第2話

 何はともあれ、1ヶ月にわたり村に滞在して金をむさぼり続けた革命政府治安維持特務部隊とやらは去った。町の住人が誰一人死なずに済んだのも、ひとえに遍歴の騎士を名乗るアラン・メランと、シリン・ラパクス元王女のお陰である。

「あの飛行船の修復にどれだけ時間がかかるのかよく分かりませんわ」

「動力部は健在だから意外と早く復旧するかもしれない」

 二人はそう言ったが、町の人々は構わないと断言したうえで、恩人であるシリン元王女を政府に差し出すような恥知らずな真似はしないと啖呵を切って、町を挙げての宴を催し、彼らを大いに称えた。

 しばらくは町の人々に囲まれていたアランとシリンだったが、日が傾くころにようやく解放された。アランは次々運ばれる料理と酒を適当に持って、酒場の軒下で料理をつまむシリンに声をかけた。

「お久しぶりです、シリン様。革命以来、今日までずっとお探ししておりました。最近になって手配書などでお名前を見かけたりたまに噂を聞くようになって、生きていることだけは知っていたのですが」

 アランもアランで「弱きを助け悪しきを挫く」の信念を引っ提げた遍歴の騎士として、そして賞金稼ぎとして、武者修行を兼ねてあちこちを旅していた。その都合でシリンと遭遇する機会に恵まれなかった。だが、今日ここに、ようやく再会することが出来た。実に10年ぶりの再会であった。

「こちらをあなたにお返ししたくて。ずいぶん時間がかかってしまいましたが」

 騎士を名乗る男は机に料理と酒を置くとシリンの正面に座り、荷物入れから白いハンカチを取り出した。ハゲタカと「S.R」のイニシャルが刺繍されたそれを見ると、彼女は目を丸くした。

「このハンカチ、まだ持っていたんですの? 返しに来てなんて約束、忘れてしまっても良かったのに。革命で、王家も近衛騎兵団もみんな死んでしまったのだから……」

 シリンの空色の瞳が僅かに震えている。けれど騎士は首を横に振った。

「忘れるわけがありません。は、俺の夢を笑わずにいてくれた人たちだから」

 その言葉で、二人の脳裏に鮮やかに思い出がよみがえる。

 10年前、革命が起きるその直前。好奇心旺盛なシリン王女と、その影武者アルコノストは王城の壊れた城壁から二人でこっそり抜け出して、城下町で遊んでいた。そんな折に出会ったのが、スラム街で生まれ育ったアラン・メランだった。双子のようによく似た二人の少女が「いつかこの国をきっと良くする」、「その手伝いをする」と大言壮語して意気込むので、ほんの気まぐれで彼女たちの遊び相手をしていたアランはつられて夢を語った。

「俺は、いつか騎士になりたい。昔、騎士に助けてもらったんだ。その時に、弱きを助け悪しきを挫くのが騎士だって教えてもらって、この魔法剣を貰って……」

 誰もがアランの夢をわらった。学も無い平民は近衛騎兵になんてなれない、騎士になどなれない、と嗤った。けれどシリンとアルコノスト、2人の少女は嗤わなかった。真剣な目で少し年上のアランを見つめ、血のにじむ彼の手を真っ白い絹のハンカチで止血して、真剣な顔で言ったのだ。

「じゃあ私、今からあなたにまず基礎的な読み書きと計算を教えますわ」

 冗談でないのは表情から察せられた。

「私はあなたが大人になるまでに、この国を、全ての民が身分に関係なく好きな仕事に就ける国にして、あなたを待っていますわ。あなたが、アラン・メランが騎士として私の元に来る日を。だから、きっと騎士になってこのハンカチを返しに来てちょうだい」

「私もシリンと一緒に、アラン・メラン、貴方を待っていますわ」

 以来、革命までの半年の間、シリンとアルコノストは城を抜け出すたびにアランに会った。そのたびにアランは彼女たちから、少しずつ文字の読み書きを教わった。その合間に3人は夢を語り合った。

 シリンとアルコノストは国を良くして民を守りたいと語り、いつか訪れたい場所についてもよく語った。本で知るだけのその場所に、行ってみたい、と。

「私が旅に出た時にはアルコノスト、アラン、あなたたちも一緒よ」

 会話の節々から普段の生活の不自由さをにじませる幼いシリンはそう言って笑い、アルコノストとアランはその約束に首を縦に振った。

 シリンとアルコノスト。2人が王女とその影武者であるとアランが知ったのは、革命の中、王都から逃げ出そうとした王家の末娘シリン王女の影武者アルコノストが絞首刑に処せられたと聞いた時だった。

 一方、王女本人は混乱する王都から逃げ出して消息不明、と報じられた。

「……数年前、突然あなたの手配書が回ってきた時には驚きました」

「私も王都を抜け出すときに怪我をしていたし、を使えるようにするのに時間がかかってしまいましたわ」

 そう言って、今や22歳になった王女は自身の隣の椅子にいた小ぶりな棺桶をそっと撫でた。その中身は先の戦闘で確認したばかりだったので、むやみにに触れようとする者はいない。

 ラパクス家は遥か昔、死んだ血族の骨を全身にまとう「強化外骨格魔法」によって人々を圧倒し、国を興して王族となった。身体能力を向上させる魔法だが、その最大の特長は空を飛べるという点にあった。

 元より血筋に左右されるのが魔法であったし、空を飛ぶことができる魔法は希少だった。「より魔力の高い子供」が生まれるために様々な実験を繰り返していたラパクス王家が空を制したのは当然の帰結であった。そして王族以外が空を飛ぶことが無いように科学技術、とくに航空技術開発を強く制限し、ラパクス王家の権威を傷つけるものを決して許さない姿勢を取った。そうして、ラパクス王家の強硬な支配がはじまった。

 その発端となった王家の「強化外骨格魔法」はいまだに民にとっては恐怖の象徴であったし、そうでなくても死者の骨を使うのだ。を利用して力とするハゲタカのような貪欲さを忌み嫌い、不気味がらない方が不自然である。

 だが今はそれ以上の感情で、町の人々はその小ぶりな棺桶にも、シリン王女と同じ料理を配膳していた。それを見つめながら、アラン・メランが首をひねる。

「魔法、ではないのですか? 遠目にはその棺桶が機械仕掛けのように見えたのですが」

「元よりこの魔法は子供の骨を使うことは想定していませんの。無理やり彼女の骨を使っている状態ですから、補助のために科学技術としての強化外骨格を組み込んでいるのですわ。酷い矛盾とは思うのだけれど……手段を選んでいる暇はなかったから」

 王女は苦笑した。

 旧ラパクス王家を打倒し革命が成功したその要因の一つは、王家に研究を制限されていた科学者、技術者たちが革命軍に協力し、技術提供をしたことだと言われている。レーダーによる索敵を活用しながら高性能の銃、砲弾、最新式の車といった最新技術が、その速度で魔法の優位に立った。そして王家と近衛騎兵団のことごとくが捕らえられ、処刑された。

「絞首台に吊られて、鳥についばまれてついに骨だけになった彼女の身体を、夜中に回収したんですの。そうして、革命にも参加せず田舎に引きこもっている、世捨て人みたいな技術者のところに駆け込みましたわ」

 10年前のことを回想して静かにほほ笑む王家の最後の生き残りの横顔を、アラン・メランは黙って見つめる。当時まだ12歳だった少女がどれほどの思いでそんな無茶をしたのか、想像するには余りある。

 酒場の主人が運んできた酒を、アランが高く掲げ、影武者の少女のために献杯した

「アルコノストに」

「……アルコノストに」

 苦笑した王女シリンも同じようにして、グラスに入った酒をぐいと飲み干す。そして机の上に置かれていた白いハンカチを開いてみたり、刺繍をなぞったり、畳んだりしてもてあそんだ。そんな彼女の手をアランがじっと見つめているのに気づいて、王女はからかった。

「私の手がどうかして?」

「あ、ああ、いえ、何でも。それで、技術者の元に駆け込んだ後はどうお過ごしに?」

 アランが問う。10年ぶりに再会した少女たちの片割れの話を、今は黙って聞いていたかった。

「怪我の療養や棺の改造のためにしばらくはその偏屈な女技術者のところでお世話になって、その後は辺境の村で雑用をしたり賞金稼ぎをしてお金を溜めましたわ。とにかくアレにお金が入用いりようで」

 元王女が肩をすくめて少し離れた木陰を指さす。日陰では、アランの乗っていたサイボーグ馬の隣に赤いバイクが置いてある。あの飛行船と同じように、空を飛ぶために反重力装置を組み込んだ代物らしいが、反重力装置は今だに量産体制が確立していない。

「政府から裏ルートで流れてきた反重力装置を競り落とすのが本当に大変でしたの。当然、旅を始めた時は素寒貧すかんぴん

 旅。その言葉で、アランの脳裏に、10年前の思い出がよみがえる。確か、王女シリンはいつか旅に出たいと言っていた。その時にはアルコノストもアランも一緒だと。

 僅かに目を見開いたアランにあの日の少女が悪戯っぽく笑いかけて、ベルトの尻側に付いたポーチに入れていた携帯デバイスを起動して画面を彼に見せた。「行きたい場所」と書かれたそこには国内や国外の地名が表示されているが、その三分の一も達成されていないらしかった。

 シリンが手を差し出す。

「アラン・メラン、と一緒に旅をしてくださる? 行ってみたい場所がまだまだたくさんありますの」

「ええ、俺で良ければ喜んで」

 その手をじっと見つめていたアランも、自身の手を差し出して握手する。互いの顔を見つめて笑みを浮かべると、今度はシリンが酒を注いだグラスを掲げた。

「私たちの旅立ちに!」

「俺たちの旅立ちに!」

 再び一息に酒を飲み干す。夕暮れの町のあちこちから音楽と歌が聞こえ、広場の中央では何やらキャンプファイヤーの準備が整い始めている。それを眺める2人に、声をかける者がいた。あの時、革命政府治安維持特務部隊に射殺されそうになりながらも見事な啖呵を切ったあの少年である。手には大きなパイの乗った皿を持っている。

「あのさ、2人とも、うちの母さんが焼いたチェリーパイ……食べる?」

「ええ、喜んでいただきますわ!」

「俺も貰おう」

 即答したシリンとアランは実に健啖で、この後キャンプファイヤーで肉を焼くと聞くと目を輝かせた。

 パン屋の息子だという少年は、軒先に出てきた酒場の主人からナイフを受け取ってパイを切り分けながら、どこかそわそわして言った。

「あの、さ。騎士様もお姫様もこの町を助けてくれてありがとう。ずっと気になってたんだけど、どうしてお姫様は自分が王家の生き残りだって分かるようにしてるの? 金髪もその首飾りもその棺桶も、王家の特徴だってみんな知ってるから、その危ないんじゃないの?」

 切り分けられたパイを受け取りながら、アランはシリン・ラパクス元王女を見やる。実際、彼女は今、Dead or Alive生死問わずで賞金首として政府に指名手配されている。きっと彼女の旅がゆっくりなのは噂にある通り、あちこちで用心棒をしてお金を稼いでいるというのもあるだろうが、それと同じくらいに彼女を狙う賞金稼ぎから逃げているから、というのもあるだろう。

 王家の生き残りであることを隠しもしないシリンの堂々としたその態度が彼女らしいと思いながらも、そんな彼女のやり方はアランにとっても疑問だった。だが、そんな破滅的ともいえる行動にもきちんとした信念があるらしかった。

 シリン・ラパクスであることを誇示する女は迷いのない目で語る。

「私はシリン・ラパクス以外になるつもりはありませんもの。それに何より、王女シリン・ラパクスを守るために影武者としてが命を懸けたのは、この国の誰もが知ることですわ」

 言いながら、王女は隣に座らせた棺桶をそっと撫でる。そして少年を真っすぐに見つめた。

「人々はシリン・ラパクスの名を語るたび、それを生かすために死んだ一人の少女を思い出す。そうして、彼女は人々の記憶の中で生き続ける。だから私はこの名を名乗り続けますわ」

 シリン王女の堂々とした態度が初めて出会った日と同じで、アランは目を細めて眩しいものを見る時の顔になる。10年前、まだ12歳だった少女たちが見せた、スラム育ちの目つきの悪い年上に怯みもしない無鉄砲というべき姿が、アランには好ましく思えたのだ。

 一方で村を占拠した輩に啖呵を切って見せた勇敢な少年は、シリンの話にどこか納得がいかないような顔で首をひねっている。まだ10歳と少しといった年齢の彼がこの話を充分に理解できないのも無理ないことだったので、巷で噂のお姫様と騎士はうるさいことは言わず、この少年のためにジュースを頼んで自分たちのグラスにも新たに酒を注ぎ、乾杯した。

「少年の勇気に!」

「勇気に!」

「えっと、ありがとう。お姫様と騎士様の勇気にあやかって!」

 政治制度が変わり、国の名前が変わろうとも、人々に根付く文化はそう簡単に変わらない。人々が集まれば乾杯を繰り返し、飲み明かすのが革命以前からのこの国の伝統である。3人の乾杯を見ていた人々がそこに加わり、陽が沈み切ると本格的にキャンプファイヤーで肉が焼かれ始めた。

「……そういえば」

 不意に、アランがふと思い出したように焼かれた肉と野菜をシリンの皿によそいながら問いかけた。

「革命政府治安維持特務部隊とやらのリーダーらしい、あの拡声器越しの声に聞き覚えはありませんでしたか?」

 問われて、シリンは首をひねった。少なくとも、彼女の印象に残っている声ではなかったらしい。

「知っている人の声でしたの?」

「いえ、なんとなくどこかで聞いたような気がしたんですが」

 気のせいかもしれません、と話を締めくくったところで追加の肉が運ばれて、そのまま2人はもう何度目になるか分からない乾杯に加わった。

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