量子空間内で、量子もつれが安定して存在できることを理論的に発見した。

量子もつれを使った量子ゲート方式の汎用型量子コンピュータの試作機(プロトタイプ)を、PCタブレットの中にシュミレーションで作成した。開発言語は、サンが開発した並行処理言語F++で行った。

PCタブレットの中に、ハードの動きまでシュミレーションした仮想の量子コンピュータを作り込み、量子コンピュータにアクセスするソフトも作成した。

実際のシステムとほとんど同じにした。量子コンピュータとアクセス用のソフトを動かした。仮想の量子コンピュータは、スピードは遅いが問題なく動いた。

PCタブレットの上に、線画の物が浮かび上がった。平べったい線画の鳥らしき形をしていた。

平べったい線画が、揺れ動いた。

素朴で何か変な感じだった。

「バード、私はサンだ」

「サン。私はバードです」

バードと呼ばれた図形は、機械的な音声で答えた。

バードは、簡単な人工頭脳(AI)ソフトだった。

サンは、実用版の汎用型量子コンピュータを作るために、汎用型量子コンピュータのハードのシュミレーション機構の動作を詳細にチェックした。もちろん、バードにも自動的なテストを命令した。バードは、サンが寝ている時もテストを実行した。

問題のある部分は、直ぐに修正し、テストを繰り返した。


15才になったばかりのサンは、徹夜で疲れ果て机にうつ伏せのまま夢の中にいた。

夢の中で、空中からバードのくちばしが少しずつ現れてきた。

やがてバードの半身が現れた。

「サン、こちらに来てください」

「バード、人は見えない空間には行くことはできないよ」

「簡単ですよ。ではそこにあるマウスをください」

サンは、マウスをバードのくちばしに近づけた。

バードはくちばしでマウスを受け取ると、先ほどとは逆に半身が空間に沈み込むように消えていき、くちばしとマウスしか見えなくなった。それもやがて消えていった。

やがて、くちばしが見えたて来た、バードの半身が空間に現れた時、マウスは見えなかった。

「バード、マウスはどこに行った」

「サン、心配しないで。マウスは向こう側に置いてきました」

サンは夢が覚め、がばっと起き上がった。

「分かった、4次元物理空間は実在するのだ。いやもっと高次元空間も実在する。

量子コンピュータで、高次元空間をより深く研究しよう」

と決意した。


7月中旬。まず、サンは3次元物理空間側と4次元物理空間側を共振させて空間を連結する器具を作成することにした。

サンはそれを空間連結器と呼んだ。

サンは空間連結器の試作機を作成し実験することにした。

まず長方形の箱に左側に10cmの電極をセットした。先端は見えないほど細くした。同じものを右側にもセットした。右側と左側の電極の距離は20cmだ。

家から100m程はなれた場所に、大型犬の犬小屋ほどの簡単な小屋を作りそこに空間連結器の試作機を設置した。

そして小屋の隣に業者に依頼して市販の高さ10mの避雷針を高く上げた。そして避雷針の銅線を空間連結器に接続した。

かなり広い草原に、高い避雷針と小屋があった。

サンは雷注意報が発令される日を待った。

8月6日昼。雷警報が出た。

サンがTVを見ると雷予想のニュースを女性アナウンサの声で流していた。

『連日の暑さで雷の被害が出ていますが、天気予報では今日は一段と暑く35度以上になります。

 雷警報では、西米良村、椎葉村、五ヶ瀬町、高千穂町にかけて積乱雲が急激に発達する見込みです。

 落雷の危険がありますので、出来るだけ建物の内部にいて外出しないようにご注意ください。』

サンは、窓の外を見ると黒い雲が上空に延びていくのが見えた。

サンは、雨合羽を着て、水の侵入を防ぐカバーの付いた長靴を履き、レーザポイントを手に握り外に出た。

周りが急激に暗くなってきた。既に雷鳴が遠くから聞こえ始めていた。

雨が数滴、サンの顔に落ちて来た。

落雷を待っていると、真っ黒い雷雲が沸き上がり、サンの周りで渦巻いた。

雷雲の中は、所どころ明るく光り、雷の音が響き渡った。

時々雨が上からも横からも吹いて来た。

サンは、レーザポイントを手に取り、小屋の30mほど近くにまで近寄って行った。

その時、一段と明るい光が発生し、1億ボルトの電圧の雷が小屋の避雷針に落ちた。

一瞬で回りは昼間の明るさになり大きな音とともにサンは数メートルも吹き飛ばされた。

気がつくと、サンはびしょびしょの草の上にいた。雨は降っていたが、もう小降りになっていた。

「うー」

サンが気力を振り絞り、顔をひねって小屋の方を見た。

小屋は大破していた。

「小屋が壊れちょる」

サンは、両手を地面につきようやく起き上がりふらふらと小屋の方に歩きはじめた。

手にはレーザポイントを持っていた。気絶していた時も握っていたらしい。

ようやくサンが壊れた小屋に戻って来て見ると、空間連結器の試作機は無事だった。

「良かった空間連結器は無事だ」

しかし空間連結器ところどころから煙が出ていた。

中央部分に、横20cm、縦10cmの矩形の黒い空間が見えた。

サンが持っていたレーザポイントのレーザを黒い空間に照らすと光は吸い込まれていき、黒い4次元側には何も見えなかった。

ただ深い闇があるだけだった。

「4次元空間だ」

とっさにサンは、近くにあった木の枝を入れてみた。枝の先端は見えなかった。

レーザポイントを照らすと木の枝の先端が見えた。

しばらく見つめていると、音もなく黒い空間が閉じた。

サンが枝を引き、木の枝を見た。

枝の先端は無くなり、鋭い切り口があった。

「空間の境が閉じた。3次元物理空間と4元物理空間を繋ぐことが出来た」

そうサンは判断した。

サンは4元空間が利用できれば、広大な空間を獲得することができると確信した。


それからはさらに実験室で4次元物理空間を研究と実験を繰り返し、空間連結器の改善に努めた。

もう雷を使う必要はなかった。

雷よりはるかに低い電圧で、ある種の振動数を持つエネルギー波を4次元空間に発信することにより3次元と4次元の接触面を共振状態にして空間を接続できるようになった。

そして一旦連結できると4次元物理空間側のエネルギーを使用して連結部の開閉ができるようにした。

連結部が閉じた場合も3次元物理空間と4次元物理空間を疎結合状態にして空間が切り離されないことを可能にした。

サンが3次元側に電球を置き、4次元空間にUの字状に電線を入れ、3次元側に電線を引出し、連結部を凍結状態にすると、4次元空間側の電線は見えなくなり、電線が切れたように見えた。

3次元側の電線の電源を入れると、電球が点灯した。

「やった! やった! 大きな前進だ」


やがて空間連結器で3次元空間の座標を指定して横10㎝、縦5cmの矩形の切込みがいつでも出来るようになった。

サンはさらに大きな切込みができるように研究した。

切込みが閉じないようにし固定できるようにもした。

空気(気体)の出入りを防止するエネルギーバリアーも装備した。


サンは、3次元物理空間と4次元物理空間との関係を次のように表現し指定できるようにした。

連結モード(connection):3次元物理空間と4次元物理空間が接続された状態。

相互に物理的な移動が可能。

           4次元物理空間は見える。空間に切込みが発生。

連結バリアモード(connection/barrier):3次元物理空間と4次元物理空間が接続された状態。

          相互に物理的な移動が可能だが、エネルギーバリアーで空気(気体)移動は防止。

          4次元物理空間は見える。空間に切込みが発生。       

分離モード(separate) :3次元物理空間と4次元物理空間が分離された状態。

相互に物理的な移動は不可能。

           4次元物理空間は見えない。空間の切込みが閉じ完全に分離される。

凍結モード(freeze)  :3次元物理空間と4次元物理空間が凍結された状態。 

以前の物理的な連結は保存。

           新たな物理的な移動は不可能。

           4次元物理空間は見えなくなる。切込みは閉じない。


仮想の量子コンピュータで計算した最適の座標で、レーザポイントを4次元側に放射すると、直線の光が長大なカーブを描いて戻ってきた。

空間連結器無しには、人が3次元空間でいくら手を広げても4次元物理空間に触ることはできないし、4次元物理空間を見ることもできない。

連結部の大きさは、1cm程から数mほどまで生成する事が可能だった。

15歳になったばかりのサンが、4次元物理空間の実在を人類で初めて発見し証明したのだ。

4次元物理空間の発見と空間連結器の発明は、超ド級のノーベル賞級のものであったが、それはサンにとっては研究の1過程のものであり、他人に発表すべきものとはまったく考えていなかった。


夏休みが終わり近づいたある日、幸が手作り弁当を持ってサンを訪ねて来た。

「サン、毎日研究で大変ね。今日はお弁当を持ってきたから一緒に食べよう」

「幸か、ちょうど一段落したところだ。外で食べようか」

二人は、研究室のそばの大きな木の下の日陰に腰をおろした。

二人の顔を、静かな涼しい風がなぜた。

サンが弁当を開けると、白いごはんと卵焼き、魚の切り身、野菜が目にはいった。

卵焼きは少し形の崩れていた。作るのに苦労したらしい。

サンは、卵焼きを少し崩して食べた。

「美味しい!」

サンは、心底そう思って言った。

「サン、嬉しいわ。わたし朝から頑張って作ったの」

幸は、嬉しそうにサンを見つめて返事した。

「サン、サンはどんな勉強と言うか研究をしているの?」

「簡単に言うと、4次元物理空間と超弦理論を調べている。1次元は線、2次元は平面、3次元は我々がいる立体の空間だ。4次元はその上の次元の空間だよ。

3次元の人間から見たら、2次元や1次元はわかりやすい。

同じ様に4次元側の生物から見たら3次元は単純に見えるかもしれない」

「どうしたら4次元に行けるの?」

「例え話だが、リンゴがあってその表面に芋虫がいるとして、芋虫がリンゴの表面を這いまわっている。

リンゴは3次元だけど、芋虫にとってはリンゴの表面は2次元だ。

無限に歩き回れるけど、そのままだと上にも下にも行けない。

ある時、芋虫がリンゴの表面の皮を食い破って中に入ったら、芋虫は2次元から3次元に移動したことになる。

それと同じで、3次元と4次元の境界を切り開ければ、4次元に行ける」

「それをサンは研究しているのね」

「そうだ、少しづつ進んでいるよ」

幸には、サンの言う事があまりピンとは来なかったがサンが研究に夢中なのは理解した。


サンが椎葉村来てから、あっというまに、1年半が過ぎ平和17年になった。

椎葉の冬は、厳しい。山には、雪が積り、一面真っ白になっている。

ある冬の日、幸が息を切らせ、真っ赤な顔で、サンを訪ねてきた。

幸は、コートについている雪を払いのけて、引戸を開けた。

「サン、いる?」

「幸か、今日は寒かったな」

3Dディスプレイを見ていたサンが振り返って言った。

幸はいつも坐っている木の椅子に座った。

「今日は、相談があるの」

幸は真剣な顔で言った。

「私は、高校にはいかんことに決めた。ずっとうちに居る」

「なんで、高校にいかんと。いまどき高校にいかん人はいないやろ」

中学にも行っていないサンが、言った。

「私は、行かない。だって高校に行くとしたら、高千穂町か延岡市か日向市に住むことになるでしょう。私は、サンと別れるのは、いや!! だから家に残って農業の手伝いをするわ。だけどちゃんと通信教育で勉強する。サンみたいにコンピュータで勉強する」

「わかった、俺が今度PCタブレットをプレゼントするよ」

「わー。サン、ありがとう。うれしいー」

幸は、サンに抱き着いた。

甘い香りがして、サンの心臓が高鳴った。

一週間後、サンが幸の家を訪ねた。荷物を持ってきた。

「こんにちは」

ドアを開けて勝手に入ると、大治郎がいた。

「おう、爺さん。風邪は治ったのか」

「もう、とっくに治った。今日は何の用か」

「幸にプレゼントを持ってきた。幸は、高校に行かんとやろ」

「そうじゃのう。家の手伝いをするといっておった。お前と一緒にいたいそうじゃ。

わっはっは」

大治郎は大声で笑った。

「御爺ちゃん、恥ずかしいからそんなこと言わんで」

幸が顔を赤くして出てきた。

「幸、この前言ってた。プレゼントを持ってきた」

サンは、包を開けた。PCタブレットだった。

PCタブレットをテーブルの上に置いた。

「幸、画面を触ってみな」

幸は、おそるおそる画面を触ってみた。

突然、雀のようなものが空中に現れた。

「きゃー」

幸はビックリした。

「3Dディスプレイで、雀が何でも相談にのってくれる。名前は、スパローだ。作ったばかりで、まだ賢くもないし、形も良くないし、まだまだ初歩の段階だ。俺が、F++言語を作り、スパローを作った。

幸を助けてくれるお手伝いさんみたいなものだ。何でも相談すると答えてくれるよ。

幸、話しかけてご覧」

「こんにちは、雀さん」

「こんにちは、幸さん。私の名前は、スパローです。私は、簡単な人工知能です。スパローと呼んでくれたら、いつでも出てきます」

スパローは、機械的な少し高い声が優しい声で喋った。ちゃんと幸を認識していた。

「幸、こういう風に言うと、いつでも俺を呼び出せる。いないときは、留守電を伝えられる」

サンは一呼吸した。

「スパロー、サンにつなげ」

すこし時間がかかった後、スパローが反応した。

「サン様は、御留守です。今は、幸様の家にいらっしゃいます。伝言がありましたら、どうぞ、お話しください。録画します」

スパローは画像認識機能がまだ不十分だった。

サンの居場所を見つけられなかった。

「サン、有難う。本当に面白そう。学校の勉強より理解できそうだわ」


平和17年春になった。

サンが久しぶりに幸の家に来た。

「幸、久しぶりだな、PCタブレットには慣れたか?」

「サン、だいぶ慣れたわ。スパローは可愛くて賢いのね」

「スパローに聞いても分からないことがあったら、電話かメールで俺に連絡して」

「サン、そうするわ。勉強とは関係ないけど、いつも不思議に思うことがあるの。

 TVのニュースでは、世界中で戦争や争いを報道しているでしょう。

 なぜ戦争や争いを無くすことが出来ないの?

 それと世界には飢餓で苦しんでいる人々が沢山いるでしょう。

 何とか助けることは出来ないの?」

サン、しばらく考えてから答えた。

「幸、俺は小さい時から毎日、自分の食べ物を探すことに苦労して、人の事を考える事が出来なかった。

 今は研究で手一杯で、幸の質問の答えを考える余裕がない。研究が一段落したら、その事を考えてみるよ。

 幸に良い回答ができるといいなー」

「サン、あなたの研究の邪魔をしてごめんなさい。時間に余裕が出来たら考えてみて。

 サンだったら、きっときっと良い解決案を考えてくれると思うわ。楽しみに待っているわ。

 私もPCタブレットで一生懸命に勉強する」

その日、サンは重大な宿題を幸からもらった。


幸は、この後、農業を手伝いながら勉強した。サンのくれたPCタブレットで、スパローの助けを受け、本当の勉強を効率良く進めることになる。

1年間で、通信教育高校3年分を終了した。そして次の1年間で大学4年分を終了した。

そして、サンの勧めで、児童教育の研究を始めるがそれは後の話である。


サンは、研究の為に開発していたAI(人工知能)ソフトを基に、幸の為に教育用ソフトを作成した。

しかし現在のAI(人工知能)ソフトとPCはあまりにも非力だった。

サンが持っているコンピュータは、今の研究用としてはあまりにも遅すぎた。

たったの10GHzしかなかった。最低でも、その1,000倍から10,000倍のスピードを必要としていた。

それで、研究にも役立つ量子コンピュータを開発したいと思った。

椎葉に来て1年半、研究の方向が見えてきた。

サンは、ハイゼンベルクの不確定性原理の不等式の不備を発見していた。

量子もつれを利用すれば、ハイゼンベルクの不確定性原理の不等式よりはるかに正確に4次元物理空間の中で位置や速度を測定できる場合があることを、理論的に導き出した。

そして、ハイゼンベルクの不確定性原理の不等式に新しい補正項を追加した。

これで、極限の小さなのものを正確に観測することが可能となった。

つまりブレーン膜を観測することが可能になったのだ。

しかし、ブレーン膜を直接観察するためには、高次元ハドロン衝突型加速器と高次元観察装置、そして、それらを制御し、膨大なデータを瞬時に処理するための汎用型量子コンピュータが必要だった。

量子コンピュータは、各種の計算や理論の構築にも必要だった。




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