7.けんか

 家族や使用人は、エレーヌがどうやら誰かと頻繁にやり取りしているらしいことを知っていたが、元から筆まめな娘であったので、さほどに気にすることもなかった。

 エレーヌもまた、騎士と知り合った経緯いきさつについて話せるはずもなく、従姉妹を通じて同好の士と文通することになったとだけ説明し、ひとまずは家族からの詮索をのがれていた。


 しかし三女である姉の結婚式を控えて、一度領主屋敷に戻ってきた妹のロレットは、明らかにこれまでと違うエレーヌの様子に、すぐにピンときた。


「ちょっとエレーヌ。あなた、何か隠しているでしょう?」


 鋭く問われて、エレーヌはギクリと足を止めた。そろそろ配達夫の来る時間だと、玄関へと向かう途中のことだ。それでもどうにかニコリと笑って振り返る。


「なんのことかしら? ロレット」


 妹はフンと鼻を鳴らすと、エレーヌの前にずいと一通の手紙を示した。


「『背高より』って誰?」


 エレーヌはあっとロレットから手紙を取り上げようとしたが、妹はすばしこく手紙を隠して後退あとじさった。


「もう! ロレット、返しなさい!」


 エレーヌがめずらしく大声を出すと、聞きつけた三番目の姉のオレリーがおろおろとやって来た。いよいよ結婚を一週間後に控えて、婚家での花嫁修業を終え、一時的に領主屋敷に戻ってきていたのだ。


「まぁ、まぁ! どうしたっていうの? エレーヌがそんな大声を出すなんて! 駄目よ、エレーヌ。そんなに興奮しては。落ち着きなさい」


 しかしエレーヌは青白い顔に、それこそ青筋をたてて言い立てた。


「オレリー姉様! ロレットが私宛の手紙を勝手に取って、渡してくれないのよ!」

「誰からなのか教えたら、返すって言ってるじゃない!」


 ロレットが負けじと言い返してくると、エレーヌはますますいきり立った。


「そんなことあなたに関係ないでしょう!」

「なによ、エレーヌの嘘つき! 家族に内緒で、知らない男と文通なんて」


 思わぬ暴露に驚いたのは、姉のオレリーだった。


「まぁ、それはなに? どういうこと? エレーヌ、あなたいつの間にそんな方が……」

「別に大したことではないでしょ! ただ手紙でやり取りしているだけよ!」


 叩きつけるように怒鳴るエレーヌに、ロレットがますます躍起になって問いかけてくる。


「いつの間に知り合ったっていうのよ!? こんな片田舎の屋敷にのエレーヌが、男性と知り合うなんてこと有り得ないでしょ! どうせ街にフラフラ現れた流浪人ジプシーくずれの男に騙されているんだわ!」


 エレーヌは妹のあまりにひどい物言いに、あきれて反論もできなかった。いや、怒りが飽和して、ハァハァと息が乱れる。


「あ……」


 エレーヌは胸をおさえた。いけない、と思った次の瞬間には視界がグラリと揺らぐ。


「エレーヌ!」


 姉の悲鳴が聞こえた……。


 消えかける意識の向こうで、サンザシの下にたたずむ男の姿が見える。

 いまだに名も知らぬ『背高さん』。

 何度もやり取りする中で、名を聞く機会はあったというのに、エレーヌは彼に名を問うことをしなかった。それはいずれ、この関係が終わることを知っていたからだ。 

 彼には現実の誰か ―― どこそこの侯爵の息子だとか、そんな生身の人間であって欲しくなかった。

 一度会っただけの男。

 その後に会うこともない。

 影のない憧れの象徴であって欲しかった。


 ほんの少しの間だけ、人生の中で一度だけ、恋にはしゃぐ妹のように、自分も胸をときめかせるような経験をしてみたかった。

 それだけ。

 それくらいは許されてもいいじゃないか。


 でも、哀れな令嬢の恋愛ごっこは、これで終わりとなりそうだ……。

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