第3話
「食料を分けてくれてありがとう。久しぶりにゆっくり風呂に入って柔らかい寝床で寝られた」
「本当にお世話になりましたわ。バイクの補給もしてくださって、本当にありがとう」
散々酒を飲んだ人々が、その翌日にまともに動けるはずがなかった。政府直属の治安維持部隊を名乗る悪漢どもから町を救った英雄たちは一日かけて旅装を整え、今後の旅の予定を立て、さらに一夜明けてからこの小さな町を出発した。
別れ際、町の入り口であの勇敢な少年が店で焼いた焼き立てのパンを2人に手渡して言った。
「僕正直さ、騎士なんて噂だけでどうせ名ばかりだって思ってたんだ。本物の騎士……近衛騎兵団はみんな死んじゃったし。でも、アンタは確かにこの町や僕を助けてくれた、本物の騎士だった。だからその、お姫様も、ありがとな!」
「気にするな、俺は俺の思う騎士の在り方を貫いているだけだ。体に気を付けて過ごせよ」
「あなたのお母様の焼いたパイ、とっても美味しかったですわ。今度はちゃんと買いに来ますから、王室御用達を名乗ってもよろしくてよ!」
悪戯っぽく笑うと、バイクに乗ったシリン元王女は大きく手を振った。
「それはみなさま、ごきげんよう!」
「本当にいろいろとありがとう。では、またな!」
今日も今日とて晴れ渡った空の下、バイクと馬が駆けていく。かつてアルコノストと一緒に3人で旅をしようと言った場所候補のうち、まず最初に目指すのはここから一番近い、大渓谷ヴァリアント・ヴァレーである。大渓谷の底には近年発見されたエネルギー鉱石の採掘場があり、一獲千金を狙う者たちが鉱石の採掘のために集まっているらしい。
「ヴァリアント・ヴァレーは朝焼けがとても綺麗だと聞きましたわ、アルコノストは朝焼けが大好きですの。大渓谷には採掘者を相手に商売をして発展している村……というより町もあるとか」
「エネルギー鉱石の採掘者たちが徒党を組んで野盗化して……なんて話もたまに聞きますね」
「耳の痛い話ですわ。別の採掘場ですけれど、私もこの棺桶やバイクを動かすために自分で鉱石を掘ったことがありますもの」
元王女が照れたように舌を出して笑うのを見て、アランは唖然とした。10年前から、王宮育ちであるにもかかわらずスラム育ちの少年に遠慮なく声をかける勇気と大胆さを兼ね備えた彼女だったが、その凄まじい行動力には改めて感心させられる。
「採掘場の近くの町で、臨時雇いで教員をやったこともありますわ。革命政府が義務教育を始めたものの、田舎は教員が足りていなくて」
そこはさすがに元王族、というわけである。12歳で革命を迎えたとしても、それまでに高度な教育が施されていて、教壇に立つのに十分な資質を持っていた。
「まあ、途中でラパクスの名字が悪趣味なジョークでないと気付いた校長に辞めさせられたのですけれど」
そう言ってシリンは平然と話を締めくくる。政治的な理由による解雇は、別段彼女のプライドを傷つけるには値しなかったらしい。
一方のアランは今でこそ放浪の騎士などやっているが、革命の3か月後にやや無茶ながらも開始された義務教育を受けた身である。王都の片隅の裏路地でシリンとアルコノストから教わった読み書きや計算のおかげで、アランは政府が規定した卒業要件を他の生徒よりも早くクリアして学校を飛び出した。その時にはもう「騎士」や「近衛騎兵」という職業は無くなっていたので、幼いころに自分を助けてくれた騎士から貰った魔法剣と「弱きを助け悪しきを挫く」の教えを頼りに、自分なりの騎士を目指してあちこちを放浪した。
「義務教育のおかげで、あなたとアルコノスト嬢に出会った時に比べると俺の言葉遣いや作法もちょっとばかりはマシになったので革命政府には、その」
革命軍によって駆逐された王家の末娘を前に、アランは「感謝している」と言おうとして濁す。だがシリン元王女は気にした風も無く笑って、彼の言葉を代弁した。
「素晴らしいことですわ、末期のラパクス王家は成しえなかった。私もあの時見たかった国の姿を今、革命政府のもとで不完全ながらも見ている気がしますもの」
家族や、自分が浴し続けるはずだった権威を奪われてなおそんな言葉を繰り出すシリンを、アランは目を細めて見つめる。2人は政治スローガンが書かれた路肩の看板の影に自身の乗り物を寄せて、水筒の蓋を開ける。太陽が頭の真上から照りつけていた。
「私もこうして自由に旅をして彼女と一緒に色々な場所を見られるから、革命政府には恨みばかりではありませんのよ。我が父王陛下の改革とやらで国民の不満を
全身に巻き付けたハーネスベルトで子供用の棺桶を背負った女が苦笑する。アランは覚えている。幼い頃の彼女が両親について語るとき、そこにはいつも両親への恐怖と嫌悪が滲んでいた。
「とはいえ、王族と近衛騎兵団を壊滅させたから英雄、なんて威張り散らして勝手してる革命政府治安維持特務部隊はどうかと思いますけどね」
アランが肩をすくめると、シリンもそれに同意した。
革命直後は頻繁に指導者が変わり、政府当局も国内も混乱していたが、その中にあってあの治安維持特務部隊という集団の権威が損なわれることは無かった。革命を成功させた立役者である彼らは、政府当局にとっても侵しがたい聖域であるらしかった。実際、王家を捕まえて処刑した後も、貴族を中心としたラパクス王家再興を目論む勢力の多くを絞首台送りにしたという。王族以下、魔力に恵まれた貴族も、速度に勝る銃を相手に善戦はしても勝つことはあまり無かったらしい。
「でも少し疑問に思うこともあって」
言いながら首をひねったシリンは、自身の荷物入れから例の焼き立てパンを出して半分に割り、アランに差し出す。
「私の影武者である彼女を含めた王族の逃亡の道中を、近衛騎兵団が護衛していましたの。当然、そこには当時の近衛騎兵団の団長レンヒルも加わっていましたわ。歴代最強の魔法剣
「でも、魔法は使用する当人の気持ちに左右されやすいものです。俺も、日々実感します」
「その気持ちのブレに影響されず常に強いから歴代最強と呼ばれていたんですわ。弾丸よりも早い斬撃を出すこともできた。余りに強いから……私は正直苦手でしたわ」
いつも朗らかで、あるいは決意を秘めた凛とした表情ばかり見せていたシリンが、初めて不快や不安を顔に出した。眉間に皺をよせ、幼い頃の感情を掘り返してそこに名前を当てはめていく。
「思想も信念も無くただ強いだけの彼が、そう、不気味、でしたわ。味方にしてあれほど心強い騎士もいないのだけれど」
けれどそこまで言って、シリンはいつものように微笑んだ。それ以上語りたくないという沈黙のうちの意思表示を受け取って、アランはパンを食べ終える。チェリーパイと同様、食べ応えのある美味いパンだ。
簡単な補給を終えたアランとシリンは再び大渓谷ヴァリアント・ヴァレーを目指して走り始める。休憩を挟めば三日後にはたどり着くはずだ。だがそんな二人の頭上を、大きな影がかすめた。大地に映し出された影の形に、2人は全身を緊張させ、頭上を仰いで目を見開いた。
信じがたい光景だった。一昨日、アランにバルーンと砲身を斬られ、シリンに投げ飛ばされたはずの飛行船が空を飛んでいた。砲身は切られたままだが、上部バルーンはすっかり修復がなされている。
『追いついたぞ。幻想にすがる哀れなる騎士アラン・メラン! ハゲタカの血の最後の一滴シリン・ラパクス!』
拡声器越しのあの野太い男の声が空から響いた。少なくとも砲弾が飛んでくることは無いので、名を呼ばれた二人は自身の足を止めてそれぞれが素早く臨戦態勢を取る。飛行船の運転席の扉が開いてロープ梯子が下ろされた。それを斬ろうとアランが剣を抜いたが、飛行船は僅かに動いて斬撃を回避した。ずんぐりむっくりとした船体からは想像もつかない繊細な動きにアランとシリンが唖然としている間に、飛行船が接近する。
「よほど腕の良いパイロットを雇っているのかしら?」
苦く笑いながらシリンが問いかけると、あの野太い声が答えた。あの革命政府治安維持特務部隊の、仮面をつけたリーダーと思しき男である。
「平凡なパイロットを、試験的に人工知能で補助している。将来的には人工知能をサイボーグ馬や携帯デバイスにも組み込む、とかなんとか。とにかく、ぶん投げられた先が偶然、政府の航空技術研究所の近くでな。コイツは政府の科学委員会肝入りの品だからあっという間に修理してもらえた」
言いながら、仮面の男はロープ
年の頃は40代半ば。背が高く、肩は広く、手足は長く、いかにも頑丈そうな身体つきのその男は部下たちと揃いの制服を着て、腰の左右にそれぞれ剣と銃を装備していた。しかし何よりも目立つのは顔全体に走る十字の傷である。それを確認した時、アランは彼の顔と、自身の腰に下げた武器を見比べた。
「あの時の、俺に剣をくれた騎士……?」
その派手な十文字の傷は、幼い日にアランに魔法剣と「弱きを助け悪しきを挫く」信念を授けた騎士の顔にもあった。目を泳がせて浅く呼吸する彼の隣で、シリンもまた愕然とその場に立ち尽くしていた。
「レンヒル団長……?」
わなわなと震える彼女の唇が呼んだ近衛騎兵団団長の名に、アランはぎょっとして治安維持特務部隊のリーダーを見やる。近衛騎兵団は、王族もろとも捕まってすぐに絞首台に送られて全滅したのではなかったのか?
「生きて、いたの? レンヒル団長」
口火を切ったのはシリン元王女だった。努めて冷静であろうとして僅かに震える彼女の声に対して、返答は淡々としていた。
「生きておりますとも。おれは、沈むのが目に見えている泥船に乗り続ける敗北主義者ではないんでね」
「……ま、待ってくれ。少し聞きたいんだが、10年以上前に、スラムでガキを助けてアンタみたいな騎士になりたいって言われたことは無いか? それで弱きを助け悪しきを挫くのが騎士だとそのガキに説いて自分が持ってた魔法剣をくれた。ほら、これだ!」
呼吸する間すら惜しむように喋りながら、アランは魔法剣を突き出して見せる。レンヒルはそれを指さし、変わらない調子で淡々と答えた。
「ああ、覚えている。俺に憧れる奴は多くいたが、他人に剣を与えるのは初めてだったからな。だが別段意味があったわけじゃない。ただ単に、新しい魔法剣を買ったばかりで、ソレはもう売るか捨てるかするつもりだった」
薄く開いたアランのくちびるが「ハ」と呼吸のような声を漏らす。だがその様子にも関知せず、レンヒルは続ける。
「しかし、あんな口から出まかせの騎士の在り方とやらをを10年以上本気で信じているとは恐れ入った」
アランが僅かに後ずさる。剣を持っていた右手がだらりと下がり、目を見開いて無言のまましきりに首を横に振る。
「他の奴らはともかく、おれはあんな綺麗ごとを固めて作ったような騎士の信念なんざ、毛ほども信じられなかったよ。実際、そんな信念は無力だった。あの革命で証明されたはずだ。何せ近衛騎兵団はおれ以外の全員が死んだんだからな」
アランの手から、あの日憧れた騎士に貰った魔法剣が落ち、大地を転がってカチャカチャと乾いた音を立てるのがいやによく聞こえた。
「幻想にすがる哀れな騎士アラン・メラン。お前はおれに存在しない、偽りの理想を見出してそれを追いかけた、偽りの騎士だ。実際問題、お前が騎士の理想を貫いて、それで一体何人を救えた? こうしている間にも、お前が助けることもできないまま、盗賊や地方都市でマフィア化する連中に苦しめられそのまま死んでいく奴もいる。お前のやっていることは、ただの騎士ごっこだ」
アランは言葉も無く、その場に膝をついた。
分かっていた。弱きを助け悪しきを挫く遍歴の騎士などと言っても、所詮ただの一個人であるアランに出来ることなど少ないのだ。盗賊に襲われて廃墟と化した小さな村落を見たことがある。それでも、あの日魔法剣を授けてくれた騎士の教えを貫いて自分なりに「理想の騎士」になって、約束通りシリンとアルコノストにハンカチを返す日を夢見た。
だが、そもそもの理想が偽りだった。偽りの理想を追いかけて、助けられないものばかりを積み上げる偽りの騎士。それがアラン・メランの真実の姿。
膝をついたアランに寄り添うようにしながら、一連の会話を黙って見守っていたシリン・ラパクス元王女が強張った声でレンヒルに問いかけた。
「……まさかと思うけれど、王族と近衛騎兵が一人残らずとらえられて処刑台に送られたのは、あなたが革命軍に手を貸したからですの?」
「そこで寝返ったとか裏切ったという言葉を使わず、近衛騎兵としての王家への忠誠も問わない。長きにわたり苛政を敷いたラパクス王朝が様々な要因と糾合した勢力によって潰えたのは自然なことだった、と考えられる。その視点のフラットさが貴女の美点だ」
「ごまかさないで」
「ごまかしてはいませんとも。そして答えは肯定です」
シリンは座り込むアランを背に庇うように立って後ろ手で彼の肩を揺さぶり、時折落ち着きなく携帯デバイスを入れた尻のポーチを弄りながら、レンヒルを睨んで問いを重ねる。
「あ、あんな小さな町をあんな盗賊みたいなやり口で占拠して、一体何を企んでいますの?」
呆然自失としたアランを正気付かせて立ち上がらせるための露骨な時間稼ぎだが、治安維持特務部隊のリーダーはそれを分かっていてなお問いに答える。
「国でも作ってみようかと思って。
「……レンヒル、あなた、国なんて作りたいの? 王朝がひとつ滅びて全く違う形になったのを見たばかりだというのに?」
「ただ単に、自分の力でどこまで何ができるのか、それを知りたいだけです。思想も信念もありませんから、ラパクス王家にも、今の革命政府にも忠誠なんてものはありません」
淡々と言った治安維持特務部隊のリーダーはさて、と一つ呼吸をすると、左側に
「貴女が背負っている棺をこちらに寄越してください。政府があなたに懸賞金をかけて指名手配にしているのは、旧王家を名乗る貴女を処刑すること以上に、ラパクス王家の血に受け継がれてきたそのハゲタカの魔法こと、強化外骨格魔法を欲しがっているからです」
科学を主として、魔法を補助的に利用する。それが革命から10年経った今、革命政府が新たに打ち立てた科学と魔法に対する基本姿勢らしい。そして理想形であるシリンの背負う棺桶を、サンプルとする計画だという。
レンヒルの説明が終わった直後、カチン、と音がした。金属が軽く触れ合うようなその音が聞こえたとたん、王家最後の生き残りを謳われる女の全身を覆っていた強化外骨格のうち、その補助をする金属パーツの一部が破壊された。
「ッ、嫌よ、駄目ッ」
視界の端に飛散した金属片を捕らえて、悲鳴じみた声を上げたシリンの目に恐怖が浮かぶ。そのとたん、強化外骨格の核となる小さな骨たちが意志を持つかのごとくにパラパラ彼女からはがれて、棺の中に吸い込まれるようにして閉じこもった。固く閉ざされた四角い箱がゴトンと地面に落ちた。
目視も困難な
「顔を隠して、偽名を使っていて正解だった。こうして貴女は正義感だけでおれの前に現れて、こうやっておれに棺を差し出した。貴女にかけられた賞金の分、政府もおれに褒章を出してくれるはずだ」
何が起こったのか理解できず唖然としていたシリンは我に返って、棺を抱えて飛行船に向かって歩き出したレンヒルを追いかける。
「待ちなさい、レンヒル! 彼女を返して!」
「返して?」
足を止めたレンヒルが振り返る。その鋭い目に射すくめられて、ハゲタカの血の最後の一滴を謳われる女が全身を緊張させる。
「そもそも、この魔法はあなたのものではないはずですよ。だって、あなたはシリン・ラパクスではない。おれや政府上層部、科学委員会はそう踏んでいたのですが……やはり、図星だったようだ」
冷え冷えとした声に突き刺されて、彼女の足が止まった。その後ろで、アランがゆっくりと目を見開いて、その姿を凝視した。
レンヒルが抱えた棺の蓋を軽くたたく。
「彼女こそが、シリン・ラパクス。そうでなくては理論的におかしい。ラパクス王家の継ぐ強化外骨格魔法は、同族……つまりラパクス王家の血を継いだ者の骨を利用する。ならばこの骨が、スラム街から拾われた王女シリンに瓜二つなだけの影武者アルコノストではおかしいのです」
レンヒルが彼女を射抜く。
「そうでしょう、影武者アルコノスト。ハゲタカの血の最後の一滴? ラパクス王家唯一の生き残り? 馬鹿馬鹿しい。アルコノスト、貴女は影武者でありながら主である王女シリンに守られて王女シリンを死なせた。偽りの王女。あの王家に似合わず聡く気高かったシリン王女の真似をして貴女もヒーロー気取りでいるようだが、話にならない」
そう言って、ツカツカと飛行船に乗り込んだ。まだ本調子ではないのか、ゆっくりと離陸する飛行船を呆然と見送って、そしてシリン・ラパクス、否、ただのアルコノストがぎこちなくアランを振り返った。
揺れる空色の瞳を見つめて、アランは声を絞り出した。
「変だと、思っていたんです。あなたの手に、ほくろが無かったから」
王女の影武者が自身の手を背に隠す。町での宴のさなか、確かにアランは彼女の手を熱心に見つめていた。
「俺は、シリン王女がハンカチを差し出してくれた時のことを、よく覚えています。彼女の手を。それに、あの棺桶にも違和感がありました。あなたがほんとうにラパクス王家の一員なら、あそこまで機械化する必要はなかったんじゃないかって、思っていて」
そう言いながら、アランの声が涙交じりになる。釣られるように、アルコノストもボロボロと泣きながら彼の肩を掴んだ。
「じゃあ、なんで言ってくれなかったの!」
彼女が初めて見せるその激しい調子に、アランの瞳は一拍置いて今まで以上の涙を湛えた。
「言えるわけ、ないじゃ、ないですか。だって、あの時まっすぐ飛行船に突っ込んでいったあなたの蛮勇は、俺の知っている、ガラの悪い俺に怯えもせず喋りかけたシリン王女の蛮勇そのものだった……! あなたが革命政府を恨む様子がない様も、聡いあの人そのものだった……!」
次から次に落ちる涙が赤茶けた大地に落ちて斑点を作る。
「俺の方こそ、ごめんなさい。偽物の騎士で、ごめんなさい。本当は俺はあなたたちにハンカチを返しに行くことなんて最初からできなかったんだ……」
アランは大地にうずくまって、肩を震わせた。
もはやどちらにも言葉は無かった。偽の騎士と偽の王女は力なく地面にへたり込んで泣いた。それ以外にできることが思いつかなかったのだ。信じていたものは嘘ばかりで、そして彼らは無力だった。
どれほどたっただろうか。ふと町のほうから、疾走する馬蹄の音が聞こえた。
「おおーい、忘れ物だよー!」
それはあのパン屋の息子、勇敢な少年の声だった。場違いな声に二人は顔を上げ、きょとんとして彼が近づいてくるのを見つめた。
「騎士様、お姫様、これ、忘れものだよー!」
ブンブンと彼が振り回すその手には白いハンカチが握られている。アランとアルコノストは互いの顔を見合わせた。アランは確かにそれを酒場で返したはずだが、思えばアルコノストがそれをきちんと荷物入れなどに仕舞ったところは確認していない。今ならわかる。それを受け取るのは自分ではないという遠慮がそうさせたのだ。
「あー、間に合ってよかった!」
サイボーグ馬を鮮やかに操る少年は、二人の元にたどり着くと、馬を降りて王女にハンカチを渡しながら首をひねった。
「二人とも、大丈夫?」
偽の騎士と偽の王女がギクリと身体を強張らせるが、それに気付かないまま少年は言った。
「実は、あの治安維持特務部隊の被害に遭った近くの村や町の人たちと相談してさ、あいつらの所業を政府に告発しようってことになったんだ。そしたら他の町や村があいつらの餌食になるのを避けられるんじゃないかって。どこの酒場にもアイツらの未払い分の領収書もあるしさ」
澄んだ瞳でどこか悪戯っぽく、はにかみながら語る少年を、アランは小さな声で賞賛した。
「勇気ある行動だ。俺にはできん」
その羨望の混じった賞賛に、少年は首をひねった。
「騎士様とお姫様のおかげだよ? せっかく2人に助けてもらったんだから、今度は僕たちが誰かを助ける番じゃないかって、みんな思ったんだよ」
少年の言葉に、押しつけがましさや驕りや気負いはない。ただ為すべきことを正しく為そうという意志だけがある。
「それだけ。じゃあ二人とも、またいつでもウチの町に遊びに来てくれよ!」
ヒラリと馬に乗った少年だったが、不意に立ち上がったアルコノストが彼を呼びとめた。そして、ベルトの尻側のポケットに入れていた携帯デバイスを差し出した。
「これを持ってお行きない! これに、革命治安維持部隊のリーダーの言葉が録音してありますわ。あいつらを告発するときに、その録音が役に立つかもしれませんわ」
その言葉に、アランが眩しいものを見る目つきになった。あのときアルコノストは、レンヒルを相手に時間稼ぎの問いをして後ろ手でアランの肩を揺さぶるのと同時に、彼女はその手で携帯デバイスの録音ボタンをオンにしていたのだ。
少年は差し出された端末を受け取って、額に押し頂いた。
「ありがとうお姫様。ラパクス王家は本当にひどかったってみんな言うけれど、でも、お姫様のことは僕も、町のみんなも好きだよ。騎士様のこともね。……ほんとうにありがとう、必ず役に立たせるよ!」
サイボーグ馬に乗って、少年は颯爽と町へと帰っていく。その背を見送ったアルコノストが、振り返ってアランを見つめ、そして力強い声で語り掛けた。
「どれだけ取りこぼすものが多くても、夢見たのが偽りの理想でも、それでもアラン、あなたは確かにあの少年を、あの町の人々の命を救った! そしてそのことに勇気をもらって、今、見知らぬ誰かを助けようとしてる! それでもあなた、自分の夢見た騎士の信念が嘘だったというつもり? ……いいえ、いっそこの際、騎士ごっこでも嘘でも構わなくてよ。最後まで貫き通せばそれは本物と見分けなどつかなくなりますわ」
アルコノストの空色の瞳は、今日の空よりも高く青く、いつかの幼い王女と同じ色をしていた。
そして、アランは直感的に理解する。10年前のあの日、「国を良くしたい」と言っていたあの聡い王女は、その実、ラパクス王国が近いうちに潰えるのを予感していたのではないか? それでも、王家の散らかした物を王家として片付けようとしていた。
「……ああ、あなたはやっぱりシリン王女そのものです、アルコノスト」
アランがその青い瞳を見つめて目を細める。
「終わりだと、無力だと分かっていても、その時出来る最善を行おうとする。シリン王女もそうでした。そしてあなたも、あの状況でなお、町や村を占拠して苦しめる治安維持部隊を抑え込むための逆転の一手を探して、レンヒルの言葉を録音していた」
その言葉に、影武者の女は弾かれたように目を見開いた。
アランはゆっくりと立ち上がり、転がっていた剣を鞘に納めた。そして、アルコノストの正面に立って手を差し伸べた。そのまなざしに、もう迷いはない。
「何にしても、シリン王女をあいつらに奪われるのは俺は
「私だって嫌ですわ。ええ、彼女を取り返しますわよ。そしたらアラン、私たちと旅をして困ってる人をド派手に助けて回りましょう。そうしたらいつかきっと、シリン・ラパクスという一人の少女の名は、愛を込めて人々の口に上るはずですわ」
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