15.謁見

「謁見の機会をいただき、ありがとうございます、陛下」


 マリユスが頭を下げると、ジスカルは執務机の向こうから軽く顎をしゃくって、ソファに座るよう促した。

 立ち上がりながら、気安げに話す。


「謁見室よりは、こちらの方が話しやすかろう。内向きの、話であろうからな」


 ジスカルの先制に、マリユスはピクリと眉を寄せた。

 隣に座っていたラウルはブルブルと震えていたが、急にガバリと立ち上がったかと思いきや、床の上に平伏し悲痛に訴えた。


「どうか妹を返してください、陛下! 妹はとてもではないですが、奥向きの暮らしなど耐えられません!! 今、こうしている間にも胸が潰れる思いでいるでしょう!」

「ふん、どうだろうな」


 ジスカルは鼻をならして、テーブルの上に一通の手紙を置いた。白い封筒の宛名には『愛する家族へ』とある。エレーヌの筆蹟だった。


「これは……私共へ宛てたものでしょうか?」

「当人がどうしても書きたいと言うからな。ご令嬢がで書いたものだ。く読むがよい」


 いちいち嫌味たらしい言葉にマリユスは奥歯を噛みしめながら、久しぶりの妹の手紙を読んだ。


『愛する家族の皆様方へ


 この手紙は国王陛下にお預けすることになったので、きっと読んでいらっしゃる頃には、だいたいの事情についてはご存知でいらっしゃいますね。そのつもりで書きます。


 オレリー姉様の結婚式は無事に済んだのかしら? それが私の目下の心配事です。

 セバスチャンがマリユス兄様に知らせてくれているなら、きっと大丈夫でしょう。ラウル兄様だったら、ちょっと心配です。大騒ぎになって、せっかく半年もかけて用意した披露宴が台無しになってやしないかしら。


 私のほうは急に屋敷から出ることになって、ほとんど着の身着のままといった感じでしたが、幸いなことに国王陛下に付き従っておられる女官の方々が、万事用意してくださって、不自由のない生活を送っております。


 本当にご迷惑をおかけしてすみません。

 私も知らなかったのです。てっきりラウルお兄様と同じ近衛の騎士の方だとばかり思っていました。会ったときから態度の大きい方でいらしたので、いずれどこぞの若様でいらっしゃるのだろうとは思っておりましたが、まさか国王陛下であろうなどと、どうして想像できますか?

 でも知らないこととは申せ、失礼を重ねたことは違いありません。今はおとなしく謹慎して、許しを待つことにしました。


 体のことも、こちらでさっそく侍医の方にて頂きました。今のところ問題ないそうです。だから大丈夫です。女官のカーラさんは厳しくて優しい人なので、きちんとした生活を私に与えてくださってます。夜は九時に消灯、レバーソテーを食べないと、胡桃のパイをくれません。さすがは長く女官をなさっているだけあって、とても目端の利く、働き者のおばあちゃんです。


 正直、昨夜ゆうべ寝るときには、これからどうなるのかと溜息をついたりしていたのですが、美しい朝焼けの中で庭を散歩していたら、お祖母ばあ様の言葉を思い出しました。

『人生、どうにもならないときには、あるがままに受け入れてみなさい』と。


 せっかく王宮に来る機会を得たのですから、今はあるがままに受け入れて ―― といっても謹慎中なんですけど、ひとまずは自分にとって快い毎日を過ごせるよう、心を穏やかに保ちたいと思います。

 だから心配なさらないでくださいね。

 私はきっと大丈夫です。自分でも思います。私って、案外図太いんだなって。昨日もぐっすり眠れましたし。


 どれくらいの期間になるかわかりませんが、いずれ再会したときには、滅多と誉めないマリユス兄様を唸らせる程度には成長していたいものです。

 それでは、どうぞ皆様、つつがなくいつもの日常をお過ごしくださいませ。


 フラヴィニー家の六番目の子リス エレーヌより』


 マリユスは黙って手紙を閉じた。

 聡明で優しい妹は、家族が不安になることのないようにと、少しばかりの諧謔味ユーモアを交えて書いてくれている。だがあの祖母のことを思い出すほどであれば、相当、不安を募らせているに違いない。胸が潰れる思いというほどではないにしろ、今は平常心を保っているのがやっとというところだろう。


「あぁぁ……エレーヌぅぅ」


 隣でボタボタと涙を落とす弟にハンカチをくれてやってから、マリユスは国王に向き合った。


「謹慎というのは、どういうことでしょう? 妹にあやまちがあったとは思えません。陛下と手紙のやり取りをして、そこで多少無礼な物言いがあったとしても、その時点においては妹は陛下と知らずにいたのです。それを問題とするのは、少々乱暴ではありませんか?」

「謹慎だと思い込んだのはエレーヌだ。別にそうだと言った覚えはない」


 ふてぶてしく言い放つジスカルに、マリユスは生真面目に問うた。


「陛下。そのような狡智をろうしてまでも、妹に拘泥こうでいなさる理由は何なのです? 真剣にきさきにとお考えなのでしょうか?」

「……だとしたら?」

「お断り致します」

「迷いもないな」


 即答するマリユスに、ジスカルは軽く息をつき頬を歪める。

 マリユスは背中がじっとり濡れるのを感じながら、冷たい王の眼差しを逸らすことはなかった。


「宮中に咲く花は数多あまたございます。わざわざ野辺の花を手折たおって、無残に散らすことはないでしょう。あの子の世間知らずが目新しいとでもお思いですか? そうであるならば、辺境に住まうご令嬢なり、市井しせいに暮らす粉屋の娘なりと、ご所望なさいませ。我が妹には、妃の務めは負担が重うございます」


 マリユスは一気に言ってから、じっとジスカルを見つめた。

 睨みつけるに似た強い眼差しだったが、青い瞳には懇願が、噛みしめた唇には焦慮が見えた。

 ジスカルはフンと鼻を鳴らした。 


「なるほど。確かにエレーヌの言う通り、家族仲は良いようだな。王の外戚たらんと娘を寄越す女衒ぜげんなる親も少なくないというのに、伯爵は誠に妹思いであることだ」


 鷹揚に笑って空気が和んだかと思いきや、次の瞬間には再び氷の刃を突きつける。


「思い違いをするな、伯爵。妃を置くかどうかは私が決め、誰を妃にするのかも私が決める。お前たちが差し出口することではない。……その妃にいずれ飽きて、再び野辺に放り出すこともな」


 わざわざ最後に付け加えた一言に、マリユスの膝の上の拳が震えた。


「そのような無体が……いつまでも許されるとお思いか?」


 低く、怒りを押し殺した平坦な声がジスカルに問いかける。

 普段は温厚なるフラヴィニー伯爵が、ドス黒い怒りに身を震わせる姿を、ジスカルは興味深く見遣った。おもむろに口を開く。


「伯爵、そなたも少々、虫が良すぎるのではないか?」

「……どういうことです?」

「二年前、さきの王の妃一派を粛清してこの国を平定して以来、民の生活は安寧あんねいと活気を取り戻し、港には毎日他国の船が様々な物品を運んでくる。この平安なくして、貴様の商売が成り立つのか? 貴様が貴族にあるまじき商才などを発揮して、自らの富を得るを非難しようとは思わぬ。好きにするがよい。だが、現在のフラヴィニー家の隆盛あるは、この国の平和あってこそのものだ。誰が、この太平を作り、維持していると思う?」


 ジスカルの問いは決して誇張したものではなかった。

 実際あの当時、ジスカルが素早く反対派を一掃したからこそ、国内が乱れることはなく、前王の治世末期において、前王妃とその親戚の専横によって破綻寸前であった財政も、ジスカルが私財を投じるなどして、現状の安定をもたらしている。

 そのことについては認めざるを得なかった。


「……国王陛下にございます」


 マリユスが恭しく申し述べると、ジスカルは傲然と言った。


「であれば、敬意と忠義をみせよ。私にのみ義務を任して、自らの利欲のみ求めるは、国王の臣下にあるまじき傲慢なる態度ではないか」

「そのために……妹を差し出せと?」


 マリユスは低く問いながら、ジスカルを睨みつけたが、王の表情は変わらなかった。冷厳と他者を圧倒する無表情が、マリユスの怒りをはねつける。

 マリユスは長く息を吐ききったのちに、冷たく王を見据えた。


「思いもよらぬことです。陛下がそのような詭弁きべんを弄してまでも、妹に執着なさるとは」

「そうか。では仕方ない」


 ジスカルはマリユスのきっぱりした態度を見て、すぐさまセヴランに目配せした。

 心得た側近が、執務机の端に置かれた書類を持ってくる。


「このことについては、エレーヌに免じて大目に見てやらないこともなかったが、伯爵がそうまで強硬であるのならば、斟酌しんしゃくを加える必要もなかろう」

「なにを……?」

「私が意味もなく、貴様の領地を訪れたとでも思っているのか?」


 ジスカルは剣呑と問いながら、マリユスに書類を渡す。

 マリユスは書類に目を通しながら、だんだんと顔が強張っていった。


「まさか……」

「まさか? なんだ? 知らぬと言って通ると思うのか? 前王妃一派の残党がそなたの所領で潜伏し、私の暗殺を画策していたというのに。領主として、伯爵の身分を授かる身として、この事態を恥とせぬなら、貴様には両方とも必要なかろう」


 マリユスから書類を取り上げて読んだラウルが声を上げる。


「お待ちください、陛下! この潜伏場所は領地といっても王家の直轄地との境界近くで、我ら伯爵家の一存で捜査してよい場所では……」

「言い訳ばかりが得意だな。では、ラウル卿にも一つ伺おうか? あの日、なぜ前伯爵に我らが来ることを前もって知らせたのだ?」

「え?」

「我らが伯爵の屋敷に立ち寄ることを、なぜ知らせた? 少しばかり馬を休ませ、茶の一杯も恵んでもらえればよいというだけのことであったのに、わざわざ知らせる必要があったか?」

「そ、それは……だから、いきなり行っては父母らも驚くと」

「あの日、あの地に赴くことは公式の予定にない。その時点で機密であるのに、貴様は前伯爵に知らせた。賊どもをかくまい、その後は伯爵の持つ商船で隣国にでも送るつもりであったか?」


 ラウルはポカンと口を開けたまま固まった。

 今頃になって、自分が軽い気持ちで父母らに知らせたことが、とんでもない事態を招いたと気付く。


 ほうけている弟の横でマリユスは黙りこむしかなかった。

 額にじわりと脂汗が滲む。

 今更ながらに、この王がとんでもなく周到で計算高いことを思い知る。

 二年前の政変でいつの間にか軍部を取り込んでいたことを知ったときに、それはある程度わかっていたのに、こうして自分が当事者になると、相手としてこれほどに恐ろしい人間はいなかった。


「一度だけ……一度だけでも、妹を家にお戻しください。どうか……」


 マリユスはほとんど崩れるようにして、床に膝をついて頭を下げた。

 だがその哀れなほどに力をなくした伯爵を見ても、ジスカルの冷酷が揺らぐことはなかった。


「まだ勘違いしているな、伯爵。お前たちは私にものを頼める立場ではないのだ。むしろ私の温情に感謝すべきだろう? 違うか?」

「…………」


 マリユスは恐怖と悲観に凝り固まったまま、言葉をなくした。


「謁見はこれで終わりだ。ラウル卿は、しばし登城を禁じる。自領にて謹慎せよ」


 冷たく宣告され、マリユス達はただただ悄然と出て行くしかなかった。

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