~続・黄金風景~(『夢時代』より)
天川裕司
~続・黄金風景~(『夢時代』より)
~続・黄金風景~
小満の一日過ぎる頃、小さな春風に誘われながらも俺はぽつぽつぽつぽつ歩き出して、凍える様な小鳥の鳴く声を聞いて又、小さな冒険へと旅立とうとして居た。凍えそうなこの孤独を小さく又解消するものは程好く光り輝く衒いも含めてあの東京に在ると信じたようで俺は歩を進めて行き、周りで他人(ひと)が大きく骸を被(かぶ)されながら〝蓄積〟の様にされて固まるその横の小路(しょうじ)を悉く歩いて行き、やがて帽子を被りながら笑って居た頭取の様な人に出会ったのである。微かな女の悲鳴の様なものが小耳に聞え出したかと想えば次の瞬間自分の恐らく進むべきとされた小路(みち)が現れて、俺は又ぽつりぽつりと駄弁を聞きつも緩やかな足取りを背と胸(こころ)とに負いつつ心身を延ばし始めた。赤い服を着た儘で陽光の下(もと)に在った俺の心と瑞々しさとは又煩悩から小さく掛け離れるようにして改進を極めつつ、今まで自分が涙ながら出会って来た問答形式で片付けられて仕舞う程の僅かな人からの干渉さえも自ず全き人の闇の内に放り棄てられ、遂には行き先をも無く果てた小さな子鼠の様な白く小波(さざ)めいた哀れに笑う道化師(ぴえろ)の巧妙を程好く掌(たなごころ)に持ち、小言を聴かれぬ儘に誰にも会えない東海道の林道に身を置いた儘、紺碧に剥げ落ちた空の下、前進を試みたのだ。迸りつつ人間(ひと)に好く運命の在り処を教えようとして来る黒い魔術師の様な霊に寄る傀儡達は自分の麓へまで俺の生霊(いきりょう)が身を忍ばせて居たのを知ると、途端に憂いの帆端(ほばし)を失くしたように定位置に就き、堕天を崇(きよ)める為の鼓舞を始めて儀式を行い、同じ廓(くるわ)の内にほっとその身を忍ばされ続けた女身の像を狂喜の内に引っ張り出して来てはその成果の程を他人の胸に押し当て評論を持って、在る事無い事宣う改竄迄の憂慮を退引(のっぴ)きならぬ正義への断行へと貶めた儘で、俺とその横に集った周囲の人人を騙し始めて、その正義とは自ら崇めた社(やしろ)へ建てられた早熟の神秘に違い無かったが、人人がその日の釣果を早く他人に報(み)せたいその純心奏でた一心(いっしん)の効果にして遣られたようで、誰にも疑われずに在ったのである。朝日が夕暮れと成り、静かに昼間の長寿に付き従う頃、怒涛の如く押し寄せ始めた人への程好い誘惑が灯した口付けは見る見る個人の内に吸収されて、その時点が都会にあっても田舎にあっても効(こう)は緩まず、惜しい哉、俺への傍若振りは自然に於いて極められる処と成った。果てた夢への傀儡とは人人が抱(いだ)き落ち着く自然空間(ばしょ)であって、その「人の場所」とは何時まで在っても飽きられない儘人の興味を引くものであり、取分け目立とうとはせず程好く充満して行く「人の夢」が織り成す人の傀儡への切っ先を報せる非現実的な御殿へと、又他人諸共、その個人を誘うものだ。その「個人」とは例えばこの日には俺を指し、又他人(ひと)さえ指し、一体誰を照らし続ける照射で在るのか定めない儘、一端(いっぱし)の全身を纏うオーラへと成り果てた。臭水が軟い春風に誘われるように靡いて漂う水田の畔(ほとり)を越えて野を越え谷越え、山越えて、一つ目の短く長いトンネルの闇を越えれば後は早いものであり、俺は三つ目(みつめ)を呈した小僧の様に淡く綻んだ一端(いっぱし)の胴乱を羽織りつつ、人人の群れる都会の街を我が街とした。青い、転変の虚空がその表情(かお)挙げて灯した人への点灯とは人の思いを数段越えて凌駕して行き、やがてはこれ迄に見知り俺を絆した様々な物語の展開に俺は又絆されつつも、その流れに一応の諦観と安堵とを憶えた儘で、既に白紙で在った俺の心中へと又新たな色彩を落とし付けるのである。その様な強靭を秘めた都会の音頭とは一端(いっぱし)に加えられ行く微温湯(ぬるまゆ)が成す空想を暫時実現して行き、明日、明後日へと己の野心を屈葬させつつ延び行く人と現実との骸の程度を一層疚しく変えて、又化えて、〝これが歴史である〟とぽつり呟くその反響とは又、俺の心を蔑ろにせず足取りさえ軽くさせられ、俺はその大らかに貶められ行く疚しさに労の在り処を垣間見、人としての努力へ邁進して行く。母親と父親とを想う俺の身を真っ先に按じ、気を衒う事の甲斐さえ見せず、「俺」としての在り方を程好く見せ給うた存在(もの)は人が成し遂げる筈の「都会」とされた情緒が指す処に在って感動が在り、論理を隈なく網羅して行く人の苦労から必ず見得ない、知る事さえ無い当然の路傍は柵から抜け、俺の眼(まなこ)へすんなり落ち行く曲解扮する正義で在った。俺は訓戒を程無く欺瞞が纏わる歴史の内から引っ張り出した儘口付けをして、口付けされたその「訓戒」が示した道標に記された玉手箱の様な、時空も次元も違った白紙の上には、何時しか人から放られた儘変化を忘れた金糸雀が居て、その「道標」の織り成す処とは、人が何時か見知った筈の黎明の都を寸前違わず構築し始め、俺への雅の〝凌駕、一介の騎士達〟から眠り奪った奮闘による糧の様な物を心底根差した奇怪(きっかい)を貫き自答して、遂には孤独を忘れた個人の源へと還って行くのだ。俺には都会と田舎の定義を分ける区別が見得ずに闊歩して行く勇気への讃頌も自体への蹂躙さえも皆程好く笑顔を示して、俺は父親と母親の為に未曾有とも似た優しい配慮を以て土地土産を買う事を決めて居た。父には〝ゴルフをする時に被(かぶ)る鍔の付いた帽子〟を、母には、一週間置きに必ず七回覗いて心身の前後を図り微熱を付される〝「ハンチョウ」シリーズに出て来る人物・キャラクター達への関連グッズ(例えばフィギュア)〟を、夫々求めて、地中を彷徨う様に当の目的を忘れた儘で改心を続けようと努力して来た。
朝晴れが湿地を照らす頃、東京の郊外へと歩を向け始めた俺はひっそり咲いた雑草が見るも知るも無残な深川の沿道に強く生きて居る事を知り、通り一遍に見知り涙流した夏の蜃気楼さえ連想させる夏のドラマを唯鬱蒼と、うっとりと、迸る人が放つ空虚な熱美(ねつび)を帯びて又母をも想い出し、当の自己を昇華させる為の派手な目的を何処かの民宿へと置き忘れさせられた儘の体(てい)でとぼとぼドラマを歩き、知ったその展開の内でやがては一つのドグマが被(こうむ)る究極のシリンダーを自らの体内へ内蔵させた儘で謳う事を知り、俺は晴天を流転に換える人人の欠伸に唐突な鹿鳴を奏でた順路を築いた。清麗(せいれい)に咲いた雑草の一番(ひとつがい)達は皆一様の欠伸を以て我を参加させ、その〝悠々会〟と称した会への参加ははた又俺がこれ迄様々に喜怒哀楽を憶えた事で適地に落した「分身」とも言える俺の断片・断片を啄み始めて、現行へ置き、次第に活性させられ跳び撥ねて行く俺への追従を謳うそれ等の断片とは又見るも豊かな一節(ひとふし)へと作り変えられて行き、都会の浄気を見るも豊かな春秋の済んだ空気へと束ねてばら撒いてその効力が成す夢の謳歌を人の都の又適所へ散在させて、黒く塗り潰されない由無(よしな)の風景へと変えられて行く一層のロマンスの体(てい)が首を傾げながらも我を魅了して行く事と成って行った。誰かのミスマッチ、ミスキャストに依る憤悶かとも我知らず、所々で俺の疑惑は至難を呼んだが、春に小波(さざ)めく小鳥の囀(なきごえ)は〝当然の如し〟と又一端(いっぱし)の羽織を着た儘横行し始め労を成し、子供に唄う甘い母の賛歌と同様の丸味を帯びた一節(ひとふし)が、又空から舞い落ちて来るこの春の幼さを俺は又啄み糧とするものと成って行った。
人人と全く会話が出来ず、しても遣らずの雲、と功を剥ぎ落とされた一介の剣士が昔に持った憂慮の断行はこの所又その鎌首擡げて俺の御前(みまえ)で正座をして在り、所々でとち狂った様に己の鬱を何処かへ吐き捨て、或いは「メイド喫茶」と称する文化の構築を散乱させた藻屑の海へとその心身(み)を投げ遣っても一向に衰え知らずの人の労苦は又小火(ぼや)を生み、悉く消化して行く人体(ひと)の強さに仄かに目くじら立てた「現行」とは又俺の身元は確別されたように隔離され、確立されて、滞りなく突っ走りつつひたすら春を求めたあの夏の少年の態(てい)を常軌を逸する程に妬み嫉み挙句に求めて、又流離いを期す体(てい)に落ちて行くのが時間の問題とも成る現行の骸と遭遇する事も厭わぬ儘にて、人の強靭を屈葬させられ行く己の人体の内に既に構築し立てた。喉が渇く程に、人人が織り成して行く都会の風情と人工が賛歌されたホテルの一室とを往来する俺は又、その過程で見知り華を手向け手向けられてた骸の強靭に再度見捨てられ始めたようで、唯何処となく行方知れずの小学校の体育館が見せた夏の少年向きの仄かな闇にこの身を浸され、歩いて行った矢先には既にこの身を同乗させ行くバスは無く、部屋へ入る為の鍵だけがシャンデリアの照射をきらきら映した金鍍金(きんめっき)が縁取る硝子張りのテーブルに置かれて在り、砂埃の激しく流満して行く人工の都へは一歩足りと出られない程、抗鬱の精神が既に自身に在る事を知り、俺は唯、学帽を被り絞めた爺様が映る程好い精神主義が束ねられた、左右に置かれ放られた放任を謳う社(やしろ)の中へと身を参じて埋没させて、自分にでも見得ぬ程のスピードを伴い、他人(ひと)と事象(もの)からその姿を晦ます程に慌てた炎を消火させて行った。満天の星空が狂う程に程好く宙に漂う頃、ホテルのボーイは早稲田の庭から取り置いた奇怪(きっかい)な木の実を我に与えて姿を晦まし、見えなくなった。俺は自分の姿を掻き消して居るから、この闇の為に、その男の姿も見えなくなるのだ、と何処かで改心して居た。慌てた様にまるであのシャンデリアの照明の内に消え果てたボーイの後を追い俺は、その途中で出会った同じくホテル従業員の奇麗に仕上げられた女性に一会釈(ひとえしゃく)を交して居たが唯の一度も恋に落ちた事は無く、又当然のように流れ清められ行く時流の傍(そば)で仄かな諦めが自身を照射させ、その照明の源(もと)はあのシャンデリアに在る人工の骸と知った時には既に二人の仲は改竄される様に真っ白な立てと成り果てた。俺の為に束ねられた「夜」という闇の中で俺はその日を眠る…。
俺は翌朝起きてハムエッグとサンドイッチと珈琲等をホテルの横に据えられて在った売店で買い食い飲んで、薄ら曇る陽気御殿の下(もと)、とぼとぼ流離うように田舎の畦道目指して出発して居た。端(はな)から当て等無かったが、その日の俺の為に用意された小道具や舞台達がきっと何処かで展開(おうか)して在るのだとして、もう一度すぐ近くのラーメン屋へ入り、大学から要望が果たされる迄の時間をそこで過して居た。仕方が無かった。一層(いっそ)のこと雨でも俄かに、否土砂降りに降り続いてくれたならば今の自分の心境は上手く現行のスクリーンへと反映させられてその気にも成れ、救われるのに、等俺は想って居たが旱々(かんかん)照りの春晴れで、好きな温もりは一層暑さに変わって行った。そのラーメン屋のご主人を上手く支える棒立ちの女将さんは俺の表情(かお)を知った途端に軽やかな足取り以て小蝶の様に揺らめいて、冷(ひ)やを一杯、二杯、計五杯ほど俺のテーブルへ用意してくれて、歩先を乱さずそれでも主人を唯愛して居たようだ。頃合い見計らい別の客が、土木建築か何か、屋外で働く豚・ゴリラの様な強靭性を秘めた黒光りする両腕(かいな)と台(うてな)を採った人体の土台を構築した儘、春先知らずの硝子戸の向うに拡がる景色を暈して女将を見上げ、一端(いっぱし)の口調を以て呼び寄せて居た。何気無く立ち働いてた赤色の女将は焼酎を持って行くようだったが実際手許を見るとビールの様であり、白い泡がまるで琵琶湖の白波を想わす程にて、頼り無さを男に立たせた黄金を呑ませようと唯必死だったのを憶えている。その赤色から白くも仄かに青くも変り得る女将を見守るこれ又格別腕っ節好さそうな、誤解を招く程に黄金色(こがねいろ)した兄ちゃんは、どうもその店の主人ではなく、暇さえあれば精出しその店に献身を努めるように在り、唯、ひたすらその女将の面目に平伏しながら仄かな恋心(じゅんじょう)を期して居る様(よう)だった。とうとうラーメン屋の主(あるじ)を見付けられずに俺は体と頬とをかっかっ熱く火照らしつつも、目前に一杯並べられた冷やのコップを数える間も無く一気に呑み干し、勘定をして退店していた。退店した後、先程までは〝外界の空気〟と気嫌いするほど足蹴にした儘、唯口と目とに入る塵への悪口をのた打ち廻るだけで済んでいたのが急に静かに鳴り止み、目下急襲されたような我が土台の痛手を知りつつ俺の骸は、又新たな希望を目掛けて荒く繊細な羽音(はおと)を鳴らして生きて行った。
「人は、土工建築をする前でも、他の事をする前にも他人と話し合う。話をするのだ。一人で何かを作る時でも人は自分と話し合い、無意識ならば無意識の内で話し合うと信じたくなる。人とはそういう生物だからだ。共に皆、人がする事である。議論とは、無駄な事であろうか。」これはその時、そのラーメン屋の主人が密かに客足を呼ぶ事に熱中し、又止める為に死力を尽した自己(おのれ)の算段が称し我に伝(おし)えて来た内容であり、俺がそこで学ぶ内容には、とっくに見知って出来た己の構築が息をし存在して居て、この事に依り、俺とこのラーメン屋のご主人とは糸よりも頑なな結束で結ばれ得たのだ。誰も知る筈の無い純心の社(やしろ)は今日成った、俺は次の目的地を探しつつも、この処で得た貴重な自分宛ての手紙(たましい)を幻覚(ゆめ)の温度に取得したまま華厳の如くに幻想(ゆめ)を馴らせた事始(こと)の無意味を傍悛した後(のち)、一応の安堵さえ抱いていた。
遠く離れた陽天(ようてん)の麓に在った壮大な主天閣を起した文麿の館(やかた)は人通り少ない、小汚い道場に在った。鬼子母神を越えた辺りにその身を窄めるようにして在る学習院下の面影は、千鳥足を奏でて歩くあの一匹の禿鷲の様でもあって俺を中々寄り付かせずに、伸びるばかりの稲の穂先を黄金を束ねた儘で死神の鎌の様な青刃(あおば)で刈り取って行くその姿とは正に見て居て清しいもので、刷新であり、斬新な蝙蝠傘の内にその身を捩(よじ)り捩(ねじ)るようにして入れて来た他人との紺碧は今でもこの身に懐かしく、危なかしく咲き続けるのであるがその時系を時流が許さず、既に「現行」は別の空野(くうや)を映し出して居り、人が絡める陽気な主閣はどうもこの頃俺への表情を変えて仕舞ったように何かを目論んで居る様子でもあり、それにしても何も伝(おし)えぬ街行く人人は俺の目前を唯素通りして得体も知れぬ闇の内へと帰って行くのだ。土木の建人(けんじん)達を仄かに横目で躱して車が行き交う主道から逸れ、中通(なかみち)を程好く過ぎれば一層伽藍を見下げた下町の小路へとその身は侵入して行き、小さく並んだ白いビル々(びるびる)も、軒並み落したその不景を露わにしたまま一層無人の体(てい)と成り、清閑を魅了した。泥沼仕立ての人の骸を束ねた赤色一色に交流させられた一群の声は肥え太ったようにあの丘の上の社(やしろ)の方から盛大に喝采せられて俺へと届き、俺は晴れた空の下で盛大に交された春の陽気に絆されつつも又蝙蝠傘に身を潜ませて人目を潜り、門を潜り、遂には青暗い社の内へと引き寄せられた。〝こんなもんだ〟と呟きつつも、赤い一団の声とは虚しく心中を見下ろす虚空の彼方へ舞い上げられて行き、時間がそれでも過ぎる中俺はとぼとぼ歩いて暫く白い小川の畔で回復させたその身を尚一層奮起させて歩を進め、まるであの時東軍へと改進を勧める、小早川の軍力を操作するように現行を動かす為の模造を含み、「東京日和」とポスターが貼られた早稲田の門を潜って行った。既に幾つかの講義を聴き終えた我の眼(まなこ)に不足している「学門」への力量を試す土台が立ち並んで居て、「日和」を口実とした儘他人様への愚問・悪行を雑音に黙した儘で呟き続けた。又、あの今は頼り無き学帽を着せられた渋い表情(かお)した爺様の傍らにて記した言葉が以下である。
「早稲田大学定期試験受験時に於ける心得に就いて」として、「今期の早稲田大学講義に於ける小論文作成時の注意すべき思惑に於いて、『単純に内容を書き、解り易い説明文にする事』を心掛けた内容を挙げるのが先決である。説明し尽せない内容とは、小論文を成立させない要素と成り、評価する者にとっては疑問が湧き起る契機を生む内容と成り、及第への達成に於ける障害と成る為に書いてはいけない(初心に戻る事を臨み、柔軟性を忘れずに解答する事が大事と成る)。論文を作成する際に於ける作業とは地味なものである。誰でも知り得る内容に就いて小論にて挙げ、挙げた内容の一つ一つに就いて説明を付け、評価する者から納得を得る事が必要と成る為に、一見、派手に見える飛躍を講じた内容を表現する事は不要と成る。その為には、上記したように、説明し尽せる小論に於ける課題を提起した上で、一見、詰らないとも採られ得る内容の説明を連続して書き終える事と成り、『派手』とは対照的な地味な文章作成の連続と成る訳である。又、誤字・脱字等に就いて注意すると共に、基礎的な文法に於ける表現への完遂を心掛けなければ成らない訳であり、独自に作成した表現とは評価する者に疑問を抱かせる為に、避けなければ成らない。一文ずつを、誰に対して評価させた際でも納得させる事が出来る内容を以て構築して行き、小論に於ける最後の一文迄を表現し終える事が必要である。(眼鏡に就いては、今使用して居る黒縁の物でも良いとする。)小論文を作成する際に於ける要(大事)とは、私の場合に於いては、表現に於ける柔軟を以て書き上げると成り、この掟を忘れずに小論作成に臨む事が出来れば良い訳であり、小論の内容を構築する際の内容に対して根気好く構築に取り組む事が必須と成る訳であり、そういった思惑が自身に在れば銀縁の眼鏡を掛けて居ても、小論作成に於いてその完遂へ向けて臨む姿勢に相違はなくなり、小論の仕上がりの在り方とは相応に適した形と成る為である。上記の内容を以て定期試験受験に臨み、過去に於いて三度共に、同試験に於ける及第を遂げたのである。」、ここ迄呟いた後で俺はふと自分の背後を覗くと、そこには別の大学から来た研修生や教授、若しくは一般企業に従事して居る様な人間まで居り、内に外国人も含めた冷めた人の温もりは俺に束の間引き寄せようとする詰らなく頼り無い冒険を起させたが、別段それ以上に幻想を見せる事無く空気と同化して、又自然へと亡失させられ行く綻びる程の無力な魂は、引き合いに出された言葉の数々を又鵜呑みにした儘運び去り、強がって、俺を元在るべき道へと戻して行った。大きく踏ん反り返る学生が恐らく建てたのだろう白い看板は小さく痩せた夕暮れを想わす小路の両脇にびっしり並べられて、我の拙い門出を祝福するかの様に表情(かお)を赤らめたまま道標(みちしるべ)とも成り、大学門前直ぐの所を真横に走る一本の車道の麓迄へと、我の体を押し遣って行った。〝もう此処には円らな、何気無く振り向かされる、昔から見た栄華と自由(きまま)を見せる弾力さえ無し〟とその護謨毬、否護謨で出来た軟い絨毯の様な壁に囲まれた我が過去の想い出迄も、その同じ白壁にピン止めされた光景と情景とを報され、何処まで行けども、どの壁の内へこの身を潜ませても冒険させても、我を受容する程の透明色した容器(うけざら)は無いのだ、と改心させられ歩き出し、車道へ出た俺はつい束の間、学帽と軟く舞い上がった学生達の力無い活性に絆されそうにもなったが、又足を踏み換え歩先を変えて前進し、「その挙句に見る事が出来る夢がきっとこの余力と共に『現行』の威力を凌駕した儘、俺への糧へと変えるのだ」という幻想(ゆめ)の助力を慕って活きつつ、俺は来た道を戻り、途中の交番、神社、ビル群、天麩羅屋を抜け、〝二度と此処へは来るまい〟と決めた儘、その一群(ひとむ)れの在った区域の対岸へと交差点を渡り、「三晩庵」と名を記した、まるで明治時代、否もっと古くから在るような老舗を連想させた小さな饂飩屋・丼物屋へと入って行った。何度飯を食っても一時(いっとき)過ぎれば音と形と成って出て行く活力に敗けて体は又飯を欲しがるようで、食い繋ぐ事に在る生き物の憐れにも愛しい交差された各骸を着せられた儘、俺は濃い出汁で採った掛け饂飩と握り飯ニケとを頼んで、又白い仄かな泡と小金(こがね)に輝く黄金(おうごん)を従わせるビールを呑む中年・若年・女人層の傍らで、窓際の席を取り外景を覗きつつ昼食とした。そこの女将は今度は婆様の様(よう)で、少々若く小奇麗に見繕った恐らく若主人である女帝を散々扱き使って居たようで女帝は女帝で在るのに刃向わないで、昔取った黄金の杵柄とでも言うべき旧く褐色に焼けた個人写真、団体写真、記録写真、等が一端(いっぱし)の栄華を着飾るようにして建てられた緑枠の内にその記憶を収めて在り、一寸奥まる狭い小敷の隙間へ身を寄せたらばその昔、高木ブーという一瞬世を風靡しつつあった団体演劇の内から洩れた個人が座って一息吐いたと言われる、一畳半敷き程の極狭い和式が見え、そこの女将はこの記憶を紐解き栄華を引用するのに、来客の喧騒にも目と耳とを塞いで話す程度の熱心を伴い俺へと伝え、まるでその日の営業が終了した一夜(ひとやみ)の内で仄かに羽ためく一閃の香(こう)ともする程の余力を、未だその店の軒先、或いはレジカウンターへ載せて侍らせ、俺以外の誰かにさえも見せつつ歩いて行った。女帝はその頃でも唯小さく佇み蹲って、客の表情色(かおいろ)と動静に俗な商売人の触角をひらひら振って靡きながらも、きちんと端正に座り落ち着いた和服美人(せいそうびじん)の容態を態としっかり拵え喜ばず、独り密かな別の余力が講じる不夜の果てへと精神を挙げる様(よう)だった。俺はこの女帝にその昔、未だ早稲田の学生自分、程好く世話に成りつつ仄かな恋心まで植え付けられて居り、この女に向けられた心が後から立ち廻り発想し尽す俺を唯悠然と涼しく縛り付けて平伏させて、俺と女帝は退引(のっぴ)きならぬ一つの温室の内に二身を投げられる事と成り果てて居た。しかしその温もりを衒った気障に気付いたのは唯俺のみだった。女帝はその日の団体客への対応に漫然と歩かされ走らされ、一つの表情の下(もと)で多忙を着せられ打ち伏して居り、例えば俺の様に外景を覗いて学生の心情の穂数(ほかず)を気にする等は出来ないで居た、否しなかったのだ。女将は不動に近い重い下肢に手を当て和服姿で店内を転げて居り、女帝は、時折その店の厨房から聞えて来る荒い海鷲の声に目と耳を遣りつつも毅然とした姿勢(たいど)を以て自分の仕業を為し、門前払いを受けた様な俺は頻りに女将に頼んだ挙句にそうした「店内の一々」を記録に残したいとして、写真を撮る許可を得て、七、八枚携帯のカメラで写した後に、退店した。〝又此処へは来て見たい〟と想わされながらも時計は既に十四、十五時を指していた。
隈なく綻んだ自身の修正・保護を図ろうと、狭い一本車道をくるりと歩いて行った俺の目前には何時(いつ)か見知った「エボルス」と記された小規模な「革命」を成す店が現れて、そこは書店であった。小さな二つの通路をこれでもかと雑草の様にして生えた内容生い茂る蔵書が積まれて、そこの禿げ掛った主人は昔の面影を見せずまま店奥でひっそり佇み本を読み、その一間に隣接して在る恐らく物置の暗闇から何冊か又目まぐるしい程原色奏でる数冊の本を取り起して来ては又読むのかと思いきや、今度は書棚の整頓をし始めた。聞けば最初から整頓に暮れて居たそうで、内容を確認しつつ何を何処へ束ねるかの算段をして居たのだ、と言う。約(およそ)十年、五年、否三年程以前に初めて出会った時には主の顔には赤身が差して頭髪も黒々して居り頂きまで在り、それがこの数ヶ月間、否数年を経て、見るも虚しく生気を隠したように人の像を隠蔽して居た。何が変えたのかと散々確認して居た俺に主はにょっきりと忍び寄り、話し掛けた我への疑問を悉く打ち破る様にして快調・順調に喋り始めた。「如何(どう)すればこの店は人気が出るか」、「如何すりゃ人は本を読むか」、「如何すればこの本達は皆が各落ち着き先へと身を忍ばせる事が出来るか」等、正に刷新、否革命を仄かに暗示させるかの様な売り言葉と買い言葉を偽造しつつも問答して居り、俺が二、三応えた妄想に対しても一つ一つ、うむ、うむ、と惜し気無く頷く主の姿が俄かに幼さを呈す故に不思議に思える。遠くに映ったビル群は恐らく書店と繋がりの無い物だろうとこの時の二人にはこっそり想えて居たが、幾分熟成された健気は大人へ変わり、成人に期される常識への打破とも移る暴力を密かに又予期させられる二人の盲目とは又、あのビル達の解体消失を願い始めて居たのである。目前に左右へ走る小路を早稲田の生徒が程好く可愛らしく横切って、春に積もった砂塵を小さく撒き散らした儘、又鬱蒼と茂った輪舞曲(ロンド)の内へと身を隠し、矢先に置かれた葉裏に網羅された悉くの小人(こびと)の盲文を、まるでこの店で枯らせる蔵書に記された小文(こぶみ)の様に手に取り、読み耽って行くのだ。盲目故の喧騒とは良く見て知りつつ未だに解決もされ得ぬ儘に人の奏でる文学の事情に精通して居て「常識」を把握して居り、誰もが喫する得手の解け得ぬ文章を皆その一盲の内に記し連ねる他無し、そこには警察も官僚も惰性に満ちた人の快楽へと身を投げ込んだ造形達も変りようの無い能力を携えた儘、唯、皆、一端(いっぱし)の豪文を以て自己を育成し得る一世界より外界へ向けられた一矢の文を飛ばしながらに革命を欲して居るのである。この頃どうも気分が可笑しい、と俗世に満ちた己の快楽が物を問うならば、人はこの「エボルス」に満ちた屈託無い明りの消えた妖精が阿る重鎮の数々を束ねて向う岸へ辿り着く、一種の革命を成す直前(まえ)だと知れば良い。そう言って、悉く一学生が吐き続けた一端(いっぱし)の筵は無情にも世間の企みを知らされつつも壁を越え、己の帳があの夜空へ掻き消される頃又活路を見出したように尻尾を振って、「現行」が束ねた社(やしろ)の内へと埋没・邁進し果てた。
「無題」として、「独人(ひとり)で居る事が良い事か、関わりを持つ事が良い事か。独人で居る事の意は、自分のみの感性を確立する事と、それから発展するべき技を色付けて行く事が他の真似から来る影響ではなく、自分としてのオリジナルで在り続けられるという事。関わりを持つ事は、感性こそ満たされるかも知れないが自然の中で生き、他との関わりを持つ事で、バランスを保ち、相対性の内に生きて行くという事。三十二年間生きて備えられたものはこういう事でのみ自分を確立し、それ程、他との関わりの中に新しさとも言うべき価値を見出した憶えは無いのだ。幸せに生きるという事は矢張り後者に在るのだろうか。一人で苦境の中で生きて居て犯罪に手を染めるのは、自然ながらに見た事がある。否それでも逆も然り、という例もあり、どちらが正順と言えるものでもない。独人で居る事については、そう、生きながらにして、群れのルールの内で生き、やはり私は一人なのだ、とその内で確立して行く為の自分の糧に成る切っ掛けを自ず内から見出す事を手中に収めそれ以上ではない。唯、繋がりを保って居る、と思い込んで居るに過ぎなく、一人で居る事に変わりはないというのはきっと、他にも確信出来るものだ。発狂染みた哲学・文学者が選んで生きて来たその環境とは得てして、独人での独創の環境の内に居座り続けるものではなく、人真似をしない力を群れの内でこそ確立し続け、あらゆる相対性の内で自分足る世界観を創り上げたものだからこそ、群れから跳び出る事も出来たのだ。何の変哲も無い現実に対し努力を続けた結果、そこに自分の世界が在った事を見出せた。いわゆる平凡に生きて居る私は、この現実の内でこそそれに成りたいと願うのだ。」、ぽつりと呟いた儘歩を緩めず、闊歩を打ち消そうとして来る傲慢な自然の境地に立って俺は、未だに理解出来ずに模造を続ける人の骸に唯今も、縛られて居る。
早稲田の杜からてくてく歩き、帰って行く途中で俺はこの光り輝く白銀の盆の様な台の上に敷かれた景色景物の一々を鵜呑みにして片付けながら、珍しくも歩きながら夢を見始めて居た。その「景物」の内には人間も存在して居た。
長襦袢を着た現実が袖無しの上着を束ねて見せた茜色の太陽と共に現れて月を見せず、白雲は橙(オレンジ)に染め上げられた故の不完全を文字にして我々人に分かるように木枠が縁取る白紙の紙ボードに書き入れ覗かせ、俺はその日一日を過ごす為にひたすら唯活力を得ようと、「夢」に内在された儘光る活力源を取り戻そうと沢山の物語を築き始めて、始めから見て覚えようとしたのであるがどうも車道を歩いて居た為警音(クラクション)の音が喧しく、又その模様を見て知った人人の視線も五月蠅かった為に折角構築して来たその「夢」の上半分を忘れて仕舞い、既に忘却が構築した骸を被って仕舞った後(のち)、俺はその上半記(かみはんき)への追憶を諦めて下半記に纏わる物語が語った、その活力を物にしようと躍起に成って行った。
俺は東京からやっとの思いで自宅の在る京都(ふるす)まで帰り、帰路途中で幾つか他人が見て居た夢を覗き見て自分の夢への糧としようともして居たがそれでも矢張り自分の「物」が輝いて美しく成り、自己の満足が程好く緊(きつ)く緩めた夢想の世界への回想を試みて居た。家へ帰り自室へ行くと、俺は面白い仮想遊戯(ゲーム)をして居た。テレビゲームの様であって盤ゲームの様でもあり、呑気にルールを講じて程好く俺を突き放した夢の様に若いゲームであった。しかし俺は黒く映ったテレビを見て居る。その傍らで白いテーブルが映えて在り、残された様に机上には白色が冴えさせた黒いテレビのリモコンが在ったが俺はそれに触れる等せず、そのリモコンには青、赤、緑、黄色、の順に、右から左へ列(なら)んだ夫々の機能を司る釦が在った。暫くして俺は母親が居た階下へ下りたようで、母親を目前にしてゲームの事をやや誇張しながら話して行った。そのゲームの内容とは何か、格闘物の様で又戦争物の様で、旧来子供を楽しませてくれたゲームの体裁を取りつつもその版は既に最近の、最新の、新しい物に変わっていて、俺は構わず「昔」に溺れた儘で見続けて居たようである。子供の頃に〝買って貰った新しいゲーム〟に夢中になるような、嬉しく、又懐かしい思い出と斬新な快感が今この現在にも生きて居たようで俺はなお又夢中となりつつ、その「思い出」自体を彷彿させ得た実力を奏でるゲームとは又俺の「楽しむ事の出来る機会」をずっと内在させて、俺から少し離れた未来へと歩を進められて、まるで俺だけの為に用意されて置かれたようだった。俺は、後々(あとあと)の楽しみは取って置こうと、そのゲームが表す醍醐味(いりょく)を夢の内で温存して居たのだ。外は夕方だったように記憶する。
母は何時(いつ)も見て居るような歳相応に器量を有したり、又若返ったりもして、俺を一つ処で魅了すると共にその成熟の影に潜ませた未熟は子供の可愛らしささえ覗かせて居た。その俺の家にはもう一人、俺がもうずっと以前に付き合って居た恋人が居て、当人の知的障害の女と、未だ付き合った事も無いまま見合い話だけが先行して俺を振った栄子がその恋人に成ってくれた様だが、栄子が恋人に成ってくれたのは忙しい独気(オーラ)を醸しながらの一瞬だった様に記憶され、時折その二人を擁した俺の「恋人」は、母親と二重(だぶ)って見えて居た。俺は又二階の自室へ上って一人で居り、「エクソシスト」というビデオが白い机上に置かれて在るのを見付け、始めの内は怖さから見ないようにと努めて居たが退屈が差したのか俺は次第に〝怖い物見たさ〟への情念が募り出し、遂にそのビデオのパッケージを開けて観て居た。しかし、一向にテレビ画面はその「エクソシスト」の本編を見せずにまるで違った映画(それも予告編だけ)を流して居た様で、拍子抜けしたと同時に俺は身構えを解き、「何だよ…エクソシストじゃねぇじゃねぇかよ…」等と、愚痴を吐きつつ、未だその白いパッケージを表・裏(おもてうら)と返しながら眺めて居た。それから又次に、父親と母親が居た部屋へと下りて、その部屋には、父、母、俺がこれ迄生きて来た内で沢山共有した物が所狭しと並べられて在って、俺は無性に、鳥肌が立つ程に、嬉しがった。
俺は、自分の恋人である知的障害の女と俺の部屋で戯れて居り、互いが互いの心身を欲しがり合った。女はその後に於いて水膨れした様に子を産んで肥え太ったあの体形を忘れて昔の容姿へと戻らされて在り、その子供っぽい顔と体付きが部屋を充満する程に完熟されて居て、俺は堪らなくその二つが愛惜しく、思わず女に抱き付いて「いちゃ付こう…」と言って居た。付き合って居た頃から女には何でも言えて、する事が出来て、一瞬、母親が子に呈する様な寛容の坩堝に色欲さえ絆されて仕舞う、女性の塊が怒り狂った様に俺をなお惹き寄せたようで、俺に抗う術など表れず、そうした一見間違えた様な母性の荒波はこの現行に於いても復活した様に在り俺はひたすら喜んで居た。女持ち前の尋常では無い位に脂肪が付いた下肢は又しても建材で在り、俺がその事をきっちりと憶えて居た為かその脂肪は現実に波打たせて俺の麓へ迄走り寄り付き俺から離れず、俺は常識(ルール)を忘れて女の腿と股間とをぐっしょり濡れた両手を以て弄って居る。案の定しっかりと、滅茶苦茶に柔らかく俺のその両腕迄をも包み込んだ二の脳は程好く太く、自己を破産させる程に欲望へ走らせ得る綻びを醸す実力が悉く内在させられて居た。女は、自分に馬乗りになった俺の顏を下から覗いて、斜に構えた羞恥を衒いながらも可愛らしく、太くその視線に浮足立った愛情を乗せて見詰めて来て、子供っぽくきゃっきゃっと笑い声を上げて「あんたの事好き。私にはあんたしか居ないの」とでも言った様に、俺の首にしっかり緊(きつ)く緩めた両手を添えて抱き付いて、唯その場では甘えて居たのだ。俺と女は何か何時(いつ)も二人だけでして居たお決まりのゲームの様な物をやって居たのだが、俺は魔が差した様に一旦女を引き離し、又女を先導する形を以て俺の部屋に隣接して在るベランダへ出、又々そこに設けられたゲームを想わせる程の愉しみを生産する機材を見付けて、その機材が自身の背後になお構築して居た「ゲームの世界」へ二人して入界する事を密かに目論んで居たが、女が実際、自分に本当に付いて来て居たのか俺は知らずに居た。しかしそこは二人の、取り敢えずの、俺の両親の目から逃れる為の避難所の様だった。
そこへ入界してから俺は一度女をその場所で待たせた儘、又自室(父親と母親と自分との、これ迄の思い出が在る家の中)へ戻り俺はそこで母親に会った。女はベランダで俺を待ちながら、るるる…と一人でも楽しそうにして居た。上手く物語を構築し得ない、とした俺はそのまま口述(くちうら)を合せる様に現実の流れに勢い付けて自分達を動かせば好い、ともした後一旦母親に別れを告げて外へ出て、闇か光か分らぬ空へと理想を固めて放り、何時(いつ)か誰かが「信じれば出来る」とした上で実際にもして居た、何も無い空中を階段を駆け上がる様に空へ上って行くワンシーンを思い出して居り、言われた事を胸に秘めた儘で同じ様に真似して見た。まるで自分が「想ひ出ぽろぽろ」の、虹へ駆け上がる主人公の女の子に成った様だった。俺はその階段をとんとんとんとんと上りながら、この階段は天国へ行ける階段だ、とその透明の一段ずつにまるで硝子靴のシンデレラが残した夢の様な固さを以て確かとし、その透明のまるで硝子ケースを通して見えた下方には少々小さく成った母親が認められて、その母親に向かって俺はばいばいを繰り返し、「おかんもさよならしてやー!」等と、哀しむ母親をなお悲しませる様にして態と楽しみながら、俺はそれでも階段を上って行った。「ばいばい」と言う行為が、これ程までに効果を発揮するとはそれまで想ってもみなかった。
しかしその途中まで駆け上がった所で持ち前の高所恐怖症が祟った為か又それ以上上る気が無かった為か俺は、それから上方へ上る事が出来ず、見得ない階段を唯じっと眺めて居た様である。眺めて居る内にその周囲に対してもまるで開眼した様に注意が飛んで行き、その或る程度上って来た透明の階段の周りには学校、又少々旧いマンションが立ち並んでいるのが認められ、その旧いマンションには露店階段(ひじょうかいだん)が在りそれに備え付けられていた欄干か手摺が目に見えて映え、又それは遥か下方に見下ろせる地表からとても高所に在る事は一目瞭然で、〝自分は今、こんなに高い所に居るのか…〟等と自覚した後(のち)余計に恐怖に駆られた事は言うまでもない。一層(いっそ)このまま落ちて仕舞おうか、とも思った矢先に夢が成せる軟い環境を想わせた上での程好い覚悟が俺に芽生えて、俺は落ちる事にした。落ちながら味わい続ける唯涼しい空間に俺は第二の実力を認めて得た為か、落下途中で俺の持前の技量が功を成し、落ち方を編み出して落ちる事無く、地表に落ちる直前に〝ふわっ〟といった感じに空中で軽く成った身を掌に乗せた様にして地面に身を滑らせる術を俺は習得して居て、その時に又俺は、ピッコロ大魔王の「地表にふわっと降り立つ漫画の中のワンシーン」を思い出して居た。そこから落ちても大丈夫だと知るや否や、今度は幹夫が目前に現れ、俺と同じ事をして自分の為にと愉しみ始めて居た。幹夫は栄子が生活して居る教会に同じく生活して居るそこの長男であり、俺とは幼馴染であった。「天国へ行ける階段…」というのがどうやら彼を動かしたらしい。二人してその透明の階段へ上ろうとする際には〝我先根性〟とも言うべき、卑しい下心が幹夫の心中に見え隠れして居た。
そうした場面に満男が飛び入り参加するように割り込んで登場し、しかし俺とはその時、それ程の密接も無いまま時間は唯流れて行ったようである。満男も幹夫と同様に、或る街の教会で知り合った俺の馴染みであった。もうその頃には、栄子は一向に出て来ず、知的障害の女も母親も、我が分身に癒された為か我が身体を程好く忘れさせられたのか、姿を見せなかった。唯、自問自答でもする様に俺はずっと透明色したその中途まで伸び途切れた階段を巡回して居り、時折咽ぶ孤独がその心中で身を擡げるのを又唯黙って退けて行く事に尽力して居たのだ。その場面に於いて、俺と幹夫はそれでも仲良く振舞えて居り、「もしこれ、落ちる時スカート履いてたら風が入って来て捲れ上がるやろなぁ」と問い掛けて来た幹夫に俺は、「えっ、幹夫君の学校って確か、火曜日と水曜日はスカート履かなあかんかったんじゃなかった?」等とお道化て見せて居た。その「お道化」を実際俺は誰に見せて居たのか詳細には分らなかったが、唯幹夫と満男は笑って居た。
その辺りで俺は目覚めて、知らぬ内にホテルのシャンデリアに照らされた浮気なチケットを上着の胸のポケットへ入れた儘にして居た事を思い出し、又知らぬ内にチェック・アウト寸前の一室のルームライトで黄金に照らされたベッドの上で眠って居た俺はふと体を起こそうとした時、全く無理な体勢で眠って居た為か寝違えた様に首から右肩に掛けて居た身が走り、とほほ…、という気分だった。
~続・黄金風景~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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