第3話 新しい旅立ち

3-1.インターネットカフェ


「サン、サン」

神武 燦(あきら)を呼ぶ声が、遠くから聞こえた。

「サン」

その声は、しだいにはっきりしてきた。

「サン、俺じゃが、俺。ゲンじゃが」

「うーん」

サンは、そう声を出すのが精いっぱいだった。

「サン、しっかりしろ。大丈夫か。俺が、太田原らをやっつけたから、しばらくは、ちょっかいは出さんぞ」

ゲンは、太い腕でサンの頭を抱え、上半身を抱き起していた。

「ゲンか。ありがと」

サンは立ちあがろうとしたが、直ぐに座り込んでしまった。

「心配せんでいっちゃが、俺が背中に乗せっちゃる」

ゲンは、サンを背負って、上野町(かみのまち)の裏の細い道を進んでいった。

もう、雨はすっかりあがり、夏の明るい青い空が家々の屋根の上に広がっていた。

ゲンは、サンより3歳上で、体はでかく、親分肌の男だった。

サンは、ゲンから社会で生き抜く知恵をたくさん学んでいた。

サンは、ゲンの背中で深い眠りに落ちていった。

今日は8月6日、サンの12回目の誕生日だった。ゲンは3歳年上の15歳であった。

翌朝、施設で目を覚ましたサンは、ズボンのポケットから、1万円札を見つけた。

「すっかり、忘れてちょった」

サンは、直ぐに施設を出て、町に出かけた。

街角に、インターネットカフェがあった。今まで、インターネットカフェに行ったことはなかった。

理由は簡単だ。金がなかったのだ。あっても買い食いやゲームに直ぐに使っていた。

今回は、大金がある。気が大きくなっていた。

「入ってみようか」

サンは、古びたビルの階段を上がり、2階のインターネットカフェのドアを開けた。

「いらっしゃいませ。」

中は、予想より暗かった。

「何時間のご利用ですか」

20代前半の丸顔の女店員が、語りかけてきた。顔の左側に黒子があった。

サンは、緊張で答えられなかった。店員は、なめらかに話を続けた。

「3時間パックでしたら、会員様は、1000円です。非会員様は、1300円になりまーす。6時間パックでしたら、会員様は、1500円です。非会員様は、1900円になりまーす。6時間パックの方がお得ですよ。会員の申し込みをすれば本日から適用です。会員申込しますか」

サンは、黙って頷いた。

申込用紙に必要事項を記入して女店員に渡した。

サンは、6時間パックに決めた。

「6時間パックにしてください。」

「有難うございます。」

店員は、出来上がった会員証と入館時刻を印刷した紙をくれた。

サンは、漫画を2,3冊選び、ジュースをコップ一杯に入れ、パソコンのある狭い部屋に入った。

仕切りの板を閉めると、閉鎖された部屋になった。

漫画と、コップをテーブルに置き、ソファー風のイスに座った。

パソコンの画面は、開きっぱなしになっていた。画面には、宮崎県の地図が表示されていた。

マウスで、+ボタンを押すと、地図が拡大された。

サンは、パソコンは当然持っていなかったが、小学校でパソコンを少し使ったことがあったので、操作のおおよその意味はわかっていた。

宮崎市の地図を拡大していくと、上野町(かみのまち)の細い道が見えてきた。

「ウッ」

昨日やられた腹が突然痛み出した。

「畜生。こんど会ったら、やっつけてやる」

今度は、以前の家を探してみた。

「あった」

父親との凄惨な日々が思い出されたが、懐かしくもあった。

今度は、Webツールで検索してみた。リンクの先を次々に覗いていった。

サンは、WEBの世界にのめり込んでいった。

夜の方が安いことを知り、夜利用することにした。会員にもなった。

小菊学園にも戻らなくなった。

金が無くなると、町に出かけ、ゲームセンターや自動販売機の下から、小銭を集めた。

しだいに町で金を探す時間が惜しくなった。

父親が死んだ時、母親名義の土地の権利書と郵便局の預金通帳と預金カードがあったのを思い出した。

小菊学園に戻り、ゲンに会った。

「ゲン、この前は助けてくれてありがとう。ゲンが助けてくれんかったら、俺は死んでいたよ」

「いっちゃが。しばらく会えなかったので心配したぞ。体はもう大丈夫か」

「ありがとう。もう大丈夫。きっと恩返しするから」

「そんな事はいっちゃが。じゃー又な」

「じゃー」

サンは、礼を言うと自分の部屋に戻った。

預金通帳を調べると、青木光和と書いてあった。

「誰だろう?」

サンには、まったく知らない名前だった。住所は、サンの以前の自宅と同じだった。

ATMに行き、預金カードを入れてみた。驚いたことに身体認証がサンを認識した。

残額をチェックしてみた。残額は、ちょうど10万円だった。サンにとってはとてつもない大金だ。

試しに、1万円おろしてみた。1万円札が出てきた。

「おお。」

サンは、思わず言葉に出した。

『青木て、一体誰じゃろか』

と、思ったが、その後は気にしなくなった。

サンは、懐が温かくなり大きな安心感を持った。もう町で金を漁らなくてもすみそうだ。

毎日、インターネットカフェでWEBの検索するうちに、中学の数学のページに出あった。

中学1年から3年まで、いろんな項目が載っていた。

そういえば、入学式に中学に行って以来、一度も学校に行かなくなって、もう4か月が過ぎていた。

「ちょっと見てみようか」

サンは、中学1年の数学の最初の単元をクリックした。

数学が、吸い込まれるみたいに、理解できた。

元々、サンは数学や理科が得意だった。教科書をもらって1週間後にはほとんど読み終わり理解していた。

1時間後には、中学1年の単元を終わっていた。

高校3年まで終了した時、朝になっていた。

「ひと眠りしよう」

サンは、直ぐに深い眠りに落ち込んでいった。

夢の中で、山の頂上まで、明るい道が続くのを見た。サンはその道を歩いていた。

目を覚ますと、もう昼を過ぎていた。空腹だった。食事を注文し、フリードリンクを飲んだ。

一息つくと、大学の数学を始めた。

今度は、進み方が遅くなった。学ぶことが多くなったからだ。

まず解析学の基礎(極限論と微分と積分)を学んだ。1日で終わった。

次に、射影幾何と位相幾何学を学んだ。幾何は、彼にとって心良かった。多次元の空間が面白いように頭に入った。それどころか、多次元の図形を自分の目で見ることができることに気がついた。

いつまでもそこに留まっていたかった。でも別の分野に行くことにした。

次に、微分方程式、線形代数学の基礎、解析幾何、微分積分学、集合論の初歩、群論、位相幾何、関数解析、複素解析、ルベーグ積分、微分幾何を1週間で完了した。ほとんど毎日2、3時間しか眠っていなかった。

目が開かれるような気持ちだったし、面白く、この道を真直ぐに進みたかった。

しかし、何かが足りないと、心が訴えていた。

サンは、銀行に行き、口座から9万円を引き出した。

急いでインターネットカフェに戻ると今度は、中学の理科を学び始めた。1時間で終わった。次に高校の物理を学んだ。

「これなんだ」

サンの目的が決まった。広大なる世界が自分の眼の前に存在していた。その中に出てきた過去の物理学者の事を、WEBで片っ端に調べた。

「なんて、すばらしい人達だ。なんとすばらしい理論だ」

サンは、彼らの成し遂げたことと、そこへ至った道筋を学んだ。

サンはいつのまにか大学院の課程に進んでいた。

しかし、アルバート・アインシュタインの相対性理論に入った時、今度は、数学の貧困さを思い知らされた。

物理学の勉強を中止し、またもや数学の学習に戻った。

リーマン幾何学とローレンツ多様体、テンソル解析を徹底的に学び、やがてアインシュタインの方程式を理解することができた。


次に量子力学に取りかかった。線形代数の詳細、ヒルベルト空間とその上の線型有界作用素や非有界な自己共役作用素や波動関数、確率論、微分方程式などを学んだ。

Heisenbergの不確定性原理を学び、超ひも理論にたどりついた。

サンは、多次元の空間をあたかも通常の3次元空間であるかのように理解することできたが、その事が極めて異常であることには気が付いていなかった。


一ヶ月たっていた。

既に10万円のほとんど全てを引き出し、残額は無いはずだった。

試しに銀行に出かけ預金カードをチェックしてみた。残額が10万円に戻っていた。

「10万円に戻っちょる」

サンは、心底驚いた。

胸と心に何か暖かいものを感じた。

大きな安心が、心の中に存在していた。

サンは、直ぐに5万円を引き出しインターネットカフェに向かった。

それ以来、たびたび金を引き出したが、月末に残額がほぼなくなっても月の初めには、元の10万円に戻っていた。

しかし、どんな場合も、10万円を超えることはなかった。


英語の必要性を感じた。もはや海外の英文を検索するしか前へ進むことができなかった。

小学校で、英語を少しならっただけで、サンはほとんど英語を勉強していなかった。

ヘッドホーンを耳に当て、WEBで英語の勉強を行った。

必要性が、サンの学習を後押しした。

英語を勉強しながら、英文の文献を調べた。英文の文献が英語の学習を推進した。

また一ヶ月たった。

やがて、サンには、物理空間のブレーン膜が蠢くのが見えた。

しかし、サンはWEBでの学習にはっきりと限界を感じた。

もはや、自分で実験しながら、研究しないとだめだと感じた。

研究の方法を検討してみた。実験機材が必要だった。

「かーちゃんの土地に行ってみるか」

小菊学園に戻り、リュックの中の土地の権利書を見た。

「椎葉村(しいばそん)?」

WEBの地図で場所を調べた。

「山の中だ。村の中心から結構遠いな。そこに行ってみるか」

椎葉村は、九州山地のど真ん中にあり、広大な土地に3,000人ほどしかいない山の中の村だった。

サンは、その土地に行ってみることにした。

しかし、生活や実験の為のお金が必要だ。

「お金を稼がにゃいかんね」

WEBの中で、金を稼ぐ手段を調べた。

「あった!」

画面には、『FXで、主婦の方でも簡単に大金をゲット!!』と表示されていた。

「FXか。これだといけるかも知れない」

サンは、FXを詳細に調べた。

青木光和の名前で口座を開設した。

口座は何故か簡単に開設できた。


サンは、FXが自分に合っていると感じた。

画面の曲線が3次元なって目に入ってきた。為替の予測が面白いように的中した。

予測を外した時も、瞬間の判断で、損失を最小限に止めることができた。

短期間で、サンの口座には、5億円の数字が並んでいた。

実験の資金としては、なんとか賄える数字だと確信した。

サンはもう1万円札を奪い合う、町のチンピラではなかった。

サンは、研究に必要な機材を検討し、購入の手続きを行った。

送り先は、誰も住んでいないと思われる、椎葉村のサンの土地にした。

そこに小屋を建てて住むつもりだった。

PCパッドも購入した。


8月5日、サンは小菊学園に戻ってきた。

今まで、月に1度は、戻っていたが、今日が最後の日だと自分に言い聞かせた。

サンは、園長が居ないのを確認すると、手紙を園長の机の上に置いた。

手紙には、学園と園長に世話になったことへの感謝と、自立する事、そして探さないで欲しい旨を書き込んだ。

庭に出ると、隅の方でゲンやシュン、マコト、ハジメが遊んでいた。

サンはつかつかとゲンの所にいった。

ゲンはサンを見つけた。

「おー。サン生きてたか。心配していたんだぞ」

「ゲン、ありがとう。でも今日でお別れだ。俺は、この学園を出ていく」

「な、何でや。どこか行くところがあるんか」

「死んだ母の田舎が椎葉村じゃ、その山の中に行く」

「何で、そんな山の中に行くんか。何か面白いことでもあるんか」

「特には無い。でもそこに住むことにした。お別れだ」

ゲンは、サンの目をじっと見た。

しっかりとした意思を感じた。

ゲンの目に少し涙が込み上がってきた。

「わかった。お前は変わったな。なんか賢くなったようだ。元気で頑張れ。何か心配ごとが起きたり、助けがほしい時は、俺に連絡しろ、直ぐに助けに行っちゃる。

これは男の約束だ。頑張れよ」

ゲンの大きな手が、サンの肩を握った。

「有難う、ゲン。シュンも、マコトも、ハジメも、皆、元気でな」

「お前こそ、元気でな」

ゲンとシュン、マコト、ハジメが、サンを囲んで励ましてくれた。

サンは、ゲンの携帯電話番号を聞きメモした。

その日、サンは、小菊学園を去っていった。

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