第2話 回想
2-1.サン
「サン! 焼酎買って来い」
いつものように栄吉は、酔っぱらっていた。栄吉は、ステテコをはき胡坐をかいていた。
上半身はノースリーブの下着一枚で顔と肌は真っ赤になっている。
空になった焼酎の一升ビンを握っていた。
栄吉は、燦(あきら)の本名は呼ばず、サンと呼んでいた。
もっとも、周りの誰もが本名は呼ばず、彼のことをサンと呼んでいた。
栄吉が呼んだ時、サンは昼寝していた。
今の声で目が覚めたサンは、右手を上げ人さし指を天井に向けた。
「サン、焼酎買って来い」
栄吉はもう一度怒鳴った。
サンは起き上がった。
「知らん」
サンは、栄吉の方を見ずぶっきら棒に答えた。
サンの白かったはずの半袖のシャツと半ズボンは、黒く汚れており、全体としては灰色に見えた。
顔や腕も汚れていた。
一升ビンが、サンの所に転がってきた。
「早く、買って来い」
「知らん」
サンは、立ち上り、少し右足を引きづり、玄関を出て行こうとした。
後ろから、栄吉の声が聞こえた。
「小学5年生にもなって、立派な不良か。この前、学こん先生が、困った顔をしてきちょったぞ」
「こんなんしたのは、誰じゃ。ちっとは親みたいなことしたらいっちゃが」
ガラスのコップが、玄関に飛んで来て、粉々に割れた。
サンは、後ろも見ずドアを開けて出かけた。夏の夕焼けの空が見えた。町の明かりが少し輝きだしていた。
父親と喧嘩して家を出てきたサンは、近くの公園に行き、ベンチに座った。
低いビルの谷間の向こうに宮崎の夕焼けの空が、真っ赤に燃えていた。真上の空は、まだ透き通るような青色だった。
「すごく、きれいだな」
見つめるサンの横顔が、夕陽を浴び、赤色に染まっていた。
「吸い込まれるようだ」
サンは、しだいに変化していく夕焼けをいつまでも見ていた。
サンの髪は、手入れは行きとどいていなかったが、自然なカールが髪を整えていた。
母親は早くに亡くなり、父親はアル中同様、周りの誰もがサンに無関心だった。
サンを温かく包みこんでくれる人々は誰もいなかった。
夕焼けを見ていたサンは、自分に向かって飛んでくる黄色い小さな蝶に気がついた。
黄色い小さな蝶はフワフワとゆっくりとサンの目の前を通りベンチにあった漫画週刊誌の表紙に降りていった。週刊誌を手にとってみた。
「いつの週刊誌だっちゃろか? 最新号じゃが」
黄色い小さな蝶はいつの間にか居なくなっていた。
サンは、漫画週刊誌をパラパラと開いてみた。
漫画のページの中に正方形の図があった。
サンが、それを見つめた。正方形の図が振動していた、頭がふらついてきた。動悸も激しくなってきた。
正方形の図から、眼が離せなくなった。
やがて、正方形が眼の前に向ってくるように感じた。
正方形が、正立方体に変わり自分の方に転がってやってきた。
サンは、そのままベンチに横たわるように倒れ、気を失っていった。
公園が暗くなり周りのビルの明かりが輝きだした頃、目覚めたサンはゆっくり立ち上がり、ふらつきながら家に戻って行った。
サンは、小学4年の時、町の不良グループに頭を殴られた。それ以来、ふとした時に頭がふらつくようになった。
サンの家は、宮崎市の下町の中でも際立って粗末な外観の借家だった。
瓦は所どころ落ち、壁の木材は一部がはがれて穴があいていた。
家は、微妙に傾いていた。家の中には、ほとんど家財道具がなかった。家の隅に古いTVと小さな冷蔵庫がある位だった。
しかしそれでも一間の家は広くはなかった。
天井から吊るされた蛍光灯は、周りのカバーがほとんど欠け、弱弱しい光を放っていた。
しかし、その光は、遠くまで届くことはなく、部屋の四隅に、暗い空間を生み出していた。
そうした家に、サンは父親と一緒に住んでいた。
栄吉も、サンと同じように右足を引きづっていた。サンより重度の障害だった。
栄吉は働けず生活保護を受けていたが、金はほとんどを酒につぎ込んで、サンの学校の費用にもこと欠いていた。給食が無料になっていたのはサンにとって幸いだった。朝食抜きの彼は給食を食べるために学校に行っていた。
給食の時間が来た。
サンは、給食トレーを持って白い給食帽子をかぶり白い給食着で長袖が手首のところまで来ている男の子の前に行った。
男の子は、黙って給食用の茶碗にご飯を山盛りにして入れ、サンのトレーに乗せた。
次の男の子が、「切り干し大根と豚肉のキムチ炒め煮」を底の少し深い皿に、なみなみと注いで、サンのトレーに乗せた。
隣の小柄な女の子が、大根やジャガイモ、キャベツ等が入った味噌汁を給食用汁椀になみなみと入れて、サンのトレーに乗せた。
「サンちゃん、今日は2個にしておくね」
隣の大柄な女の子が、牛乳パックを2個、サンのトレーに乗せた。
サンは、黙ってうなずいた。
大柄な女の子は、サンが席に戻って行くのをずっと見つめていた。
給食の時、サンはいつも2食分を誰よりも早く平らげ、そのまま教室を出て町に向かっていった。
教師も生徒も誰もそれを制するものはいなかった。
栄吉がサンに小遣いをやることはなかった。
栄吉は頭はバサバサで、下着一枚とステテコで、一日酒を飲んでるか、家で鼾をかいて寝ている。たまに、出かけると何日も帰って来なかった。
サンの母親は、サンが2歳の時に死んだ。サンは母親の顔も覚えていなかった。
何枚かの写真が残されていたが、サンはその人が自分の母親であると信じるしかなかった。
サンは、物心ついたら、足を引きづっていた。だから、足のことは、特に気にしていなかった。
しかし、同世代の子供たちからは、中傷され、大人たちからは、蔑みと観察の眼で見つめられた。
父親が、アル中同様でサンの面倒を見なかった為か、サンは、小学3年で、自然に非行の道に入った。給食を食べると学校を抜け出し、町を徘徊するのが、日課だった。
お金を拾っては駄菓子を買っていた。
夜の食事は、ほぼ毎日コンビニ弁当だった。用意されていない時は、サンは子供食堂に並んだ。
2-2.小学6年生
やがてサンは、小学6年生になった。
生活は依然として、変化はなかった。
小学校には、毎日出かけた。給食を食べるためだ。ちゃんとした食事は、給食だけだった。給食をむさぼるようにかき込むと、学校を出て町を徘徊した。
勉強はしなかったが、教科書を読むとすぐに内容が理解できた。4月にもらった教科書は1週間で読破していた。タブレットのデジタル教科書は簡単すぎて使う気もしなかった。もはや教科書と学校の授業には興味はなかった。
「サンちゃんは、良いわね」
隣の席の大柄な女の子が話しかけてきた。
「勉強しなくても、何でも出来ちゃうなんてすごいわ」
「そうでもないよ」
サンはぶっきらぼうに答えた。
「私、塾でいくら勉強しても私立の合格ラインに到達しないの」
女の子は悲しい顔をしていた。
「クヨクヨすることはないよ。コツコツ頑張れば、きっと良い結果が出るよ」
全然勉強しないサンが言った。
大柄な女の子の瞳が輝き、少し涙が浮かんでいた。
「ありがとうサンちゃん。私、もっと頑張る。頑張って目標の学校に必ず合格するわ」
大柄な女の子がサンの手を包むように両手で握ってきた。
町を徘徊し夜になって、家に帰ってみると、栄吉はいなかった。
「また、親父は出かけているのか」
サンは、空き腹をかかえたまま、ぼろぼろの上蒲団をかけて、寝た。
昼間の厳しい戦いが、空き腹に勝って、たちまちに眠りに落ちて行った。
サンは、いつもの夢を見ていた。
夢の中で、幼いサンは、『まただ』と思った。
親父が凄い形相で、サンの両肩を掴んで喋っていた。
「お前は、このままトラックに轢かれて、俺みたいに、足がびっこになれ!!」
「いやだ。助けーて」
サンが右を向くと、巨大なトラックが、激しい勢いで、サンの方に突進してきた。
栄吉が、サンを前方に押し出した。
サンは、高く跳ね飛ばされ、地面に落ちた。
右足のズボンが裂けて、自分の血まみれの足が見えた。
栄吉は、ニタニタ笑って、立っていた。なぜか、真っ赤な背広を着ていた。
下から見上げる栄吉の姿は、巨大に見えた。
「これで、お前と俺は、本当の親子になったんだ。これからは、俺と同じように右足を引きづって、歩いていくんだ」
いつも、ここで眼が覚めた。
眼をさまして、窓の外を見ると、5月の空が明るくなっていた。
平和13年8月6日、サンの12歳の誕生日だった。サンは、その日を特に何も感じなかった。
当然誕生日の祝いは無かった。
今日も、いつもの通り午後から学校を抜け出して、町をぶらついた。
町の電器店に入りふとテレビを見た。ちょうど教育テレビで幼児番組をやっていた。
テレビの中の立方体のサイコロみたいなものが飛び出してこちらに転がってきた。
またいつもの、ふらつきが始まったと思った。動悸も激しくなってきた。
その時、立方体が、さらに膨らんで、立方体を含むように立方体が取り巻くのが見えた。
サンは、そのまま倒れ。気を失っていった。
眼を覚ますと、電器店の顔の丸い女店員がそばにいた。顔の左側に黒子がある。
店員の口紅は真っ赤だった。
サンは店の事務室のソファに寝かされていた。
「やっと、眼が覚めたね。救急車を呼ぼうとしたけど、熱もないし、怪我もしていなそうだったのでそのまま横にしておいたよ。子供の時にはよくあることさ。新しい自分になれたと思いな。元気そうでよかった」
20代前半の女店員が、やさしく言った。
サンは、起きあがった。
「ありがとう」
そう言ってサンは、店を出た。顔の丸い女店員がほほ笑んで見送ってくれた。
少し、ふらついたが、ゆっくり家に向った。
家に着き、玄関を開けたが、電気がついていない。
「また、出かけたのか」
電気のスイッチを付けると、栄吉が奥で寝ていた。
「なんだ、いるのか」
いつもは聞こえる鼾の音が無かった。
サンは、栄吉のそばに行ってみた。
栄吉は、上を向いて寝ていた。両手が心臓の近くあり、右手の人差し指が天井を向いていた。
自分の足で、栄吉の足を蹴ってみた。動かなかった。
今度は、手に触ってみた。冷たかった。
じっと栄吉の顔を見た。顔を触ってみた。冷たかった。
「死んどる」
サンは、冷静だった。栄吉の人差し指を下におろした。
10分程、無言で、栄吉の顔を見つめ続けた。
そして、立ち上がり隣の大家の家にいった。ギシギシと音を立てて引戸が開いた。大家の奥さんが顔を出した。
「親父が、動かん」
「そ、そりゃいかんが」
大家の奥さんが家に上がり込み、栄吉の顔を見た。
「栄吉さん。栄吉さん」
大家の奥さんが栄吉の身体を揺すった。
「いかん亡くなっちょるようやが。今から救急車呼ぶ。サンちゃん、気を落としたらいかんよ」
大家の奥さんは、あわててサンの家を飛び出していった。
救急車が来たが、隊員が直ぐに栄吉の死亡を確認した。
葬式は、自宅で行った。極めて簡単な葬儀だった。
サンの知らない人が、数人来ただけだった。
葬式が終わると、大家の奥さんが涙を拭きながら、サンに語った。
「あのなー。サンちゃん。栄吉さんは呑み助じゃったけど、昔は、酒も少なく本当にいい人だったんよ。
あんたのカーチャンの美子(ミコ)さんが、死んでから、一人であんたを育てたんよ。
あん人が、あんな呑み助になったんは、栄吉さんがあんたをトラックから助けて、右足を痛めて何も仕事が出来なくなってからじゃよ」
サンは、黙って聞いていた、夢の中とは異なる話を聞いたが、まったく実感がなかった。
「あのな、栄吉さんの親戚が一人も来とらんかったじゃろ。栄吉さんは、どこからか来て、美子(ミコ)さんの入婿になったんよ。美子さんは、本当に美人じゃったよ。栄吉さんの一目ぼれじゃろ。栄吉さんは関西から来たという噂もあったけど、本当かどうかわからん。ほら、ここに皆の写真があるじゃろ」
「入婿てなんね」
「入婿は、婿養子のこと。美子さんの養子になって神武栄吉になったの」
大家の奥さんは、栄吉の遺品の封筒から、写真を取りだし、サンに渡した。
そこには、栄吉と母親と、その間に2歳位の幼児と、母親に抱かれた乳飲み子がいた。
幼児は自分らしい。何故か幸せそうに見える。
母親らしき女性を見ると、自分の心の中に温かい何かが流れ込んでいくようだった。
サンは、乳飲み子を指さした。
「この子は、誰ね?」
大家の奥さんは、少しあわてた。
「あんた、なあんーも。聞いちょらんの。あんたの弟。あんたの弟じゃが」
サンは、はじめて自分に弟がいることを知った。
「この子は、どっかに貰われていったよ。本当に、どこにおっちょるとじゃろか」
大家の奥さんは、話を変えた。そして栄吉から預っていた書類をサンに見せた。
「あのな、ここに土地の権利書があるじゃろ。これは、美子さんの土地。ここに椎葉村(しいばそん)て書いてあるじゃろ。山ん中よ。土地は広くても、誰も買う人はおらんよ。財産にはならん。とにかく、この写真と土地の権利書は、絶対に無くしたいかんよ。
これからは、あんたを助けてくれる人は誰もおらんからね。」
そう言うと大家の奥さんの目から、大粒の涙がこぼれた。
「俺に、弟がいるのか」
サンは、小さくつぶやいた。
2-3.小菊学園
葬儀の後、サンは大家の奥さんに神武家の墓に連れていかれ栄吉の遺骨を納骨した。
その三日後、迎えの車が来た。ドアのところに、『小菊学園』と書いてあった。
車の運転手が、サンの服などが入った段ボール箱を車のバックドアを開けて積み込んだ。
サンは、背中にリュックサックを背負っていた。中には、下あの写真と土地の権利書いくつかの書類らしきものを入れていた。
車が、出発した。サンは、後ろの窓の外を見た。自分の家だったものが見え遠のいていく。
サンがもうこの家に戻ってくることは、二度となかった。
車が止まった。
門に『小菊学園』と書いてあった。
門や塀は、所々が欠けていた。
塀はサンの胸のところまでがブロックでその上に一定間隔で鉄の棒があり、棒と棒の間は有刺鉄線が結ばれていた。棒と棒の間から中が見えた。
中に小さな運動場みたいな広場があり、その向こうに使い古された建物が建っていた。
しかし、建物や庭はよく手入れがされていた。
サンは、建物に入り、園長室と書かれた部屋に連れていかれた。
そこに、50代位の女性がいた。
「神武 燦(あきら)さん。私が、小菊学園の園長の黒木初枝(こぎくはつえ)です。今日からここが貴方のお家ですよ。困ったことがあれば、どんなことでも、私に相談するのですよ。いいですね」
園長は、優しい声で話した。
「はい」
サンは、小さな声で返事した。
その後、運動場に連れて行かれた。数十人の子供たちと数人のスタッフがいた。
園長が話だした。
「皆さん、今日から、神武 燦(あきら)さんがこの小菊学園に仲間入りしました。
皆さん、燦(あきら)さんと仲良くしてくださいね」
その日から、サンは、この学園に住むことになった。
朝食と夕食がまともに食べられるようになった。
しかし、サンは、皆の輪には加わらなかった。
いつも、庭の隅にいた。
そこに、大柄の少年が来た。サンは、身構えた。
「俺は源 大。皆はゲンと呼んでる。君は神武君か」
「俺は、サン」
「サンか、よろしくな。なんでも困ったことがあったら。俺が助けちゃる」
「別に、助けてもらうことは無い」
「なにー」
ゲンの後ろにいた小柄な少年が、サンの前に出てきた。
「シュン、いっちゃが。こいつはここにきてまだ慣れちょらんとじゃが。サン、とにかく仲良くなろうぜ」
ゲンがシュンを押しとどめた。
「大木 俊。シュンです」
シュンは、小さな声で言った。
「大杉 誠です」
マコトは、元気な声で言った。
「松浦 一です」
ハジメも、元気な声で言った。
サンは、だまって相槌を打った。
ゲンはサンより3歳上、シュンとマコトとハジメは、サンと同じ歳だった。
相変わらずサンは、給食を食べると、小学校を抜け出し、町をぶらついた。
サンが町をぶらついていたある日、中学生がサンにぶつかってきた。わざとだ。
三人組だった。
「いててて。骨が折れたかもな。治療代を出せ」
「俺から、金を取るちゅのか。悪いが、金を持っちょらんし、金を出す気もない。そこをどけ」
「なんじゃと。またくらされたいんのか」
中学生は、サンの胸ぐらを掴んで蹴りをいれた。サンは、ガクッと膝をついた。
その時、中学生の背後から大きな声がした。
「やめんか。太田原!! 俺のダチに何の因縁をふっかけちょるか」
太田原は、ふりかえった。
そこには、ゲンとシュン、マコト、ハジメがいた。
太田原は、胸ぐらを握っていた手を緩めてサンの服を手で掃った。
「いいか太田原、今日は許してやる。これからは気をつけろ」
ゲンが、太田原に向かって言い放った、
あわてて三人組は、その場を去って行った。
ゲンがサンを引き起こしてくれた。
「ありがと」
サンは礼を言った。
「今から、ゲーセンに行くちゃが。サン、一緒に行こうぜ」
ゲンは、何事も無かったことのように、明るい声で言った。
「ウン」
サンは、一緒に行くことにした。
その日から、サンは、ゲンやシュン、マコト、ハジメと町を徘徊したり、大淀川の川原で遊ぶことが増えた。
ゲンには、仲間を守ろうとする懐の大きなところがあった。
サンは、少しづつゲン達と親しくなっていった。
市役所のそばの大淀川の堤防の下の河川敷で、ゲンとサンが地面に座り、川の流れを見つめていた。
水は緩やかに流れ、左の方向の橘橋の方からは、車の往来する音が届いてくる。
川の対岸の建物が、川岸沿いに低く立っている。
その後方に山があった。
前方から西に向かって山々が幾重にも重なり低くそびえていた。
西の方向には、九州山地の峰々が見えた。
シュンたちは、川に近いところで、ボール投げをしている。
「サン、これ食え」
ゲンが、ポッキーの箱を開いて、サンに差し出した。
「うん、ありがと」
サンは、2本つまんで取り出した。
サンが同時にかじると、『ポキ』と軽い音がした。
「サン、お前はこの前、父親が死んでしまったじゃろ」
「うん」
「俺は、最初から親がいない。親の顔も、名前も知らん。だから親や家族がどうゆうものかよくわからん。小菊学園の小さいやつかな」
サンは、ゲンの顔を見つめた。
ゲンは悲しそうな顔はしていなかった。しかし、何か物足りないような顔をしているとサンはそう思った。
「俺の親父は、ひどい親父だった。毎日酒を飲んで、俺を殴った」
「そうか、それは大変だったな。俺には親はいないが、友達がいる。仲良くしようぜ」
「ゲン、仲良くしよう」
「俺は、俺は高校を卒業したら学園を出る。その時ゲンやシュン、マコト、ハジメも一緒に出る。
俺は、土建会社を作って皆を食べさせたいと思っている。会社を作るにはどうすればいいか勉強している。
お前も良かったら参加するか?」
「ゲン、俺は自分が何をやりたいかわからん。何ができるかもわからん。自分が何者かもわからん。
俺が困ったら助けてくれるか?」
「大丈夫だ。その時は俺が助けちゃる。心配するな。」
サンとゲン達は、それから腹を割って互いを理解していった。
普段は、ふざけてじゃれ合ったが、皆は次第に自分の哀しみや境遇も話し始めた。
サンは、ゲンが十分に信頼のおける男であると感じていった。
平和14年3月、サンは、宮崎第三小学校を卒業した。
何の感慨もなかった。小菊学園に戻る途中で、卒業証書をコンビニのゴミ箱に放り込んだ。卒業証書は、ゴミ箱の奥深く落ちていった。
4月になり、サンは、宮崎市立第二中学校に入学した。
入学式には出たが、その日以来、学校には行かず、朝から町をぶらつくようになった。
何しろ朝食と夕食が、学園で食べられた。
朝食は、朝と昼の2食分を平らげるようになった。
5月の日曜日。
「おーいサン、遅れるなー。がんばれ」
ゲンが、ゲン達の自転車から遅れたサンに向かって叫んだ。
「待ってよ」
遠くからサンの声が聞こえた。
サンの自転車は小菊学園のママチャリの中で、一番くたびれていた。
必死にペダルを踏んでもどうしても遅れていた。
サンの自転車の前カゴには、コンビニで買ったパンとジュースの入ったレジ袋が置いてあった。サンも町で拾った100円玉を蓄えた小銭を持っていた。
ゲン達の自転車も決して新しくはないママチャリだったが、彼らはとにかく自転車には慣れていた。
サンは、ゲンやシュン、マコト、ハジメとママチャリで「サンビーチ一ツ葉」に向かっていた。
松林を抜けると、ようやく「サンビーチ一ツ葉」の南ビーチ側に着いた。
皆が自転車を止めた。
「おー、海が見えるどー」
ゲンが叫んだ。
「おー、海が青いど」
シュンが叫んだ。
「当り前じゃが」
皆が一斉に叫んだ。全員が大笑いした。
「しかしこの青は、絵の具の青より青い。宮崎の海の色は本当の青じゃ」
シュンが再び叫んだ。
「そうだ、本当に青いな」
ゲンが静かに答えた。
駐車場に入って、皆が自転車から降りた。
「ここに置くか?」
ゲンが、南側の駐車場の隅を指さした。
自転車を駐車場の隅に並べて置いた。
皆は、ピンクの屋根のハンバーガー屋とピンクの屋根のトイレ・シャワー棟の間を抜けて浜辺に向かった。
靴の下からサクサクとした音が聞こえる。白い砂が綺麗だ。
前方に青い海と打ち寄せる波が見えた。波の音も聞こえてくる。
子どもと親が押し寄せる波から逃げたりする歓声が聞こえてくる。
「いくぞー」
突然シュンが砂丘を駆け降りていった。
直ぐにマコトとハジメが砂丘を駆け降り追っかけていった。
ゲンとサンは全員の食事を持って後から歩いておりた。
もう、シュン、マコト、ハジメは、ズックを脱ぎ、ズボンを捲り上げて海に足をつけて遊び始めた。
全員で、思い切り遊ぶと、皆のズボンの下の方は海水で濡れてしまっていた。
30分ほど夢中になって遊ぶとさすがに皆疲れた。
「飯にするか?」
ゲンが言った。
サンと、ゲン、シュン、マコト、ハジメは砂丘の上のコンクリートに横一列に座ってコンビニで買ったパンやオニギリを食べ始めた。
食事が終わる頃になって、ゲンがサンに話しかけてきた。
「サン、ここからドローンを海の上を一直線に飛ばしたら、地球を一周して戻ってくるんだよな」
ゲンはサンが理科と算数に詳しいのを知っていた。
「その前に電気が無くなって落ちるが」
シュンが割り込んできた。
「もし、電気が切れないとしたらの話」
ゲンが反論した。
「ゲン、そうだよね。高さが一定だったら重力の影響で、直線が曲線になってしまうんだよね」
サンが答えた。
『直線が、円になるんだ』
サンは、心の中で感じた。
「ゲン、もし宇宙が曲がっていたら、宇宙に一直線に物を飛ばしたら、
宇宙を一周して戻ってくるかもしれないね」
「そうかもな」
ゲンは、うなずいて答えた。
6月のある日。小菊学園の庭で、サンとゲン達がじゃれあって遊んでいると、黒木園長が声をかけてきた。
「皆さん、写真を撮ってあげるから、こちらに来て」
「園長先生、写真を撮っていくれるんですか。おい、皆集まろうぜ」
ゲンが皆を呼んだ。
「大杉先生、お願いします」
園長が、スタッフの人にカメラを渡した。
ゲンとサンが肩を組み、シュン、マコト、ハジメが、手を上げたり、ふざけた格好でポーズをとった。
皆の隣に黒木初枝園長が立ち、にこにこ笑っている。
「はーい。皆、ちゃんとして、写真とりますよ。チーズ」
皆は手を下ろし、シャキッとした姿勢になった。
スタッフが、3Dデジカメのシャッターを押した。
後で、全員にこの3D写真が配られた。
生涯の記念になる3D写真だった。
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