6.背高さん

『前略

 サンザシの木の下で、ぼーんやりと立っていた背高せいたかの騎士様


 そもそも最初から態度の大きな方だとは思っていたのですけれど、こうした手紙を寄越よこすほどに傲慢で、無礼で、失礼で、不遜で、腹立たしい、嫌味な方だとは思いもよりませんでした。あの時に戻ることができたなら、ボーッと立っているだけのあなたに見蕩みとれていた自分の頬を三度ほどぶって、正気に戻して指摘してやりたいです。あの人は、助けを求めて鳴いている鳥の声にも気付かない、鈍感な男ですよ、と。


 あなたの考えでは、私は家族に守られるだけの、頼りない哀れな女だということでしょうか。私が家族に物も言えずに、鳥籠の中に押し込められて、月明かりの夜に哀しく鳴いているだけの、ナイチンゲールか何かだと?

 そんなに哀れで弱々しい女に思われたのでしたら、いっそこんな不穏当ふおんとうな手紙をもらったと家族に訴え出て、よよよと泣き崩れてはかなくなってしまったほうがよろしいのかしら? 


 残念ですけれど、私はあなたが思うような薄倖はっこうなる、か弱き乙女じゃないんです。

 今日だってあなたと会ったあの畑でブルーベリーを摘み、ジャムを作って山羊ヤギミルクのヨーグルトの上に乗せて、それはそれは美味おいしくいただきましたし、午後からは『ブリトリス戦記』の四巻を読んで、それこそジョーヴァンヌ将軍の号令ごうれい一下いっか、敵軍に突撃してきました。今はイチイの木でつくった弓を引いて、戦場を駆け回っております。


 あなたが一体どういうおつもりで、こんな非礼な手紙を送ってきたのかは知りませんが、大いに誤解なさっていることだけは伝えたくて筆を取りました。

 こんなに怒り狂って手紙を書いたことがないものですから、乱筆乱文はお許しください。あぁ、これは常套句じょうとうくとしての『お許しください』です。間違っても本心からあなたに対して許しを乞おうなんてことは思ってもおりません。

 では、これ以上怒りで私の心臓がどうにかなる前に、ペンを置くことにします。


 かしこ

 エレーヌ・マーニャ・フラヴィニー


追伸

 お約束を守ってくださっていることについては、お礼申し上げます。

 ラウルお兄様に、こんな無礼な人と知り合ってしまったと知れたら、それこそ私は部屋に閉じ込められて、二度と生け垣の花蜜を吸う楽しみもなくなってしまうわ。

 一応、ご忠告申し上げますけど、国王陛下はとても厳しい方だそうですから、こんな失礼なことを繰り返していたら、そのうち首を刎ねられますよ。

 では、さようなら。っくき名無しの背高様』



 ジスカルは読んでいる間にも、何度も背を折り曲げて笑っていたのだが、読み終えると、とうとう椅子の背もたれに身を投げ出して大笑いした。

 あまりにも愉快げな国王の様子に、セヴランは興味津々だった。


「陛下、よろしければ読ませていただいても?」


 おずおずと尋ねると、ジスカルが手紙をズイと差し出してくる。セヴランは受け取って、まず最初の一文だけで、またブッと噴いた。その後もつづられる小憎こにくたらしい文章に、笑いが止まらない。

 主従二人はひとしきり笑い終えて、一度深呼吸してから話し合った。


「……ラウル卿の妹君いもうとぎみは、将来作家にでもなられるのでしょうか? 文才がおありとお見受けします」

「文才かどうかは知らないが、こうまでたのしく読める抗議文を見たことはないな」

「まさか『ブリトリス戦記』を読むようなご令嬢がいらっしゃるとは思いもよりませんでした。ラウル卿の影響でしょうかね?」

「ラウル卿であれば、本を読むより剣の素振りをしているだろう。この手紙の様子だと、令嬢もただ唯々諾々と家族の言いなりというわけでもないようだ」


 その言葉はホッとしたようにも、少し残念にも聞こえた。セヴランはいつもの微笑びしょうを貼り付けて、ジスカルに尋ねる。


「同情をなさったのですか?」

「……別に、そういうものではない」

「珍しく……というより、初めてではないですか? 陛下が女性に手紙を送るなど。一体どのような方かと思っておりましたが……気に入られたのならば、いつものようにお召しになるのですか?」

「まさか。そんなつもりはない。ただ……花の名前を、知りたかっただけだ」

「花?」

「あそこに咲いていて、名前を知らなかったから、聞こうかと思ったまでだ。…………サンザシというらしい」


 ジスカルはボソリとつぶやきながら、また手紙を手に取って眺める。

 物憂げな光を宿しながらも、その琥珀こはくの瞳は細く微笑ほほえんだ。


 セヴランはうーんと思案してから、楽しげに手紙を読んでいるあるじに、軽く冷や水をかけてみる。


「では目的も果たされたことですし、エレーヌ嬢のことは、これで終わりということですね」

「…………」


 途端にムッと不機嫌になる国王に、セヴランは問いかけた。


「それともお返事されますか? ?」

「…………宣戦布告は受けるべきだろう。ジョーヴァンヌ将軍が勝ったかどうかも聞きたいからな」

「それは確かに気になりますね」


 セヴランはニッコリ微笑ほほえんで、不器用なあるじをそれとなく応援した。



***



 それから秋になるまでの間、フラヴィニー領屋敷と近衛騎士団の間を、配達夫はひっきりなしに往還おうかんした。

 多くの場合、騎士団からの手紙は短く、フラヴィニーの屋敷からの手紙は長かった。

 やがて騎士団からの手紙に、本が一冊付いた。それはエレーヌが何度目かの手紙でこぼした愚痴が原因だった。



背高せいたかさん、残念なお知らせです。

 本当はコスゴーの戦いの結果をお知らせしたかったのですけど、衝撃的な事実が発覚したんです! なんと、私の家の図書室にある『ブリトリス戦記』は六巻までだということが判明しました。ひどいです。お父様に聞いたら、なんでも『ブリトリス戦記』を集めていたのは、叔父様らしいのですけど、外国に行くときに読みかけだったからって、七巻以降を持って行っちゃったらしいのです。そのまま叔父は風土病ふうどびょうで亡くなってしまって、七巻以降は行方不明。

 事実を知って、私はあまりのショックで、その日の夕食はスープ、食べられませんでした。別にスープが私の嫌いなクミンのこいスープだったからじゃありませんよ。料理人がちょっとクミンを入れ過ぎなんです。あれじゃ明日には、プンプンにおってはえが寄ってきそうだわ。

 そんなわけで、もう『ブリトリス戦記』については、報告できなさそうです。

 ごめんなさい。

 私は今、とても気落ちしているので、これ以上書いていてもひたすら愚痴をグチグチ言っていそうだから、ペンを置くことにします。


 かつてないほどの絶望に打ちひしがれているか弱き令嬢

 エレーヌ・フラヴィニーより』



 この手紙の返事と一緒に届いたのが『ブリトリス戦記』の七巻だった。



『ちょうど家に『ブリトリス戦記』の七巻以降がほこりかぶって置いてあったので、君に差し上げることにする。八巻以降は、七巻が終わりそうな頃合いで届けよう』



 相変わらず素っ気ない内容だったが、よくよく読んでからエレーヌはクスリと笑った。

 エレーヌが『背高さん』と名付けた男は、エレーヌによる『ブリトリス戦記』の現場報告めいた感想を面白がって続きを要求してきたので、エレーヌはそれこそ兵士になったり、救護の医者になったりしつつ、報告書(感想)を書き送っていたのだが、考えてみればこんな有名な本を騎士でもある男が知らないわけがない。そのことについて手紙で尋ねたことがあったのだが、そのときの返事は「知らない」だった。


『仮にも騎士なんですから、『ブリトリス戦記』は必読じゃありませんか?』


と尋ねると、


『あれは大衆向きに大幅に脚色されている部分もあるから、実際の戦闘においてはあまり参考になるものではない』


とにべない返事だった。


 そんなものかと、別に同じ近衛騎士でもある兄のラウルに尋ねてみると、驚いたことに兄も『ブリトリス戦記』を読んだことがないとのことだった。最初の一頁で眠くなってしまって、その後、開いていない……といういかにも兄らしい理由に、エレーヌはちょっと頭をかかえた。


 兄についてはくとしても、今回の文面において、男がエレーヌに一つ嘘をついていたことが明らかになった。


「どうして七巻の終わりそうな頃合いがになるのかしらね? なのに」


 エレーヌは短い文面を何度も読み返しては、クスクス笑った。


 嘘をつかれているのが、嬉しいと思うのはおかしいのだろうか?

 けれどエレーヌにとって、その嘘は好もしいものだった。

 だから気付かぬフリをして、その後も手紙のやり取りを続けたのだった……。

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