第39話
宛名は「西城朝子」とあった。
「止めてみなさいよ」
もう一度、皆月は挑発的に言うと、アサの封筒を手に取った。
しなやかな指が、封筒の口を塞ぐセロハンテープに食い込む。黄ばんだそれは、ぺリペリ…と軽い音を立てて剥がれ、いとも容易く五年の封印が解かれた。
皆月は、ふんっと笑うと、開いた封筒をひっくり返す。
乾いた音を立てて。一枚の便箋が落ちてきた。
その瞬間、僕は横から手を伸ばし、ひったくるようにして手に取る。
まるで、三日ぶりに餌にありついた猫のように、血走った目でそれを広げた。
それは案の定、アサの将来の自分に宛てた手紙だった。
『どんな大人になっていますか…、小説家の夢は叶えましたか…、引っ込み思案な性格なので、それを治して、もっといろいろな人と会話をできるようになっていたいです……』
手紙はそんな感じで続いていた。
僕は息をするのも忘れて、それを読み進めていった。
そして、見開かれた血眼が探し求めるのは、僕の名前だった。
僕の名前…僕の名前、僕の名前、何処だ?
だがどこにも、理解することが不可能な文字列を確認することは叶わなかった。
僕の不安を他所に、手紙は進んでいく。
『友達とはもう再会しましたか?…募る話はあるでしょうから…ゆっくりと、時間を取り戻すようにお話をしていきましょう…』
そして、手紙は終盤に差し掛かる。
「あ…」
『あと、恋が成就していると良いですね』
その文章を最後に、手紙は途切れた。
最後まで読み切った僕は、「お、おい…」と言って、皆月の方を振り返った。
「見たか?」
「まだ途中」
「これ、僕のことだよ」
興奮しながら言うと、最後の「恋が成就していると良いですね」の部分を指でなぞる。
ひねくれている皆月は、「ふーん」となぞる。
「別に、ナナシさんの名前を出しているわけじゃないじゃん」
「いや、そんなことは無い。僕にはわかるんだ…。こいつは、絶対に僕に向けて書かれたんだって…」
立ち上がった僕は手紙を折りたたむと、封筒に戻した。そして、口を丁寧に畳む。
飛び上がって叫び出したい気持ちに駆られながら、僕はその封筒を額に押し当てた。
「なんか…、勇気が湧いてきたぞ。救いようがない人生だったと思ってたけど、それ相応に救いがあるかもしれない…」
「まあ、仮にそうだとしてもさ…」
とにかく捻くれている皆月は、僕の言うことを否定しようと口を開いた。
「勘違いしないでほしいのが、もう五年も経っているってことだね。その間に、人の心なんて変わるでしょう」
「いやいや、そんなことないさ」
そんな言葉が、脊髄反射で飛び出していた。
「ひねくれた人間ならともなく、アサは優しい奴だったんだ。女神みたいな人だったんだ。あの美しい心は、ちょっとやそっとじゃ、染まらんよ」
そう言いながら、アサの封筒をタイムカプセルに戻すと、丁寧に蓋をした。体重を掛けて押し込み、雨水が入らないよう、しっかりと固定をする。
持ち上げると、深く掘られた穴に戻した。
ふう…と息を吐き、額の汗を拭う。
「決めた。アサに会いに行こう」
「行ってどうするの?」
「僕の過去を取り戻すためだよ」
僕は皆月の方を振り返ると、肩を竦めた。
「君が言ったんじゃないか。過去の復元には、当人の証言も重要になってくる…って。アサがその一人じゃないのか」
すると皆月は、数秒固まり、そして、頷いた。
「まあ、そうだね」
「そうだろ?」
僕は勝ち誇ったように笑った。
「アサは頭がよくて、優しい子だったからね。きっと、変な色眼鏡を掛けることなく、僕がどんな人間だったかを見ることが出来ていたんだよ。彼女の証言は、きっと僕の過去の復元に大いに役に立つはずさ」
早口でそう捲し立てると、落ちてあったショベルを掴む。
積み上がっていた土を掬い、再び、タイムカプセルを地面の下へと埋めていった。
掬っては、穴の中に落とす。救っては、穴の中に落とす。その作業の繰り返し。でも、僕の挙動は生き生きとしていて、軽やかだった。
皆月の助けを借りずとも、穴を埋めた僕は、掘り返したことがわからないよう、近くの砂場から砂利を取って来て、表面を均した。
「よし…」
なんて言って、鼻についた土を拭う。
飽きて座り込んでいる皆月の方を振り返ると、今までに出したことないくらい明るい声で言った。
「帰ろう!」
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