第5話 紺森集落と財留橋

 ――激しい雨音がする。


 朋子が目を覚ますと、光宏の家にいた。ワンピース姿のまま、布団の中にいる。光宏が運んで、寝かせてくれたのだろう。視線を壁掛け時計に向けると午前一時半。部屋の外からは激しい雨音がする。相当な豪雨のようだ。

 雨が降る前に、あのふたりは地面に下ろしてあげられたのだろうか。あんな亡くなり方をして、家族の悲しみは如何ほどか……あの警察官は、なぜ笑顔を浮かべたのか。理解ができない。


「こんばんは」


 突然自分の視界に入ってきた男性の姿に驚く朋子。

 あの警察官がパンツ一丁で自分の上にのしかかってきた。


「夜這いの時間です」

「…………! ……! ………………!」


 ニヤリといやらしい笑みを浮かべた警察官。

 助けを呼ぼうとするが声が出ない。身体も動かないのだ。

 朋子は恐怖した。


「いいか、ここでの君の役目は男児を産み続けることだ。この集落に嫁ぐ以上、それがルール。子どもができない、女児しか産めない、そんな芸無しの女は生きている価値がない」


(まさか、あのふたりが首を吊ったのは……!)


「何を考えてるか分かるよ。あれは自殺なんかじゃない。我々の手で神に詫びさせたのだ。我々男たちが散々精を注いでやっているのに、三年待っても子どもができない石女うまずめや、三人目も女児の女腹おんなばらなど、生きているに値しない。命をもって神に詫びてもらうしかない」


(狂ってる……この集落は狂ってる!)


「その代わり、男児をひとり産めば周囲から認められ、ふたり産めば尊敬され、三人産めば誰も逆らえない。光宏くんのお祖母様が神格化されているのは、男児を七人産んだからだ」


(光宏さん……光宏さんは!?)


「光宏くんかい? この部屋にはいないよ。いるとしたら……母親の部屋じゃないかな?」


(!)


「俺達の先祖は、戦国時代に落ち延びた武家だ。血を絶やすことが最大の罪なのに、ごく限られた人間で血を存続させるにはどうすればいい? そう、近親婚で子孫を残していくしかない。『近親こんしん集落』の名前の由来だ。しかし、血が濃くなっていけば、様々な問題だって生じる。そのために犠牲になった命は、すべて『罪流橋ざいりゅうばし』から捨ててきた。それがルールだからだ」


 朋子は指先が動くようになってきたことに気付く。おそらく薬か何かを使われていたのだろうが、その効きが甘かったようだ。


「光宏くんは君を愛してなんかいない。彼にとって君は『この集落の男児を産むためだけに呼び寄せた存在』だ。そんな彼は、今母親と子作りに励んでいるよ。この集落では普通の行為だからな。で、俺は光宏くんに頼まれたんだ。君を孕ませてくれ、と。それが君に求めている芸であり価値のすべてだ。さぁ、俺の男根を崇めよ。そして、精を受け入れるのだ」


 近づいてくる警察官の顔。

 朋子は目を見開き、身体全体に力を込め、叫んだ。


「女は子どもを産むための奴隷じゃない!」


 布団を押しのけ、両手をパーのままにして警察官の顔を突く。

 いくつかの指と爪が警察官の眼球を傷つけた。


「ぎゃーっ!」


 急いで起き上がり、目を押さえて仰け反り返った警察官の股間を全力で蹴り上げる。


「! ごっ……かっ…………」


 股間を押さえ、白目を剥いて気を失った警察官。


(……逃げて……)


 神社で会った女性の声が脳裏でリフレインする。

 幸い激しい雨音で警察官や自分の叫び声は周囲に聞こえていない様子。

 朋子は誰も来ないうちに、警察官が来てきたと思われる服やズボンのポケットを探る。


「あった……!」


 車のキーを見つけ、そのままそっと光宏の家を出た。外は大雨だ。門の前には、警察官が乗ってきたと思われるRVの車が駐車していた。急いで車に乗り込む朋子。ドアをロックして、キーを回す。


 キュキュキュ キュキュキュ


 しかし、セルは回るが、エンジンがかからない。


「……お願い……かかって……」


 キュキュキュ キュキュキュ


 何度試しても、エンジンはかかってくれない。


 コン コン


(!)


 光宏が雨に濡れながら笑顔でサイドウィンドウをノックしていた。


「朋子、ちゃんと説明するから一回車を降りてくれ」


(早く、早くかかって!)


 キュキュキュ キュキュキュ


「僕が愛してるのは朋子だけだ、本当だ」


(お願い、お願い……!)


 キュキュキュ キュキュキュ


「降りろって言ってんだろ! このクソアマァ!」


 ガチャガチャガチャ


 朋子が見たことのない怒りの表情で、怒鳴り散らしながら扉を開けようとする光宏。


 キュキュキュ キュキュキュ


「てめぇは男児を産むんだ! 俺の命令が聞けねぇのか! 降りろ!」


 ガチャガチャガチャ


 キュキュキュ ブオン


(かかった!)


 ギアをドライブに入れて、アクセルを踏み込む朋子。


「待て、ゴラァ! 男児、産めぇーっ!」


 バックミラーで小さくなっていく光宏。


(遮断器と監視による意図的な世間からの孤立、極限の男尊女卑、そして近親者同士での禁忌の行為……狂気の集落……みんな、みんな狂ってる……)


 手の震えが止まらない。

 フロントウィンドウにあたる雨が激しすぎて、ワイパーが追いついていない。ワイパーのスピードを上げようと手を伸ばした。その時――


 バンッ!


「きゃーっ!」


 走行中の車のフロントウィンドウに、あの光宏の祖母がカエルのようにへばりついた。


「産めぇーっ! 男を産むんじゃーっ! 産めぇーっ!」


 大雨で髪と白装束をぐちゃぐちゃにした老婆が、朋子に向かって目を剥き、狂ったように叫び続けている。

 車を蛇行させて振り落とそうとするが、一体どうなっているのかへばりついたままだ。


「男児を産めぇーっ! 産まねば男根様に詫びよ! 産むのじゃーっ!」


 恐怖に気が狂いそうな朋子は、あるものを見る。

 道路脇に立つ女性が車の進行方向に向けて指差しているのを。

 その姿は、雨に当たることで薄っすらとシルエットだけが浮かび上がっている。そんな女性がポツンポツンと何人も立っていた。


「逃さぬぞぉー! 男児を孕ませる財は逃さぬぞぉー!」


 叫び続ける老婆に恐怖しながら、女性たちの指差す方向へと車を走らせる朋子。


 そして、財留橋が近づいてくる。

 橋のたもとに立っている女性は、あの警察官がいた小屋を指差していた。


(…………信じるしかない!)


 朋子は小屋に向けて車を走らせる。

 そして――


 ドガシャーン


 ――車は小屋に突っ込んだ。

 ハンドルに頭と胸を打ち付けた朋子だったが、何とか意識は保っている。まさかエアバックが付いていないとは思っていなかった。

 衝撃で老婆は吹き飛ばされたようで姿は見えない。

 小屋の中にあったと思しき大きな仏像のようなものの残骸が視界に入った。

 幸いエンジンは止まっていない。ギアをバックに入れて、ゆっくりと小屋から抜け出した。


 そこで朋子が見たのは、女性たちが財留橋に並んで立ち、その全員が集落の外へ指を差している姿だった。女性たちが幽霊なのか、何なのか、朋子には分からない。ただ、悪意はまったく感じられなかった。

 しかし、橋を車で渡っていく朋子は、凄まじい速さで追い掛けてくる老婆の姿をバックミラーで確認。


「ひぃっ!」


 が、立っていた女性たちが老婆を取り囲み、そのまま橋の欄干へと連れて行く。言葉になっていない叫びを上げる老婆。

 車を止め、大雨の中、車を降りた朋子。


 朋子は見てしまった。


 橋の下には、谷を埋め尽くす巨大な女性の顔が現れていた。この世のものとは思えないその光景。その視線が老婆へと向けられると、その巨大な口を大きく開いた。

 口の中は何かが無数に蠢いている。

 顔の無い口だけがある赤ん坊だ。

 橋の欄干からその光景に絶叫する老婆。しかし、そのまま女性たちに突き落とされ、口の中に吸い込まれていった。

 口の中で無数の赤ん坊たちの中に沈んでいく老婆。その絶望の叫びは朋子の元までは届かない。そして、口はゆっくりと閉じていった。


 橋の上の女性たちは、そのままスーッと道路を滑るようにして集落の方へと向かっていったが、ひとりだけ橋を通せんぼするように立ちふさがった。


『さぁ、お行きなさい』


 朋子はそんな思いを感じる。


「助けてくれて、ありがとう」


 女性へ深く頭を下げた朋子。

 しかし、頭を上げると女性の姿は無かった。


 やがて、集落から火の手が上がる。

 視界が悪くなるほどの大雨の中、集落は豪火に包まれていく。

 朋子は車に乗り込み、集落から立ち昇る炎と煙をバックミラーで見ながら、集落を離れていった。



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