11.カーラ

 カーラは先代国王の時代から宮中で仕えている古参の女官にょかんだ。

 現国王の母であったレナータ王妃付きとなって以来、国王については生まれたその日から面倒を見てきている。

 だから人生にみ果てたような彼の態度にもある程度理解はあったのだが、それでもこと、女性関係についてのみ、いつも苦々しく思わずにはいられなかった。


 その日も王の側近であるセヴラン卿を通じて、王宮に入れる女の部屋を用意するように言われたとき、フンと鼻息も荒く、王の又従兄弟だとかいう胡散臭い男をギロリと睨みつけた。


「まったく。卿もいいかげん、陛下に諫言かんげんしようとは思われぬのですか?」

生憎あいにく、私も命は惜しいのです。マダム・カーラ。それよりも、陛下に相応ふさわしい方を見繕みつくろったほうが早いでしょう?」

「相応しい方といっても、ああも次から次へと、古くなった雑巾ぞうきんを捨てるがごときことをなさっておいででは、まともなお相手など望めるはずもございませんでしょう」

「残念ながら今までのご令嬢は、陛下にとって雑巾程度の価値しかなかったのでしょうね」

「あぁ、まったく! あなた達、男どもときたら!! 女をなんだと思っておいでです!? たわむれに手をつけて、打ち棄てて!」

「やれやれ。陛下への忠義に厚いマダム・カーラにも、とうとうさじを投げられてしまいましたね」


 セヴランは老女官の叱責しっせきも軽く笑っていなすと、「そうそう」と付け加えた。


「今回の御方おかたについては王宮の奥向きの部屋ではなく、オルレア宮に用意をするようにとのことです」

「オルレア宮に?」


 カーラは思わず聞き返した。

 本宮殿から歩いて二十分ほどの距離の離宮は、元は先々代国王の愛妾あいしょうが貰い受けた小さな宮殿であったが、今は現国王の極めて私的な休養場所となっている。カーラを始め宮中の女官や侍従、護衛の騎士ですらも、基本的に立ち入りを許されず、せいぜい三日に一度、掃除のために入る程度。当然ながら、今まで王宮に召した女をこの離宮に入れたことはなかった。


「どうした心境の変化です? あの離宮に召されるなど」

「特に意味はないですよ。ただ、今度来られるご令嬢は体が弱くていらっしゃるので、静かな環境のほうが良かろうと思われたのでしょう」

「…………」


 カーラはピクピクと眉を動かして、探るように王の側近を見つめたが、年の割に老獪ろうかいなる青年騎士は、鉄壁の微笑を崩さなかった。


「令嬢の名前はエレーヌ・マーニャ・フラヴィニー。フラヴィニー伯爵の妹御いもうとごでいらっしゃる。先程も申したように、病で体が弱くていらっしゃるそうなので、くれぐれも細心の注意を払って接してください」


 カーラはセヴランの言った名前を聞いて、素早く頭の中で検索してみたが、思い当たる令嬢はいなかった。いずれにしろ今までと同じく愚かな夢を見て、ノコノコやって来るのであろう。こちらとしてはいつものように、それなりに準備するだけだ。


「かしこまりました。それで、そのご令嬢はいつ頃おみえになられるのです? 三日後ですか? 五日後ですか?」

「今日です」


 セヴランがニッコリと答える。

 カーラは聞き返した。


「今日?」

「はい、今日」

「今日……ということは、これからおみえになられる……と?」

「はい。陛下直々じきじきにお迎えにいかれておいでです」

「なんですって!?」

 

 カーラはあわてて立ち上がると、目についた女官を引き連れて、大慌てでオルレア宮に向かった。それからてんやわんやでカーテンやら絨毯じゅうたんやらを新しいものに入れ替えて、どうにか体裁ていさいを整え、くだんの令嬢を迎え入れたのがついさっき。


 案内された部屋に入ったエレーヌ嬢は、ひとまず窓際近くに配置したソファに腰を下ろすと、ふぅと溜息をついた。他の令嬢であればひとしきり部屋を見回して、やれカーテンの色は緑がいいだの、室内履きは仔羊ラム革の最高級品を用意しろだのと、まずは何かしら文句をつけるのだが、今回のご令嬢は驚いて呆然としているらしい。たまにこういうタイプがいないこともない。


「あのぅ、よろしいでしょうか?」


 おずおずと声をかけてくる。

 さて、どんな不満が飛び出すのかと、カーラは身構えながら「なんでございましょう?」と、鹿爪らしく受け答えする。


「ここは背高せいたかさんが陛下よりたまわっているのでしょうか? 王宮内での宿所しゅくしょとして」


 カーラはさっきも聞いた『背高さん』という言葉に、ヒクヒクッと頬を震わせた。

 何度聞いても、奇天烈きてれつなネーミングだ。

 それでも古参女官はそう簡単に噴き出すことはしない。

 それよりももっと重要なことは、目の前のご令嬢がいまだに自分が誰に連れてこられたのかをわかっていない、ということだ。


「失礼ながら、エレーヌ嬢。あなた様は、あなたを連れておいでの方について、ご存知でいらっしゃらないのですか?」

「えぇ……はい、まぁ……あまり」


 物知らずな令嬢は、なんとも決まり悪そうに答える。

 カーラはハァと溜息をついた。

 いくらなんでも、世間知らずにも程がある。病弱だか何だか知らないが、フラヴィニー伯爵はもう少し妹の教育について熱心におこなったほうがよいだろう……。


「よく知りもしない男にいて行くのは、いかがなものかと思いますよ」


 カーラがあえて嫌味たらしく言うと、箱入り令嬢は少し考えてから、まるで謎かけを解くかのように問うてくる。


近衛このえの方ですよね? 兄が近衛騎士団にいるので、それはわかるんです。でも、いまだにお名前を教えてくださらないんです。教えてくださいと言っても、ニヤニヤ笑ってけむに巻かれてしまって。でも、こんなに立派な離宮に部屋をあてがわれるのなら、公爵家かどこかの御曹司おんぞうしでいらっしゃって、さぞ陛下の信頼も厚いのでしょうね」


 あぁ……! とカーラは内心で頭を抱えた。

 これはまた、とんでもないご令嬢だ! わざとにそんなふうに世間知らずに振る舞っているのだとすれば、とんでもない悪女に違いない。

 しかし……とカーラはもう一度、注意深く目の前の令嬢を観察した。いまだに落ち着かなげな様子からしても、どうやら本気で言っているらしい。


 カーラはコホリと一つ咳払いして尋ねた。


「あの御方は、あなたにご自分の身分を明かしておられないのですか?」

「えぇ。教えてくれません。カーラさんはご存知でいらっしゃるのですよね? 教えていただけませんか?」

「あの御方がご自身で名乗られぬのでしたら、私からは申し上げられません」


 カーラはすげなく答えてから、ピクピクと眉を動かし、ヒントを与えた。


「ですが、一応申し上げておきますと、近衛の騎士達の中には、確かに高貴なるご身分の子息方々が在籍しておられますが、離宮を宿直とのいにあてがわれるような者はございません。騎士の宿舎は王宮 ―― 本宮ほんぐうの東にございますので、基本的に皆様そこで起居ききょされることになっております」

「…………じゃあ、ここは?」

「王宮の中の建物は、すべて国王陛下のものであり、かの方のご了承なしに立ち入ることは、何人なんぴとたりとも許されておりません」

「…………」


 ポカンと自分を見返してくる令嬢がだんだんと哀れに思えてきて、カーラがいっそ正解を教えようとしたところに、割って入ってきたのはセヴランだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る