第3話 少年高利貸・柘植律
「あー嫌だ。ほんとうに嫌だ。なんで人って不誠実に生きてても平気なんでしょうね?いやべつにね、ぼくは不誠実でもいいと思うんですけどね、もちろんある程度は。でもですよぉ、程度ってものがあるじゃないですか。程度。そんなのはさ、生きてたらわかる事じゃありません?どこまで常識の範囲かなって。」
カラカラカラカラ、と天井では大きな送風機が回っている。生温い空気をかき混ぜるだけのそれを、彼─────柘植律は一瞥してため息をついた。そう広くはない九龍街の一角に構えた事務所には、所狭しと机が並び、見るだけで息が詰まる。自身の机の上にも大量の未確認契約書、請求書、領収書、あとは目指するのも面倒くさいくらい、何かしらの紙が山積みにされている。確かに自身はこの組織のリーダーなのだから、書類を最終確認する役目がある、それはそうなのだが、それにしたって僕が確認するからと皆適当に書類制作しすぎなのではないだろうか?ぴら、と山から1枚引いた契約書の、蚯蚓がのたくったような文字を見ながら柘植はそう思う。
「あーはい。」
「別に僕らってそんなさ、法外なことはしてないでしょ。薬が欲しい人がいる!それは大変、じゃあ僕たちが調達するのでお代金だけ払ってくださいね。お金が足りない人がいる!それは大変、じゃあ今だけお貸しするんで後でちょっとお礼分を足して返してくださいね。それだけですよ僕らの商売なんて。そんなおかしなこと言ってます?言ってないですよねぇ」
4月4日返済予定。延滞も延滞。もう7月なのに一体何をしてたんだ?この九龍街、臓器なんて幾らでも売る場所はあるというのに。ふたつある臓器が体の中に何個あると思ってるんだ?…何個あるんだ?そういえば知らないな。そんな取り留めのないことを考えながら、別の回収報告書に署名を入れる。暑い。ぱた、と柘植の狭い額から汗がひとしずく落ちる。
「あーはい。」
「僕たちはいつだってお客様にベストを尽くしてますよ。100点満点の接客。人当たりもいい。そんな僕らに対して不義理をはたらけるなんて、余っ程人の心がないんだと思いません?」
「あーはい。」
「本元さん、さっきからあーはいしか言ってませんけど。僕の言ってることほぼ聞いてないですよね?」
「あー………おっ」
「本元さん」
「…………金演出じゃなかった…」
金演出?明らかに仕事に関係ないであろうそんな言葉に柘植が顔を上げると、本元と呼ばれた男と目が合う。彼は気だるげな目は細められ、はあと落胆したようにため息をついた。金演出じゃなかった、ということは、彼がのめり込んでいる端末のゲームの籤に外れたという事だろう。なるほどね。それでため息をね。うんうん。
「いや待って。本元さん。仕事中なんですよ一応。スマホしまってください。ねぇ、あっ、まって?そのカード、先週なくした僕のじゃありません?ね、ちょっと、え?うそですよね?」
追加で籤を引きたいのだろう本元が、手元からカードを出した。あまりに見覚えのあるそれに、柘植は焦ったように声を上げる。
「いや落ちてたんで」
「いや名前書いてますから僕の名前!えっ普通上司のカード拾ったら上司に返しません?」
「いや落ちてたら拾った人のでしょ」
「いや落ちてたら拾った人のですけどそれは明らかに持ち主が不明の場合ですよね?今回はどう思います?明らかに持ち主は判明してません?ねぇ、判明してますよね?明らか僕のですよね?」
上背のある本元から自身のカードを取り返そうと、柘植が机の上に乗って彼の手元に手を伸ばす。どうしてこんな目に?と見るに情けない顔で本元のカードを挟んだ指先を追うが、本元は柘植の手を揶揄うように躱してしまう。
「嘘でしょ…そんなことある…?」
「全面的に落とした方が悪いですよね」
「ひぇ…」
部下の育て方を大いに間違えたか。いや、そもそもこれは部下なのか?部下って上司のクレジットカードで端末ゲームに課金したりするの?みんなそうなの?僕の常識が間違ってるの…?
「律さまーー!!!」
その時、バタン!と大きな音を立て、古びた戸が勢いよく開かれた。それと同時に、可愛らしい少女の大声が、柘植の名前を呼ぶ。
「あっ、はい!終わりました?」
声のする方を見遣れば、己の部下の1人である燐が、酷く汚れた見目でにこにこと手を振っている。柘植は何事もなかったかの様にひとまず机から降りた。
「終わりましたよ!やっぱり滞納者をブチ殺すのはスカッとして最高スね!」
成る程、彼女は先程頼んだ最終対応の処理をもう終えてしまったらしい。対応が早いですね、素晴らしい手腕ですよ、と彼女の赤黒く汚れた頬を指先で拭ってやると、有難うございます!などと言いながら燐は持っていたズダ袋をぱたぱたと振り回し、床にぱたぱたと袋から染み出た赤黒い液体が散った。
「そうだ、このあと残りのモツと皮、焼いて捨てに行きますけど、律さまも来ます?めっちゃアガりますよ!」
「えーと、それは残念ですがちょっと遠慮しておきますね」
「えっ何でですか?用事ですか?大変そう…せめてさっきのクソを蟹まみれのドラム缶に詰めた時の録音音声だけでも持っていきますか?」
「えっ…そ…れも遠慮しておきましょうかね…あの…なかなか最近忙しくて聞く暇もないので…」
「そんなにですか!?お疲れなんですね…せめて安らぐように、事務所のBGMとしてバックグラウンドで流しておくので…少しでもスッキリして貰えれば最高っス…」
「あっ…ありがとうございます…」
燐が備え付けの有線放送機に、小さなチップを差し込んだ。スピーカーからはガガ、というノイズと共に、金属製の箱の中で硬い何かが蠢く音、男の断続的な悲鳴が再生されはじめる。
「わー…元気でます…」
「っスよね!じゃあ私は戻るんで、終わったら直帰するかんじでお願いします!お疲れ様っス!」
そう告げると、燐はバタバタと柘植に手を振り、来た時と同じ様な勢いで事務所を出ていった。一気にしんと静まったその空気に、柘植ははあ、と詰めていた息を吐く。
「…消します?」
「いや、一応彼女の好意ですし…音量は下げますが」
柘植はスピーカーの音量をごく最小にまで下げて、暑いですね本当に、外に出たくないなと髪をかきあげる。
「まあ、用事があるのは本当なんでね…出かけないと」
「……もしや、例の娼館で女が消えた件です?…我々のシマでやられたこととはいえ、あなたが直接出向くほどの事とは思えませんけど」
「そういう『立場的特権』に慣れたリーダーにはなり無くないんですよねぇ。蟻の穴から堤も崩れる、ですよ。文字通り全ての問題は些事から始まる。僕は疑い深いんです。自身の目で確認し得ることであるのならばしておくべきだ。…なんせ僕は──僥倖なことに、人に警戒心を抱かせないような見目をしていますし。これを活用しない手は無いでしょう。」
柘植は指先に着いた赤黒い汚れをんべ、と舌で舐めとる。その仕草が妙に蠱惑的に見えるのは、彼の押し隠した凶暴性、狂気、カリスマ、そういうものと普段との差異そのせいなのか、それとも……と、本元はそこまで思い、いやまあ違うな。と首を振る。相当自身も頭を暑さでやられているようだった。
「……良いように言ってますけど、それって要は」
着替えるために奥の自室へと通じる扉のノブを回そうとした柘植の動きがピタ、と止まる。
「…本元さん。本元さんそれ以上言ったら怒りますから。童顔なのは利点ですから。ねぇ。聞いてます?ねぇ。ねぇってば!」
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