9.王宮からの使者

 三番目の姉・オレリーの結婚式のために家族が王都へと向かったあと、一人残されたエレーヌは自室でぼんやりと過ごしていた。

 せっかく送ってもらった『ブリトリス戦記』は途中で止まったまま。すっかり読む気が失せてしまった。

 別に『背高せいたかさん』相手に感想を書き送る目的で読み始めたわけではないのに、なんだかもう手に取るのも苦しいのだ。最後の手紙を書き送ってからは、見るのすらもつらくて、書棚ではなく衣装箱の奥にしまいこんでしまった。


 いつまでもこんなふうにダラダラ過ごしていても仕方ない……とは思っても、もはや何をすればいいのかわからなかった。

 今になって『背高さん』と文通していた頃には、別に手紙を書いていなくても、四六時中彼のことを考えていたのだなぁ、と気付く。自分もしっかり恋する乙女になれていたわけだ。向こうは世間知らずの、少々風変わりなご令嬢を相手に、面白がっていただけだろうが。


 もはや何度目かわからない溜息をついたときに、コンコンとやや気忙しく感じるノックの音が響いた。エレーヌはベッドから起き上がると、ノロノロ歩いて行って扉を開いた。


「なぁに? どうしたの?」


 そこにいた執事のセバスチャンは、ひどく困惑した様子でエレーヌに申し伝えた。


「お嬢様、それが……王宮からの使者がいらっしゃっていまして」

「王宮?」

「旦那様はご不在だと申し上げたのですが、であれば現時点で、この屋敷を取り仕切る代表者を呼べと仰言おっしゃっておりまして……」

「まぁ、そんなこと」


 エレーヌは驚いた。

 普通、たとえ王宮からの使者だとしても、あるじの不在に押しかけてきて、その主がいないなら代わりを出せなどと無理難題を要求してくることなどない。


「それ、本当に王宮からの使者でいらっしゃるの?」

「それは間違いないようです。近衛このえの制服を着ておられますし、国王の御璽ぎょじが押された文書もお持ちで……」


 執事は元は王宮の役人だったので、公文書なども見慣れている。その執事が言うのであれば、まがい物ではないのだろう。


「仕方ないわね。私が出ます」

「申し訳ございません。私もおそばにおりますので」

「頼りにしてるわ、セバスチャン」


 エレーヌはやや緊張しつつも微笑んで、執事と共に玄関ホールに向かった。

 だが、そこにたたずむ背の高い男の姿に、思わず足を止める。それから執事が止めるのも聞かずに、タタッと走り寄った。


「背高さん!」


 思わず抱きついてしまってから、男の胸から響く鼓動にハッとして顔を上げた。


「あっ、すみませんっ」


 あわてて離れようとすると、グイと腕を掴まれる。


「エレーヌ・フラヴィニー嬢。今から王宮に来ていただく」

「え?」

「国王の命令だ。拒否はできない」


 その言葉はエレーヌにではなく、エレーヌの身を心配して近寄ろうとする使用人らに向けてだった。おそらく御璽が押されているであろう文書を、男が無理やり執事に押しつける。


「異議あれば、国王に申し述べに来るよう、フラヴィニー伯爵に伝えよ。気が向けば、話を聞くだろう」


 言い捨てて、男はエレーヌを伴って馬車へと向かった。

 四頭立ての馬車には、真鍮しんちゅうでできた王家の紋章が打ちつけられている。見た目には黒く地味な馬車だったが、車輪には振動緩和のための装置が取り付けられており、馬車としては最新型だった。


「あ、あの……背高さん。王宮って……どうして? 私、なにかしたんでしょうか?」


 エレーヌはすっかり混乱して問うたが、手紙のやり取りにおいては優しくも感じられた『背高さん』は、今は冷たい横顔を見せるだけだった。強引に促されるままエレーヌが馬車に乗り込むと、すぐさま走り出す。

 エレーヌは状況がのみこめず、しばし落ち着かなげにキョロキョロと馬車の中を見回したが、目の前に座る男の取り澄ました態度に、少しばかり腹が立った。


「いきなりやって来たかと思えば、少々乱暴ではありませんか。いくら国王陛下のご命令だからって」


 しかし男はエレーヌの話には答えなかった。何を考えているのかわからない、どんよりした目で、いきなり尋ねてくる。


「胸は?」

「は?」

「苦しくないのか? 息がしづらくなったりは?」

「大丈夫……です。たぶん」


 エレーヌは言いながら、男が自分のことを心配しているのだとわかって、ふっと笑みを浮かべた。


「お久しぶりです、と言っていいのかしら? 会うのは二度目なんですけど、すっかり旧友みたいな気分でいます。ご迷惑ですか?」

「……いいや」


 男の返事は、相変わらず素っ気なかった。手紙と同じ。

 エレーヌはちょっと黙りこんでから、思いきって尋ねた。


「あの! せっかくなので、背高さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 男はしばし無表情にエレーヌを見つめてから、琥珀こはくの瞳を細めた。


「『背高さん』と呼ばれたのは初めてだったな」

「だって、お名前を存じ上げないから」

「訊かなかっただろう」

「まぁ、そうなんですけど。だから、今訊いているんじゃありませんか」


 男は顎に手をやって、しばらく思案している様子だったが、ニヤリと笑うのを見て、エレーヌは嫌な予感がした。


「教えない」

「やっぱり……」

「やっぱり?」

「そんな気がしたんです。今、背高さんが意地わるーく笑ったときに!」

「別に意地悪をしているわけじゃない。教えないほうが面白いように思ってな」

「もう! 知りませんよ。私、人前でも背高さん、って呼びますからね! あとで恥をかくのは背高さんの方ですからね」


 エレーヌは本気で言ったのだが、男はまったく痛痒つうようも感じていないようだった。


「そのくらいのことで、私が恥と感じることはない」


 なんとも傲岸不遜な『背高さん』に、エレーヌはすっかりあきれかえった。

 フゥと溜息をついて、窓の外に流れる景色を見遣る。

 いつも屋敷の東の窓から見えていた湖はもう見えない。土煙の向こうに、長く暮らした屋敷が小さくなっていく。


「不安か?」


 男はそんな問いをしてくるのに、まったくいたわってくれる様子はなかった。エレーヌは男に合わせて、意地悪く言い返してやった。


「不安だと申せば、家に馬車を戻してくださいますか?」

「いいや」

「でしたら不安を払うしかありません。とりあえずは背高さんを信じることにします」

「私を信じたところで、何も変わらないだろう。私はお前を王宮に連れていくだけだ」


 いちいちつっけんどんな男の態度に、エレーヌは軽く嘆息した。

 この人は私を心配しているのか、怖がらせたいのか、いったいどっちなの?


「私が王宮に呼ばれた理由については、教えてもらえないんでしょうか?」

「いずれ向こうに着けば、おのずと知るだろう」

「じゃあ向こうに着いたら、背高さんとはお別れなんですか?」

「…………さぁ?」


 またニヤリと笑ってかわす『背高さん』に、エレーヌは眉をひそめた。

 ムッとなって押し黙ると、シートに身を預けて目をつむる。

 考えても仕方ない。

 今更馬車から飛び降りることもできないのだから、今はひとまず自分の言葉に忠実に、目の前の男を信じてついて行くしかないのだ。


 久しぶりの再会にドキドキして寝ることなどできないと思っていたのだが、この数日間の不眠と、家の馬車とは格段に違う心地良い揺れに任せて、気がつくとエレーヌはぐっすり眠っていた。

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