第2話 港にて
小さい頃、ある人に何故人を殺さなければならないのかと聞いた。
恐らく自分に暗殺術を叩き込んだ人は姉が「先代」と呼んでいる人だろうか。
奇妙な狐のお面を被っていて、そのイメージだけが記憶に残っている。
気づけばその人は自分の前から姿を消したが、姉からは「殺された」と一言言われただけだった。
その人は当時質問した自分にある事を教えた。
「俺達は人間を殺している訳ではない。人間の姿形が同じだけの石ころ以下の塵を掃除している。
世の中には生きてちゃいけない人間の紛い物がいる」
と。続けて先代はこう言った。
「暗殺業は醜い汚れ仕事だなんて言われているが、報酬に加え街の治安を裏で支える暗躍者だ。平和を壊す溝鼠共が悲鳴を上げて死んでいく姿を見ると気持ち良くて、可笑しくて笑ってしまう」
山の野兎くらいしか仕留めたことが無い自分だったが、何となく先代の言う意味が分かった気がした。
日々自分勝手に他人を貶し、時には都合で罪の無い人間を殺す生命など同じ空間の何処かにいると感じるだけで反吐が出る。
外見で自分が人外扱いされるのなら、あれらは人格の面で人外認定である。
あれだけ上位者と勘違いした愚者が、自分等に対処するとき、許しを請う歪んだ顔こそが彼らの生きる意味なのだと。
「____は、はは」
今ここに折り重なって倒れた塵の脱け殻を見て自分自身の口角が歪む。
買ったばかりの草履が一部解れてしまったことが残念でならないが、それ意外の、特に歯切れの悪い鉈で首を跳ねる感覚が爽快で堪らないのだ。
推測だが、人間誰もがそう思うことだろう。
「あはははははははは!!」
地に汚い血が浸透していく情景が、この死体そのものが笑劇で不思議にも笑ってしまうのだ。
「実就!」
聞き覚えのある声が耳に入り、僕は一瞬で我に返ったのだった。
「何をしている!?」
酷く驚いた最愛の姉に平然と答える。
「さっき僕のことを殴ってきた奴らだよ。幼女を奴隷にして監禁するって話聞いたから反射で殺っちゃった……ごめん」
殺したは良いものの、同時に許可無しに実行してしまったことに心から焦りの感情が出る。
「ふむ……」と姉が生首二体を足で転がし、その顔をまじまじと見て僕に言った。
「一人は暗殺命令が出てた遊郭の主人。もう一人は政府から討伐命令が下されている闇商人だ。結果としては良くやったが___一歩間違えれば一般人にお前の素性が見られるところだったぞ。次からは状況を弁えてから行動に移すようにな」
確かに店と店の隙間から見える景色は先程まで自分も通った繁華街だ。
僕らはそそくさとその場を離れ、いよいよ港へと向かった。
後ろから悲鳴と騒然が街を覆ったのはその少し後だった。
「実就、医者からの文は落としていないか」
弟に懐の確認を促す。
病気を完治させることは不可能とどの医師からもきっぱり言われたが、山を二つ越えた先にある老人の医者は、蘭にいる友人になら何か症状を軽減させる手立てを教えてくれるかもしれないといい、外国の彼に文を渡してくれと言っていた。
日本よりも遥かに様々な技術が発展した国だというが、内心私は無理だと思っている。
とはいえ、弟にそれをいうと十中八九、脆い心がさらに粉砕され、姉として失格になるため素知らぬ顔で一度は連れていかせるのが正しいだろう。
それにここまで金を貯めて二人で長旅をする理由としてはもう一つの目的があった。
まだ十年と少ししか生きてないのに余命の少ない彼に出来るだけ楽しい体験をさせてやりたかったのだ。
段々と病状が悪化して床に伏せるのか容態が急変して直ぐさまあの世に行ってしまうのかはっきりいって分からない。
だからこそ、いち早く彼に思い出を作ってあげたいところだ。
決して正統な方法で乗船する訳ではないが、海や、異国の地を見て楽しいと思って欲しい。
そう切に願っている。
そんなことを思っている内に、青い海が見えてきた。
今日は晴天のせいか、空の爽やかな青さと混ざって絵のように柔らかな美しい色味を帯びている。
そして、海岸線上で遠くに映る大きなフォルムこそが外国に向けて出航する船だろう。
船に乗ったり降りたり繰り返す、荷物を乗せる商人で溢れていた。
これまた人だかりに怯えて私の羽織の中に隠れる弟を連れながら、見覚えのある顔を探す。
「よお、懍ちゃん。待っていたぜ」
「三郎さん。今回は有り難う御座います」
「ああ、構わねえよ。さあ、乗って乗って」
三郎さんは、当時先代が厳格な父親に怒られ、家から逃げ出した時に隠れ場所まで連れていってあげたりとなんだだかんだ先代と古くから関わりのある商人だ。
私も幼い頃に先代と共に会ったことがあるが、その時も三郎さんは変わらず笑顔を絶やさない良い人だった。
一週間前に一度山を降りてこの港の前で彼と船に乗せて貰う交渉をしたが、その日も快く許可してくれたことに感謝しかない。
「ところで、この子が例の弟かい?随分と人見知りだけど」
「実就、挨拶しなさい」
「あっ、あ、えっと……弟の実就です……す、すみません顔まではお見せ出来なくて」
厚手の上着に縫い付けられた頭巾を深く被り直した弟がそう話す。
少し前までは泣きながら逃走を図るか、踞って動かなくなるかと対人恐怖症も甚だしかったが、幾度の練習を重ねて多少は話せるようになった。
様子を見て、柔らかくはにかんだ三郎さんが口を開く。
「君が懍ちゃんの言っていた病気の。確かに手も白く、細いね。こりゃあ普通に歩いてりゃあ身を狙われたり忌子として拐われて焼き討ちにされちまいそうだ。まあ、蘭で少し進行が遅らせることが出来ると良いけどな」
親身に思ってくれる三郎さんの優しい人格が滲み出た瞬間だった。
反射的に腕を袖の中に閉まった弟が珍しく自分から口を開く。
「こんなに優しくされたのは初めてです……有り難う御座います」
僅かに見えた生気の無い白い顔に含まれた子供の無邪気な笑顔に彼は「可愛いな」とそう呟いてくれたのだった。
「それじゃ、俺は舵を切ってくる。二人はそこで寛いでな」
「本当に三郎さんには頭が上がりません。お気をつけて!」
私がそう叫ぶと船の操縦に向かった彼は格好つけて手を振った。
彼の所有する大型船とはいえ、わざわざ身分の高い人が持て成されるような畳の敷かれた場所に案内させてくれた。
海風が心地よく、出航し、青い海と遠ざかっていく港が見える中、化粧をした美しい女性が現れ、茶と菓子を出してくれた。
正直言ってここまでちやほやされたことは生涯で初めてである。
慣れないながらも礼儀作法に気をつけて、最近話題の和三盆を口一杯に頬張った。
一礼して戻っていく女性の姿が見えなくなると、直ぐ様身の丈に合わない緩めの上着を脱いだ弟が熱い茶を頂く。
その瞬間、弟が目を見開いた。
「美味しい!」
「すまんな……あまり楽しいことをさせてやれなくて。それに私にとってはお前に暗殺という汚れ仕事をさせてしまったことが何よりの後悔で___」
「何を言ってるの?姉さん。僕は全然幸せ者だよ。確かに外見は気持ち悪くて自分でも嫌いに思うけど、それでも姉さんのお陰で今の僕が成り立っている。暗殺だって楽しいから後悔だなんて思わないでよ。今だって最高の気分だよ。ありがとう」
何か引っ掛かる言葉があったが、弟の言葉に涙ぐむ私がいた。
船は順調に遠くへ進んでいく。
何度夜が空けても他の船に攻撃されたりなど物騒なことは起きなかった。
しかし、港を出て七日目の空は黒ずんだ曇天模様だった。
しかし、その後の凄惨な悲劇、そして出会いをまだ私達は知らない。
本当の物語はここからなのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます