14.マリユス・フラヴィニー伯爵
時間はその日の夕刻に戻る。
フラヴィニー伯マリユスは、妹オレリーの結婚披露宴の最中、一人の従僕に耳打ちされた。女達が軽やかに笑い合っている宴席から離れて、数名の男たちとシガーを
一緒にシガーを吸っていた弟のラウルが首をかしげた。
「どうした? なにかあったのか?」
「わからん。お前、ちょっとつき合え。……すまないが、しばし中座する」
友人たちに失礼を詫びてから、足早に玄関ホールに向かう。一緒に
「いったい、どうしたんだよ。兄さん」
「執事が来ているらしい。……ロン=ロシェの」
ロン=ロシェはフラヴィニー領地の名前だ。ラウルはギュッと眉を寄せた。
「セバスチャンが? なんだって……おい、アイツ。エレーヌに留守番させてるのか? まったく、何考えてやがるんだ」
マリユスは容易に相槌を打てなかった。
ラウルが怒るのも当然だ。まだ年若く、しかも病弱な妹を放り出して、領主屋敷を守るべき使用人の長が王都に来るなど、許されざる失態だ。だが長年、父の下で働いてきた老執事が、そのくらいのことを理解していないはずもない。だからこそ、マリユスの不安は
果たして領地からあわてて駆けつけてきた執事は、とんでもない事態を告げた。
「なんだと? エレーヌが王宮に連れて行かれた?!」
大声で叫んだのはラウルだった。マリユスは
『フラヴィニー伯爵家
マウツェリ国王 ジスカル・レオ・グザヴィエ・ドゥ・マウツェリ・ヴィ=マールアント・シュヴラン』
しっかりと
「なんだってエレーヌが……目をつけていたのはセヴランの野郎じゃなかったのか?」
呆然とつぶやく弟に、マリユスは尋ねた。
「お前、そのことについてセヴラン卿の
「え?」
「セヴラン卿ときちんと話をして、エレーヌに手紙を送っていたことを認めたのか、彼は」
ラウルから既にエレーヌが近衛騎士団所属の騎士と、いつの間にか知り合い、文通をする間柄となっていたことについては聞いている。それがよりによって国王の縁戚であり、最側近であるセヴラン卿であったと知って、マリユスは早々に妹がその縁を絶ったことに
だが今、この
「で、でもあの時、エレーヌの手紙を奴が持ってて……」
ラウルは反論しかけたが、それもマリユスの言う確かな証拠とならないことに気付いたのか、もごもごと口籠もった。
マリユスはギリッと歯噛みした。この際、弟の早合点は
マリユスはもう一度勅書を見て、低く唸った。
文面だけ見れば『国王附きの侍女にする』ということだったが、その言葉がそのままの意味でないことは常識だった。これまでにも、この勅書を受け取った令嬢は何十人といただろう。そうしてある日、なんであればコトが済んだ翌日にも、気に食わなければ、あっさり破り捨てられるのだ。『侍女たるの心得なし』と。
「セバスチャン、お前はともかく屋敷に戻れ。いつ、エレーヌが帰ってきてもすぐに対応できるようにしておけ。ラウル、父上を連れてきてくれ。くれぐれも母上や、オレリーたち女性陣には
手早く指示して、父が来るのを待っている間、マリユスはイライラと片足を
「……ったく、あの好色王めが。山野の名もない花にまで手を出すか……!」
ブツブツと毒づきながら、マリユスは好色ではあっても有能な、油断ならぬ狡猾な王との対面について考えねばならなかった。
セバスチャンの話を聞く限り、エレーヌを迎えにきたのは、王本人である可能性が高い。まさか王都で毎日政務に追われている王が、郊外の片田舎にわざわざ足を伸ばして来るとは思えないのだが、もし万が一、あの王がそこまでして妹を連れて行ったとなれば、ただの気まぐれでない可能性がある。
「冗談じゃない……冗談じゃないぞ」
マリユスはつぶやきながら、とうとう爪を噛み始めた。
***
マリユス・フラヴィニー伯爵と、その弟のラウル卿が王への謁見を許されたのは、エレーヌが伯爵領から連れて行かれた翌日のことだった。
本当は前日に
「ラウル卿は本日はお休みと聞いております」
という門番のにべない返事が繰り返され、兄弟と父親はすごすご帰るしかなかった。
翌朝になると体調を崩してしまった父には王都の屋敷で休んでもらい、開門と同時に訪れ、やっとのことで国王への謁見申請が通ったのだった。
案内にたったセヴランは、わざとらしく首をかしげた。
「おや? ラウル卿。確か妹御の結婚とのことで、本日までお休みを取っておられたのでは? 祝宴で大酒を飲んで、翌の夕刻まで寝ると豪語されていたように記憶しておりますが」
「うるせぇっ、この……」
ラウルはただでさえ剣呑としているところに、セヴランにおちょくられ、カッとなった。掴みかかる勢いだったが、すぐさま兄に容赦なく頭を張られ、厳しく
「近衛騎士の肩書きが泣くぞ、ラウル。もう少し冷静になれ」
「……はい」
セヴランはフラヴィニー兄弟を見比べて、内心、成程と頷いた。
フラヴィニー伯マリユスは、当年二十五歳。ラウルとは二歳差でしかないが、さすがに兄の方は伯爵家を継ぐべく教育を受けてきただけあって、なかなかに理性的で、立ち居振る舞いも隙がない。
そもそもフラヴィニー伯爵はマリユスの代になってから、貿易事業を友人らと立ち上げるなどして、見せかけだけ立派なハリボテ貴族家が多い中で、着実に財を成しつつある。社交においても、新興の富裕層や地方地主らと積極的に交流し、今や青年貴族らの中心的存在となりつつあるようだ。
「セヴラン卿、一つ伺いたいことがある」
執務室までの道のりで、マリユスは先に立って歩くセヴランに尋ねた。
「どうぞ」
「弟から聞き及んでいると思うが、エレーヌはわが
「そのことについて、とは?」
白々しくセヴランが聞き返すと、マリユスは意外にズッパリと真正面から言い切った。
「王の
「ふふ……なるほど」
セヴランは微笑みの奥で、背後から感じるじっとりした視線に頬を引き
セヴランは足を止めると、振り返ってマリユスと対峙した。ピンと人差し指を立てて、静かに宣言する。
「私にとって大事なことはただ一つです。それは国王陛下……ジスカル様の望みをかなえること」
「そのために我が妹の命がすり減ってもか?」
「失礼ながら、伯爵の妹御はジスカル様ではない。よって私が守る必要もない。壊れるのならば……それまでのこと」
「貴様ッ!」
ラウルが激昂してまた殴りかかろうとするのを、マリユスは足を踏んで止めた。ぐっ、と身を屈める弟とセヴランの間に立って、マリユスは薄ら笑いを浮かべる王の側近を殺す勢いで睨みつけた。
伯爵の静かな怒りをセヴランは首を傾げていなし、再び
「フラヴィニー伯爵とラウル卿を連れて参りました」
王の執務室に二人を招き入れると、セヴランはそのまま壁際に留まって、気配を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます