3.ロレット
エレーヌは無人だと思っていた自分の部屋に人がいたことにドキリとなったが、それが妹とわかった途端に
「お父様に部屋を出ては駄目だって言われてたでしょ!」
厳しく叱りつけてくる妹に、エレーヌは肩をすくめた。
「もちろん、そのつもりだったのよ。誰かさんの大事なリボンが、小鳥の足に絡まっているのを見かけなかったら」
「え? なに言ってんの?」
聞き返してくる妹に、エレーヌは無残に破けた
「ああーっ!!」
妹は叫び、絶望的な表情でエレーヌからリボンをかすめるように取り上げた。
「私のリボンがあぁ!! ひどいぃ!!」
大声で嘆く妹に、エレーヌは静かに
「そのリボンが足に絡まって、小鳥が飛びにくそうにしていたから、取ってあげたの。まったく、あなたもリボンを小鳥に取られるなんて、どんな結び方をしていたの?」
「違うわよ! ジョナタンがふざけて私のリボンを取ったの! それで追いかけ回している間に、あの馬鹿が庭に落としたのよ。すぐにミアに取りに行かせたけど、もうないって言われて……」
「あらあら。それはジョニが悪いわね。ちゃんとお父様に叱っていただかないと」
「そうよ! あの馬鹿!! お客様用のラズベリーパイを盗み食いしようとしてたから、私がお母様に言い付けてやったら、私のせいで怒られた……って、仕返ししてきたのよ!」
「あっ、あー……」
エレーヌは途端に気まずくなった。ジョナタンにパイを取ってきてくれと頼んでいたことを思い出す。
困ったように口を
「なによ、エレーヌ。あなた、まさかジョナタンに私のリボンを取ってくるように言ったの?」
「まさか! そんなわけないでしょ。私はちょっと……できればお客様にお出しするパイを一切ればかりもらってきてもらえないかと、お願いしただけよ」
「もう、エレーヌってば。そんなことジョナタンじゃなくて、アンかミアにでも言い付ければいいでしょ。お陰で私、国王陛下の前で、泣きべそかく羽目になっちゃったじゃない!」
「あら。でも国王陛下にお目通りできたのね? どんな方だったの?」
エレーヌの問いに、ロレットはいきなりコロリと態度を変えた。
「それがとってもカッコイイ方でいらしたのよ! ホラ、噂を聞く限りだと、それこそヒゲもじゃの、蛇みたいな目をした、熊のような、恐ろしげな大男じゃないかって想像していたんだけど、ぜーんぜんそんなことなくて、それはそれは優しげな目をした、美しい方でいらしたの。泣いてる私のことも、優しく慰めてくださってね。あぁ~、あんな素敵な御方だったら、私、王妃になってもよいわ」
うっとりと言うロレットに、エレーヌは首をひねった。
「国王陛下って、おいくつでいらしたかしら?」
「二十七歳ですって」
「十五も年上よ? あなた、前にデボラ姉様がルブーフ子爵と結婚したときに、あんなオジさんって、散々文句言ってたじゃない?」
デボラは母方の従姉妹で、幼くして決められていた婚約者のルブーフ子爵オディロンと結婚したが、七つの年の差があった。
しかしロレットはあきれたように言った。
「エレーヌったら、あんなへちゃむくれと国王陛下を一緒にしないで頂戴。まったくデボラ姉様ったら、引く手あまただったっていうのに、どうしてよりによって、あんなチョビ髭のオジさんを選んだのかしら? バルビエ伯爵家のベルトラン様のほうが、年も近いし、よっぽど男振りも良くていらしたわ!」
「……人柄でしょう」
エレーヌはルブーフ子爵に会ったことはないが、デボラから話を聞く限り、この優しい従姉妹が子爵にゾッコンであるのは間違いなかった。
頬を赤らめながら、彼の話をするデボラはとても美しかった。
従姉妹自身、ルブーフ子爵のことを美男子だとは言わなかったが、「とってもかわいらしい方なの」とのろける様子からしても、特に容姿に不満はないのだろう。
それにデボラに対する子爵の態度も、およそ家同士の決めた婚約者にありがちな取り繕ったものではなく、彼女を大事に思う気持ちが、デボラの語る様々なのろけ話の中に垣間見えた。
正直、貴族社会における結婚は、家同士の結びつきが最優先されるので、デボラのように親が決めた婚姻であっても相思相愛でいられるのは、非常に稀なことだ。
しかしまだまだ夢見る少女の妹は、今しがた会ったばかりの『カッコイイ』王様に、すっかり心を奪われていた。
「人柄ね。えぇ、人柄だけはいいわよ。それは認めるわ。でも、国王陛下は人柄だっていいうえに、男前なのよ! こんな完璧なことはないでしょ!」
「完璧ねぇ……」
エレーヌは苦笑した。
亡くなった祖母の言葉を思い出す。
―――― 完璧な人間などいないし、いたらそいつは悪魔の類だよ、エレーヌ。
ロレットは馬鹿にされたと思ったのか、ぷぅと頬を膨らませて意地悪く言った。
「ふん、だ! どうせエレーヌは国王陛下に会うこともないんでしょうから、知らなくったっていいわよ。結婚式にも招待できないでしょうしね!」
例の長兄の結婚披露宴での一件以来、エレーヌは仲の良い従姉妹の結婚式であっても、出席を許されなかった。
そろそろ三番目の姉の結婚も間近だが、父親をはじめとして、弟のジョナタンまでもが、エレーヌが結婚式に参席することに反対している。
そこまでしなくとも……とはエレーヌも思うのだが、例の一件はエレーヌ自身も相当に恐怖を感じたことであったので、また同じような目に遭うかもしれぬと思うと、やはり気後れしてしまう。
黙りこんだエレーヌに、ロレットは少し言い過ぎたと思ったのか、小さい声で言い訳した。
「そりゃ、エレーヌが悪いわけじゃないけど……でも、きっとお父様たちやお兄様は許してくださらないでしょう? だって結婚式に酔っ払いはつきものだし、私が陛下と結婚したとなったら、いよいよフラヴィニーの美人姉妹で残っているのはエレーヌだけだもの。それこそ狙いすました男どもがわんさとやってくるわ」
「まぁまぁ……ロレット。あなたの中で王妃になることは、もう決定しているのね」
エレーヌは想像たくましい妹に呆れ返ったが、小さい頃から将来有望と褒めそやされてきた妹は、自信満々だった。
「そうよ! だって、国王陛下は特に私に対して優しく接してくださったもの。きっと将来、王宮に召そうと考えておられるから、悪い印象を残さないようにと必死なのだわ」
「そう。陛下が本当にそこまで考えてくださっているなら、姉としては祝福しましょう」
妹のたわいない妄想につき合って言うと、ロレットはニヤリと笑って乗ってきた。
「あら、祝福してくださるなら、姉様の持ってる白のシフォンリボンを下さいな。私のリボンは駄目になってしまったんだし」
「うーん……」
エレーヌは考えた。
ロレットの言う白のシフォンリボンは、妹へのプレゼントと一緒に長兄が送ってきてくれたものだ。妹のと同じように色とりどりの小花が刺繍されていて、それも欲しいと妹がぐずったのを思い出す。
ロレットは思案するエレーヌに、ぐいと迫った。
「私のリボンが駄目になったのは、エレーヌにだって責任はあるわよね? だってエレーヌがジョナタンにパイを持ってこいと命令しなかったら、ジョナタンは盗み食いもしなかったし、そうしたら私がお母様に ――― 」
「ああ! はいはい、わかりました、わかりました」
エレーヌはそれ以上ネチネチと嫌味を言われる前に、早々に降参し、ドレッサーの棚から白いシフォンのリボンを取り出した。
ロレットは狙っていたリボンを手に入れ、ご満悦の笑顔で部屋を出て行った。
「このリボンを結んで、陛下をお見送りしてくるわね!」
エレーヌはすっかり恋する乙女となった妹を見送ってから、バタンとベッドに倒れ込んだ。
妹にしろ、従姉妹にしろ、恋の話は女性の好物であるからして、楽しむのは大いに結構だが、エレーヌにとっては
父と兄の意向でエレーヌがこの先、結婚することはない。この領地で静かに生を終えることが決まっている。そんな自分が、男の人と恋に落ちたりすることなんて有り得ないだろう。
だからいつもエレーヌが恋い焦がれるのは本の中の登場人物で、物語が終了すれば、エレーヌの恋も自動的に終了した。それが寂しいとも、物足りないとも思わない。自分は淡々と生きるべき人間で、妹のように情熱的に誰かを想うことなどないだろう。それでいいのだと、エレーヌは
けれど ―――
「あ……」
自然と
裏庭のサンザシの木の下に佇んでいた男。背の高い、ちょっとばかり態度の偉そうな近衛の騎士。
「そういえば……名前を聞かなかったわね」
ふとつぶやいて、エレーヌは寂しく微笑んだ。
名前を聞いたところで、別に何をすることもないというのに……。
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