5.哀しきご令嬢と名無しの騎士

 それから日々はつつがなく、のんびりと、退屈に過ぎた。


 変わったことと言えば、フラヴィニー家の元気印である双子二人が、長兄のいる王都の伯爵邸に行ってしまったことくらいだろう。

 国王陛下の行幸ぎょうこう以来、すっかりかの美しい残虐王の虜となってしまった妹は、実際に会えるわけでもないのに、それでも少しでも近くに住んでいたいと言って、泣いてわめいて、ごねて、癇癪かんしゃくを起こし、とうとうさじを投げた父の許しを得て、この片田舎の領主屋敷を出て行った。

 ロレットが行くなら自分も最近生まれたばかりの甥っ子が見たいと、ジョナタンまでが駄々をこね、結局母が二人を連れて行くことになった。


 いつも騒がしい弟妹たちがいないのは、少し寂しくもあったが、ある意味これも予行だろうとエレーヌは思った。

 いずれ双子達もここを出て行く。

 そうなれば自分はここで一人、変わり映えしない生活の中で、淡々と生きていくことになるのだろう。


 その日も庭で採取したラベンダーを持って部屋に戻ったところに、執事が手紙を持ってきた。

 差出人を見ると『近衛騎士団内より』とある。

 エレーヌは首をかしげたが、騎士団と聞いて覚えがあるのは兄のラウルくらいであったので、この手紙も兄がちょっとばかり気分を変えたのかと軽く考えて、さっさと封を切った。

 しかし便箋を開いた途端に、それが兄からのものでないとすぐにわかった。


『哀しきご令嬢 エレーヌ・マーニャ・フラヴィニー

 リボンに足をとられた小鳥を助けることができても、自分が鳥籠にいることには気付いておられないらしい。優しい家族が君の望みを叶えることはないだろう。それを良しとするのであれば、この手紙は焼き捨ててしまうと良い。異存あれば、近衛騎士団宛まで。』


 エレーヌはその短い文面の手紙を最後まで読んでから、もう一度頭から読み直した。それでも理解できなくて、もう一度読んだ。何度も頭の中で反芻はんすうしてから、どうして理解できないのかと思ったら、それはエレーヌがとてつもなくいかり狂っているからだった。


 なんという無礼な手紙だろう。

 しょぱなから人のことを『哀しきご令嬢』ですって?!


 エレーヌは手紙をグシャリと掴み、ブルブル震えていたが、ゴミ箱に捨てることはしなかった。これでこの手紙を焼いてしまったら、この男の言うことを認めたことになってしまう。


 エレーヌはギリギリと歯噛みしながら、書き物机エスクリトワールの扉を乱暴に開くと、引き出しから便箋を取り出した。

 ペンのインクが垂れるのも無視して、怒りのままに書き綴ると、早々に封筒に入れ、言われたとおり近衛騎士団宛に速達で送った。



***



 翌日、エレーヌからの手紙を受け取った騎士団の事務官は首をひねった。

 王都警邏けいら隊からの報告書に目を通していたセヴラン・リヴィエ卿が、困った様子の事務官ににこやかに問いかける。


「どうされました?」

「あの……エレーヌ・フラヴィニーという方からお手紙が来ているのですが、これはラウル・フラヴィニー卿に渡せばよろしいのでしょうかね? 宛名がその……騎士団の……」


 それ以上、言っていいものか迷っているらしい事務官から、セヴランは手紙を取り上げた。

 差出人は確かにラウル・フラヴィニーの妹エレーヌ。宛名は……


「『近衛騎士団内、無礼千万なる名無しの背高せいたかさま宛』……」


 つぶやいて、ブッと噴き出す。

 当惑する事務官に、セヴランは「失礼」とすぐにいつもの本心を見せぬ微笑びしょうに戻った。


「これは私宛です。今後、エレーヌ嬢からの手紙はすべて私に持ってきてください」


と、事務官に指示し、そのまま部屋を出ようとして言い足す。


「このこと、ラウル卿には黙っておくように」


 事務官はその理由を問うのは控えた。

 国王陛下の遠縁とおえんだという騎士団きっての剣のつかは、秘密裡ひみつりに暗殺を任されることもあるという。そうでなくとも、国王に似た琥珀こはくの瞳で睨まれて、どうしていちいちその行動の理由を聞きただすなんてことができようか。


 事務官が大人しく頷くのを確認してから、セヴランはドアを閉めた。

 すぐさま国王の執務室に向かうと、手紙の差出人の兄が警護中だった。セヴランは国王にうやうやしく辞儀して言った。


「陛下、お人払いを願います」


 書類にサインをしている国王・ジスカルの手が止まる。背後に立っていたラウルは不満げに唸った。


「どうして僕達を払う必要があるんです?」

「そうすべきと思うからですよ」


 セヴランはある意味鉄壁の微笑みで、騎士団において剣の腕では自分の双璧そうへきとも呼ばれているラウルにやわらかく辞去を促す。しかし元より水と油の二人であれば、ラウルは職務に干渉してきたセヴランに対して、不満もあらわに抗議した。


「護衛の騎士は壁同然にあることとされてます。何を聞こうが反応なんかしませんよ」

「壁同然ではありますが、壁そのものではございませんので……動揺を与えるようなことを聞けば、じっとはしておられぬでしょう」

「いちいち回りくどい言い方を……」


 騎士たちのやり取りを見ていたジスカルは、ラウルの言葉を遮ってセヴランに尋ねた。


「なにがあった?」

からお返事が来ました」

「…………ラウル卿、エドモン卿、下がれ」


 ラウルは抗議したかったが、ジスカルの琥珀の目が冷たく冴えているのを見て、仕方なく部屋を出た。

 不満げなラウルの溜息とともに扉が閉まると、セヴランはおもむろに手紙をジスカルに差し出した。宛名を見た国王はしばし目を丸くして固まっていたが、やがてククッと体を折り曲げて細かく肩を震わせる。


「なかなかいいな。今後、背高コレ符牒ふちょうにでもするか」

「ラウル卿の妹御いもうとごは病弱なる令嬢と聞き及んでおりましたので、陛下からの手紙となれば、おそれ多くてそのまま卒倒するのではないかと思っておりましたが……存外、気の強い御仁ごじんのようですね」

「さぁ、どうだろう……」


 ジスカルはニヤリと意地の悪い笑みを閃かせて封を開けると、怒りもあらわに書かれた文章を辿たどった。

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