12.セヴラン・リヴィエ卿

「あぁ、こちらの部屋でしたか。てっきり南の部屋かと思って探し回りました」


 にこやかに入ってきた人物を見て、エレーヌは戸惑った。

 制服を見る限り、兄や背高せいたかさんと同じ近衛騎士であろうが、妙に気安い態度に警戒してしまうのは、以前に言い寄ってきた男も最初は愛想良く優しげであったからだろうか。

 エレーヌの顔が強張るのを見て、カーラがすぐさま遮るようにセヴランの前に立った。


「レディの部屋に勝手に入ってくるものではございませんよ、セヴラン卿」

「ハハッ! 失敬、失敬。いや、すぐにも『ブリトリス戦記』の八巻を持って行けと、矢のような催促でね」

「あ……わざわざ持ってきてくださったんですか?」


 エレーヌは立ち上がると、カーラの後ろからおずおずと進み出て一応挨拶した。


「初めてお目にかかります。マリユス・フラヴィニーの妹のエレーヌ・マーニャ・フラヴィニーと申します」


 セヴラン卿、と呼ばれた男はニコリと笑うと、恭しく辞儀を返した。


「こちらこそ、お初にお目にかかります。セヴラン・リヴィエと申します。お気軽にセヴランとお呼びください。こちらにおいでの間、カーラ殿と一緒にご令嬢の面倒を見るようにとおります」


 エレーヌはビクっと身を震わせた。

 セヴランの何気ない一言が、さっきカーラが示したヒントと重なって、エレーヌに息詰まるような想像をさせる。ヒタヒタと足元に押し寄せてくる不安から顔を上げて、エレーヌはセヴランを見つめた。


 この人もまた近衛の騎士というだけあって、見目良い容貌であった。

 均整のとれたしなやかな体つきで、ふわりと柔らかそうな淡い金髪に、陶器のような白い肌。いかにも戦士らしい筋肉質な兄や背高さんと違い、スラリと優麗な立ち姿は儀礼の席では映えるだろう。

 だがエレーヌが気になったのは、背高さんと同じ、この国では珍しい琥珀の瞳だった。体つきの印象のせいでわかりにくいが、どこか面差しも似通っている気がする。


「……よろしくお願いします。セヴラン卿」


 小さな声で一応挨拶を返すと、セヴランはエレーヌに持って来た『ブリトリス戦記』の八巻を差し出した。


「いやはや、大変でした。この前に送ったばかりだというのに、また同じ物を用意しろと仰言おっしゃるので。本屋もそろそろ店じまいの時間ですし、手近な場所となると王立図書館から借りるしかなくて。申し訳ありませんが、読んだら返却願います」

「あ……はい。わざわざ申し訳ございません」


 エレーヌが謝ると、セヴランは少し物足りなさそうに首をかしげた。


「どうしました? ご令嬢。なんだかあまり元気がないようですが」


 セヴランとしては、最初に寄越したあの手紙のイメージが強烈で、エレーヌのことを快活で才知溢れる人だとばかり思っていたのだ。しかし目の前で顔を強張らせている令嬢からは、あの手紙にあったような天真爛漫な明るさは見られない。

 拍子抜けしたセヴランにピシャリと言ったのはカーラだった。


「理由もわからずいきなり連れてこられては、どんなご令嬢だって元気をなくします。セヴラン卿からも、もう少し女性の扱いについてご考慮あるようお伝えくださいませ!」

「おぉぉ、マダム・カーラの雷だ。怖い怖い。ひとまずこれにて失礼しますよ、エレーヌ嬢」


 軽いウインクを飛ばして、セヴランは逃げるように去って行く。

 エレーヌは『ブリトリス戦記』の八巻をまじまじと眺めてから、憂鬱な溜息をついた。


「大丈夫でございますか?」


 カーラが気遣わしげに尋ねてくる。

 さっきまでは物知らずなエレーヌに厳しい目を向けていたのに、こうして心配されるのであれば、よほどに顔色が悪いのだろう。


 エレーヌはかすかに笑って言った。


「えぇ……少し馬車に酔ってしまったようです。しばらく休ませていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろんにございます」


 カーラはすぐにベッドへと連れて行き、枕元にベルを置いた。


「女中は扉のそばに控えております。いつでもお呼び下さいませ」

「ありがとう」


 エレーヌは横になったものの、眠りはやってこなかった。

 じわじわと、また不安が押し寄せてくる。キリキリと胸が痛んできて、すぅと深呼吸した。

 今は、待つしかない。

 どうなったとしても、ここに連れて来たのが彼である以上、彼に問うしかないのだ。


 背高せいたかさん、あなたは国王陛下なのですか? ―― と。

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