第59話 幸せな夢
気が付くと、僕はまた夢を見ていた。
いつもの通り、映画館の柔らかい座席に腰を掛けて、頬杖を突きながら、スクリーンに映し出されている映画を見上げているのだ。
映っていたのは、とある家族の日常風景。
ある朝、目を覚ました男の子は、布団をはぐって上体を起こす。若干息を逸らせながら、右、左と見渡した後、布団から立ち上がり、寝室を飛び出した。
廊下に出た彼は、勢い余って壁にぶつかりそうになりつつ、危なっかしいコーナリングを決めた後、ある部屋の扉を開けていた。
『母さん…』
扉の先にあったのは、台所だった。四畳ほどの狭い空間で、手前に木目の美しいテーブルが鎮座している。上には湯気の立つ白ご飯と、お味噌汁、あと、沢庵を添えた小鉢が、三人分置いてあって、おかずは今、コンロの前に立っている女性…じゃなく、主人公の母親が作っているところだった。
『ああ、起きたの、譛晄律螂亥、乗ィケ』
母親が何か言った気がしたが、聞き取れなかった。
巻き戻して見られるわけもなく、映画は進行する。
『母さん、大丈夫なの? 起きていても』
病弱な母が朝食を作っていることに、主人公は声を震わせた。
『ねえ、いいよ、別に。朝ごはんくらい自分で作って食べるから。母さん、しんどいんだろう? 寝てなよ…』
『いいの、元気になったから』
母は主人公の方を振り返らずにそう言った。彼女が向かい合っているフライパンからは、じゅうじゅう…と、何かが焼ける音がする。当然、匂いはわからなかった。
『嘘つき。無理してるのわかるんだよ。だから倒れるんだろう?』
『大丈夫。本当に大丈夫』
母はそう言って、傍に置いてあったフライ返しを掴んだ。首だけで振り返り、主人公へと微笑んだのだが、その顔には逆光が指して、よくわからなかった。でも、綺麗な人だな…とは思った。
『私は大丈夫』
掠れた声でそう言った母は、またフライパンの方を向き直り、焼けたものをフライ返しで掬った。それを、広い皿に乗せる。目玉焼きだった。白身はしっかりと固まっているが、黄身は半熟。縁はカリカリに焦げていて、香ばしい匂いがここまで伝わってくるようだった。
『母さん…、僕は怖いよ』
スクリーンの中で主人公が言った。
『母さんが死ぬのが、僕は怖いよ』
『私は死なないわ』
主人公の言葉に被せるようにして、母が言った。
振り返った彼女は、可愛らしく首を傾けた後、目玉焼きの乗った皿をテーブルに置く。コトン…と音が聴こえたかと思うと、ありふれた朝食が完成した。
『だって、私はあなた達のお母さんだからね』
エプロンを外しながら、母が言う。
『あなたを悲しませるようなことは絶対にしないわ』
その時、スクリーンに投影された映像が歪んだ。一瞬は気のせいかと思ったのだが、白く褪せていく。ただでさえ顔が上手く映っていない母の姿が、みるみる不鮮明になって言って、ついには、すりガラス越しに見ているかのようになった。
彼の視界を歪ませるのは、朝食の湯気か、それとも、涙か…。
いずれにせよ、ずるい演出だなあ…と思いつつ、僕は首の後ろを掻くのだった。
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