4.ラウルと国王
一方、男はエレーヌが去った後も、しばらくその場に留まっていた。
鬱陶しげにサンザシの木を見上げてから、
渡り廊下から姿を見せたのは、この家の次男、近衛騎士のラウル・フラヴィニー卿だった。
「こんなところに……!」
と、叫びかけて声をおとす。
「入れ替わるなら、ちゃんと言っておいてくださいよ! いつの間にかセヴラン卿になってたから、びっくりしたじゃないですか!」
囁きながら怒鳴るという特殊な方法で文句を言ってくるラウルを、男はジロリと睨みつけた。
「ここに来る前に、フラヴィニー前伯爵に連絡したようだな」
「は? そりゃ、します。当然のことじゃありませんか。いきなり国王陛下が前触れもなくいらっしゃったら、家内の者だって驚いて腰を抜かします。今回にしたって、あわてて準備する羽目になったって、母に愚痴をこぼされましたよ」
「伝えたのは、来ることだけか?」
「はい?」
「例の大事な妹を隠すようにと、指示したのでは?」
皮肉げに言う男に、ラウルは
事実、国王陛下がこの屋敷に訪れることを伝達する際に、父には特にエレーヌに出てこさせないようにと、強く念押ししていた。
「ガストン卿はよほどエレーヌ嬢に会いたかったのだろうな。家族の出迎えの際には、必死に目で探していた」
「冗談じゃない。あんな野郎に大事な妹をやれるわけがないでしょうが。どうせ兄の貿易事業が儲かってるから、借金の肩代わりを頼みたいがための口実ですよ。フザけんな、って話です」
ラウルは吐き捨てた。
自分と同じ近衛騎士のガストン・レスコーは、伯爵家の三男坊であるが、どこで聞いたのか妹のエレーヌを貰い受けたいと、しつこく兄のフラヴィニー伯爵に懇願していたらしい。
無論、兄が了承するはずもない。話を聞いたラウルもまた、ガストンには厳しく、妹との結婚については一切応じない旨を伝えたというのに、まだ未練を残しているようだ。
やっぱり父に念押ししておいて正解だった。だいたいガストンのことがないとしても、ラウルは父に言っておいただろう。絶対に国王の前にエレーヌを出すな、と。
即位前後の政変については、色々と血なまぐさいこともあったが、それでも内戦になることもなく、王太子(現国王)は軍部と王都を
その後、二年に及ぶ統治においても、概ね善政を敷き、国家の安定をもたらしている。一国の王としては、優秀で勤勉な主君の事を、ラウルはそれなりに尊敬していた。
だが、女性関係についてのみいえば、同じ男からしてもひどいものだった。
妃を置くこともせず、自分に言い寄ってきた女から物色しては、適当に遊んで飽きたら捨てる。その繰り返し。
『とんでもねぇクズだ……』
と、ラウルは内心で思うに留めているが、政務については真面目に取り組んでいる姿を見るにつけ、どうして女性関係だけはこうも
なんとしてもこの王からだけは、
ラウルは堅く自身に誓ってから、ふと違和感を持った。
「あれ? 僕、エレーヌの名前を言いましたか?」
「……さっき聞いた」
「しまったな。名前も教えないつもりだったのに」
「そんなもの、貴族名鑑を見ればわかることだろうが」
「わざわざ見るんですか? あの分厚い本を行政府から借りてきて?」
「いや。興味はない。もう知っているからな」
薄く笑って言う男に、ラウルはまた渋い顔になる。
「忘れてください。陛下には関係ないことですから」
「……考えておこう」
「また、そうやって僕に気を揉ませないでくださいよ! だいたい、どうしてこんな場所に来られたんです? カシスでも採りに来たんですか?」
ラウルの問いかけに、男は振り返ってサンザシの木を見上げた。
「少し、懐かしい香りがしたからな……」
男の顔から笑みが消え、普段の冷たい面差しに戻る。
ラウルはチラリとサンザシを見上げた。住んでいたときには特に気にしたこともなかったが、言われてみれば、少し甘いような匂いがしてくる。
だが男の暗い表情からしても、その匂いが楽しい思い出を運んだものとは思えなかった。
ラウルは軽く息を吐くと、気持ちを切り替えて呼びかけた。
「そろそろ帰りましょう。国王陛下」
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