暗殺姉弟は漂流先の国でペンションを始めたそうです
鐘音
第1話
昔々、江戸の人々から恐れられた姉弟がいた。
反幕府の者と手を結び、報酬目的で意図も容易く人を殺す暗殺者。
姉の方は男の袴を身に纏い、血の跡が残った日本刀で対象の腹を次々と貫いていく。
驚異的な身体能力を持ち合わせ、漆黒の衣を纏った彼女のその姿は別名「黒狐」と江戸の間で恐れられ、幕府からも捜索命令が出されていた。
弟は、ぼろ布で、自身の体と顔を完全に隠しているため、その外見こそは分からないが、小柄な身にそぐわない大きなナタで惨殺を繰り返す愉快犯だという。
彼が訪れた屋敷から夜中に嗤う少年の声が聞こえるという逸話があるが、その確証が無いのは屋敷の本人達は一人残らず彼の玩具遊びの道具として捕らえられてしまったからだ。
潔く人を斬っていく姉とは反対に、少しずつ苦しめて殺す残虐性の高い彼は別名「紅猫」と、血と掛けて呼ばれていた。
姉と同じく捜索命令が出ているが、素性が出ていない時点で幕府の負け同然だったという。
但し、二人はある日突然姿を消した。
それからの江戸は、治安がよくなる訳でもなく、かえってろくでもない将軍ばかりが庶民から税を巻き上げ、二度と栄えることはなくなったという。
ただし、これは参考文献の少ない伝説上の話であるとされていて、架空の物語と想定する専門家が殆どだ。
唯一記されていた作者不明の書物には、特徴と異名しか情報がない。
しかし、二人が実在していたと公言する一人がいた。
その人は「一人一人を大切にする良い人だった」と自身を持った顔でそう話した。
暗殺という物騒な職のものに常人はいない。
この現代でも老若男女誰もがそう思っているだろう。
それ以前に、何故江戸時代から二百年も経った現代で堂々と名言できるのか。
はたまた前世の記憶があるとでもいうのだろうか。
その人は、信じなくて構わないと私に伝え、一枚の縦長の写真を見せた。
なんということだろうか。そこには特徴が完全に「黒狐」と「紅猫」に一致した二人が写っていたのだった。
「へへっ……毎度有難いですぜ、旦那。今日も依頼を持ってきましたぜ」
クスクスと汚い笑い声が一軒の古い小屋のような家から外の荒れ果てた山の麓に響く。
江戸の街から少し離れた山の麓に小さな家があった。
山越えをしに獣道のような一本道を通っる人がいても、誰も気にもとめない。
何故ならあまりにも廃れすぎて人が住んでいると認識されていないからだ。
日中は常に郊外に出て素性を隠しながら小金稼ぎ。
夕暮れ時になってようやく戻るが、それも物を取るだけの用事なので、また直ぐに家を留守にする。
そしてここからが我々暗殺業を営む者としての血が騒ぎ始める時間だ。
やるべきことは単純かつ簡単で、時折やってくる依頼人から絵や場所が記された紙を元に、対象者の首を刎ねるだけ。
一度依頼を引き受けるだけで、一般人なら数日豪遊できる程度の報酬を貰える。
そのため、暗殺者達が生きる理由の最も多い理由として賭博や女遊びに費やす金が欲しいからというのが最もだ。
しかし私は違う。
少なくとも、ここにいる私とその弟は。
「報酬は___と、このくらいが我々としては精一杯ですな」
「今回はそれで十分だ。では完全に日が沈み次第私らは動くとする。礼を言う。先に戻っていてくれ」
背の丸まった依頼人の男は小さい目を見開いた後、嫌らしい顔付きで口を開いた。
「珍しいですなぁこの報酬で納得するとは。さては良い男にでも会いましたか?」
からかう男に構う訳もなく、弟と共に地図に書かれた目的地へと向かう。
金は十分に手に入った。
これで先代暗殺者の知り合いの商人に、懐に締まっている幾年分の仕事の報酬を払えば外国船に乗れるだろう。
ようやく弟を、世界最新の技術を持つ海外の医師の元へ連れていくことができるのだ。
私の名前は懍。
一応侍の分家の末裔らしいが、先代が江戸の世から抜け出し、山奥に住み着いて暗殺者となってからは、城や幕府などの言葉から遠ざかった。
別に殺しの汚れ仕事を好んで受けている訳ではない。
もう余命の少ない弟のために金を稼いで、海外の充実した医療で僅かながらでも生き長らえさせたいのだ。
弟の実就(さねなり)は、生まれた時から体が他の人より弱く、私と共に殺しの仕事をしているが、もっと健全で華やかな生活を送らせたかったと自分の中で後悔している。
見た目も小柄で病的な肌の白さのせいで、赤子だった実就は肉親に捨てられた。
先代が偶然にも見つけ、赤子を拾わなければ彼はこの世には当然いなかった。
今は他人の目に恐怖心を覚えながらも姉を慕ってくれている。
自分が感情的になって一人で抱え込んでいても、いつも隣に実就がいてくれた。
ひょっとしたら自分の誰かにすがりたいという身勝手な思い故の死んで欲しくない気持ちなのかもしれない。
例え血縁上義理の弟で、健康な体にしてあげたい気持ちが横縞であったとしても、病気で苦み最期を迎えるなんてことはさせたくないのだ。
「姉さん?着きましたよ」
女子の中では長身であるが、自分の目元にも及ばない小柄な弟はそういった。
人に姿を見られないように全身を薄汚れて破れのあるローブで覆った可愛らしいフォルム、フードからちらりと覗くと見える口元が愛くるしくて堪らない。
「ね、姉さん?大丈夫?」
「……!ああ、少し考え事を。
さっさと片付けるぞ」
「了解。明日はいよいよ旅立ちだもんね!」
今宵も寝静まった夜の江戸の街に断末魔と血飛沫が舞う。
二人の姿はその後、暗い闇の中へと消えていったのだった。
「実就」
「ん?なに?」
やや震え気味の声で弟は返事をする。
今日は待ちに待った出発の日。
とはいえ、出航までにまだ時間があるので身分を偽り市街で長旅に足りていない物を揃えに来た。
足の踏み場が無い程人で溢れているが、笠を被っているとはいえ、喪服のような格好の男装と肌が少しも見えない小人の二人は若干異様な目で見られている気がした。
びくびくと震え、肩身を狭そうにする弟に一声かける。
「今から私はあそこで物を調達しに行く。お前は、あっちの草履屋で新しい草履を買ってこい。そろそろ鼻緒が切れそうだ」
「わ、分かった。買って……来るよ」
報酬の一部を実就に渡し、別々に行動を取る。
気遣いで行かせたつもりだが、対人恐怖症には少々厳しかっただろうか。
とはいえ、慣れさせないと一生このままなので練習の一貫としてあえてこのままにしておく。
可笑しいな___人前では小鹿のように足を震わせているのにどうして殺しの時は高笑いを上げ、楽しそうにしているのだろうか。
私の中で一つとんでもない不安ができる。
まさか殺人に快楽を感じているのか____!?
叫びそうなこの状況を必死に堪え、店の前に向かった。
「そこの提灯を一つ」
「あいよ!毎度あり!」
威勢の良い声が賑やかな市場に響く。
今回はしっかり聞こえて良かった。
男装をしているため、ろくに声を出せないのだ。
声帯を低く意識しても疑われることに間違いないため、結局小声となる。
聞き返されたら正直たまったものではないのだ。
船内ではあるが___暗いところで役立つよう灯りを買った。
胸元にしまったはち切れんばかりの袋の質量が減ることはない。
「あとは……」
港への移動を考慮してもう少しといったところだろうか。
そろそろ草履を買ったであろう弟の様子を見に行こうか。
私が後ろを振り返る。
しかし、終始人でごった返していて、華奢な弟の姿が目に入ることはなかった。
どうしよう、これ。
「何だって?」
男に聞き返されてしまい、非常に焦る。
「あっ、えっ、えっと……左の草履を一つお願いします」
何とか意志疎通が伝わり、無事草履を買い換えることができた。
何故自分だけ望んでもいないのに人から揶揄される見た目なのだろうか。
小さい頃、姉と迷子になった。
今にも泣きそうになっていた自分だが、路地裏に当時同年代だったであろう子供が「化物」と自分を指し、許しを請いても殴られ、蹴られ続けた。
神は天才に二物も三物も与えるというのに、何故僕には醜い容姿を押し付けたのか。
きっと僕が普通だったら今の取引だって難なくできたのだろう。
この数十分で心が疲れ、深い溜め息を吐く。
「ところで嬢ちゃん……?その姿といい、代金を渡した時といい、もしかして何か体の事情でもあるのかい?」
草履屋の店主が訪ねてきた。
危うく混乱して思考が吹き飛ぶかと思ったが、一つ一つ噛み砕いて説明をした。
「成る程……姉と一緒に遠出とはね。病気持ちも大変だな。これ持ってけ」
そういって渡されたのは、握りたてと見られるお握りだった。
「あっ、有難うございます!」
「おう!お互い頑張ろうぜ!」
世の中には稀に自分に対して友好的な人もいるのかと少し世間を学べた気がした。
「ふぅ……」
決して病気の体は強くないため、心身共に疲れてしまった。
少し外れに入り、安堵の溜め息を付く。
突然、後ろからぐっと肩を捕まれた。
「ふぇっ!?」
「なんだ手前?盗み聞きしてたのかよ」
「どうしたかぇ?」
「ああ、勝手に話を聞いてた溝鼠がいただけだ。はっ、一発で動かなくなるとは脆すぎるだろ。ここで一生野垂れ死んでな」
小汚ない笑いが耳を刺す。
顔面を強打された痛みに無言で悶絶した。
「___で、今回はどんな物で?」
「ええ。花のように可愛らしい十の幼子でっせ。抵抗もせず従えやすいですぞ」
「ははっそれはいい____」
怪しい商人の男のにやけた顔は驚愕と恐怖の色に染まる。
「旦那!?」
男は取引相手の首が飛んだ瞬間をその目で見た。断面が残酷にも赤々としていて、男の着物にも赤黒さが染みていく。
「なんだ、ただの塵だったか」
いつの間に。男の首には新鮮な血の滴る鉈が突きつけられていた。
そこには小柄な姿が一人。
さっき殴られて意識を失った筈の小僧からとてつもない殺意を感じ、男の息が漏れる。
「さっきはよくもまあ嗤っていられたね。次はお前が僕を笑わせる番だ。どんな赤を噴き出してくれるのかな?」
「紅猫!」
知らない者はいない江戸の死神の名を男は叫ぶ。
そして、頭巾から見えた彼の顔はまさに異形だった。
獣のように光る___それも人間とは思えない紫色の瞳がこちらを覗いていた。
「化物……!」
そう叫んだのが男の最期だった。
実就はどこからともなく取り出した鉈を元の位置に戻す。
「笑わせないでよ。お前だって塵同然じゃん。嗚呼、ごめん。そもそも塵に失礼だったね。人でなしの化け物が」
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