第3話 溺れた先の末路

波はうねり、船もそれに伴い激しく揺れている。

帆も物凄い音を立てて強風に抗っているが、今にも壊れてしまいそうな勢いだ。

段々と肌寒くなってきたのか、弟が上着を着て踞っていた。

「き、気持ち悪い……」

どうやら激しい船の揺れにより、船酔いを起こしたらしい。

数日前は何処かで貰ったお握りを食べて腹を下していたが、今度は上である。

口を塞ぐ彼にそっと声をかける。

「今の内に出すもの出してきたらどうだ」

悪天候により、船の前方に商人やら人が集中していた。直ぐ様後方の隅へと移動させ、背を擦る。

「うええ」といつもに増して弟の情けない嗚咽が何もない大航海に響く。

やがて刺すような雨がこの大型船を襲い、雷鳴の轟きが近づいて来た。

これは不味い。

もし船が壊れ、下手すれば命を落とすはめになるだろう。

少しもしない内に天候は最悪な状況を向かえ、未だ噎せている弟を荷物のように抱えて先程までいた場所まで戻り雨宿りをする。

薄暗くなった黒い空には稲妻が姿を表していた。

「凄い雷だね……」

興味深々で訪ねる弟が何処か可愛らしいと思ってしまった。

「お前はこういうものには恐怖を持たないんだな」

「うん、だって人間は嫌なことをするとき、悪意があるけど自然はそうじゃないもん。もし空に意志があったとしても無差別に襲っているから運が悪いんだなーとしか感じないと思う」

彼が肉体的に普通だったのなら、相当の怖いもの知らずだったのではないだろうか。

それはそれで愛嬌が薄れている可能性もあるが、弟として姉を慕っているなら問答無用で受け入れようじゃないか。

僅かに口が緩む私に案の定悲劇がおきた。

「なんだ!?」

突然、船が傾いた。

必死に体制を取っていると、異変に気付いた男達も何やら絶望的な表情を浮かべていた。

「おい!船が折れるぞ!」

そう怒鳴りあげた三郎さん。

すると、間も無くして船の床がミシミシと音を立て始め___歪んだ。

反り上がった木の破片が露になり、さらに溝は広まっていく。

とうとう船は制御を失い、真っ二つになったそれらは素材として荒波に呑まれていく。

当然私達人間も、傾いた床から滑り落ち、全員が冷たい海の中に放り出された。

もう終わりだ。

このまま息も出来ず苦しんで死ぬのだろう。

結局全身を血に染めただけの汚い人生だった。

弟を幸せにすることも出来ず、姉として、いや人として失格だ。

_______実就。ごめんな。

海水で痛む目から涙が溢れ落ち、水に溶けていく。

耳にも、鼻にも口にも海水が入り、処理できない頭が苦痛の悲鳴を上げて沈んでいく。

これが、溺死する感覚なのだろう。

呼吸が出来ず、慢性化する現象が体内で起きる。そして窒息した体は共に意識も消え失せ、塵同然として自然に還っていったのだった。





「お姉ちゃん!」

そう叫んだ僕は目を瞑って沈み行く姉の体を必死に引き上げようとする。

しかし、上手くいくこともなく、腕を掴めた辺りで木屑が限界を迎えて僕は海に落ちた。

痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい

醜いその瞳を見開き、さらに襲いかかる痛みに音の無い悲鳴を上げる。

僕は人に頼られてばかりで何も出来なかった。

役立たずだった。

唯一出来たのは殺しと塵にこの気味悪い醜態を見せつけ、肉塊として蹴られ、嗤って貰うことだけ。

もっと勇気のある自分でいたかった。普通の人として姉と共に人生を謳歌したかった。

もがき苦しむ余裕もなくなり力も水泡のように消えていく。

僕は迷惑極まりない愚か者だった。

この生まれ持った病気さえ無ければ、僕が生まれてなければ姉はこうやって溺れ死ぬことなく済んだ。

僕は疫病神でしかない。

弟として、いや人として失格だ。

もっと、万物の僕に対する恨みで刺し殺してくれ。

そんな思いが脳の中で溢れて意識は溶けていった。

ここまで痛みと苦しみに満ちていれば二度と目覚めることはないだろう。

さようなら。






息が出来ない。

まだ死んでないのか?

であれば何故苦しくない。

ここは死後の世界だろうか。

私は起き上がり、辺りを見回す。

そこは夜よりも暗い、真っ黒で天井があるのか、そもそも床が存在しているのか分からない全てが黒一色で包まれた空間だった。

「ここは地獄……?」

あの状況で生きている筈がない。

生まれてこのかた人を殺めたことしかない。

血を血で拭うような、この右腰に納めている日本刀を他人に振り回すだけの生涯だ。

天国へ行けるなど微塵も思っていない。

であれば、やはりここは地獄なのだろう。

私は静かに立ち上がる。

感覚はないが、違和感を感じふと首元に目線を向けた。

「っ!?」

白くてか細い子供の手が自分の首を力ずくで絞めていた。

最早握り潰していたという表現の方が近いだろうか。

恐怖に怯える体を押さえつけ、ゆっくり間を開いた後口を開いた。

「すまなかったな。不甲斐ない姉で。私がお前を危ない場所に連れて早死させてしまった。それを恨んでいるのだろ?実就」

首元の両手がさらに力を増していくのが分かった。

死んだからなのかさっぱり痛みを感じない。

やはり弟は怒っているのだろう。いや、怒りだけではなく、憎悪や嫌忌、押し潰されそうな程の負の感情が読み取れた。

「ええ。僕は貴女を恨んでいます。何故僕を船に乗せたのですか?あの時どうして一人で草履を買わせたのですか?僕が皆から嫌われているのは全て貴女のせいだ。街の人から変な異名まで付けられて、ただでさえ酷い扱いを受けているのにそれを助長したのは、お前が暗殺を弟に叩き込んだからだろうが!!」

異常に冷ややかな、でも明らかに弟の罵倒する声が耳に刺さる。

さすがに動揺を隠しきれなかった。

そうだ。私は心から愛していた弟を暗殺の道に連れ込んだ。

それこそが謝っても謝りきれない心の思いだ。

そもそも私は間違った選択肢を選び続けたせいで彼は嫌われ、私に殺された。

そんな私が心から弟を愛しているといえるのか?

「お前は弟を愛してなんかいない。ただ私利私欲のままに扱い、暗殺業を営む自分に対しての心の隙間を埋めるためだけに弟を洗脳させたのだろう?そんなもの姉とはいわない。今すぐに消えればいい塵だ!」

弟の声が声でなくなり、保たれていた弟の偶像が泥々と崩れ落ちていく。

首を捕まれながら後ろを振り返ると、そこにはもう一人の自分がいた。

金縛りのように動けなくなり、膝から崩れ落ちた私に刀が振り落とされる。

「永遠に蘇ってくるな。自我を絶やせ。そして消えて無くなればいい」

もう一人の私の瞳には醜い自分の顔が映っていた。

刀が頭を直撃した瞬間、黒い世界は水のようになり、その中をただ額から血を流して沈んでいく。

今まで殺してきた人の顔を模倣したような気色の悪い化物達が私の四肢を引っ張るようにして光の見えない奥底のどこかへと連れていく。

そして__________





「姉さん!」

轟音が聞こえた。

いや、正しくはただただ波が飛沫を立てる極普通の音量であり、代わり映えの無い音だ。

呆けた顔をして、私は状況確認をする。

「私は、私に殺されて……?」

「ね、姉さん?何を言ってるの?」

ずぶ濡れになった銀髪を露にした弟が心配そうに私の顔を覗き込んだ。

どこだここ?

まさか助かったとでも言うのだろうか。

すると、奥から見たこともない服装をした長身の女性がやってきた。

輝かしい美貌を放つ彼女は女神のような柔らかな口調で話しかけた。

「懍様。実就様から事の事情は聞かせて貰いました。私事はフリューレ王国の神殿の者、ディリアと申します。懍様、貴女様は溺れて意識を失った後、ここフリューレ王国に漂流して来たのです」

フリューレ王国……何だそりゃ












なろうでは、下手ではありますが実就くんのイメージイラストを投稿しました。

みすぼらしい絵ではありますが、見てくれると嬉しいです!

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