第20話 涼音宮(すずねぐう)

●第20話  涼音宮【すずねぐう】


 何度か書いたが、喫茶店では、ランチタイムが終わった午後二時から、ディナータイムが始まる午後五時までを、通称『アイドルタイム』と呼ぶ。『僕の森』では『凪の時刻』と呼んでいるが、要するに、客がほとんど来ない時間帯だ。

「でも、悪いことだけじゃないっすよ」

 ある秋の午後、何ごとにもポジティブな蓮が言った。

「それだけ、この時間に来てくれるお客さんを、ていねいに接客できるってことっすよね。そこが『僕の森』の売りにもなるっしょ」

「そういうもの?」

 涼音は首をかしげたが、

「まま、あれだけ世間が首をすくめてたコロナ禍も、いまとなっては嘘みたいに終わったことっすし、お客さんとはゆっくりのんびり話しましょ」

 蓮に言われて、反省した。

「そうね。私も焼きが回ったかな」

 涼音が言ったとき、ドアチャイムが鳴った。蓮が元気な声を上げる。

「らっしゃっ……おろ?」

 入ってきたのは、商店会長のタナクラさんと、正体不明の若い女性だ。

 どこが不明かと言うと、首と手首に、パワーストーンのネックレスをじゃらつかせている。こんなことを言うと怒る人もいるだろうが、パワーストーンなんて信じていては、神仏に関わる資格はない。あくまで涼音の主観だが……はて。

 なぜ涼音は、顔を見ただけの知らない女性を、『神仏に関わる』と思ったのだろう。

 これは後で季里に言われたのだけれど、それこそが、涼音が城隍神【じょうこうしん】である証拠なのだそうだ。

「会長さん。何かありましたか」

 涼音が声をかけると、いつも売り声でがらがらのタナクラ商店会長は、元気にカウンターへとやってきた。

「重要な用事なんだよ。……ミシェル・アイ先生。こちらへどうぞ」

 思わず涼音は、若い女性をじっ、と見つめた。どう考えても日本人だ。

 神秘的な顔立ち……と自分では思っているのだろう、アイは上品に、カウンターに腰かけて、メニューも見ずに、

「ミルクティー、ひとつお願いします」

 涼音に、ではなく蓮に注文した。

「アイスっすか。それともホット?」

「ミルクティーは、もともとホットで飲むものです」

 いやそれは蓮も涼音もよく分かっているし、その上で、寒暖がはっきりしないきょうのような日は、ホットもアイスも出るものだから訊いてみたのだが、……まあ、いい。蓮の言う通り、凪の時刻の客はていねいに扱おう。

「会長さんは?」

「コーヒー」

 商店会長の『コーヒー』は、店独自のブレンドに、砂糖とミルクを入れて、マグカップで一杯と決まっている。涼音は確認のために訊いただけだ。

「じゃあ蓮ちゃん、お願いね」

「うっす」

 蓮は注文を書いた伝票を手にして、厨房に引っ込んだ。

「それで、ご用とは」

「わたくし、こういう者です」

 アイはカウンターに名刺を置いた。黒い名刺には、金の文字が書かれている。


『ネイチュアパワー コンサルタント

  ヒルダ・アイ』


 後は、スマホの番号が書かれているだけ。涼音がいままでもらった中で、一番怪しげな名刺だ。

「さっき商店会長さんに、街を案内していただいて、気がつきました。ここのお店には、祠【ほこら】がありますね」

「はい。それが何か」

「鳥居なども新調されていて、とても大事にされている、とお見受けしました」

「それは、落書きをされたからで……」

 言った涼音を制して、アイは、

「ここの祠のご本尊は何ですか」

 なんだか、いやな予感がしてきた涼音は、慎重に応えた。

「それは秘密です。あれはただの祠ですが、神社や神棚はそもそも……」

「ふだんは扉を閉めていて、特定の行事があるときだけ、扉が開かれる。……仏教で言う秘仏のような扱いですね。……もったいない」

「はい?」

「鳥居を新調するといったせっかくの神事のときに、祠の中を公開すれば、一大イベントが開けましたものを」

 アイは、心から残念……という顔を作った。

 涼音からすれば、大きなお世話だ。祠に収められているのは、龍神の化身である本物の龍のうろこ、しかも純金で二キロもある。公開したら、どんな不届き者が狙ってくるか分からない。

 もちろん、このアイにも教えたくはないのだが……。

「あんたにお願いがあるんだよ、涼音ちゃん。聴いてくれるね」

 会長が、無邪気に、しかし上から言った。なんの話か、だいたいの見当はついたが、言い当てるわけにはいかない。

「……何でしょう」

「あの祠を、パワースポットとして大々的に宣伝するんだ。名案だろう」

 得意そうに、会長は言った。

「何が名案なのですか」

「まず、いままでに知らなかったパワースポットだ、ということで、たくさんのお客様がお見えになります」

 アイが、歌でも唱っているかのように言った。

「それを狙って、絵馬やおみくじ、あるいはパワーストーンのような物販もします。これがバカにならないのですよ」

「当店には、何かいいことがあるのでしょうか」

 涼音が言ったとき、蓮がトレイを持って出てきた。

「お待たせです」

「ああ、ありがとう」

 ミルクティーを飲んだアイは、にっこりと笑って、

「いいことは、いくらでもご相談いたしましょう。たとえば、護符を貼ったコーヒー。護符の文言は、商売繁盛でも吉祥来光でも、なんでもかまいません。……私がプロデュースしている工房では、いろいろな護符やお守りの製作に、対応しております。これは、儲かりますよ」

 やはり……涼音は心の中で、蓮にするようにツッコんでみた。

(いや結局、信心じゃなくて金の話かい!)

「いまはもう、パワースポットの時代です。いえ、遅すぎるとさえ言えます」

 アイは勝手に話を進めている。

「私がご提案するのは、パワースポット上にあるハッピーカフェです」

「別に、何の上にも……」

「硬いことは言いなさんな」

 商店会長が、口をはさんだ。

「この商店街には、いい店がいろいろあるが、宣伝不足だ。通る人が増えれば、客も増えるだろう。テレビで紹介されるかも知れない」

「いいでしょう? 場末の商店街の庭で朽ちていく冴えない祠が、パワースポットをめぐって歩く若い客で一杯になるんですよ」

「そんなものを管理するには、うちは人手不足で……」

「ご心配なく」

 アイが微笑んだ。

「私のオフィスから、専属のアシスタントを出します。面倒なことは、何でもやります。喫茶店には、何も問題は起きません。それどころか、客は飛躍的に増えるでしょう。儲かりますよ、お店も。神様もお喜びになられるでしょう」

 余裕そうにミルクティーを飲むアイに、涼音は思わず言いたくなった。

(私も、神様なんですけど!)

 しかしそんなことを言ったら、どう利用されるか分からない。……待てよ。

「もうひとつ、きかせて下さい」

 涼音は訊いてみた。

「何でしょうか」

「それを作ることで、あなたには、具体的にどんなメリットがあるのですか」

「これは町おこしの一環です。人助けですよ。儲けなんか……」

「自分のメリットを最初に言わない人を、私は信じません」

 涼音はきっぱりと言った。

 アイは、ややたじろいだようだが、手提げから書類を出した。

「相談料をいただきます。具体的には、お賽銭箱やおみくじ、パワーストーンなどの売り上げから経費を引いた額の、五割です」

 どう考えても、『儲けなんか……』と言う取り分ではない。

 けれど涼音は微笑んだ。

「そうですね。霞を食べて生きていくわけにはいきませんものね」

「その通りです」

 アイも微笑んだが、

「その上で、お断わりいたします」

 涼音のことばに、目をむいた。

「あなた……ひょっとして、このノウハウだけ聴いて、自分ひとりで儲けるつもりなの? それならそれで、考えがありますからね」

(ノウハウって言うほどのことか)

「涼音さん。そいつはいただけないなあ」

 タナクラ商店会長も、しぶい顔を作った。

「音楽もいいけど、『僕の森』もビジネスチャンスをつかむきっかけだよ。人出が多くなれば、商店街も儲かると……」

「……儲け、儲け、儲け……」

 涼音はつぶやいた。

「あなたには、神様を信じる心などありません。しょせん、儲けのためのパワースポット発言です。……蓮ちゃん、どう思う?」

「むー」

 蓮はうなって、

「たとえば、こういうのはどうでしょ。涼音さんは宮司のかっこうをして、自分らバイトは巫女さんになって。そういうことじゃないんすか」

「それ、良いわね」

 アイは笑顔になった。

「あなたのような、頭の柔らかい人が……」

「店をつぶすんすよ。そういう発想が」

 蓮は顔をしかめた。

「それってただの、コスプレ喫茶じゃないっすか。金髪の巫女さんなんかいませんよね? そうすると、自分は追い出されてしまうっす。目の上の炭鉱夫っすよ」

「蓮ちゃん。いちおう言っておくけど、『目の上のたんこぶ』ね」

 やんわりと涼音はツッコんで、

「でも、言う通りですね。アイさん。私も少しは知っています。いまでは、たとえば東京ではXX明神のような由緒のある神社でも……」

 実際には、涼音はほんとうの神社の名前を言ったのだが、ここでは伏せておいた方がいいだろう。

「パワースポットを唱っています。コロナ禍が三年も続いたのも、悪かったようですね。それは良いとして……どこも良くはありませんが……、少なくともうちでは、本来のご神体をひたすらに信じて、それを守っていくつもりです」

「それを神様は喜ぶかしら?」

 アイの機嫌が、だんだん悪くなっていくのを、涼音は感じていた。

 けれど、涼音だってムカついているのだ。アイのことばには、神仏への信心の心はない。結局は、金だ。それが証拠に……。

「アイさん。あなたはパワーストーンも信じていらっしゃるようですね」

「え? ああ、これね。これも売り出してはどうかしら。値段もお手頃で……」

「どういうご利益【ごりやく】があるのですか」

「それは、石によってさまざまよ」

 アイは、左手の腕輪を外して、カウンターの上に置いた。

「この緑のものが、商売繁盛。これは事故除け、これは健康に……」

「ひとつの腕輪に、いくつものご利益がある、というのですね」

「そうよ。いいことは、たくさんあった方がいいじゃない?」

「はい……蓮ちゃん、どう思う?」

「いくらなんでも、欲張りっすよ」

 蓮は、あっさりと応えた。

「ここの店だって、お正月のお詣りは欠かさないっすけど、お願いはひとつ、『商売繁盛』だけっす。自分も自分用のお守り持ってますけど、お願いは『イケメンゲット!』だけっすから」

「そんなお守りがあるの?」

 びっくりしたような顔をしたアイに、蓮は笑顔を見せた。

「昔から言うでしょ。縁結びの神様っすよ」

「バカにしてるの?」

 アイはにらみつけて

「会長さん。あなたの管理は、たるんでるんじゃないですか? こんなにバカにされたのは、初めてだわ」

「いや。それがねえ……」

 会長は、困ったような顔をして、

「この店は、商店街ができる前から、もうあったんだよ。町おこしはいいが、この店の方針には逆らえないんでねえ」

「つまり、裏番ってこと?」

 アイはショックを受けたようだった。

「涼音さん。『裏番』ってなんすか」

「マンガとかで、陰で学園を操る真の支配者……とか、そんな感じだったと思う」

「つまり、最後に姿を表わすラスボス、と」

 どうやら、蓮には伝わったようだ。

「それがほんとうなら、商店会長の名にかけて、断固として反乱のノロシを上げるべきだ、と思いますけど」

 アイのことばに、商店会長はますます困ったように、

「無理は言わないで下さいよ、先生」

「は? 無理? あなたがしっかりしないで、どうするんですか。こちらはあなたからの情報を信じて……」

 なおも言いかけたアイは、ハッとしたように口を押さえた。

「会長さん」

 もうキレる寸前の涼音は、あえて猫なで声を出した。

「情報、というのは何ですか」

「それは……」

「言わないのでしたら、こちらは会長さんが深夜に出かける防犯カメラの映像を押さえていますけれど」

 それは事実だ。

 最近、この商店街にもかなりの数の防犯カメラが設けられた。夜中に自転車泥棒があったり、スクータで乗り込んだ奴が、白昼、商店街を蛇行運転して人に衝突したりと、世情のせいか物騒なので、入れざるを得なくなった。

 その中に、商店会長が、深夜の浮気に出かける証拠の映像があった。本人が知らないだけで、涼音たち年季の入った店主たちは、みんな知っている。

「商店街の奥さん会で、流しましょうか? 会長さんの深夜のお散歩」

「い、いや、それだけは勘弁してくれ。でもなあ、ただのうわさなんだが、涼音ちゃんは聴いてないかな。あの祠の下には、大金が埋まっている、という……」

 涼音はため息をついた。これだから、持ち慣れない金など持つものではない。

 祠の下に、大金が埋まっているのは事実だ。『僕の森』で神様の集会があって、その飲食と場所貸し代として、神様たちが置いていったのだが、使い道に困って、とりあえず、埋めておいたのだ。知っているのは、涼音と蓮だけだ。

 けれど、いま、それを肯定するわけにもいかない。捨てるのが罰当たりだから埋めておいているので、ほんとうにあるとなると何をされるか分かったものではない。

「そんなあやふやなうわさを信じる人も、どうかしていると思いますが、そうなってくると、話は変わりますね。パワースポット騒ぎを起こして、それに乗って、祠の下を掘り起こす……そういう計画ですか」

「それは、大金が埋まっているということ?」

 訊いたアイの表情を見て、涼音は思った。

(下司!【ゲス】)

 だが、怒ってばかりもいられない。このアイと言う女、いざとなったら涼音たちに危害を加えても、祠を掘り起こすつもりだ。

 涼音はふと気づいた。ハンドミラーを出して、アイを映してみる。

「これは、いったい……」

 やがて、つぶやくと、

「アイさん、あなたを信じてお話ししますけれど……」

「いまさら、何よ」

「あの祠に祀っているのは、龍神様です。地下のことはともかく、祠の中に純金のご神体があります。それを知らせるわけにはいかなかったのです」

「ほんとうに?」

「うそかほんとうか、確かめてご覧になりますか? ひとつお断わりしておきますと、お祀りした私でも、めったなことでは見られません。とても気性の荒い神様なのです。危険かも知れませんが、その覚悟はお持ちでしょうか」

「純金って、重さは?」

「二キロです。つぶして地金にしても、二千万円は下らないかと。……ご覧になりたいですか」

「それは……いえ、尊いことです。ぜひ見せて下さいな」

 アイの目が輝いていた。

「……分かりました」

 涼音はうなずいて、蓮に何かささやくと、商店会長に向き直った。

「会長さん。これから先は、すべて私がひとりで仕切ります。どうか、手を引いてはくれませんか」

「しかし、私も芦ヶ窪商店街の会長として……」

 それが、商店会長の威厳を保つためか、自分も分け前に預かりたかったのかは、さすがの涼音にも分からないが、とにかく蓮が近づいて耳打ちすると、とたんに会長の顔色が変わった。

「わ、分かった。……アイ先生、お話は後で。私は失礼するので、後はおふたりでうまくやって下さい。ではこれで……」

 タナクラさんは、あわてたように帰って行った。

「何を耳打ちしたの?」

「個人的な警告、っすよ」

 蓮はにんまりとした。

「とにかく、会長さんには来ないでくれ、ということです」

 涼音は微笑んで、

「これでも私、ほんのちょっとですが、顔が利くんです。それよりアイさん。ご神体をお目にかけるのはかまいませんが、いますぐにはダメです。人通りもありますから、誰かに見られるかも知れません。きょうの、そう……午前二時頃に、庭の鳥居の前でいかがでしょう」

「はい、はい、もちろん」

 アイは、目を光らせていた。

 その光の意味は、涼音には分からないが、こうするしかないのだ……。


 その夜、午前一時半に、涼音は庭に出た。

 背の低い、白木の鳥居に、アイがもたれている。スポーツバッグを持っていた。不審に思ったが、確かに二キロの金でも入りそうだ。そうでなければ、こんな時間にこんなものを持って、ここへ来ているのはおかしい気がする。

 それを見るまでは、アイへの憎しみのようなものはなかったし、いまもないのだが、涼音も神様の一種だ。ここは神罰を味わってもらうしかない。見逃すと、涼音が罰をくらうことになる。

「お待たせしました」

 涼音が声をかけると、アイは一瞬、ぎょっとしたようで、腕時計を見た。

「あと三十分か。待ち遠しくて、早く来ちゃった。すがすがしい祠【ほこら】ね。でも、名前がないじゃない」

「個人的に作った物なので、名前までは考えていませんでした」

「ほら、そういうところも、ちゃんとしないと。そうね……『涼音宮』【すずねぐう】でどうかしら」

「ありがとうございます。考えてみます」

「ほんとうは、ご本尊から名前を頂くものなのだけれど」

「それはできかねます」

 涼音は笑いかけた。

「ご神体は、私も、祠を新築してから、一度も見ていないのです」

 涼音にも、嘘はつけるのだ。

「売り払おう、という気にはならなかったの?」

「これはご神体ですから」

 涼音は応えて、

「それに、たとえばコロナ禍の最中に手に入れたのだったら、あるいは考えたかも知れません。けれど幸いなことに、もう売上が持ち直し始めた頃に、手に入ったのです。幸せなことだと思っております」

「コロナ禍ね……」

 アイはつぶやいた。

「あれは大変だったな。喫茶店もそうなんでしょう」

「はい。そうですけれど、どうして『喫茶店も』、なんです? ああいうときほど、人間は神秘的な力に頼ろうとするのではないのですか」

「巣ごもり、って知らない?」

 アイは、顔をしかめた。

「私の仕事では、イベントやセミナーなんかも大事な収入源なんだけど、軒並み中止や延期になってしまうし、人間は勝手なものよね。『せっかくパワーストーンを買ったのに病気になってしまう』、というので非難ごうごうよ。……私の名刺、見た? 住所がなかったでしょう」

「はい」

「住所を転々としているのよ。いちおうオフィスはあるんだけど、住所を押さえられたら、クレームだの神秘主義への反対の声だの、いろいろ押しかけるでしょう? もう何年も、リラックスして眠れたためしがないのよ」

 涼音は一瞬、このずうずうしい女に、同情しそうになった。だが……。

 祠【ほこら】の方から、いかめしい声が響いた。


 ……城隍神よ。その女、救いがたし。務めを行なえ……


「いまの声、きこえましたか」

 念のため、涼音は訊いてみた。

「声? 誰の?」

 アイはきょとんとしている。

 これから先は、気が進まなかった。けれど、涼音にも務めというものがある。涼音は観念した。

「もう二時になります。そろそろ、よろしいですか」

「いよいよ、見せてもらえるのね」

 アイは無邪気なほどにうれしそうな顔をした。

 祠の扉を、涼音は開いた。中には、ふくさに包まれたご神体だけが入っている。それを、涼音は慎重に持ち上げた。

「これが、ご神体です。……ご覧になってみますか」

「拝見しても、いいの?」

「お望みならば」

 紫のふくさを、涼音はアイに手渡した。

 まだ包まれているご神体の重みに、アイは驚いているようだったが、やがて、ていねいに開いてみた。

「きれい……」

 龍のうろこの金色に、アイは惹きつけられているようだった。

 しかし、そのとき……。

 ご神体を持ったアイの両手から、金色のまばゆい光があふれ出た。

「熱いっ!」

 アイはあわててご神体を放り出そうとしたが、遅かった。ご神体から発する激しい熱が、アイの体を、まるでロウソクのように溶かしていった。

 アイは炎に包まれた。風は吹いていないのに、どこからか暴風のようなものが吹き付けて、アイを包んだ炎をさかんに吹き散らしていく。

 涼音も、絶叫したかった。邪心を持ってご神体に触れる者への、あまりにもむごたらしい罰に、おそれおののいていた。

 けれど、……これを見守るのも、城隍神【じょうこうしん】の役目だ。何とか、こらえようとした。

(これも私の責任なんだから! どこへも行けないんだから……!)

 やがて、涼音には感じられない風が止むと、アイの体はもちろん、着ていた服も、スポーツバッグも、すっかり消えていた。

「アイさん、ごめんなさい。私は、神様なの……」

 黄金の龍のうろこは、変形はもちろん、傷ひとつさえついていなかった。それを涼音は持ち上げて、これもまったく無事なふくさに包んで、祠に収めた。

「天罰からは、逃れられない……」

 涼音はつぶやいた。


 自分の部屋へ戻ると、すでに季里が来ていた。

「季里さん、私……」

「いいからまず、座りなさい。座って、深呼吸するの」

 季里の表情も、引き締まっていた。

 涼音はふらふらと、アームチェアに倒れ込んだ。そのまま、しばらくは黙ったまま、息をついていた。

「あの人は、この世から消えたんだね」

「はい。すべて消えました。でも、でも……」

 涼音はこみ上げてくる感情に逆らえず、叫んだ。

「私は、人をひとり、殺してしまいました!」

『お前も死んでしまえ!』と言われたら、いまの涼音なら死んだだろう。それほどの重い物を、涼音は背負っていた。

 けれど季里はうっすらと笑って、首を振った。

「別に殺してはいないでしょう。まだまだ神様見習いだね、涼音ちゃん」

「だって、あんなの……天罰って、あんなに怖いものだったんですか」

「こっちへ来てから、私も勉強したんだけど、昔から神様を信じない人は、けっこういたのね。それはいいんだけれど、何もしないと、神様を雑に扱ったり、ご神体を壊したりする人間もいたの」

「……そうなんですか」

「うん。そこは神様だから、たいていのことは大目に見ていたんだけれど、どうしても我慢ができない人間には、遠慮はしなかった。そうでなければ、いつか人間は、神様を忘れるから」

「忘れるから、忘れられないために、天罰を下す……」

「まあ現実にはケースバイケースで、神様だってあんまり非道なことをしていると、封印されてしまったりもするんだけどね」

 季里は苦笑いして、

「龍神様は気性が荒いから、接するには覚悟がいるよ。もしどうしても、扱いに困るようなら、天上へ帰ってもらう方法を調べて上げるけど、どうする?」

 涼音は、考え込んだ。

「季里さん。ひとつ、忘れていたことがあるんです。鏡のことです」

「ん? 鏡がどうしたの?」

「『僕の森』で、私が鏡で見たアイさんは、とても高そうな服を着ていました。両手の指には、大きな宝石の指輪をいくつもしていて……あれは、何だったんでしょう」

「それはね、涼音ちゃん。あなたがご神体をアイさんに渡して、それを現金に換えた未来のことよ。鏡はいつでも、決まった未来を見せてくれるわけじゃない。鏡を見た、そこまでの過去から、一番ありそうな未来を『考えて』見せるの」

 季里は、考えながら話しているようだ。

「……あの人がほんとうに困っていたら、龍神様も、何も言わなかったかも知れない。けれどあの人は今夜、スポーツバッグを持ってきていた。盗む気まんまんじゃない。そんな人にご利益があると思う? 神様にも、選ぶ権利はあるんだよ」

「そういうものなんですね」

「はい。そういうものなんです」

 季里はようやくおどけて、

「そんな涼音ちゃんに、アイさん情報。彼女には、近い親族はいないのね。つまり、たったひとりで生きていた、ってこと。だからいい、っていう話じゃないけれど、少しは涼音ちゃんの気も晴れるかな、と思って」

「……かわいそうな人だったんですね……」

「そうじゃないかも知れないよ」

 季里は首を振った。

「ほら、あるじゃない。『おひとりさま天国』って」

「……すみません。何ですか? それは」

「古い曲にはまって、アップデートできないと、店が傾くからね」

 季里は笑いながら涼音を軽くにらんだ。

「乃木坂46の曲のタイトルだよ」

「季里さん、乃木坂なんか知っているんですか!」

 さすがに涼音は驚いた。

「幽霊をなめないこと。坂グループもね」

 季里はにんまりと笑った後、真顔になった。

「こういうこともあるから、他の人には任せられなかったの、城隍神」

「私だって……人間です」

「そうも言えるんだけれど、とにかく、これからもいろんなことがあると思う。改めて、お願いされてくれない? 涼音ちゃん」


 それから少しして、商店会長がまた、『僕の森』にやってきた。

「アイ先生が、見つからないんだよ」

 会長はとほうに暮れているようだった。

「せっかくの町おこしが……」

「ほんとうにそれだけですか?」

 まじまじと涼音は会長を見つめて、

「アイ先生と、うまくいけば『仲よし』になりたかったんじゃありませんか」

「な、何を……いやだなあ、ははっ」

 露骨に怪しい会長の表情を見て、涼音と蓮はため息をついた。

「人間がこんな具合では、神様も厳しくなるでしょうよ」

「その通りっす。何か、怪しいことでも起こらなきゃいいっすけど」

 すでに、起こってしまったのだが……。


(第20話 涼音宮 おわり)



【各話あとがき】そういうわけで、もっと表現を和らげようか、とも思ったのですが、これが自分にとって最後の創作になるかも知れない、と思ったら、やっぱりここは、避けて通ることはできない、と思いました。申しわけありません。

 気を取り直して、XX明神ですが、休憩所のような所で、神社とパワースポットのコラボ企画のチラシを見たときには、唖然としました。あんまり唖然として、そのチラシをもらってくるのを忘れたほどです。

 ……天罰が降りませんように。その神社にね。

 次の話は、女の子を少し、出したいな、と思って書いたお話です。では、また。


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