第4話 潜る生き字引・籾谷ささら

濃い藍染の布地に、ほおずきの染め。それに合わせた灰鼠色の袴で、武原は久しぶりに61階へと降り立った。ここ61階ではほぼ全ての建築物は海の底へと沈んでおり、所々高台にあった部屋や階段などが浸水を免れているくらいのものだ。武原は手拭いを階段に敷き、そこに腰をかけると、いつものようにハンドバッグから煙草を取りだしてそれをふかし始める。

そうすると、それを合図にちゃぷん、とどこかで音がした。相変わらず良い目をしている、と武原は思う。


「久しぶりです、籾谷先生」

「久しぶり!元気にしてました?」

海面から顔をひょこりと覗かせた女性は、にっこりと笑ってそう挨拶を返した。

薄茶色の長い髪がぺたりと額に張り付いた、色素の薄い彼女は、ほの暗い水辺であることもあって、どこか現実離れしたいきもののようだ。────実際のところは、日がな海中に潜り旧人類の遺物を漁っては研究に明け暮れるオタクの変態であるが。


「最近あまり来ませんでしたね?執筆が忙しかったんですか?」

ゆらゆらと泳いでこちらに向かう彼女の様子といえばさながら人魚のようだ。しかし、よいせと勢いをつけて古い階段の踊り場へと上がったその腰には、どうも似合わぬ古びた大きなズタ袋がぶらさがっている。

よっこら〜、と気の抜けるような掛け声とともに彼女はびしょ濡れのまま腰のずた袋をひっくり返す。がらん、ごろ、ぺそ、がらん、と様々な音を立てて様々なものが落ちていった。


「まあ有り体に言えばそうだ。最近1冊書きあげたところなのだが…立て続けに原稿の依頼が舞い込んでね。少し燃え尽きていたものだから新しいものに手をつけるのには中々難儀したよ」


ふう、と息とともに煙を吐き出す。籾谷が少し顔を顰めたのをみて、ああそう言えばあまり彼女は得意ではなかったのだと武原は思い出し、済まないと謝る。いいですよ向こう向いて吐いてくれれば、と籾谷は愉快そうに笑う。


「ふふっ、作家先生は大変そうですねぇ。…それはそうと、こんな僻地まで降りてきてくだすったってことはですよ?なにか用事があったんでしょう?」


籾谷に用事を頼むのはこれが初めてではない。

分かってるんだから早く話してくださいよ、とでも言いたげに首を傾げる人魚のような女を武原はじっとみて、そしてまたため息をつく。


「いつもすまんな。あーっと、…娼館、黒髪の男、大勢の女を侍らすのが趣味だがプレイは至ってノーマル。それから」

「……権力もある。どうです?あたりでしょう?」

「流石です。…そういった人物に心当たりは?」

「ん〜…んふふ。どうだと思います?」


籾谷は長い髪に滴る水をまるで手ぬぐいを絞るかのようにぞんざいに払い、袋の中から取り出した遺物をご機嫌な様子で見聞し始めた。

旧人類の遺物。魔術や化学、そういったものの叡智。知識がなければ迂闊に触れない危険なそれらを、まるで果物にでも触れているかのような気軽さで籾谷は触れてゆく。

学者様、叡智のひと、またはいかれたウォーキングディクショナリ。彼女のことを知るものは、概ねそんな言葉で彼女を呼んで見せる。そしてそれはあながち───いや、ほぼ間違ってはいない。

彼女の知識量はもはや頭の中に書物の神殿があるという位のもの。そして調べた遺物はあるべき場所へ、そう言って心あるひとびとへと必要に応じ渡してしまうのだから、相当な変わり者である。

そしてそんな彼女だから────相当、顔は広い。


だから武原は五厘から与えられた断片的なヒント(些か下卑てはいるが)を引っ提げ、とかく該当の人物を見つけねばなと彼女の元を訪れたのだ。


「その言い草は貴方、ご存知だろう?」

「えへへ、ご存知ですとも!満龍くんのことですね」

「みつる………ふむ、存じ上げないが。どうだろう?私は彼と会えるだろうか?勿論、いつもの様に礼はさせて頂く。」

「会えますよ〜。私が会ってあげてっていえば。う〜ん、まあ、そんな大したことはしてないんですけどね、満龍くん、どうやら私にかなり恩義を感じてくださってるみたいなので。あっ、でも偉い人なんで、不躾はやめてくださいよ?」

「承知した。いつも済まないな、籾谷先生」

「まあ?旧知の仲ですし。これくらいは許しましょうとも!」


そして籾谷は腰のポケットに手をやり、通信端末を取り出す。水に浸かっても平気な通信端末なぞ武原は知らないが、目の前で使われているものを見ればそういう技術もあるのだろう。何度見ても遺物の力というのは理解不能だ、と「もしも〜し!」という楽しそうな声を聞きながら、ぼんやり思った。

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