第6話 消えた女・笠本翠

「さて、用とはなんだ、女」

「全く不躾なのはどちらの方でありましょうね?…私は武原。武原紙魚と申す、ただの物書きでございますよ。必要ならば名刺などもありますがね」

「いらん、どうせ捨てるだけだ。」

「でしょうとも。」

「…そも籾谷先生が連れてきたのだ、信用はしている。だから今日は会った。だが話の内容に応じるかはまた別。ここまでは良いな?」

「構いませんとも」


さあどう腹を探りあったものか。目の前におわすはこのエリアで最も巨大な宗教組織のご神体である。人というもの肚なぞ、飽くほど喰らってきただろう相手。これは困った、取りつくしまのひとつでもあればいいのだが──そう武原が内心、幾度目かも分からないため息をついたその時である。


「あっ美林ちゃん!私ジンジャーエールハイ。それからきゅうりの叩き!」


不意に放たれた籾谷の空気を読まないその声に、不意に二人の間にあった雰囲気が緩んだ。なんにも考えていない、ただお腹が減ったなアという顔で、脂ぎった品書きを眺めている彼女を前に、そんなやり取りは滑稽でしかない。武原がひとつ苦笑して一角を見やると、はは、この人はいつもこうだ、と一角も笑う。


「……いや、客人にオーダーもさせず俺が無礼だったな、詫びよう。貴様もなにか頼め、………と、言いたいところだが、手の込んだ料理を頼むのはやめておけ。ここの店主は恐ろしく料理が下手だ」


「んんーっ?だぁれの料理が下手だって?」

その声を聞いて厨房から顔を出したのは、桃色の髪に薄緑の瞳をした小柄な人物。男性が女性かは遠目では分からないが、怒ったような口調で一角にそう反論している。


「下手だろうが。」

「なんで!毎日練習しとるんだよこちとら。しかもぼくは褒めて伸びるタイプなの、そんな言い方されたら上手くなるものもならなくなっちゃうよ!」

「悪い悪い」


じゃあもうそんなこと言わないでよー、という言葉だけを残し、彼は厨房奥に引っ込んでゆく。厨房奥からは白い煙となにか焦げたような香りと鶏の鳴き声のようなものが聞こえた気がしたが、武原は何も見なかったことにした。

顔を顰めた武原が面白かったのか、一角はくはは、と悪い顔で笑って、口を開く。


「………あいつは黒美林。料理は出来んが人の体を弄ることに掛けちゃ天下一よ。まあ要は医者だ、……………柘榴組お抱えのな。」

「…柘榴組?というと」

「娼館、高級飲み屋街のある87階をメインとして仕切ってる組さ。聞いたことないか?……は、その様子じゃ無さそうだ。ということはなんだ、色遊びのひとつも知らぬおぼこかい」

「……まあ、概ねその通りだ。反論はせんよ」

「それじゃあ可愛いネンネの先生に教えてやろう。花街で遊ぼうと思うと、必ず耳にするもんだ、その辺をシマにしている組の名はな。なんせ店と組は持ちつ持たれつ。店側は用心棒代として組のもんにみかじめ料を払う。そして厄介な客なんてもんから守ってもらう、街の秩序を保ってもらう。それがあそこのルールだもんでな。」

「成程な。…………では、そのシマで女が消えたなんて事件が起これば、用心棒である組は黙っては居られないわけだ、本来であれば」


そう言えば、一角の酒を煽るてがぴた、と止まった。オッドアイの瞳を数度ゆっくり瞬かせ、口元を笑みに歪める。ごとん、とジョッキを机に置き、片方の手で頬をつく。揺れる墨色の髪が白熱灯の光を透かし、その隙間から見える色違えの瞳は神秘的だ。数拍の間目線を交換した後、口を開いたのは一角の方であった。


「……………………はっは、成程な。翠の話か、お前さんがしたいのは」


当たった。

武原はその名前に内心ほくそ笑んだ。翠、というのは五厘に伝えられた消えた女の名前である。その女の太客を探せばいいよという籾谷ありきの適当極まりない彼女の情報だったが、兎角まあ間違いではなかったらしい。


「話が早くて助かるよ。あなたに彼女への情があるならば、我々に少し協力いただけないか?何故組が動き始める気配がないのか。なぜ身寄りのない女の姿が消えるか。なぜ貴方が身請けする予定だった女はいなくなってしまったのか…私は、そういうことを追っている。もちろん、危険を承知でな。」

「ふむ、………情、情ね。面白いことをいうなあ、貴様は………ふふ」

人を心底馬鹿にした表情をその美貌に浮かべ、一角はわらい、そしてこう告げる。

「あるに決まっているだろう。おれは抱いた女、全てがかわいいよ。おれの寂しい肉欲を埋めてくれた、その礼はいつだってしてやりたいのさ。」


その表情はなるほど、おおよそひとが浮かべようようのないものだった。愛しさと寂しさと、永くを見据える諦念のようなものを混ぜた、多分、そういう顔。


「…それなら頼まれてくれますか」

「構わんよ。謝礼…では無いな。調査費として金を渡しておこう、多めに。ここから使い、余った分を持っていけ。それから──────」

「本命はこれ、だろう」


一角は懐から小さな布袋を取り出し、円卓にことん、と置いた。安全なものか?と目で訴えた武原に顎でしゃくって見るように促す。

中には蛍石によく似た色の石がひとかけら入っており、おおよそ天然物のようにみえた。これが人工物とは、恐ろしいものだなと武原は思う。


「──これは」

「過去を見る石。さかのぼるもの。…まあ大層な名だが、かつて籾谷にもらったもののひとつだ。かざして祈ればその場で行われた一連の過去の動きが再生される、そういった遺物」


好きに使え。ただし、返却期限は1週間だ。

期限を破れば?そうさなあ、今貴様が想像した罰、それにしようか。なあ、武原?


「………はは、承知した」


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